「松本竣介 アトリエの時間」について

小此木美代子(大川美術館学芸員)


 現在、大川美術館では松本竣介没後70年と当館開館30周年を記念して企画した「松本竣介―アトリエの時間」(12月2日まで)を開催している。本展は、松本竣介の1938年作《郊外》(個人蔵)、《都会》(個人蔵)《街》(当館蔵)を起点に、《N駅近く》(1940年、東京国立近代美術館蔵)、《立てる像》(1942年、神奈川県立近代美術館蔵)、そして絶筆のうちの2点の《建物(青)》(1948年、当館蔵)、《建物》(1948年)までの作品とともに、麻生三郎、鶴岡政男、靉光、難波田龍起舟越保武ら、竣介のアトリエを訪れ交友した画家たち16人の作品をあわせ展観している。
展覧会会場1展覧会会場1


・「竣介のアトリエを訪れた画家たち1」より「竣介のアトリエを訪れた画家たち1」より (左より、舟越保武、難波田龍起、靉光、寺田政明)


「竣介のアトリエを訪れた画家たち2」より「竣介のアトリエを訪れた画家たち2」より(左より、手塚緑敏、薗田猛、吉岡憲)


 本展では、松本竣介と交友のあった画家として、手塚緑敏と吉岡憲をあらたに紹介している。緑敏は、林芙美子の夫である。夫妻は、1941年8月、竣介の近所となる淀橋区下落合に新居を建て移り住んでいる(現在、新宿区立林芙美子記念館)。本展出品の「下落合風景」「水門」の2点は、制作年不詳ながら、夫妻が上落合に住み始めた1930年代初頭の作とおもわれる。緑敏と竣介は近所どうし、たがいの家を行き来することもあった。緑敏が竣介のアトリエで歓談する様子を撮った写真がのこされている。また、吉岡憲と竣介との出会いは、竣介没年にあたる1948年に、その交流をみることができる。1948年1月、吉岡は、妙正寺川と西武電気鉄道が交差する新宿区上落合1丁目328に居を移し、この頃より竣介や麻生三郎らと交友している。戦後まもなく新生社から発行された総合雑誌として立ち上がった「新生」に、麻生が吉岡を紹介し、カットを描いているが、こうした仕事の縁から、竣介の最晩年にいたり吉岡との交流が深められようとしていた。
 また、展示室の一室では、竣介のおもに戦後の作風の変化を再考するコーナーを設けた。「線」と「立体」との組み合わせによる竣介独自の抽象志向がうかがわれる「建物」と「人物」をモチーフとした素描を中心に、その新たな試みの一端を紹介している。パイプやパレットを持つ人物を線の集積によって構成するペン画、立体的な「頭部」、力強く肉厚な質感とともに奥行をもつ黒の描線が赤褐色の画面をはしる「裸婦」。そして一連の「建物」の素描からは、竣介が街で目にした建物のディテールや風景としての具体性からしだいに遠ざかり、建物のかたちがそぎ落とされてゆく様がみてとれる。シンプルな線によるこれら美しい小品たちは、まさに竣介の「アトリエの時間」のなかから生み出されたのである。自分の「気質」とまで言った竣介の「線」と晩年の竣介の立体志向について再考してみたい。
 
 また現在、この展示室内には、竣介のアトリエと同じスペース(15畳)のなかに、画家が手にしたものを、当時の様子がうかがえるようにレイアウトし紹介している。こちらの記念展示は2019年6月16日までここに置かれている。本展は、同時に、クラウドファンディングにより資金を募り、実現することができた「竣介のアトリエ再見プロジェクト」でもある。これらのモノたちは、画家の没後、ご遺族によって、現在まで大切に保管されてきた。900冊を超える蔵書が並ぶ書棚をはじめとし、イーゼル、パレット、椅子、座卓等、竣介がアトリエで使っていたものや、ならべて目にしていたであろう壺や古道具等72件のモノたちがならぶ。これら、画家の日常のものを竣介の代表的な作品と同空間で再見することにより、この画家の等身大の姿や生活のなかの息遣い、そしてアトリエにおける思索の時間を体感していただきたいとおもっている。
展覧会会場 アトリエ再見とともに展覧会会場 アトリエ再見とともに

竣介の万年筆竣介の万年筆


 1936年、松本竣介は禎子と結婚し新居とともにアトリエを持ち、そのアトリエに「綜合工房」という看板を掲げた。アトリエの北側の窓の柱に掲げられてあったこの看板は、竣介自らの手により彫られ色付けされたものである。竣介は、画家ではあった、が、アトリエ内にはもちろんパレットやイーゼルが置かれていたが、座卓には硯や万年筆が置かれ、900冊を超える蔵書が竣介を取り囲んでいた。竣介は画家ではあったが、その思索と創造は絵を描くことのみに注がれていたわけではないだろう。900冊を超える蔵書を見渡すとき、そこには、13歳で聴覚を失った少年が以後、岩手から上京し、戦中を過ごし、1948年36歳で亡くなるまでのあいだ、いかに書物から多くのことを吸収しようとしていたか、貪欲なまでの向上心が感じられる。そして、「アトリエ」場が竣介の嗜好に満ちた場であり、彼の好奇心と試作や思索のエッセンスが散りばめられた空間であったことを知ることができる。展示室に単なる資料としてではないアトリエ再見として、ぜひこの空間を味わってもらいたい。 (竣介の蔵書については、つづく「松本竣介―読書の時間」2019年1月22~3月24日で紹介する)

 このアトリエ内で過ごした竣介の姿というものを知る唯一の人となったのが、次男であり建築家の松本莞氏である。この展覧会の準備にあたり、私たちは莞氏を訪ね、開催の相談をし、そのアトリエのディテールはどのようであったのか、どのようなモノが置かれてたのか、そしてその「モノ」はどこにどのように置かれていたのか、実際に手にとり、莞氏からお話をうかがう、そうしたところから、この展覧会ははじまった。そして、莞氏への取材は今もなお続いている。大川美術館での松本竣介は4つのテーマで開催される。その第1弾が始まったばかりである。1年を通じて、松本竣介という人物の等身大に思いを馳せ、さまざまな視点から「松本竣介」を再考する時間を持ちたいとおもっている。

対談「父のアトリエ、その思い出」松本莞対談「父のアトリエ、その思い出」松本莞(松本竣介次男・建築家)×田中 淳(当館長)の様子
おこのぎ みよこ

●NHK Eテレ「日曜美術館」にて「静かな闘い~松本竣介のアトリエ~」が放送されます。
大川美術館「松本竣介-アトリエの時間」(10/13~12/2開催中)に展示されている作品ならびに記念展示「竣介のアトリエ」が紹介されます。
放送日時:11月18日(日)午前9:00~9:45
再放送:11月25日(日)午後8:00~8:45
【ゲスト】大川美術館館長・田中淳【出演】建築家 松本竣介次男・松本莞、洋画家・小林俊介、島根県立美術館専門学芸員・柳原一徳、【司会】小野正嗣,高橋美鈴
日曜美術館ホームページ:http://www4.nhk.or.jp/nichibi/

●展覧会のご案内
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展覧会名:松本竣介没後70年「松本竣介-アトリエの時間」展
主催:公益財団法人 大川美術館
会期:平成30(2018)年10月13日-12月2日
連絡先:電話:0277-46-3300(代表)

開催趣旨:1948年6月に36歳の若さで亡くなった松本竣介(1912-1948)は、その没後に注目され、今日まで高く評価されつづけてきました。2018年は、その画家の没後70年にあたります。
一方大川美術館の創設者大川栄二(1924-2008)は、40年以上にわたり美術品の収集につとめてきましたが、そのきっかけとなったのが松本竣介の作品でした。この画家をめぐる大川自身の積極的な発言と当美術館での活動が、今日のように広く親しまれるようになった松本竣介の評価形成の一面を担ってきたといっても過言ではないでしょう。
そこで、没後70年を記念して、当美術館では、「松本竣介-アトリエの時間」を開催します。画家のアトリエはすでになく、また当時を知るための写真などの資料も乏しいことから、この試みはその再現(再建)を目的にしたものではありません。しかしながら、アトリエと同じスペースのなかに、画家が手にしたものを、当時の様子がうかがわれるようにレイアウトして展示して、松本竣介の作品とともにご覧いただきます。そのため、画家の没後、ご遺族によって、現在まで大切に保管されてきたイーゼル、パレット、椅子、テーブル、本と書棚等の、アトリエで使われていた、あるいは並べて目にしていたであろう壺や古道具等をふくめて、日常のものを展示して、画家がアトリエで過ごした時間に思いをはせながら、画家と作品(創作)との間を結びつけ、創作の内側を考察してみようという趣旨です。

●今日のお勧め作品は、松本竣介です。
24松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《作品》
紙にインク、墨
イメージサイズ:26.4x37.8cm
シートサイズ:27.6x39.0cm
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阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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