土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
7.瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
読売新聞社 読売新書10
18.2×12.6㎝(判型は新書版ではなくB6版)
本文248頁、あとがき2頁、目次6頁、扉に著者近影(大辻清司撮影)
表紙カット:ピカソ
奥付の記載事項
今日の美術と明日の美術
昭和廿八年十一月廿五日 印刷
昭和廿八年十二月一日 発行
定価 二二〇円
著者 滝口修造
発行者 楢崎 勤
印刷者 村尾一雄
東京都新宿区市谷加賀町
発行所 読売新聞社
東京都千代田区有楽町
大阪市北区野崎町
大日本印刷株式会社
図1 瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
図2 著者近影(大辻清司撮影)
『今日の美術と明日の美術』は、連載第4回でとり上げた『近代藝術』に続く、瀧口2冊目の評論集で、刊行当時、満49才でした。一般的には円熟に向かう年齢かもしれませんが、戦中期の拘留・抑圧を経ており、再出発して堰を切ったように執筆に向かっていた時期に当ります。下記のような5部72編で構成されています。目次も掲げておきます(図3~6)。
Ⅰ.美術論(2~115頁。30編)
Ⅱ.展覧会評(116~151頁。22篇)
Ⅲ.詩と造形(152~177頁。3編)
Ⅳ.写真について(178~217頁。9編)
Ⅴ.映画について(218~248頁。8篇)
図3 目次1
図4 目次2
図5 目次3
図6 目次4
本書全体のうち美術論、展覧会評の2部が52編150頁と過半を占めていますが、詩と造形、写真、映画にも各1部、計20編98頁が当てられているのが、大きな特色となっています。下に「あとがき」(図7)を引用しておきます。
「このような雑文をよせ集めて1冊の本ができることを私は予想もしなかった。読売新聞出版局の楢崎勤氏からすすめられるままに、スクラップ・ブックのハトロン紙の上で居眠りをしていた文章たちを揺り覚まし、その上に晴れがましい題名の衣裳までつけてもらって世におくることとなった。どれもこの数年間に新聞や雑誌のもとめに応じて、美術もしくは美術的な現象についてあわただしく書いたものばかりである。[中略]集めてみるとデザインとか映画とか写真とか、あるいは詩との問題とかいった諸問題が加わることとなったので、はからずも今までの美術書とやや異なった性格をそなえることとなったようである。[後略]」
図7 あとがき
こうした構成や内容は、終戦直後から1950年代前半にかけての時期に、このように幅広い領域についての寄稿依頼があったことを示すもので、1930~40年代にかけて詩人とし活動を開始し、映画製作所に勤務したのち、美術評論家・写真評論家として活躍した瀧口ならではといえるかもしれません。
特に第4章「写真について」には、小学生時代に初めて写真撮影を試みた体験の回想にも触れられた「写真の神話的感覚」をはじめ、「色のない写真・色のある写真」「裸体について」「近代芸術としての写真」「報道写真と芸術写真」など、なかなか魅力的な論考が並んでいます。戦前期の「フォトタイムス」誌に寄稿していた時期の、「写真と超現実主義」(1938年2月。図8,9)や「物体と写真」(1938年8月。図10,11)ほど緻密な論考ではありませんが、写真機やカラー・フィルムが一般に普及していく時期の、貴重な評論といえるでしょう。
図8 「写真と超現実主義」
図9 「フォトタイムス」1938年2月号表紙
図10 「物体と写真」
図11 「フォトタイムス」1938年8月号表紙
続く第5章「映画について」には、コクトーの「美女と野獣」や画家ロートレックの伝記映画「赤い風車」(ジョン・ヒューストン監督)など、個別の作品を論じたものもありますが、むしろ「美術と映画」「色彩映画の芸術性」「色彩の有機的交流」など、映画の基本ないし原理的側面に触れたものに重点が置かれているように思われます。PCL(現在の東宝)という映画製作の現場に身を置いたことや、この時期にも美術映画「北斎」の製作を進めていたことなども想い起されます。
第3章「詩と造形」には「現代詩と絵画」「詩と造形の世界」「ピカソの詩」の3編が収められています。瀧口は1930年代にも「詩を書くピカソ」(図12)という論考を発表していますが(「みづゑ」1937年3月。図13。『近代芸術』に再録)、実はこれこそ翻訳は除けば初のピカソに関するまとまった言及でした。瀧口にとってピカソはたいへん大きな存在で、1950年代を通いてピカソの絵画作品やピカソその人について、頻繁に論じています。個別の画家論で生涯を通じて最も点数が多いのは、おそらくピカソ論でしょう。
図12「詩を書くピカソ」
図13「みづゑ」1937年3月号表紙
もちろん第1章「美術論」や第2章「展覧会評」にも興味深い論考が揃っています。「実験の精神について」や「演奏会と造形」は、「実験工房」の活動との関連で、今でもしばしば引用・言及されます。また尾形光琳、佐伯佑三、福沢一郎、岡鹿之助、イサム・ノグチ、ピカソ、ブラック、マチスなどの論考や展評は、主題自体が魅力的で、読んでみたいと思われる方も多いことでしょう。みすず書房『コレクション瀧口修造』第7・8巻あたりに再録されていますので、ご覧ください。
その一方、瀧口が企画・運営を引き受け1951~57年にかけて208回の展覧会を続けたタケミヤ画廊に触れた記事が、藤松博や山口勝弘に触れた「アンデパンダン展と新人」以外に見当たらないようなのは、今日から見ると不思議にさえ思われます。新進作家たちを中心に採り上げていた同画廊の活動に対して、一般読者の関心が向くことはあまりなかったでしょうから、単行本化の際に外されたのはやむを得ないかもしれません。
これらの論考は1952年の国立近代美術館の建設前後頃に書かれたもので、ようやく戦中の抑圧から解放された文化全般の息吹きや動向を生き生きと伝える、歴史的な評論といえるでしょう。本書と併せて、50年代後半から60年代前半の論考をまとめた『点』(みすず書房、1963年1月。図14)などを通読すると、戦後から50年代の美術界のある側面を、定点観測のようにたどることも可能と思われます。この点で、この時期の瀧口がしばしば「時代の証言者」と評されるのも、理由のないことではありません。
図14 『点』
ただ、本書に収録された論考を、単に歴史的な資料として受け止めるだけでは、本書の重要な意義を見落すことになるかもしれません。『今日の美術と明日の美術』というタイトルが端的に示しているとおり、本書に収録された論考はいずれも、今後の美術のあるべき姿を見通しそこへと向かおうとする、建設的な姿勢に貫かれている点に注意が払われるべきと思われます。すなわち本書は、戦後美術評論家としての活動を再開しその後の多方面での活躍へと向かう、瀧口の活動のあり方や姿勢を伝えるたいへん貴重な1冊ということができるでしょう。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"I-16"
インク、紙(郵便はがき)
イメージサイズ:14.1×10.2cm
シートサイズ :14.1×10.2cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「ジョエル・シャピロ展 」は本日が最終日です。
会期:2019年2月8日[金]―2月23日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
2月3日ブログに出品作品の概要を掲載しました。

1941年生まれのジョエル・シャピロはアメリカを代表する彫刻家。
単純な長方形で構成された巨大な彫刻が特徴で、国内では博多駅前の西日本シティ銀行(磯崎新設計)や川村記念美術館などに設置収蔵されています。
本展では、1979-80年にかけて制作した初期リトグラフや、1988年にマホガニー、桜、クルミなどの多種の木を組合せて制作した木版画をご覧いただきます。
シャピロのコレクターである笹沼俊樹さんが3年ぶりにエッセイを執筆されました。
2月8日ブログ:「プロフェッショナルの世界を見た~1」
2月9日ブログ:「プロフェッショナルの世界を見た~2」をお読みください。
◆ときの忘れものは3月27日~31日に開催されるアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

7.瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
読売新聞社 読売新書10
18.2×12.6㎝(判型は新書版ではなくB6版)
本文248頁、あとがき2頁、目次6頁、扉に著者近影(大辻清司撮影)
表紙カット:ピカソ
奥付の記載事項
今日の美術と明日の美術
昭和廿八年十一月廿五日 印刷
昭和廿八年十二月一日 発行
定価 二二〇円
著者 滝口修造
発行者 楢崎 勤
印刷者 村尾一雄
東京都新宿区市谷加賀町
発行所 読売新聞社
東京都千代田区有楽町
大阪市北区野崎町
大日本印刷株式会社
図1 瀧口修造『今日の美術と明日の美術』
図2 著者近影(大辻清司撮影)『今日の美術と明日の美術』は、連載第4回でとり上げた『近代藝術』に続く、瀧口2冊目の評論集で、刊行当時、満49才でした。一般的には円熟に向かう年齢かもしれませんが、戦中期の拘留・抑圧を経ており、再出発して堰を切ったように執筆に向かっていた時期に当ります。下記のような5部72編で構成されています。目次も掲げておきます(図3~6)。
Ⅰ.美術論(2~115頁。30編)
Ⅱ.展覧会評(116~151頁。22篇)
Ⅲ.詩と造形(152~177頁。3編)
Ⅳ.写真について(178~217頁。9編)
Ⅴ.映画について(218~248頁。8篇)
図3 目次1
図4 目次2
図5 目次3
図6 目次4本書全体のうち美術論、展覧会評の2部が52編150頁と過半を占めていますが、詩と造形、写真、映画にも各1部、計20編98頁が当てられているのが、大きな特色となっています。下に「あとがき」(図7)を引用しておきます。
「このような雑文をよせ集めて1冊の本ができることを私は予想もしなかった。読売新聞出版局の楢崎勤氏からすすめられるままに、スクラップ・ブックのハトロン紙の上で居眠りをしていた文章たちを揺り覚まし、その上に晴れがましい題名の衣裳までつけてもらって世におくることとなった。どれもこの数年間に新聞や雑誌のもとめに応じて、美術もしくは美術的な現象についてあわただしく書いたものばかりである。[中略]集めてみるとデザインとか映画とか写真とか、あるいは詩との問題とかいった諸問題が加わることとなったので、はからずも今までの美術書とやや異なった性格をそなえることとなったようである。[後略]」
図7 あとがきこうした構成や内容は、終戦直後から1950年代前半にかけての時期に、このように幅広い領域についての寄稿依頼があったことを示すもので、1930~40年代にかけて詩人とし活動を開始し、映画製作所に勤務したのち、美術評論家・写真評論家として活躍した瀧口ならではといえるかもしれません。
特に第4章「写真について」には、小学生時代に初めて写真撮影を試みた体験の回想にも触れられた「写真の神話的感覚」をはじめ、「色のない写真・色のある写真」「裸体について」「近代芸術としての写真」「報道写真と芸術写真」など、なかなか魅力的な論考が並んでいます。戦前期の「フォトタイムス」誌に寄稿していた時期の、「写真と超現実主義」(1938年2月。図8,9)や「物体と写真」(1938年8月。図10,11)ほど緻密な論考ではありませんが、写真機やカラー・フィルムが一般に普及していく時期の、貴重な評論といえるでしょう。
図8 「写真と超現実主義」
図9 「フォトタイムス」1938年2月号表紙
図10 「物体と写真」
図11 「フォトタイムス」1938年8月号表紙続く第5章「映画について」には、コクトーの「美女と野獣」や画家ロートレックの伝記映画「赤い風車」(ジョン・ヒューストン監督)など、個別の作品を論じたものもありますが、むしろ「美術と映画」「色彩映画の芸術性」「色彩の有機的交流」など、映画の基本ないし原理的側面に触れたものに重点が置かれているように思われます。PCL(現在の東宝)という映画製作の現場に身を置いたことや、この時期にも美術映画「北斎」の製作を進めていたことなども想い起されます。
第3章「詩と造形」には「現代詩と絵画」「詩と造形の世界」「ピカソの詩」の3編が収められています。瀧口は1930年代にも「詩を書くピカソ」(図12)という論考を発表していますが(「みづゑ」1937年3月。図13。『近代芸術』に再録)、実はこれこそ翻訳は除けば初のピカソに関するまとまった言及でした。瀧口にとってピカソはたいへん大きな存在で、1950年代を通いてピカソの絵画作品やピカソその人について、頻繁に論じています。個別の画家論で生涯を通じて最も点数が多いのは、おそらくピカソ論でしょう。
図12「詩を書くピカソ」
図13「みづゑ」1937年3月号表紙もちろん第1章「美術論」や第2章「展覧会評」にも興味深い論考が揃っています。「実験の精神について」や「演奏会と造形」は、「実験工房」の活動との関連で、今でもしばしば引用・言及されます。また尾形光琳、佐伯佑三、福沢一郎、岡鹿之助、イサム・ノグチ、ピカソ、ブラック、マチスなどの論考や展評は、主題自体が魅力的で、読んでみたいと思われる方も多いことでしょう。みすず書房『コレクション瀧口修造』第7・8巻あたりに再録されていますので、ご覧ください。
その一方、瀧口が企画・運営を引き受け1951~57年にかけて208回の展覧会を続けたタケミヤ画廊に触れた記事が、藤松博や山口勝弘に触れた「アンデパンダン展と新人」以外に見当たらないようなのは、今日から見ると不思議にさえ思われます。新進作家たちを中心に採り上げていた同画廊の活動に対して、一般読者の関心が向くことはあまりなかったでしょうから、単行本化の際に外されたのはやむを得ないかもしれません。
これらの論考は1952年の国立近代美術館の建設前後頃に書かれたもので、ようやく戦中の抑圧から解放された文化全般の息吹きや動向を生き生きと伝える、歴史的な評論といえるでしょう。本書と併せて、50年代後半から60年代前半の論考をまとめた『点』(みすず書房、1963年1月。図14)などを通読すると、戦後から50年代の美術界のある側面を、定点観測のようにたどることも可能と思われます。この点で、この時期の瀧口がしばしば「時代の証言者」と評されるのも、理由のないことではありません。
図14 『点』ただ、本書に収録された論考を、単に歴史的な資料として受け止めるだけでは、本書の重要な意義を見落すことになるかもしれません。『今日の美術と明日の美術』というタイトルが端的に示しているとおり、本書に収録された論考はいずれも、今後の美術のあるべき姿を見通しそこへと向かおうとする、建設的な姿勢に貫かれている点に注意が払われるべきと思われます。すなわち本書は、戦後美術評論家としての活動を再開しその後の多方面での活躍へと向かう、瀧口の活動のあり方や姿勢を伝えるたいへん貴重な1冊ということができるでしょう。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"I-16"
インク、紙(郵便はがき)
イメージサイズ:14.1×10.2cm
シートサイズ :14.1×10.2cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「ジョエル・シャピロ展 」は本日が最終日です。
会期:2019年2月8日[金]―2月23日[土] 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
2月3日ブログに出品作品の概要を掲載しました。

1941年生まれのジョエル・シャピロはアメリカを代表する彫刻家。
単純な長方形で構成された巨大な彫刻が特徴で、国内では博多駅前の西日本シティ銀行(磯崎新設計)や川村記念美術館などに設置収蔵されています。
本展では、1979-80年にかけて制作した初期リトグラフや、1988年にマホガニー、桜、クルミなどの多種の木を組合せて制作した木版画をご覧いただきます。
シャピロのコレクターである笹沼俊樹さんが3年ぶりにエッセイを執筆されました。
2月8日ブログ:「プロフェッショナルの世界を見た~1」
2月9日ブログ:「プロフェッショナルの世界を見た~2」をお読みください。
◆ときの忘れものは3月27日~31日に開催されるアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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