佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」

第18回 ときの忘れものでの展覧会の構想について2

展覧会のテーマを、「囲い込み、お節介」としてみようかと考え始めている。どちらの言葉も少々物々しいものであるが、何かとそんな厄介か否かの境目を渡り歩くような創作に可能性を見たいからである。建築とは、時にはそんなものでもないだろうか、とも考えている。

「囲い込み」とは、近世頃のイギリスにおいてなされた”エンクロージャー“の訳語でもある。それまで開放耕地制であった土地を、領主や地主が牧羊場や農場にするため垣根などで囲い、私有地化した事象を指す。歴史の大局的には、日本でいう前近代における入会地が、近代的土地所有の制度が整備されていく過程(地租改正あたり)で消失していった当時の状況にも近いかもしれない。ただし日本においては、測量と図面作成によって境界が確定されはしたが、その新たな土地所有者が必ずしも垣根や塀などで明確な境界装置を設けた訳ではないし、むしろ入会的な土地の性格を保持するために、その共同体の代表者が名義のみ出して便宜上土地を所有した例もある。何が言いたいのかというと、囲い込んだことで内外の領域がとりあえず設定はされるが、それはある時は難攻不落の牙城となり、ある時は境界を行き来する新たな応答関係を与え、またある時は外から身を守るための隠れミノ、秘匿の箱ともなる。ちなみに、イギリスのエンクロージャー以前も開放耕地と言ってもその土地を扱うことができる人は何がしかの共同体に属し、共同体という一つの境界の中に在ったのであるから、不可視の囲いは存在していた。

イギリスにおいてさらに付言するならば、エンクロージャーという物騒めいたものではなく、庭の文化、英国式庭園における自然の囲い方、その秘匿性からうまれた児童文学(不思議の国のアリス、ピーターラビットなど数知れず)からも学ぶところは多い。庭というのは不思議なものだ。そしてとても難しい。人間が勝手に領域を決め、そこに彼らが好きな植物を配置していく。配置したその植物の性質を読み取り、メカニズムを熟知した上で管理する。それでいて、それら管理された植物たちを眺めながら、日々の生活を共にし、愛で、自然という壮大なダイナミズムの豊かさをその共同生活から感じたりもするのだ。そこでは統御という作為の限界性を楽しんでいるのではないかとも思ったりもする。作為と無為の宥和関係を楽しむ、そんな状況を
「お節介」という言葉で言い表してみる。

12017年、「インド・シャンティニケタンへ同志を募って家を作りに行く」のプロジェクトに際して制作した家具の原型(photo:comuramai)

昨年頃から、何某かを嵌め込み、隠し、包み、囲うハコを制作している。そんなハコは、家具スケールのものであるが、本来雨風をしのぐために生まれた建築、家の原形のようなものでもあるのだ。そして、そんなハコが一人歩きまたは群動するような、家具ないし建築がこちらへ「おーい」と呼びかけてくるような、不可視の応答関係を見てみたいと考えるようになった 。

古来の絵巻に度々登場する、身の回りの日用品からニョッキリ足が生えて動き回る付喪神のように、あるいは里山のイノシシやハクビシンないし、イヌネコといった街場の動物たちのように、人間とともにその場所に佇み、時には人間なんていう存在に構うことなく勝手にやっている「彼ら」「あいつら」というモノを作ってみたい。

そして「彼ら」が何を囲い込むのか。誰にお節介をかけるのか。その相手を彼ら達の間で決めさせてみる。つまりは造形的な連関を持ちつつ、連歌のように形を呼応させていきながら、向き合う、応答し合う彼らの会話のやり取りをでっち上げてみる。ややこしい言い方だが、彼らの眼球の中に写るその像を、別のメディアでまた新たな主体として登場させようというものだ。そのメディアが針穴写真機の仕掛けである。写真機を一つのモノとして制作し、側に立つ別のモノを撮影し、囲い込み、彼らの関係を可視化させてみる。そして現像した写真を縁取り、また新たなモノを出現させてみる。彼らの造形も制作する順序で連関性が生まれるように、彼ら同士の関係も、具体的な応答の順序をここでひとまずは作り出そうというものだ。


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自作したピンホールカメラで写した写真。少々分かりにくいが、家具が写っている。


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二体の家具の原型を向き合わせてみる。
(photo:comuramai)


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ドローイング。ここでは二体の家具原型の関係を、間に別種のオブジェクトを橋のように架け渡して立ち現せようとした。(2017年)


5ときの忘れものでの展覧会の会場構成スケッチ。モノとモノの応答関係、お節介の矢印の方向(双方向の時もある)を考える。


そして、お節介の対象は彼ら、つまり制作される家具の原型たちの他にもいる。自作自演ばかりでは、時にはこちらも白けてしまうからだ。それが今、福島で、時にはインドでも共に活動をしている自分の仲間と呼べる人々が作るモノである。彼らの制作の断片を、断片として切り取り、勝手にこちらでその制作物手足を生やしてみようと思う。詳しくはまた次回。
さとう けんご


■佐藤研吾(さとう けんご)
建築家。1989年神奈川県生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor。同年、東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍、近代初頭の東京の空き地を研究。インドで工作を通して大地と人間生活の関係を探求する「In-Field Studio」を主宰。福島県大玉村で藍の栽培と染めの作業から震災後の里山の風景を描く「歓藍社」所属。2018年より同村地域おこし協力隊着任、村に残る蔵、屋敷の風景の調査と実践に取り組む。
インド、福島、東京を主な拠点とし、それらの場所で得た経験と行動の軌跡を辿り、その展開から次なる建築工作の構想に取り組む。
主なプロジェクトに「インド・シャンティニケタンに同士を募って家を作りに行く」(2018)、「BUoY 北千住アートセンター」(2017)。
今秋11月にときの忘れもので個展を計画中、乞うご期待。

●本日のお勧め作品は、クリストです。
Christo_19 (2)クリスト
《包まれたタイムズスクエアのビル》
2003
リトグラフ+シルクスクリーン、コラージュ
Image size: 77.5x59.5cm
Frame size: 85.0x67.0cm
H.C.(Ed.20)  Signed
*レゾネNo.187
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◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

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阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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