<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第83回
(画像をクリックすると拡大します)
掛け軸のような写真である。
そう思わせる理由のひとつはフレームが縦に長いからだ。
被写体を縦長に切りとることは写真ではめったにしない。西洋絵画でもあまり例がない。
長身のモデルを画面の中心に据えるのに縦長のフォーマットを使うことはあっても、この写真のようにひとつの光景を縦長にバサッとクロップしたりはしないだろう。
掛け軸ではそういうことがよくある。
枝ぶりのいい梅の木が手前にあり、そこにウグイスがとまり、枝は画面の外に伸び出し、奥には山がそびえ、空に薄い月が昇っている、などという構図を容易に想像することができる。
狭い画面のなかに広がりと奥行きが演出されているのだ。
同じことがこの写真にも言える。
画面を三分割した下3分の1のところに女性の上半身が写っている。
目を閉じてまどろんでいる様子だ。
斜面に体をもたせかけて座っていたところ、暖かな陽射しを浴びて瞼が重くなり、眠気が襲ったのだ。
左肩を後ろに引くようにして身をよじっているのは、背もたれにしていた石の角が丸くて、体の重心が徐々にそちらに傾いていったからだろう。
でも顔は前をむいたままで、肩と一緒に傾いてはいない。
頭のうしろの石が具合のいい枕になっているのだ。
左側に身が沈むにつれて、右半身が腕とともに体の前面に出てきた。
顔は頑固に元の位置を崩さないから、眠りながら身をかばっているようにも、なにかに抵抗しているようにも感じられる。
一方、上3分の1のところには3人の人物がいる。
メガネを掛けた手前の人は高齢で、茂みにどしっと腰をおろして遠くにあるものを指さしている。
その後ろには男女のカップルがいて、やや脚を開き気味に体育座りし、老女が指さす方向を見ている。
よく見るとふたりの目の形が似ているから、兄弟の可能性もありそうだ。
もしそうなら老女は彼らの母親という推測もなりたつ。
母親は腰が太くて安定感があり、堂々と自信にあふれた様子で説明している。
かたや娘のほうは、ふーん、そうなの、という表情で、感心はしていないが無関心でもない様子だ。
息子のほうはこの状況からやや身を引いているように感じられる。彼の左肩がフレームから外れているせいでそう見えるのかもしれない。
人物がいるのは三分割した画面の上と下だけで、真ん中は無人で、石が埋め込まれた通路になっている。
眠っている女性のところからその通路をあがってゆくと、3人のいる場所になる。
とはいえ、上の3人からは眠っている女性は見えないし、同様に眠っている彼女も自分の上に遠くを眺める3人がいることはわかっていない。
ふたつはまるで関連のない別の光景なのだ。
紙で写真の上と下を隠して見ると、それがよりはっきりする。
縦長のフレーミングが無関係なのことを強調する働きをしているが、ばらばらな感じはしなくて画面に統一感があるところが掛け軸的と言える。
もしも写真に横幅があって下の女性の全身が入っていたとしよう。
彼女に関する情報は増え、より説明的になり、雰囲気は激変するだろう。
縦長にすることで説明が大胆に省かれ、その省略が上下の均衡を保ち、奥行きをもたらす効果をあげているのだ。
一方、画面の広がりはフレームアウトしている彼女の下半身によって生まれている。
写っていないゆえに視線が外に引き出される。
ふだん何気なく見ている掛け軸の影響?かもしれない。
大竹昭子(おおたけあきこ)
●掲載写真について
写真集『CROSSROAD』57ページより
撮影データ
カメラ ZENZA BRONICA ETRSi(パノラマフィルムバック使用
レンズ ZENZANON 50mm・75mm
ストロボ SUNPAK G4500DX
フィルム TRI-X
●作家紹介
山崎 弘義(やまざき・ひろよし)
1956年4月 埼玉県生れ
1980年3月 慶応義塾大学文学部哲学科卒
1980年4月 市役所に入り広報課配属,初めて一眼レフを手にする
1987年3月 東京写真専門学校報道写真科II部卒
現在 日本写真芸術専門学校非常勤講師,ギャラリーヨクトメンバー
–
主な個展
1990年9月 「路上の匂い」(ミノルタフォトスペース)
1992年4月 「はざまの表情」(オリンパスホール)
1994年1月 「クロスロード」(コニカギャラリー)
1996年5月 「ウオーク・オン・ザ・サニーサイド」(ドイフォトプラザ)
2015年4月 「DIARY母と庭の肖像」(新宿ニコンサロン)
2016年9月 「水と緑と太陽の町」(コニカミノルタプラザ)
2017年9月 「Around LAKE TOWN」(オリンパスギャラリー)
–
出版
2015年2月「DIARY母と庭の肖像」(大隅書店)
●写真集のお知らせ
山崎弘義写真集『CROSSROAD』
2019年10月10日
500部・A4変型
上製本・モノクロ
ページ数:122
作品点数:113点
編集:大田通貴
装幀:加藤勝也
出版社:蒼穹舎
4,000円+税
1990年から1996年にかけて東京都内で撮影されたストレートなスナップ写真。 喪失と再生を繰り返す東京とそこに集う人の姿が, パノラマというフォーマットを使うことによって, 縦横に広がって展開されている。そして作者は30年近く前の光景を見て, こう振り返る。 「今,感じることは写すという能動的な行為よりも,写り込んでくる事物にこそ写真の本質があるように思えてならない。」(あとがきより)
~~~~~~
●大竹昭子さんからのお知らせ
◆小俣直彦×渡部清花×大竹昭子 トークイベント「難民とつくる未来」
日時 2019年12月16日 (月) 19:00~20:30(開場時間18:30)
場所 八重洲ブックセンター 本店 8F ギャラリー
登壇者 小俣直彦さん(オックスフォード大学国際開発学部准教授)、渡部清花さん(NPO法人 WELgLee代表)、大竹昭子さん(作家)
※お申込みは八重洲ブックセンターホームページにて
参加費 税込1,500円(当日会場入口でお支払いください。)
※参加費の一部は難民の若者たちのキャリア支援に使わせていただきます。
(大竹さんホームページより転載)
「気がつかないうちに暦が薄くなって最後の一枚になりました。仕事やイベントもひとつ、またひとつと終わっていき、16日には年内最後のトークショー「難民とつくる未来」がおこなわれます。
2019年は「難民」という言葉をたくさん目にした年でしたが、日本にも難民の人たちがいるのを私が知ったのは、おなじマンションに住むアメリカ人のアレックスを通じてでした。彼の部屋にアフリカ人とおぼしき人たちが入れ替わりに住んでいるようなので、不思議に思い聞いてみたところ、難民の人たちを泊めているとわかったのです。多いときには10人以上が、彼の狭い部屋にメザシのように並び、真夏は屋上でも寝ています。
そんな私の難民への関心が、人のつながりに発展して、今回のトークショーが成立いたしました。おふたりの方に登壇いただきます。ひとりはオックスフォード大学で難民研究をしている小俣直彦さん。彼は今年の6月、『アフリカの難民キャンプで暮らす』という本を出されました。難民キャンプの暮らしぶりがつぶさに描かれたとても貴重な内容でした。
もうひとりは、難民と暮らし、働き、語りあう社会を日本に実現するためにWELgeeというNPOをつくり、活動をしている渡部清花さん。まだ20代の若手です。
小俣さんにはアフリカの状況を体験に即して語っていただき、渡部さんにはその彼らを日本に受け入れている試みについてお話いただきます。モデレーターは私が務めます。おふたりが顔合わせするのはめったにないことだし、アフリカと日本がつながり、難民の存在が親しいものになるすばらしい企画、と自画自賛していますので、どうぞお見逃しなく!」
小俣氏の『アフリカの難民キャンプで暮らす』の書評はbookbangで読めます。
●ときの忘れものブログ 連載エッセイのご紹介
このブログへのアクセス(閲覧)がここ数ヶ月で激減しています。
twitter や facebook など人々の発信機能が多様化し、以前(2014年8月13日)「ブログは時代遅れか」と書いたことがありますが、遂に現実になりました。読者あってのブログですが、さてどうしたものか。
コレクターや研究者、作家、スタッフがエッセイを執筆していますが、あらためてブログの内容をご紹介します。
大竹昭子のエッセイ「迷走写真館~一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
小松崎拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。
小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」は隔月12日の更新です。
花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」は毎月14日の更新です。
野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は隔月18日の更新です。
柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は隔月20日の更新です。
中村惠一のエッセイ「美術・北の国から」は毎月22日の更新です。
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
スタッフSの海外ネットサーフィンは毎月26日の更新です。
植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
(画像をクリックすると拡大します)掛け軸のような写真である。
そう思わせる理由のひとつはフレームが縦に長いからだ。
被写体を縦長に切りとることは写真ではめったにしない。西洋絵画でもあまり例がない。
長身のモデルを画面の中心に据えるのに縦長のフォーマットを使うことはあっても、この写真のようにひとつの光景を縦長にバサッとクロップしたりはしないだろう。
掛け軸ではそういうことがよくある。
枝ぶりのいい梅の木が手前にあり、そこにウグイスがとまり、枝は画面の外に伸び出し、奥には山がそびえ、空に薄い月が昇っている、などという構図を容易に想像することができる。
狭い画面のなかに広がりと奥行きが演出されているのだ。
同じことがこの写真にも言える。
画面を三分割した下3分の1のところに女性の上半身が写っている。
目を閉じてまどろんでいる様子だ。
斜面に体をもたせかけて座っていたところ、暖かな陽射しを浴びて瞼が重くなり、眠気が襲ったのだ。
左肩を後ろに引くようにして身をよじっているのは、背もたれにしていた石の角が丸くて、体の重心が徐々にそちらに傾いていったからだろう。
でも顔は前をむいたままで、肩と一緒に傾いてはいない。
頭のうしろの石が具合のいい枕になっているのだ。
左側に身が沈むにつれて、右半身が腕とともに体の前面に出てきた。
顔は頑固に元の位置を崩さないから、眠りながら身をかばっているようにも、なにかに抵抗しているようにも感じられる。
一方、上3分の1のところには3人の人物がいる。
メガネを掛けた手前の人は高齢で、茂みにどしっと腰をおろして遠くにあるものを指さしている。
その後ろには男女のカップルがいて、やや脚を開き気味に体育座りし、老女が指さす方向を見ている。
よく見るとふたりの目の形が似ているから、兄弟の可能性もありそうだ。
もしそうなら老女は彼らの母親という推測もなりたつ。
母親は腰が太くて安定感があり、堂々と自信にあふれた様子で説明している。
かたや娘のほうは、ふーん、そうなの、という表情で、感心はしていないが無関心でもない様子だ。
息子のほうはこの状況からやや身を引いているように感じられる。彼の左肩がフレームから外れているせいでそう見えるのかもしれない。
人物がいるのは三分割した画面の上と下だけで、真ん中は無人で、石が埋め込まれた通路になっている。
眠っている女性のところからその通路をあがってゆくと、3人のいる場所になる。
とはいえ、上の3人からは眠っている女性は見えないし、同様に眠っている彼女も自分の上に遠くを眺める3人がいることはわかっていない。
ふたつはまるで関連のない別の光景なのだ。
紙で写真の上と下を隠して見ると、それがよりはっきりする。
縦長のフレーミングが無関係なのことを強調する働きをしているが、ばらばらな感じはしなくて画面に統一感があるところが掛け軸的と言える。
もしも写真に横幅があって下の女性の全身が入っていたとしよう。
彼女に関する情報は増え、より説明的になり、雰囲気は激変するだろう。
縦長にすることで説明が大胆に省かれ、その省略が上下の均衡を保ち、奥行きをもたらす効果をあげているのだ。
一方、画面の広がりはフレームアウトしている彼女の下半身によって生まれている。
写っていないゆえに視線が外に引き出される。
ふだん何気なく見ている掛け軸の影響?かもしれない。
大竹昭子(おおたけあきこ)
●掲載写真について
写真集『CROSSROAD』57ページより
撮影データ
カメラ ZENZA BRONICA ETRSi(パノラマフィルムバック使用
レンズ ZENZANON 50mm・75mm
ストロボ SUNPAK G4500DX
フィルム TRI-X
●作家紹介
山崎 弘義(やまざき・ひろよし)
1956年4月 埼玉県生れ
1980年3月 慶応義塾大学文学部哲学科卒
1980年4月 市役所に入り広報課配属,初めて一眼レフを手にする
1987年3月 東京写真専門学校報道写真科II部卒
現在 日本写真芸術専門学校非常勤講師,ギャラリーヨクトメンバー
–
主な個展
1990年9月 「路上の匂い」(ミノルタフォトスペース)
1992年4月 「はざまの表情」(オリンパスホール)
1994年1月 「クロスロード」(コニカギャラリー)
1996年5月 「ウオーク・オン・ザ・サニーサイド」(ドイフォトプラザ)
2015年4月 「DIARY母と庭の肖像」(新宿ニコンサロン)
2016年9月 「水と緑と太陽の町」(コニカミノルタプラザ)
2017年9月 「Around LAKE TOWN」(オリンパスギャラリー)
–
出版
2015年2月「DIARY母と庭の肖像」(大隅書店)
●写真集のお知らせ
山崎弘義写真集『CROSSROAD』2019年10月10日
500部・A4変型
上製本・モノクロ
ページ数:122
作品点数:113点
編集:大田通貴
装幀:加藤勝也
出版社:蒼穹舎
4,000円+税
1990年から1996年にかけて東京都内で撮影されたストレートなスナップ写真。 喪失と再生を繰り返す東京とそこに集う人の姿が, パノラマというフォーマットを使うことによって, 縦横に広がって展開されている。そして作者は30年近く前の光景を見て, こう振り返る。 「今,感じることは写すという能動的な行為よりも,写り込んでくる事物にこそ写真の本質があるように思えてならない。」(あとがきより)
~~~~~~
●大竹昭子さんからのお知らせ
◆小俣直彦×渡部清花×大竹昭子 トークイベント「難民とつくる未来」
日時 2019年12月16日 (月) 19:00~20:30(開場時間18:30)
場所 八重洲ブックセンター 本店 8F ギャラリー
登壇者 小俣直彦さん(オックスフォード大学国際開発学部准教授)、渡部清花さん(NPO法人 WELgLee代表)、大竹昭子さん(作家)
※お申込みは八重洲ブックセンターホームページにて
参加費 税込1,500円(当日会場入口でお支払いください。)
※参加費の一部は難民の若者たちのキャリア支援に使わせていただきます。
(大竹さんホームページより転載)
「気がつかないうちに暦が薄くなって最後の一枚になりました。仕事やイベントもひとつ、またひとつと終わっていき、16日には年内最後のトークショー「難民とつくる未来」がおこなわれます。
2019年は「難民」という言葉をたくさん目にした年でしたが、日本にも難民の人たちがいるのを私が知ったのは、おなじマンションに住むアメリカ人のアレックスを通じてでした。彼の部屋にアフリカ人とおぼしき人たちが入れ替わりに住んでいるようなので、不思議に思い聞いてみたところ、難民の人たちを泊めているとわかったのです。多いときには10人以上が、彼の狭い部屋にメザシのように並び、真夏は屋上でも寝ています。
そんな私の難民への関心が、人のつながりに発展して、今回のトークショーが成立いたしました。おふたりの方に登壇いただきます。ひとりはオックスフォード大学で難民研究をしている小俣直彦さん。彼は今年の6月、『アフリカの難民キャンプで暮らす』という本を出されました。難民キャンプの暮らしぶりがつぶさに描かれたとても貴重な内容でした。
もうひとりは、難民と暮らし、働き、語りあう社会を日本に実現するためにWELgeeというNPOをつくり、活動をしている渡部清花さん。まだ20代の若手です。
小俣さんにはアフリカの状況を体験に即して語っていただき、渡部さんにはその彼らを日本に受け入れている試みについてお話いただきます。モデレーターは私が務めます。おふたりが顔合わせするのはめったにないことだし、アフリカと日本がつながり、難民の存在が親しいものになるすばらしい企画、と自画自賛していますので、どうぞお見逃しなく!」
小俣氏の『アフリカの難民キャンプで暮らす』の書評はbookbangで読めます。
●ときの忘れものブログ 連載エッセイのご紹介
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twitter や facebook など人々の発信機能が多様化し、以前(2014年8月13日)「ブログは時代遅れか」と書いたことがありますが、遂に現実になりました。読者あってのブログですが、さてどうしたものか。
コレクターや研究者、作家、スタッフがエッセイを執筆していますが、あらためてブログの内容をご紹介します。
大竹昭子のエッセイ「迷走写真館~一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
小松崎拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。
小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」は毎月5日の更新です。
佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」は隔月12日の更新です。
花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」は毎月14日の更新です。
野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は隔月18日の更新です。
柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は隔月20日の更新です。
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土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
スタッフSの海外ネットサーフィンは毎月26日の更新です。
植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。
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