人間の居場所をすこし出て
大崎清夏
展覧会:「詩のありかに触れるささやかな試み」日本近代文学館
2019年11月30日(土)~2020年2月22日(土)
私は長らく不満でした。私たち詩人どうし、集まってもひとつの詩篇を味読、議論、することはほぼなく、日々の窮乏の話、人間模様の話、詩の置かれた困難な現在の話……いくら詩人と名乗ろうと生きていればそういう話が面白く、そういう話に慰められ、ついそういう話に終始してしまうこと。むう、歯がゆい。
人間のいるところでは、詩は隅に退いて黙っています。文学展示も同様、書簡や遺品を鑑賞すれば詩人の生きた一場面を知ることはできても、それは詩そのものを知る方法ではありません。詩のありかに触れるには人間の居場所からすこし出る必要があり、詩人だって(ときに怖いほどあっさり人間の世界から出てしまうとはいえ)大抵はその出口を見つけるのに苦労しているのです。

この展示室には、書簡や遺品はありません。入るとまず、受付台に並んだ詩集が目にとまります。展示を見ながら持ち歩くための、シンプルな装幀の、ずっしりした白い本です。その本を胸に抱いて、私たちは順路を辿ります。展示されているのは、生々しい手書き原稿と、美しく製本された詩集。一篇一篇の詩にまつわる資料と、詩人たちの簡単な経歴と写真。それから、詩の読まれる声。

詩のトポスとして掲げられた四つの場所——「橋」「海」「道」「空」は、どれも人間の世界とその向こうの境にある場所です。人間を詩人にする場所と言ってもいいかもしれません。これらの場所と向きあった一篇一篇の詩には、そこへ出てゆくときの畏れや意思、いつのまにかそこへ出ている自分を知ったときの決意や諦めの震えがとどまっています。
原稿用紙に遺された修正や消し跡(それらもまた、震えている——)を見、詩人の表情を見、展示に添えられたページ番号を頼りに詩集をひらいて佇むと、完成した詩が待ちうけ、私はしばらく本のなかに目を落として、自分のいる展示室の空間のことを忘れます。あ、いま、人間の居場所をすこし出たようです。

手に詩集を持って歩き回る一歩ごとに、展示室の空間は広々として、足元は深く、頭上は高くなりました。思いがけない発見もありました。高村光太郎の「道程」にロングバージョンがあったこと。茨木のり子の「根府川の海」に中桐雅夫の「海」という返歌があったこと。大きなパネルで推敲の変遷を辿ることのできる鮎川信夫の長大な橋の詩と、石原吉郎のひっそりと短い橋の詩とが示す橋の長さが、詩の行数に比例しないこと。録音に遺された、北原白秋が「トラピストの牛」を読む朗読の速度。イェイツの「The Lake Isle of Innisfree」に取り組んだ三人の翻訳者(山宮允、加島祥造、栩木伸明)が、詩の翻訳の奇跡を願って託したそれぞれの日本語のリズム。
ガラスごしの展示と手元の詩集を往復する運動は、二つの世界——詩のありかと人間の居場所——を行き来する実践練習のようでもあり、詩集は一度で読みきってしまうにはあまりにも豊かでした。とりあえずこの詩集を買って帰って、それから海へ行こうと思いました。詩友の近況の噂や詩壇の盛衰の話なんて放っておいて、展示室にももう一度足を運びたいけれど、さて、できるかなあ。
(おおさき さやか)
■大崎清夏 Sayaka Osaki
詩人。2011年、ユリイカの新人としてデビューし、第一詩集『地面』を刊行。14年、第二詩集『指差すことができない』が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集『新しい住みか』(青土社)など。19年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘。https://osakisayaka.com/
●冬季企画展「詩のありかに触れるささやかな試み」

会期:2019年11月30日(土)-2020年2月22日(土)
会場:公益財団法人日本近代文学館
(〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-55 駒場公園内)
開館時間:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料:一般300円(団体20名様以上で一人200円) 中学・高校生100円
休 館 日:日曜・月曜・第4木曜、年末年始(12/27-1/6)、特別整理期間(2/11-15)
編集委員:栗原敦(実践女子大学名誉教授、日本近代文学館理事)

●『詩のありかに触れるささやかな試み 詩集』
会場で800円で頒布しています。



*画廊亭主敬白
ブログ初登場の大崎清夏さんは、現代美術にもたいへん造詣が深いとうかがいました(すいません、亭主はまだお目にもかかっていません)。
こんなに素直に、軽やかに「詩の展覧会」を歩いてくれるなんて! 亭主も「展示室にももう一度足を運びたい」。ぜひ皆さん、駒場にお出かけください。画廊に招待券あります。
●本日のお勧め作品は飯田善國です。
飯田善國
"HAPPY BIRTHDAY"
1976年 シルクスクリーン
18.0×20.0cm
Ed.750 Signed
*現代版画センターエディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
-------------------------------------------------
◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年02月23日|濱田千里~川越市立美術館:関根伸夫と現代の美術
-------------------------------------------------
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
大崎清夏
展覧会:「詩のありかに触れるささやかな試み」日本近代文学館
2019年11月30日(土)~2020年2月22日(土)
私は長らく不満でした。私たち詩人どうし、集まってもひとつの詩篇を味読、議論、することはほぼなく、日々の窮乏の話、人間模様の話、詩の置かれた困難な現在の話……いくら詩人と名乗ろうと生きていればそういう話が面白く、そういう話に慰められ、ついそういう話に終始してしまうこと。むう、歯がゆい。
人間のいるところでは、詩は隅に退いて黙っています。文学展示も同様、書簡や遺品を鑑賞すれば詩人の生きた一場面を知ることはできても、それは詩そのものを知る方法ではありません。詩のありかに触れるには人間の居場所からすこし出る必要があり、詩人だって(ときに怖いほどあっさり人間の世界から出てしまうとはいえ)大抵はその出口を見つけるのに苦労しているのです。

この展示室には、書簡や遺品はありません。入るとまず、受付台に並んだ詩集が目にとまります。展示を見ながら持ち歩くための、シンプルな装幀の、ずっしりした白い本です。その本を胸に抱いて、私たちは順路を辿ります。展示されているのは、生々しい手書き原稿と、美しく製本された詩集。一篇一篇の詩にまつわる資料と、詩人たちの簡単な経歴と写真。それから、詩の読まれる声。

詩のトポスとして掲げられた四つの場所——「橋」「海」「道」「空」は、どれも人間の世界とその向こうの境にある場所です。人間を詩人にする場所と言ってもいいかもしれません。これらの場所と向きあった一篇一篇の詩には、そこへ出てゆくときの畏れや意思、いつのまにかそこへ出ている自分を知ったときの決意や諦めの震えがとどまっています。
原稿用紙に遺された修正や消し跡(それらもまた、震えている——)を見、詩人の表情を見、展示に添えられたページ番号を頼りに詩集をひらいて佇むと、完成した詩が待ちうけ、私はしばらく本のなかに目を落として、自分のいる展示室の空間のことを忘れます。あ、いま、人間の居場所をすこし出たようです。

手に詩集を持って歩き回る一歩ごとに、展示室の空間は広々として、足元は深く、頭上は高くなりました。思いがけない発見もありました。高村光太郎の「道程」にロングバージョンがあったこと。茨木のり子の「根府川の海」に中桐雅夫の「海」という返歌があったこと。大きなパネルで推敲の変遷を辿ることのできる鮎川信夫の長大な橋の詩と、石原吉郎のひっそりと短い橋の詩とが示す橋の長さが、詩の行数に比例しないこと。録音に遺された、北原白秋が「トラピストの牛」を読む朗読の速度。イェイツの「The Lake Isle of Innisfree」に取り組んだ三人の翻訳者(山宮允、加島祥造、栩木伸明)が、詩の翻訳の奇跡を願って託したそれぞれの日本語のリズム。
ガラスごしの展示と手元の詩集を往復する運動は、二つの世界——詩のありかと人間の居場所——を行き来する実践練習のようでもあり、詩集は一度で読みきってしまうにはあまりにも豊かでした。とりあえずこの詩集を買って帰って、それから海へ行こうと思いました。詩友の近況の噂や詩壇の盛衰の話なんて放っておいて、展示室にももう一度足を運びたいけれど、さて、できるかなあ。
(おおさき さやか)
■大崎清夏 Sayaka Osaki
詩人。2011年、ユリイカの新人としてデビューし、第一詩集『地面』を刊行。14年、第二詩集『指差すことができない』が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集『新しい住みか』(青土社)など。19年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘。https://osakisayaka.com/
●冬季企画展「詩のありかに触れるささやかな試み」

会期:2019年11月30日(土)-2020年2月22日(土)
会場:公益財団法人日本近代文学館
(〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-55 駒場公園内)
開館時間:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料:一般300円(団体20名様以上で一人200円) 中学・高校生100円
休 館 日:日曜・月曜・第4木曜、年末年始(12/27-1/6)、特別整理期間(2/11-15)
編集委員:栗原敦(実践女子大学名誉教授、日本近代文学館理事)

●『詩のありかに触れるささやかな試み 詩集』
会場で800円で頒布しています。



*画廊亭主敬白
ブログ初登場の大崎清夏さんは、現代美術にもたいへん造詣が深いとうかがいました(すいません、亭主はまだお目にもかかっていません)。
こんなに素直に、軽やかに「詩の展覧会」を歩いてくれるなんて! 亭主も「展示室にももう一度足を運びたい」。ぜひ皆さん、駒場にお出かけください。画廊に招待券あります。
●本日のお勧め作品は飯田善國です。
飯田善國"HAPPY BIRTHDAY"
1976年 シルクスクリーン
18.0×20.0cm
Ed.750 Signed
*現代版画センターエディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
-------------------------------------------------
◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年02月23日|濱田千里~川越市立美術館:関根伸夫と現代の美術
-------------------------------------------------
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント