柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第5回

パート~2
クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードと本
「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-1991」記録集の思いで


 1978年に刊行された「ランニング・フェンス」は、クリストとジャンヌ=クロードにとって、最初の「自立本」でした。この言葉、多分辞書には載っていないでしょう。ジャンヌ=クロードが使っていたSelf Standing Book の訳ですが、英語も彼らがつくったものだと思います。要するに、支えがなくても立っている、つまり本棚もブックエンドも必要のない本のことです。
 厚さが7センチ近くもあることから、関係者のあいだではこのように呼ぶようになったのでした。29センチ×30.5センチ、ほぼ正方形の判型はエブラムスの大判画集の標準サイズに合わせたものですが、レイアウトがし易いようにというクリストの希望もあったと言います。

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 カリフォルニアの牧草地に、高さ5.5メートルの白い布製の「フェンス」を39.4キロメートルに亘って設置した、現代美術史上に残る規模のアートプロジェクトを記録する書籍の刊行に、エブラムス社も前向きだった様ですが、クリストとジャンヌ=クロードの希望する頁数には難色を示したということです。当然と言えば当然なことでしょう。
 その対応策として考えられたのが、限定2159部の出版、全冊サイン・ナンバー入りとすることだったようです。それでも制作費用がかさみ、それをカバーするためにドローイング作品を出版社に渡したと聞いています。
 それだけの苦労をして仕上げられた本は、確かに画期的な内容になっています。694頁のうち、最初の約270頁が場所探しや交渉活動の記録写真やドキュメント、続く200頁が工事作業の記録写真、その後に実現したプロジェクトを捉えた写真が200頁以上続きます。

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 ちなみに、夕暮れ時のフェンスを捉えた空中写真がプリントされた、しっかりとした作りのスリップケースは、アートオブジェとしても飾れるものです。

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 「ランニング・フェンス」が、それ以降のプロジェクトに関する書籍のひな形になったと前回書きましたが、1983年の「囲まれた島々」(1986年発行、厚さ7センチ)、1995年の「包まれたポン・ヌフ」(1990年発行、厚さ6センチ)、1991年の「アンブレラ」(1998年発行、厚さ10センチ)、1995年の「包まれたライヒスターク」(1996年発行、厚さ6センチ)、2005年の「ゲート」(2005年発行、厚さ7センチ)そして2016年の「フローティング・ピアーズ」(2017年発行、厚さ6センチ)、の記録集が同じ形式の「自立本」として発行されました。
 最大の厚さとなったアンブレラは1422頁、さすがに一冊にすることはできず、2分冊になっています。
 高さ6メートル直径8.66メートルの巨大な傘を、日本の茨城県に1340本、アメリカのカリフォルニア州に1760本設置したこのプロジェクトは、発想から実現までに6年を要しました。2巻本は、それを時系列に記録しています。上巻は、プロジェクトの実行地探しから様々な交渉、傘の設計、製造手配といった、1984年から1990年末までのドキュメントと記録写真を収録し、下巻は、現地での設置作業が始まった、91年1月からの記録を収録しています。実現したプロジェクトの写真は330頁に亘りますが、割合的には全体の約4分の1にも及びません。クリストとジャンヌ=クロードが、実現までの過程を見て貰いたい気持ちの反映したものでしょう。

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 実は、私はジャンヌ=クロードと共に、この本の著者となっています。多くの写真に添えられた説明文を執筆したゆえにですが、それ以外にもこの本には様々な段階で関わりました。クリストとジャンヌ=クロードが、実現したプロジェクトを如何にアーカイブしているかの説明にもなると思いますので、少し書かせて頂きます。
 制作の第一歩は、収録するイメージとドキュメントを選び出すことでした。ドローイングやコラージュといった作品類は、プロジェクトがスタートした1984年末に描かれたものから、91年10月の実現の数日前に描かれた作品の中から100枚弱をアーティスト自身が選んでいました。また、交渉過程や工事を記録した写真は、87年~91年までのあいだに、東京、ロンドン、ベルギーなどで開かれた展覧会の図録にも使用したこともあり、既に時期、場所別にある程度分類されていました。
 問題は、莫大な数のドキュメントと実現した姿の写真類でした。その整理分類が、私の仕事になりました。ニューヨークのクリストとジャンヌ=クロードのオフィスで保管してあった書類に加えて、カリフォルニア、東京、茨城のオフィスから送られた段ボール数箱分の書類をジャンヌ=クロードと二人でより分け、重要と思われるものを選んでいきました。日本語だけの書類、ファックスなどは、私が簡単に内容を訳してジャンヌ=クロードに説明しました。
 一方の実現した姿の写真の選択は、まず数万枚ものカラースライドをスクリーンに映し、クリストとジャンヌ=クロード、そして専属写真家のウルフガング・フォルツが採用、不採用と決めてゆく作業から始まりました。そこで選ばれたイメージは、全てサービスサイズにプリントされました。具体的な枚数は覚えていませんが、大きな箱に一杯の量でした。それらを、遠くからの眺め、クローズアップ、雨の日、月夜、人々が下に集っている・・・などなど、様々な基準で分類するのが私の仕事でした。友人の助けも借りての作業でしたが、優に一ヶ月以上は掛かったと思います。
 それら選ばれたドキュメントの束、写真の束をクリストに渡してから数ヶ月後に渡されたのが、完璧にレイアウトされたこのダミー本です。

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 クリスト手作りのオリジナルに加えて、出版社用とジャンヌ=クロード用、それに私用のコピーとして3部が作られただけの超レアものです。
 このダミーには、ドローイング類、写真類は全て複写掲載されていますが、ドキュメントは番号のみが書かれています。そして、そこかしこに説明文が入るスペースが作られています。そのスペースを埋めてゆく作業が、ジャンヌ=クロードと私に課せられました。ミーティングの写真では、何時、何処で、誰と会ったかに加え、目的や成果までを含めるようにしました。それに加え、面白いエピソードなども紹介して、短いながらも読み物になるような努力も必要でした。
 「日立埠頭での打ち合わせで、傘開閉用ウィンチのクランクは別便で送られてくるので、別途の税金がかけられるという税関側の見解を伝え聞いたとき、クリストは『自動車をアメリカに輸出するときに、鍵には別途の税金がかかるのか?』と反論した。」といった具合です。

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 プロジェクトに関わった人たちを撮影したさい、その人たちの名前などは写真家のアシスタントが細かく記録していましたが、やはり漏れもあり、各所に問い合わせる必要がありました。また様々な工事の写真は、エンジニアに問い合わせながら、そこで行われていた作業の説明を書いていきました。
 ジャンヌ=クロードのオフィスでの作業は、週に1~2回のペースで、2~3ヶ月に及んだと思います。普通午後早々から夕方まででしたが、夕方6時を過ぎてまで続けることもありました。そんな時には、クリストがジャンヌ=クロードにはスコッチのオンザロック、僕にはブラッディマリーを持ってきてくれることになっていました。
 ジャンヌ=クロードとの共同作業が終わった後も、もう一つ大仕事が待っていました。翻訳です。個々の文は、短く簡潔な内容で日本語へ移すのもさほど難しくはありませんでした。苦労の種は、名前の漢字でした。撮影の際に記録をしたアシスタントはドイツ人。当然、聞き取った名前もローマ字でメモされました。プロジェクトに関わった百人、二百人の名前の漢字を確定するために、県庁や市役所にファックスを送っただけではなく、茨城の現地まで足をはこび、アンブレラの地権者のお宅をたずねたこともありました。
 そしてできあがったのが、この本です。

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 発行は1998年、プロジェクトが実現してから7年後でした。
 
 この本の出版元は、エブラムス社ではなく、ドイツのタッシェン社です。1990年代前半に始まったタッシェン社との係わりは、プロジェクトに関する出版物に大きな変化をもたらすことになりました。その事については、来月書かせていただきたいと思います。
 クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードの本に関する文章が連載の3回分をとることになってしまいました。申し訳ありません。本のことに限らず、彼らのことを書き出すと止まらなくなってします・・・ご容赦ください。
やなぎ まさひこ

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。

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阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
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