中村惠一「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」第5回
金山平三
中井駅に近い丘の上にアトリエ建築が残っていることは落合に越してきて、しばらくした頃から気付いていた。その建築主が金山平三であることもすぐに知った。金山平三が中井駅に近い丘の上を購入したのは大正11(1922)年末か12(1923)年早々であると思われる。金山はこの一帯を「アビラ村」と名付けた。アビラ、それはスペインの首都マドリッドの西北約100キロに位置する小さな村であるが、金山が購入した「中井二の坂の上あたりはアビラそっくりの地勢である」と金山は思ったようだ。金山のアトリエあった場所の住所は東京府豊多摩郡落合町大字下落合字小工1080番地24号であった。現在の地番では新宿区中井2丁目13番19号である。西武新宿線の中井駅から歩いてみることにしよう。中井駅におりると南にはすぐに妙正寺川が流れているが、今回は北に向かう。踏切をわたり突き当たりを左に向かう。すぐに山手通りの下を抜ける。最初の右から合流する坂が一の坂と二の坂である。二の坂側を上ると獅子吼会の施設がある。そこを左にまがると大きな建物があり、北側に大きな窓がある。典型的なアトリエ建築であった。金山の没後に人手に渡っていたので、私が見たときにはアトリエとしての使われ方はしていなかっただろうとは思うが、建物は立派であった。これが大正末に建築された金山平三のアトリエかとしばらく眺めてしまったのを覚えている。
丸印の場所が金山平三アトリエのあった場所
金山アトリエのありし姿
当時の新聞記事
この二の坂上は一面の麦畑であったそうだが、東京土地会社が開発整地した分譲地を満谷國四郎や南薫造、金子保、北村西望らと金山平三は購入した。その北側の土地は彫刻家の新海竹太郎が購入している。購入してすぐに関東大震災がおき、落合にも新築住居の開発ニーズが高まったので、南の土地は獅子吼幼稚園に売られた。金山は大正13(1924)年9月にアトリエ+母屋を着工し、大正14(1925)年春に竣工、4月に越してきた。しかし、金山の落合の絵は皆無である。住む場所としては選んでも、モチーフとしては選ぶことができなかったのだろう。日本画家の橋浦泰雄によれば落合は大根と枝柿が有名だったようだ。ここでは、大正14年に金山アトリエのそばに住んでいた高群逸枝の日記を読んでみたい。
「二人の再出発の家は下落合の高台の一郭、椎名町から目白方面にゆく街道筋にあ
る長屋群の一つだった。この家も同郷の小山さんがみつけてくれたもので小山さ
んの近所だった。近くには森や畑が多く、私がよく鶏卵を買いにいった百姓家も
あった。この一帯はそのころようやく新開地めいてきだしたところで、「芸術村」
という俗称もあった。」
ここに書かれた「芸術村」が「アビラ村」である。小山さんは熊本出身の作家・小山勝清であり、この時期には挿絵画家の竹中英太郎が隣人として住んでいた時期である。金山以外はアトリエを建築しなかったため、アビラ村という芸術村構想は実現しなかったが、新海竹太郎はここに住居を構えたのか息子の画家・新海覚雄の住所が下落合だったことがある。また、新海覚雄と同じ住所地にプロフォトの本部が置かれた時期がある。アビラ村構想は実現しなかったものの、地域は文化人のたまり場のようであった。
金山は1883(明治16)年神戸生まれ、1909(明治42)年3月に東京美術学校の西洋画科を首席で卒業した。師事したのは黒田清輝であった。アトリエのおかれた下落合の風景を佐伯祐三のようには描かず、金山は諏訪や山形などの風景をモチーフに透明感のある美しい画面を作り上げている。画家でありながら、描いた絵を売ることはせず、手元において描きなおしてもいたようで、どのように生活していたのだろうかとも考えてしまうが、アトリエ建築費用を支援者(ファンということだろう)からの寄付によってまかなってしまうのだから驚きである。1935(昭和10)年の帝国美術院改組問題以来、画壇とのつきあいからも逸脱してしまうのは潔いといえばその通りだが、付き合いにくい印象ももってしまう。しかし、下落合のアトリエに住んだ金山の印象はかなり違ったものだったようだ。
「夏の内海」
「渓流」
「最上川雪景」
中学時代にピッチャーだった金山は画家による野球チームを作って文士チームと現在の目白大学のグランドで試合を楽しんだようだし、日本舞踊好きの金山はアトリエでダンスの集まりも催したようで、改造社の新興文学叢書の編集者だった方が講師を勤めていたようである。旅をしながら絵を描くばかりでなく、趣味人ぶりをアトリエでも発揮したようだ。
金山が愛したアトリエも人手に渡ったとはいえ現存していたのだが、状況が変わったのは3.11以後であった。突然の破壊・撤去があり、瞬時に解体工事が行われた。気が付いたときにはアトリエの北側にあった大きな窓が廃棄物になっていたのだった。自宅にもって帰ろうかとも思ったが、置く場所がない。泣く泣くあきらめた。先日、アトリエのあった場所を訪問した際に、小さな鷹が近くの木にいたのだが、金山平三の自画像にそっくりな精悍な顔をみせたのだった。
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
◆中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。
●本日のお勧め作品はルイーズ・ニーヴェルスンです。
ルイーズ・ニーヴェルスン Louise Berliawsky Nevelson
《7506》
1975年
シルクスクリーン
117.9×84.2cm
Ed.39
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●年末年始ご案内
ときの忘れものの年内営業は12月29日(土)まで。2018年12月30日(日)~2019年1月7日(月)までは冬季休廊いたします。
ブログは年中無休、毎日更新しますのでお楽しみください。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

金山平三
中井駅に近い丘の上にアトリエ建築が残っていることは落合に越してきて、しばらくした頃から気付いていた。その建築主が金山平三であることもすぐに知った。金山平三が中井駅に近い丘の上を購入したのは大正11(1922)年末か12(1923)年早々であると思われる。金山はこの一帯を「アビラ村」と名付けた。アビラ、それはスペインの首都マドリッドの西北約100キロに位置する小さな村であるが、金山が購入した「中井二の坂の上あたりはアビラそっくりの地勢である」と金山は思ったようだ。金山のアトリエあった場所の住所は東京府豊多摩郡落合町大字下落合字小工1080番地24号であった。現在の地番では新宿区中井2丁目13番19号である。西武新宿線の中井駅から歩いてみることにしよう。中井駅におりると南にはすぐに妙正寺川が流れているが、今回は北に向かう。踏切をわたり突き当たりを左に向かう。すぐに山手通りの下を抜ける。最初の右から合流する坂が一の坂と二の坂である。二の坂側を上ると獅子吼会の施設がある。そこを左にまがると大きな建物があり、北側に大きな窓がある。典型的なアトリエ建築であった。金山の没後に人手に渡っていたので、私が見たときにはアトリエとしての使われ方はしていなかっただろうとは思うが、建物は立派であった。これが大正末に建築された金山平三のアトリエかとしばらく眺めてしまったのを覚えている。
丸印の場所が金山平三アトリエのあった場所
金山アトリエのありし姿
当時の新聞記事この二の坂上は一面の麦畑であったそうだが、東京土地会社が開発整地した分譲地を満谷國四郎や南薫造、金子保、北村西望らと金山平三は購入した。その北側の土地は彫刻家の新海竹太郎が購入している。購入してすぐに関東大震災がおき、落合にも新築住居の開発ニーズが高まったので、南の土地は獅子吼幼稚園に売られた。金山は大正13(1924)年9月にアトリエ+母屋を着工し、大正14(1925)年春に竣工、4月に越してきた。しかし、金山の落合の絵は皆無である。住む場所としては選んでも、モチーフとしては選ぶことができなかったのだろう。日本画家の橋浦泰雄によれば落合は大根と枝柿が有名だったようだ。ここでは、大正14年に金山アトリエのそばに住んでいた高群逸枝の日記を読んでみたい。
「二人の再出発の家は下落合の高台の一郭、椎名町から目白方面にゆく街道筋にあ
る長屋群の一つだった。この家も同郷の小山さんがみつけてくれたもので小山さ
んの近所だった。近くには森や畑が多く、私がよく鶏卵を買いにいった百姓家も
あった。この一帯はそのころようやく新開地めいてきだしたところで、「芸術村」
という俗称もあった。」
ここに書かれた「芸術村」が「アビラ村」である。小山さんは熊本出身の作家・小山勝清であり、この時期には挿絵画家の竹中英太郎が隣人として住んでいた時期である。金山以外はアトリエを建築しなかったため、アビラ村という芸術村構想は実現しなかったが、新海竹太郎はここに住居を構えたのか息子の画家・新海覚雄の住所が下落合だったことがある。また、新海覚雄と同じ住所地にプロフォトの本部が置かれた時期がある。アビラ村構想は実現しなかったものの、地域は文化人のたまり場のようであった。
金山は1883(明治16)年神戸生まれ、1909(明治42)年3月に東京美術学校の西洋画科を首席で卒業した。師事したのは黒田清輝であった。アトリエのおかれた下落合の風景を佐伯祐三のようには描かず、金山は諏訪や山形などの風景をモチーフに透明感のある美しい画面を作り上げている。画家でありながら、描いた絵を売ることはせず、手元において描きなおしてもいたようで、どのように生活していたのだろうかとも考えてしまうが、アトリエ建築費用を支援者(ファンということだろう)からの寄付によってまかなってしまうのだから驚きである。1935(昭和10)年の帝国美術院改組問題以来、画壇とのつきあいからも逸脱してしまうのは潔いといえばその通りだが、付き合いにくい印象ももってしまう。しかし、下落合のアトリエに住んだ金山の印象はかなり違ったものだったようだ。
「夏の内海」
「渓流」
「最上川雪景」中学時代にピッチャーだった金山は画家による野球チームを作って文士チームと現在の目白大学のグランドで試合を楽しんだようだし、日本舞踊好きの金山はアトリエでダンスの集まりも催したようで、改造社の新興文学叢書の編集者だった方が講師を勤めていたようである。旅をしながら絵を描くばかりでなく、趣味人ぶりをアトリエでも発揮したようだ。
金山が愛したアトリエも人手に渡ったとはいえ現存していたのだが、状況が変わったのは3.11以後であった。突然の破壊・撤去があり、瞬時に解体工事が行われた。気が付いたときにはアトリエの北側にあった大きな窓が廃棄物になっていたのだった。自宅にもって帰ろうかとも思ったが、置く場所がない。泣く泣くあきらめた。先日、アトリエのあった場所を訪問した際に、小さな鷹が近くの木にいたのだが、金山平三の自画像にそっくりな精悍な顔をみせたのだった。
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
◆中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。
●本日のお勧め作品はルイーズ・ニーヴェルスンです。
ルイーズ・ニーヴェルスン Louise Berliawsky Nevelson《7506》
1975年
シルクスクリーン
117.9×84.2cm
Ed.39
サインあり
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2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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