土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
4.『近代藝術』
図1 『近代藝術』初版
瀧口修造『近代芸術』
三笠書房 三笠全書11
16.9×12.5㎝
序文4頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文233頁
奥付の記載事項
近代藝術
昭和十三年九月十二日印刷
昭和十三年九月一八日發行
臨時定價九十五餞
外地定價一割増
著者 瀧口修造
發行者 竹内富子
東京市神田區西神田二ノ二一
印刷者 堀内文治郎
東京市神田區三崎町二ノ二二
發行所 三笠書房
東京市神田區西神田二ノ二一
電話九段四〇一三番
振替東京二二〇九六番
豫約頒價二冊一圓九十餞
『近代藝術』については、まず、瀧口自らによる「私の1冊『近代芸術』」という回想をご紹介しましょう(『コレクション瀧口修造』1巻412頁。初出は「毎日新聞」1968年4月30日)。
「[『近代藝術』は]昭和13年に三笠全書の1冊として刊行されたものである。昭和の初頭からシュルレアリスムに熱中し、詩をこころみていた私は、すでに昭和5年にブルトンの『超現実主義と絵画』の訳本を出していたけれど、美術評論家というレッテルをはられるようになる素地は、よかれあしかれこの本あたりに発しているのだろう。
今日の美術批評のような職業意識なぞもとうともしなかった私が、なぜあのような本を書いたかといえば、当時、画壇の一角に接してシュルレアリスムも抽象芸術も脈絡を欠いていることを知り、近代芸術を自分なりに位置づけてみる必要に迫られたからである。勉強はしたつもりだが、結局は自分の直感のようなものに駆られて書いたのだと思う。
しかし出版の直接な動機は、唯物論研究会の戸坂潤のすすめがあったからである。三笠全書は弾圧された唯物論全書を引き継いだものであったが、私はといえば率直に自分の近代芸術観を述べたにすぎない。それを戸坂氏はこころよく迎えてくれた。(後略)」
戦後、唯物論全書の刊行が再開されると、さっそく1949年に本書もその1冊として再刊され(図2)、さらに51年には新書版で再々刊されました(図3)。
図2 『近代藝術』唯物論全書版
瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 唯物論全書18
18.4×13.2㎝
序文3頁
再版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁
奥付の記載事項
近代藝術
昭和二十四年三月十日印刷
昭和二十四年三月十五日發行
定價百六十圓
著者 瀧口修造
發行者 広瀬文子
東京都千代田區神田神保町二ノ二〇
印刷者 額賀秀
東京都北區王子神谷町一丁目四八二
發行所 株式會社三笠書房
東京市神田區西神田二ノ二一
東京都千代田區神田神保町二ノ二〇
電話九段33六五〇四番
振替東京二二〇九六番
東京證券印刷株式會社印刷・共成社製本所製本
図3 『近代藝術』三笠新書版
瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 三笠新書
17.4×10.6㎝
序文3頁
新版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁
奥付の記載事項
近代藝術
1951年11月刊行
90
著者 瀧口修造
株式會社三笠書房
東京都千代田區神田神保町二丁目
電話九段(33)6504 7483
振替東京22096
刊行者 竹内富子
新光社印刷・壽製本
初版の三笠全書版の巻頭には著者による「序」が置かれています(図4)。唯物論全書版、三笠新書版でも冒頭にこの「序」が置かれた上で、それぞれ「再版の序」「新版の序」が付されています(図5,6)。特に唯物論全書版の「再版の序」では、本書が「むしろこれらの [唯物論的な立場から批判を受けている唯心論的傾向をとる] 芸術諸派の立場から記述している」とした上で、「自由芸術擁護のほとんど最後の役割の一端をつとめた」と述べられています。
図4 序
図5 再版の序
図6 新版の序
この「自由芸術擁護」という言葉で念頭に置かれているのは、戦前・戦中の前衛芸術に対するさまざまな圧迫であるのはもちろんですが、「再版の序」が執筆された1949年の時点においても、芸術の自由を擁護する、すなわち右翼であれ左翼であれ、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする動きに警鐘を鳴らし、批判する意味合いも含まれていたのではないでしょうか。以下のようなシュルレアリスムの政治的立場の変遷を考慮すると、そんな風に思えてきます。
シュルレアリスム運動は1929年~30年頃に共産主義に接近したこともありましたが、1930年代に入るとその教条性を批判し、鋭く対立するようになっていきました。中心人物のアンドレ・ブルトンは、芸術の自由を唱えるトロツキーと連携し、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする国際共産党と対立し、厳しく批判したのです。
1930年代後半の瀧口は、このような政治的立場も含めてシュルレアリスム運動と同調していました。それは例えばブルトンから送られてきた「文化擁護作家会議に於ける講演」を訳出し、山中散生編『ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図7)に掲載したことなどでも明らかでしょう。
図7 『ÉCHANGE SURRÉALISTE』
こうしたシュルレアリスムの政治的立場の変遷を視野に入れない論者からは、本書刊行の半年ほど前に発表された「前衛芸術の諸問題」(「みづゑ」1938年4月。『コレクション瀧口修造』12巻)の以下に引用する有名な一節が、本心から述べたものではなく、一種の政治的後退ないし妥協であると、しばしば誤解されています。しかしこの一節は、治安維持法の拡大解釈により共産党員以外の知識人にも弾圧が及んだ、1937年12月の人民戦線事件や38年2月の教授グループ事件を目の当たりにした瀧口が、ブルトンの共産党批判の立場に則ってシュルレアリスムの非政治性、すなわち政治から独立したものであることを強調し、前衛芸術家に対する弾圧を牽制するとともに、国民精神総動員運動に対する非協力的立場を根拠づけようとしたもので、瀧口の本音そのものといえるのではないでしょうか。
「ヨーロッパの超現実主義の一部で、政治的左翼主義と結びつけられている場合があるのは事実である。しかしわたしの理解するかぎりでは、超現実主義的芸術はとうてい政治主義とは相容れないものである。(中略)おそらく今後も、超現実主義が政治主義に化することはあるまいとわたしは信じている。」
こうした主張にもかかわらず1941年4月に検挙されたのは、シュルレアリスムが国際共産党と関連した運動であるとの嫌疑を払拭できなかったためでした。拘留中の取り調べの際に、特高から両者の関係の有無を問われたことに触れて、瀧口は「勿論、事実はなし」とコメントしています(「自筆年譜」1941年の項)。当時のシュルレアリスムは国際共産党と鋭く対立していたわけですから、「そんなことがあるわけがない」という、言葉通りの意味と受け止めるのが適当でしょう。
余談はこのくらいにして、ふたたび『近代藝術』に戻ります。本書は2度も改版され、1950年代を通じて美術家や美学生たちを中心に読み継がれてきました。その理由はもちろん、本書が近代芸術のさまざまな潮流について、脈絡を通して論じたほとんど唯一の理論書で、また戦前・戦中に前衛芸術が置かれた困難な状況を物語る、歴史的な書物でもあったからでしょう。それだけでなく何よりも、本書が常に同時代の芸術のあり方を問い直す、アクチュアルな書物として受け止められてきたからではないでしょうか。
1960年代に入ると、本書は美術出版社の美術選書シリーズの1冊として4たび刊行され(図8)、一般の読書人にまで広く受け入れられました。このシリーズは好著が揃っており(図9)、大手書店を中心に常備されていました。中でも本書は代表的な1冊として版を重ねました。筆者(土渕)が学生時代に購入した第10版は、1976年1月30日発行となっています。刊行当時は函入りではありませんでしたが、美術選書シリーズ全体が函入りの体裁となりました。
図8 『近代芸術』美術選書版
瀧口修造『近代芸術』
美術出版社 美術選書
20.6×14.9㎝
目次3頁
選書のための序3頁
初版の序3頁
再版の序3頁
新版の序3頁
本文203頁
挿図目次2頁
挿図について1頁
解題(針生一郎)11頁
奥付の記載事項
近代芸術
1962.12.15発行
540
著者 滝口修造©
発行者 大下正男
印刷 猪瀬印刷株式会社
同美原色印刷所
製本 金子製本所
発行所 株式会社美術出版社
東京都新宿区市谷本村町15
電話(332)5221
振替 東京166700
担当 雲野良平
図9 美術選書シリーズ
美術選書版には、著者による「選書のための序」(図10)が巻頭に置かれているほか、過去3つの版の序文もすべて再録されています。さらに巻末には、先年亡くなった美術評論家針生一郎による解題も付されています(図11)。瀧口に対する深い理解と共感に溢れた、懇切で的確な解題と思われ、筆者も学生時代から何度も読み返してきました。この解題に引用されている瀧口自身の文章や回想の出典はどの文献だろうかと、同じ頃に入手したせりか書房の『シュルレアリスムのために』を読み込んだことも想い出されます。
図10 「選書のための序」
図11 針生一郎「解題」
もっとも、針生が本書の第1部を「書き下ろし」としている点は、訂正が必要でしょう。重箱の隅をつつくような指摘かもしれませんが、例えば第1部のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」の部分は1936年に「みづゑ」1936年9月号に発表した「超現実造型論」を加除修正したものですし、「シュルレアリスム その史的展開」の個所は、本書刊行の前に「超現実主義の史的概観」として雑誌「科学ペン」1938年6月号(図12)に、ほぼそのままの形で発表されています。
図12 「科学ペン」1938年6月号
美術選書シリーズを書店の棚に見かけなくなった現在、学術系の文庫などで、4つの序文と秀逸な解題も含めて、本書を再刊していただけないものでしょうか。もちろん、大きな図書館に行けば『コレクション瀧口修造』で読むことはできますが、昨今、瀧口の本を入手するには古書を捜すしかない状態となっており、気軽に読むことができないのは、まことに残念です。本文が今なお通用する、高度で正確な内容であるのはもちろん、各序文も執筆当時の状況を理解するうえでの貴重な証言と思われます。解題も瀧口の全体像を形成するうえで優れた水先案内となることでしょう。シュルレアリスムを日本に導入した張本人による、歴史的で記念碑的な著作といっても過言ではありません。本書が及ぼした広範な影響からみても、文庫本化されていないのが不思議なくらいですが、いかがでしょうか。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"V-09"
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

4.『近代藝術』
図1 『近代藝術』初版瀧口修造『近代芸術』
三笠書房 三笠全書11
16.9×12.5㎝
序文4頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文233頁
奥付の記載事項
近代藝術
昭和十三年九月十二日印刷
昭和十三年九月一八日發行
臨時定價九十五餞
外地定價一割増
著者 瀧口修造
發行者 竹内富子
東京市神田區西神田二ノ二一
印刷者 堀内文治郎
東京市神田區三崎町二ノ二二
發行所 三笠書房
東京市神田區西神田二ノ二一
電話九段四〇一三番
振替東京二二〇九六番
豫約頒價二冊一圓九十餞
『近代藝術』については、まず、瀧口自らによる「私の1冊『近代芸術』」という回想をご紹介しましょう(『コレクション瀧口修造』1巻412頁。初出は「毎日新聞」1968年4月30日)。
「[『近代藝術』は]昭和13年に三笠全書の1冊として刊行されたものである。昭和の初頭からシュルレアリスムに熱中し、詩をこころみていた私は、すでに昭和5年にブルトンの『超現実主義と絵画』の訳本を出していたけれど、美術評論家というレッテルをはられるようになる素地は、よかれあしかれこの本あたりに発しているのだろう。
今日の美術批評のような職業意識なぞもとうともしなかった私が、なぜあのような本を書いたかといえば、当時、画壇の一角に接してシュルレアリスムも抽象芸術も脈絡を欠いていることを知り、近代芸術を自分なりに位置づけてみる必要に迫られたからである。勉強はしたつもりだが、結局は自分の直感のようなものに駆られて書いたのだと思う。
しかし出版の直接な動機は、唯物論研究会の戸坂潤のすすめがあったからである。三笠全書は弾圧された唯物論全書を引き継いだものであったが、私はといえば率直に自分の近代芸術観を述べたにすぎない。それを戸坂氏はこころよく迎えてくれた。(後略)」
戦後、唯物論全書の刊行が再開されると、さっそく1949年に本書もその1冊として再刊され(図2)、さらに51年には新書版で再々刊されました(図3)。
図2 『近代藝術』唯物論全書版瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 唯物論全書18
18.4×13.2㎝
序文3頁
再版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁
奥付の記載事項
近代藝術
昭和二十四年三月十日印刷
昭和二十四年三月十五日發行
定價百六十圓
著者 瀧口修造
發行者 広瀬文子
東京都千代田區神田神保町二ノ二〇
印刷者 額賀秀
東京都北區王子神谷町一丁目四八二
發行所 株式會社三笠書房
東京市神田區西神田二ノ二一
東京都千代田區神田神保町二ノ二〇
電話九段33六五〇四番
振替東京二二〇九六番
東京證券印刷株式會社印刷・共成社製本所製本
図3 『近代藝術』三笠新書版瀧口修造『近代藝術』
三笠書房 三笠新書
17.4×10.6㎝
序文3頁
新版の序3頁
目次3頁
挿図目次1頁
本文213頁
奥付の記載事項
近代藝術
1951年11月刊行
90
著者 瀧口修造
株式會社三笠書房
東京都千代田區神田神保町二丁目
電話九段(33)6504 7483
振替東京22096
刊行者 竹内富子
新光社印刷・壽製本
初版の三笠全書版の巻頭には著者による「序」が置かれています(図4)。唯物論全書版、三笠新書版でも冒頭にこの「序」が置かれた上で、それぞれ「再版の序」「新版の序」が付されています(図5,6)。特に唯物論全書版の「再版の序」では、本書が「むしろこれらの [唯物論的な立場から批判を受けている唯心論的傾向をとる] 芸術諸派の立場から記述している」とした上で、「自由芸術擁護のほとんど最後の役割の一端をつとめた」と述べられています。
図4 序
図5 再版の序
図6 新版の序この「自由芸術擁護」という言葉で念頭に置かれているのは、戦前・戦中の前衛芸術に対するさまざまな圧迫であるのはもちろんですが、「再版の序」が執筆された1949年の時点においても、芸術の自由を擁護する、すなわち右翼であれ左翼であれ、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする動きに警鐘を鳴らし、批判する意味合いも含まれていたのではないでしょうか。以下のようなシュルレアリスムの政治的立場の変遷を考慮すると、そんな風に思えてきます。
シュルレアリスム運動は1929年~30年頃に共産主義に接近したこともありましたが、1930年代に入るとその教条性を批判し、鋭く対立するようになっていきました。中心人物のアンドレ・ブルトンは、芸術の自由を唱えるトロツキーと連携し、芸術を政治的プロパガンダに利用しようとする国際共産党と対立し、厳しく批判したのです。
1930年代後半の瀧口は、このような政治的立場も含めてシュルレアリスム運動と同調していました。それは例えばブルトンから送られてきた「文化擁護作家会議に於ける講演」を訳出し、山中散生編『ÉCHANGE SURRÉALISTE』(超現実主義の交流。ボン書店、1936年。図7)に掲載したことなどでも明らかでしょう。
図7 『ÉCHANGE SURRÉALISTE』こうしたシュルレアリスムの政治的立場の変遷を視野に入れない論者からは、本書刊行の半年ほど前に発表された「前衛芸術の諸問題」(「みづゑ」1938年4月。『コレクション瀧口修造』12巻)の以下に引用する有名な一節が、本心から述べたものではなく、一種の政治的後退ないし妥協であると、しばしば誤解されています。しかしこの一節は、治安維持法の拡大解釈により共産党員以外の知識人にも弾圧が及んだ、1937年12月の人民戦線事件や38年2月の教授グループ事件を目の当たりにした瀧口が、ブルトンの共産党批判の立場に則ってシュルレアリスムの非政治性、すなわち政治から独立したものであることを強調し、前衛芸術家に対する弾圧を牽制するとともに、国民精神総動員運動に対する非協力的立場を根拠づけようとしたもので、瀧口の本音そのものといえるのではないでしょうか。
「ヨーロッパの超現実主義の一部で、政治的左翼主義と結びつけられている場合があるのは事実である。しかしわたしの理解するかぎりでは、超現実主義的芸術はとうてい政治主義とは相容れないものである。(中略)おそらく今後も、超現実主義が政治主義に化することはあるまいとわたしは信じている。」
こうした主張にもかかわらず1941年4月に検挙されたのは、シュルレアリスムが国際共産党と関連した運動であるとの嫌疑を払拭できなかったためでした。拘留中の取り調べの際に、特高から両者の関係の有無を問われたことに触れて、瀧口は「勿論、事実はなし」とコメントしています(「自筆年譜」1941年の項)。当時のシュルレアリスムは国際共産党と鋭く対立していたわけですから、「そんなことがあるわけがない」という、言葉通りの意味と受け止めるのが適当でしょう。
余談はこのくらいにして、ふたたび『近代藝術』に戻ります。本書は2度も改版され、1950年代を通じて美術家や美学生たちを中心に読み継がれてきました。その理由はもちろん、本書が近代芸術のさまざまな潮流について、脈絡を通して論じたほとんど唯一の理論書で、また戦前・戦中に前衛芸術が置かれた困難な状況を物語る、歴史的な書物でもあったからでしょう。それだけでなく何よりも、本書が常に同時代の芸術のあり方を問い直す、アクチュアルな書物として受け止められてきたからではないでしょうか。
1960年代に入ると、本書は美術出版社の美術選書シリーズの1冊として4たび刊行され(図8)、一般の読書人にまで広く受け入れられました。このシリーズは好著が揃っており(図9)、大手書店を中心に常備されていました。中でも本書は代表的な1冊として版を重ねました。筆者(土渕)が学生時代に購入した第10版は、1976年1月30日発行となっています。刊行当時は函入りではありませんでしたが、美術選書シリーズ全体が函入りの体裁となりました。
図8 『近代芸術』美術選書版瀧口修造『近代芸術』
美術出版社 美術選書
20.6×14.9㎝
目次3頁
選書のための序3頁
初版の序3頁
再版の序3頁
新版の序3頁
本文203頁
挿図目次2頁
挿図について1頁
解題(針生一郎)11頁
奥付の記載事項
近代芸術
1962.12.15発行
540
著者 滝口修造©
発行者 大下正男
印刷 猪瀬印刷株式会社
同美原色印刷所
製本 金子製本所
発行所 株式会社美術出版社
東京都新宿区市谷本村町15
電話(332)5221
振替 東京166700
担当 雲野良平
図9 美術選書シリーズ美術選書版には、著者による「選書のための序」(図10)が巻頭に置かれているほか、過去3つの版の序文もすべて再録されています。さらに巻末には、先年亡くなった美術評論家針生一郎による解題も付されています(図11)。瀧口に対する深い理解と共感に溢れた、懇切で的確な解題と思われ、筆者も学生時代から何度も読み返してきました。この解題に引用されている瀧口自身の文章や回想の出典はどの文献だろうかと、同じ頃に入手したせりか書房の『シュルレアリスムのために』を読み込んだことも想い出されます。
図10 「選書のための序」
図11 針生一郎「解題」もっとも、針生が本書の第1部を「書き下ろし」としている点は、訂正が必要でしょう。重箱の隅をつつくような指摘かもしれませんが、例えば第1部のシュルレアリスム論「シュルレアリスムと絵画」の部分は1936年に「みづゑ」1936年9月号に発表した「超現実造型論」を加除修正したものですし、「シュルレアリスム その史的展開」の個所は、本書刊行の前に「超現実主義の史的概観」として雑誌「科学ペン」1938年6月号(図12)に、ほぼそのままの形で発表されています。
図12 「科学ペン」1938年6月号美術選書シリーズを書店の棚に見かけなくなった現在、学術系の文庫などで、4つの序文と秀逸な解題も含めて、本書を再刊していただけないものでしょうか。もちろん、大きな図書館に行けば『コレクション瀧口修造』で読むことはできますが、昨今、瀧口の本を入手するには古書を捜すしかない状態となっており、気軽に読むことができないのは、まことに残念です。本文が今なお通用する、高度で正確な内容であるのはもちろん、各序文も執筆当時の状況を理解するうえでの貴重な証言と思われます。解題も瀧口の全体像を形成するうえで優れた水先案内となることでしょう。シュルレアリスムを日本に導入した張本人による、歴史的で記念碑的な著作といっても過言ではありません。本書が及ぼした広範な影響からみても、文庫本化されていないのが不思議なくらいですが、いかがでしょうか。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"V-09"
水彩、インク、色鉛筆、紙
Image size: 27.5x22.7cm
Sheet size: 31.5x26.8cm
サインあり
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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