土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
12.瀧口修造『余白に書く』その2
瀧口没後の1982年7月には、元版『余白に書く』の再刊および続編にあたる『余白に書く』1・2が、同じみすず書房から刊行されました。「1」および「2」、別冊の小冊子の3分冊で、箱入りです(図18)。判型は選書判に、また邦文の本文は縦組みへと、それぞれ変更されています(図19)。
図18 『余白に書く』1・2、別冊と箱
図19 本文(邦文)
『余白に書く』1の表紙には、元版と同じサム・フランシスの水彩が、判型に合わせてトリミングされて、用いられています(図20)。『余白に書く』2の表紙には瀧口自身のドローイング・水彩が用いられています(図21)。内容に関しては、『余白に書く』1は元版と特に変わりません。『余白に書く』2には邦文121篇・欧文26篇が収録されています。邦文の1篇を除けば、邦文・欧文とも元版刊行後に発表され、初めて単行本に収録された序文・詩・エッセイです。例外の邦文1篇はオノサトトシノブ宛ての「画家の時刻のかなた」で、雑誌「国際交流」(国際交流基金、1974年2月)に掲載されたものですが、これは1962年3月の南画廊「小野里利信展」の際の「抽象とはなにか」の再録で、すでに元版にも収録されていました。欧文26篇のうち9篇はアクロスティック詩で、贈られているのは次の各氏です。ジョン・レノン&オノヨーコ、幸美奈子、松澤宥、石井満隆、空閑俊憲、小尾俊人、合田佐和子、金子國義、渡辺光雅。
図20 『余白に書く』1表紙
図21 『余白に書く』2表紙
『余白に書く』2が刊行されるまでの経緯については、別冊(図22)に収録された大岡信による「『余白に書く』の余白に」で触れられています。それによると、元版『余白に書く』の刊行後、瀧口にはその第2集刊行の意向があり、みすず書房の小尾俊人氏との間で話し合いも持たれていたが、具体化に至らないまま逝去した。同書房では綾子夫人の手もわずらわせて編集に着手し、大岡信も途中から作業に加わった。集められた未刊行の原稿には、元版のような短い序文だけでなく、長文の批評などもあり、『余白に書く』1との共通性を追求するうえで割愛すべきか悩んだ末に、没後の出版であることを配慮してそれらも収録することにし、このかたちで刊行されるに至った、とされています。刊行当時、「執筆しなくなった伝説の詩人・評論家」というようなイメージが一般的だったこともあり、「こんなにたくさんの文章を残していたのか!」とたいへん驚き、感激しながら読み進めたのを思い出します。
図22 別冊
大岡信によるこの解説に続いて、以下の参考図版4点と資料2点が別冊に収録されています。図版はすべてモノクロです。
参考図版1.「芥子園直伝・竹譜」より「布仰葉式」(Upward leaves)および「布偃葉式」(Downward leaves)の例示(ブルーノ・ムナーリと出版を計画していた『竹』序文の図版)
参考図版2.「稲妻と徘徊抄」(『加納光於1977』(南画廊、1977年11月)の手稿図版)
参考図版3.「未然の構図」(武満徹宛て「未然の構図」の手稿図版)
参考図版4.『余白に書く』及び『余白に書く』2の表紙図版全図(縮刷)
資料1.大岡信・武満徹・東野芳明・田辺徹の4氏宛て、リバティ・パスポート(活字に起こしたもの)
資料2.関係者紹介(『余白に書く1・2』の各篇が捧げられた関係者110名余りの人名録)
リバティ・パスポートについてはその後、上記4氏宛て以外のものも含め、次のような雑誌や図録に図版入りで紹介されています。
「現代詩手帖」特集瀧口修造(1979年10月。図23)
「太陽」特集「瀧口修造のミクロコスモス」(1993年4月。図24)
「瀧口修造と武満徹」展図録(世田谷文学館、1999年10月。図25)
「旅」展図録(東京国立近代美術館、2003年10月。図26) など
図23 「現代詩手帖」(1979年10月)
図24 「太陽」(1993年4月)
図25 「瀧口修造と武満徹」展図録
図26 「旅」展図録
大岡信には単行本の『ミクロコスモス瀧口修造』(みすず書房1984年12月。図27)もあります。瀧口に関する自身のエッセイを集めたもので、本格的な論考や、さまざまなエピソードを綴ったエッセイなどが収録され、人となりや仕事を理解するうえでたいへん有益です。筆者も愛読している1冊です。併せてご紹介しておきます。
図27 大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』
ついでに筆者にも、アクロスティック詩とリバティ・パスポートについてまとめた解説「アクロスティック詩とリバティ・パスポート」も(「瀧口修造―夢の漂流物」展図録、世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005年。図17)があります。今となっては修正すべき個所も散見されますが、この場をお借りしてご紹介しておきます。
再掲図17 「瀧口修造―夢の漂流物」展図録
以下、余談ながら、前回触れた「美術手帖」(1958年1月。再掲図12)の創刊10周年記念特集「明日を期待される新人群」についてご紹介します。瀧口のほか、徳大寺公英、針生一郎、東野芳明、中原佑介の、計5名の評論家が、それぞれ有望な新人を選ぶという企画の特集です。選ばれた作家は計71名で、このうち評論家3名以上が共通して選んだ27名は、各作家の作品図版1点が肖像写真(河原温も含む)とともに紹介されています。紹介・解説の執筆分担は次の通りです(後で触れるように、残り44名は名前のみが紹介されています)。ちなみに当時、瀧口は54歳、徳大寺は38歳。針生、東野、中原はそれぞれ32、27、26歳でした。
瀧口修造:小山田二郎、河原温、山口勝弘、福島秀子
徳大寺公英:今井俊満、藤松博、加山又造、赤穴桂子、赤穴宏、東貞美
針生一郎:泉茂、濱田知明、小野忠弘、吉仲太造、毛利武士郎
東野芳明:前田常作、金子真珠郎、田中田鶴子、駒井哲郎、嶋本昭三、森田正治
中原佑介:池田龍雄、利根山光人、藤田昭子、安部真知、木村賢太郎、須賀通泰
再掲図12
瀧口は4作家について紹介・解説を執筆していますが、河原温以外の3作家は元版『余白に書く』に収録されていません。3作家のうち小山田二郎と福島秀子は、別の序文や詩が収録されていますので、重複を避けたのかもしれませんが、山口勝弘については、他の序文なども見当たりません。山口の紹介・解説は、ヴィトリーヌに触れた後、「山口勝弘は正真正銘の画家であり、プラス、何ものかであるのだ。あるいは画家そのものが重大な変質を経つつあるのかも知れない」と、60年代以降の山口の変貌を見通すような、卓抜な内容です。元版に収録されなかったのが惜しまれます。
また、上記特集では、選んだ評論家が5名中3名未満だった作家44名もリストアップされていますが、ここにも錚々たる顔ぶれが並んでいます。例えば、加藤正、加納光於、中村宏、内間安瑆、田中敦子、オノサトトシノブ、福沢一郎、草間彌生、靉嘔、白髪一雄、白髪フジなど。このリストや上記27名の紹介を眺めていると、作家一人一人の画業、戦後美術の流れ、美術市場の評価、批評や批評家の役割、メディアの在り方など、いろいろな事柄に思いが広がり、ある種の感慨を催します。一読をお勧めします。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅱ-13"
1962年
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:7.3×12.6cm
シートサイズ :9.8×13.7cm
※富山県立近代美術館蔵No.76と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
12.瀧口修造『余白に書く』その2
瀧口没後の1982年7月には、元版『余白に書く』の再刊および続編にあたる『余白に書く』1・2が、同じみすず書房から刊行されました。「1」および「2」、別冊の小冊子の3分冊で、箱入りです(図18)。判型は選書判に、また邦文の本文は縦組みへと、それぞれ変更されています(図19)。
図18 『余白に書く』1・2、別冊と箱
図19 本文(邦文)『余白に書く』1の表紙には、元版と同じサム・フランシスの水彩が、判型に合わせてトリミングされて、用いられています(図20)。『余白に書く』2の表紙には瀧口自身のドローイング・水彩が用いられています(図21)。内容に関しては、『余白に書く』1は元版と特に変わりません。『余白に書く』2には邦文121篇・欧文26篇が収録されています。邦文の1篇を除けば、邦文・欧文とも元版刊行後に発表され、初めて単行本に収録された序文・詩・エッセイです。例外の邦文1篇はオノサトトシノブ宛ての「画家の時刻のかなた」で、雑誌「国際交流」(国際交流基金、1974年2月)に掲載されたものですが、これは1962年3月の南画廊「小野里利信展」の際の「抽象とはなにか」の再録で、すでに元版にも収録されていました。欧文26篇のうち9篇はアクロスティック詩で、贈られているのは次の各氏です。ジョン・レノン&オノヨーコ、幸美奈子、松澤宥、石井満隆、空閑俊憲、小尾俊人、合田佐和子、金子國義、渡辺光雅。
図20 『余白に書く』1表紙
図21 『余白に書く』2表紙『余白に書く』2が刊行されるまでの経緯については、別冊(図22)に収録された大岡信による「『余白に書く』の余白に」で触れられています。それによると、元版『余白に書く』の刊行後、瀧口にはその第2集刊行の意向があり、みすず書房の小尾俊人氏との間で話し合いも持たれていたが、具体化に至らないまま逝去した。同書房では綾子夫人の手もわずらわせて編集に着手し、大岡信も途中から作業に加わった。集められた未刊行の原稿には、元版のような短い序文だけでなく、長文の批評などもあり、『余白に書く』1との共通性を追求するうえで割愛すべきか悩んだ末に、没後の出版であることを配慮してそれらも収録することにし、このかたちで刊行されるに至った、とされています。刊行当時、「執筆しなくなった伝説の詩人・評論家」というようなイメージが一般的だったこともあり、「こんなにたくさんの文章を残していたのか!」とたいへん驚き、感激しながら読み進めたのを思い出します。
図22 別冊大岡信によるこの解説に続いて、以下の参考図版4点と資料2点が別冊に収録されています。図版はすべてモノクロです。
参考図版1.「芥子園直伝・竹譜」より「布仰葉式」(Upward leaves)および「布偃葉式」(Downward leaves)の例示(ブルーノ・ムナーリと出版を計画していた『竹』序文の図版)
参考図版2.「稲妻と徘徊抄」(『加納光於1977』(南画廊、1977年11月)の手稿図版)
参考図版3.「未然の構図」(武満徹宛て「未然の構図」の手稿図版)
参考図版4.『余白に書く』及び『余白に書く』2の表紙図版全図(縮刷)
資料1.大岡信・武満徹・東野芳明・田辺徹の4氏宛て、リバティ・パスポート(活字に起こしたもの)
資料2.関係者紹介(『余白に書く1・2』の各篇が捧げられた関係者110名余りの人名録)
リバティ・パスポートについてはその後、上記4氏宛て以外のものも含め、次のような雑誌や図録に図版入りで紹介されています。
「現代詩手帖」特集瀧口修造(1979年10月。図23)
「太陽」特集「瀧口修造のミクロコスモス」(1993年4月。図24)
「瀧口修造と武満徹」展図録(世田谷文学館、1999年10月。図25)
「旅」展図録(東京国立近代美術館、2003年10月。図26) など
図23 「現代詩手帖」(1979年10月)
図24 「太陽」(1993年4月)
図25 「瀧口修造と武満徹」展図録
図26 「旅」展図録大岡信には単行本の『ミクロコスモス瀧口修造』(みすず書房1984年12月。図27)もあります。瀧口に関する自身のエッセイを集めたもので、本格的な論考や、さまざまなエピソードを綴ったエッセイなどが収録され、人となりや仕事を理解するうえでたいへん有益です。筆者も愛読している1冊です。併せてご紹介しておきます。
図27 大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』ついでに筆者にも、アクロスティック詩とリバティ・パスポートについてまとめた解説「アクロスティック詩とリバティ・パスポート」も(「瀧口修造―夢の漂流物」展図録、世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005年。図17)があります。今となっては修正すべき個所も散見されますが、この場をお借りしてご紹介しておきます。
再掲図17 「瀧口修造―夢の漂流物」展図録以下、余談ながら、前回触れた「美術手帖」(1958年1月。再掲図12)の創刊10周年記念特集「明日を期待される新人群」についてご紹介します。瀧口のほか、徳大寺公英、針生一郎、東野芳明、中原佑介の、計5名の評論家が、それぞれ有望な新人を選ぶという企画の特集です。選ばれた作家は計71名で、このうち評論家3名以上が共通して選んだ27名は、各作家の作品図版1点が肖像写真(河原温も含む)とともに紹介されています。紹介・解説の執筆分担は次の通りです(後で触れるように、残り44名は名前のみが紹介されています)。ちなみに当時、瀧口は54歳、徳大寺は38歳。針生、東野、中原はそれぞれ32、27、26歳でした。
瀧口修造:小山田二郎、河原温、山口勝弘、福島秀子
徳大寺公英:今井俊満、藤松博、加山又造、赤穴桂子、赤穴宏、東貞美
針生一郎:泉茂、濱田知明、小野忠弘、吉仲太造、毛利武士郎
東野芳明:前田常作、金子真珠郎、田中田鶴子、駒井哲郎、嶋本昭三、森田正治
中原佑介:池田龍雄、利根山光人、藤田昭子、安部真知、木村賢太郎、須賀通泰
再掲図12瀧口は4作家について紹介・解説を執筆していますが、河原温以外の3作家は元版『余白に書く』に収録されていません。3作家のうち小山田二郎と福島秀子は、別の序文や詩が収録されていますので、重複を避けたのかもしれませんが、山口勝弘については、他の序文なども見当たりません。山口の紹介・解説は、ヴィトリーヌに触れた後、「山口勝弘は正真正銘の画家であり、プラス、何ものかであるのだ。あるいは画家そのものが重大な変質を経つつあるのかも知れない」と、60年代以降の山口の変貌を見通すような、卓抜な内容です。元版に収録されなかったのが惜しまれます。
また、上記特集では、選んだ評論家が5名中3名未満だった作家44名もリストアップされていますが、ここにも錚々たる顔ぶれが並んでいます。例えば、加藤正、加納光於、中村宏、内間安瑆、田中敦子、オノサトトシノブ、福沢一郎、草間彌生、靉嘔、白髪一雄、白髪フジなど。このリストや上記27名の紹介を眺めていると、作家一人一人の画業、戦後美術の流れ、美術市場の評価、批評や批評家の役割、メディアの在り方など、いろいろな事柄に思いが広がり、ある種の感慨を催します。一読をお勧めします。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"Ⅱ-13"
1962年
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:7.3×12.6cm
シートサイズ :9.8×13.7cm
※富山県立近代美術館蔵No.76と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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