土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

2.瀧口修造訳アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』

『超現実主義と絵画』訳者瀧口修造
厚生閣書店 現代の藝術と批評叢書第17編
19.2×13.8㎝(「四六変型判」)
本文100頁、挿絵目次6頁、挿絵50頁(1頁に1点)。50点すべて原書からの転載。作家ごとの点数は後出「作家別挿絵点数」表参照。

奥付の記載事項
昭和五年六月十日印刷
昭和五年六月十五日發行
超現實主義と繪畫 【定價一圓五十銭】
著者  瀧口修造
發行者 東京市麹町區下六番町四十八番地
岡本正一
印刷者 東京市牛込區西五軒町二十九番地
溝口榮
印刷所 東京市麹町區土手三番町二十九番地
厚生閣印刷部
發兌  東京市麹町區下六番町四十八番地
厚生閣書店
振替  東京五九六〇〇番
電話  九段三二一八番

図1図1
『超現実主義と絵画』初版


解題
表紙のアルファベット部分のタイポグラフィーは原書を踏襲しています。並べてみると一目瞭然です(図2)。刊行当時、瀧口は27歳。慶應義塾大学文学部英文科に在学中でした。英語に堪能だったのはもちろんですが、「シュルレアリスム革命」誌などを購読していたのですから、フランス語もかなりのレベルにあったのは間違いないでしょう。当時の大学生は今の大学院生かそれ以上の学力があったのかもしれませんが、それにしても学部の学生が、しかも仏文科でなく英文科の学生が、ブルトンの原書を翻訳(原書初版の全訳)したという事実に、まず驚かされます。

図2図2
訳書とアンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』初版本


といっても、もちろん翻訳には難渋したようで、刊行から32年後の1962年10月8日に、母校の県立富山高校(図3)で行った講演「美というもの」のなかでこの翻訳について触れ、「まるで方程式でも解くみたいに」意味を考えたことや、分からないところをフランス人の先生に(友人を介して)質問したところ、「こんなフランス語はない」と言われたことなどを回想しています(「瀧口修造の光跡」展 I カタログに講演録を収録。参考図)。

図3図3
瀧口在学当時の富山中学(『富中富高百年史』、富山高等学校創校百周年記念事業後援会、1985年10月)


参考 美というもの参考図
瀧口修造の光跡Ⅰ「美というもの」展カタログ


挿絵点数は全体で50点と、原書の77点からおよそ3分の2に減らされています。作家別の点数は下表のとおりです。もともと掲載点数の多いピカソとデ・キリコは、削減点数も多い一方、エルンストミロは削減点数が比較的少なく、タンギーは全く削られていません。その理由はいろいろに想像されるでしょう。ダリとマグリットは取り上げられていませんが、これは原書の執筆・刊行がこの二人の登場前だったからと思われます(原書の刊行は1928年。「シュルレアリスム革命」誌上での連載は1925~27年)。

表 作家別挿絵点数
表


ところで瀧口は、三一新書『私の人生を決めた一冊の本』(三一書房、1972年12月)のなかで、「超現実主義との出会い」との題のもと、ブルトン『シュルレアリスム宣言』を採り上げています(図4)。超現実主義が瀧口の人生を決めたという意味で、『宣言』が挙げられるのは当然でしょう。けれども、「人生の節目ないし転換点となった」という意味では、本書『超現実主義と絵画』の方が、その痕跡がより具体的で明確なように思われます。

図4図4
『私の人生を決めた一冊の本』


例えば「自筆年譜」1932年の項(「本の手帖」特集瀧口修造、昭森社、1969年8月、図5)では、以下のように回想されています。本書がシュルレアリスムに関心を持つ美術家たちの間で広く読まれ、後に彼らが結成した「新造型美術協会」などのグループを指導する立場へと瀧口を導くことになったのは明らかでしょう。

「古賀春江からブルトンの『超現実主義と絵画』の訳を読んだ感想をのべた手紙を貰う。一度訪ねるが不在、ついに会わずじまいであった。」

図5図5
「本の手帖」」特集瀧口修造表紙


さらに重要と思われるのは、本書に訳出した内容そのもの、とりわけ以下に引用する一節が、その後も瀧口自身のシュルレアリスム絵画論に繰り返し引用され、シュルレアリスム絵画に関する考え方のいわば柱となっていることです。

「視覚的影像を固定せんとする欲求は、その影像がそれらの固定よりも先在的であると否とを問はず、常に外面化され、私には他のもの以上に人工的であるとは思はれぬ一つの真実の言語の形成に到達する、そしてその原因に就ては遅疑することは無益であろう」(『超現実主義と絵画』)

具体的に述べればこの一節は、『超現実主義と絵画』刊行の6年後に、美術雑誌「みづゑ」379号(1936年9月、図6)の巻頭を飾った「超現実造型論」の冒頭部に引用され、全体を貫く中心的な命題とされています。余談になりますが、「みづゑ」同号の口絵は前年12月に結婚した瀧口綾子によるものです(図7)。

図6図6
「みづゑ」379号


図7図7
瀧口綾子口絵


この「超現実造型論」は、翻訳・紹介や展評などを除けば瀧口初の本格的な美術評論ないしシュルレアリスム論といえる論考で、これを抜粋再録したのが、2年後に三笠書房から刊行された『近代藝術』(図8)のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」です。もちろん上の一節は、その冒頭に引用されています。つまりこの一節は、瀧口にとって『超現実主義と絵画』全体のなかでもシュルレアリスム絵画の本質に関わる、原点ともいえる命題だったのではないでしょうか。年を経るあいだも絶えずそこに立ち戻り、実作や写真図版を観たり他の文献などを読んだりしながら、その意味を実感するうちに、訳文も次第にこなれていったものと思われます(煩雑になるので引用は省略します)。

図8図8
『近代藝術』初版


もちろん、「超現実造型論」(図9)では、この一節の前に、前置きとして次のように述べられ、美術の領域に限定してシュルレアリスムを考えることの危険性を指摘している点は見落とせません。またこの論考では、本訳書刊行後に登場し、シュルレアリスムの新たな展開の契機となったダリについても、比較的詳しく述べられている点も、付け加えておきます(図10)。

「超現実主義を、造型的領域の関連においてのみ考えることは、或る種の根本的な危険を犯すものである。詩的領域といい、哲学的領域といい、あらゆる領域が、誤った専門化、純粋性を固守することは、現世紀の、一つのもっとも大きな不幸を暗示するものであろう」(「超現実造型論」)

図9図9
「超現実造型論」


図10図10
ダリ「フロリダに於ける今夏の想像的暗示」と瀧口修造のコメント


1950年代後半にはアンフォルメル芸術が大きな潮流となりましたが、これに対する瀧口の見解ないし関わり方でも、上に引用した一節がその基底で作用しているように思われます。前出「自筆年譜」(図11)1958年の項には次のように記されています。

「アンフォルメル芸術と現象的に呼ばれた傾向のなかに、自分にとってある本質的な問題にかかわるもののあることを感じる。しかもそれが長くシュルレアリスムが自分を捉えてきたものと終局において背馳すべきではないという確信のもとに。しかもそれは画壇的な消長や流行現象とは無関係に自分の内部に浸透し、現にとりつつある批評の形式を瓦解させるような危機意識をはらむ」

図11図11
「自筆年譜」


60年代に入ると瀧口は時評的な美術評論の執筆を避けるようになり、替わってさまざまな造形の試みを開始しましたが、そこにおいてもこの命題が意識されていたのは間違いないと思われます。つまり引用の一節は、1930年の翻訳後も瀧口自身が絶えずその意味を問い返し、自ら実践しようとした命題といっても良いでしょう。このような意味で、この一節を含む『超現実主義と絵画』は、その後の瀧口の「人生を決めた一冊の本」と呼ぶにふさわしいと思われます。

最後にご案内をひとつ。
瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号が刊行されました(奥付の発行日は7月1日付け)。

表紙表紙


表紙は上図のような、光沢ある青となりました。材質より色味を優先したのでしょう。

執筆者は掲載順に、霧山深、岩崎美弥子、山腰亮介、永井敦子、朝木由香、島敦彦、嶋田美子、藤澤顕子、石原輝雄、野海青児、宮井徹、山口馨、三谷風子、高島夏代、尾山景子、高橋修宏、伊勢功治、小生の18名で、論考、随想、詩、創作など、211頁です。

目次目次


ときの忘れもので扱っていただいております。頒価1,500円(送料250円)です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
V-37(042)瀧口修造 《V-37》
デカルコマニー
Image size: 14.2x12.3cm
Sheet size: 26.3x19.2cm
※『瀧口修造の造形的実験』(2001年)No.203と対
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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。