中村惠一のエッセイ「盛岡彷徨記」その1

 大竹昭子さんの須賀敦子をたどる旅の写真について初めて知ったのは、妻の一言がきっかけであった。「須賀敦子展をやっているみたいだから行きたい」と言われ、調べると銀座の森岡書店で展示されていた。妻はてっきり須賀敦子に関する展覧会をやっているものだと勘違いしていたようだった。しかし実際には大竹さんが刊行した文春文庫『須賀敦子の旅路』一冊を販売するための展示であった。妻は壁面に展示された大竹さんの写真を見て、須賀のイタリアについて考えていたようだった。不勉強な私は須賀の随筆は読んだことがなかった。しかし、イタリア文学の翻訳者としての須賀は知っていて、とくにブルーノ・ムナーリの『木をかこう』(1982年 至高社)は親しんだ本であった。まだ幼かった長男にムナーリの木の葉のデザインをラバースタンプに加工した遊具を与えていた。そこにはセットになっている木の幹が印刷された紙があり、緑のスタンプ台でインクをつけてペタペタと押印する遊具で遊んだこともあって、とくに親しんだ一冊なのだった。またアントニオ・タブッキの『インド夜想曲』(1991年 白水社)も訳者を気にしなかったが読んでいた一冊なのであった。

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 森岡書店以外でも『須賀敦子の旅路』をよく見かけるようになっていたが、そんなときに「一日だけの須賀敦子展」をときの忘れものを会場に展示、大竹さんと植田実さんとの対談がある(BOOKS青いカバ主催)と聞いたが、平日の一日の展示では伺うことはかなわなかった。今年になってから綿貫さんから盛岡で同様の企画をやるから行こう、と誘われた。盛岡には秋田新幹線の施工の際(施工用の大型の機械=ビッグワンダーの導入商社の責任者だった)に一度だけ訪問したことがあった。札幌から東京に行くとか、青森にゆくとかの際にたびたび通るのだが、じっくりと街を見る時間がないことばかりであった。それもあって盛岡の街を歩く楽しみとセットにして盛岡第一画廊を会場にした「一日だけの須賀敦子展」を見るために北海道新幹線に乗車したのだった。盛岡第一画廊のことは雑誌『VOU』の元メンバーである高橋昭八郎から聞いていた。しかし実際に訪問するのは初めてである。

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 盛岡第一画廊は盛岡城址のそば、テレビ岩手の1Fにあった。その場所は県庁にほど近い街のど真ん中である。会場には大竹さんが撮影したイタリアの写真がレイアウトされており、展示はとても見やすかった。しかし「一日だけの展覧会」というコンセプトはキャッチフレーズ的にはかっこ良いが、もったいない話ではあるなと思いつつ拝見した。須賀敦子が関わりの深かった都市であるミラノ、ヴェネチィア、ローマの風景を須賀の足跡をたどるように写真で旅する展示であった。須賀の文章や世界観を思い出しながら見るのは楽しかった。一周すると画廊の延長に喫茶があり、余韻を楽しみながらいただく珈琲は格別であった。

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 大竹さんと末盛千枝子さんとのトークイベントはテレビ岩手の1Fロビーを会場に行われた。末盛さんは盛岡が生んだ彫刻家・舟越保武のお嬢さんであり、現在は八幡平に住んでおられるが、修道女になろうかと考えた時期があったそうだ。聖心女子大学に学んだ須賀も修道女になろうとしたそうである。家族の反対にあって慶応大学大学院の社会学研究科の修士課程に進学することで修道女にはならなかったそうだ。そうした共通項をベースに若き日を知る末盛さんと亡くなる直前まで須賀と親しくされた大竹さんとの対話は興味深い話、逸話にあふれていた。大竹さんは「カタリココ」という朗読イベントを開催されているが、著作をもつさまざまな書き手に鋭い質問でインタビューして、興味深い要素を引き出す質問の名人である。末盛さんにも日頃使いなれている鋭い質問が飛ぶ。余裕の笑顔で答える末盛さんはすごい貫禄だなと感じた。私は「カタリココ」には漫画家の高野文子さん、作家の藤野可織さん、美術家の福田尚代さんの回に参加して様子を知っているが、今回の末盛さんの余裕の切りかえしは楽しかった。トークが一区切りするとギャラリー側でパーティーが開催されたが、ここでも末盛さんの至高社時代の話が面白く、時間が過ぎるのも忘れてしまうほどであった。結果として、さすがに一日だけの展覧会はもったいないとの判断があり、7月4日まで延長された。素晴らしいことである。須賀敦子が亡くなって20年が経過してしまった。会場では須賀の著作も販売されたが、こうした機会に須賀の現役時代を知らない若い世代にも須賀の著作にふれてもらえればと思った。私も改めて『ミラノ 霧の風景』や『コルシア書店の仲間たち』を再読したいと思った。

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なかむら けいいち

*6月29日にMORIOKA第一画廊で開催された「一日だけの須賀敦子展」には東京からツアーを組んで参加しました。中村さんのレポート「盛岡彷徨記」全三回を今日から三日間、連続して掲載します。

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

●本日のお勧め作品は舟越保武です。
funakoshi-y_09_wakaionna-1982舟越保武 Yasutake FUNAKOSHI
「若い女」
1982年  銅版
11.7×9.5cm
Ed.150  サインあり
*現代版画センターエディション
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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