中村惠一のエッセイ「美術・北の国から」 第5回

クラーク画廊と木原康行、矢柳剛

 NDA画廊のあった旧・道特会館には2階にクラーク画廊というギャラリーがあった。クラーク画廊のオーナーは帯広出身の児玉さんという方であったが、児玉さんは画廊のほかに商事会社を経営されている方だった。当時は何を扱っている会社なのか詳しく聞いたことはなかったのだが、何かのおりに競馬馬(サラブレッド)が骨折したときなどに餌にまぜて与えるカルシウム剤を販売しているという話は聞いたことがあった。そんな商売も兼業してからなのか、階下のNDA画廊とはまた違った空気が展示室に流れていた。クラーク画廊を訪問するようになってすぐに、児玉さんと同じく帯広出身の画家・矢柳剛を紹介された。同郷の画家であると児玉さんに紹介されたように思う。
 矢柳は昭和8(1933)年帯広市生まれ。昭和26(1951)年東京の星薬科大学に入学するが、ゴッホ展やルオー展を見て美術を志し、昭和28(1953)年大学を中退する。昭和32(1957)年にブラジルに渡り、同年サンパウロ近代美術館で個展を開催。中南米、アフリカを旅行して昭和34(1959)年に帰国。また昭和40~43(1965~68)年にはパリに滞在し、「アトリエ17」でウィリアム・ヘイターに版画を学んだ。クラーク画廊は矢柳を通じて主に版画家の作品を紹介していたのだと思う。

001矢柳剛版画全作品集『愛の動物誌』矢柳剛版画全作品集『愛の動物誌』

 札幌で矢柳に会った後、東京では西銀座画廊でお会いしていると思う。それもあってか、クラーク画廊での展覧会をみると西銀座画廊で展示していた作家が多かったように記憶している。矢柳は作品集の書影にあるようにカラフルな色彩を使ったシルクスクリーン作品が代表的であるが、パリのヘイターのところでは一版多色の銅版画の技法も学んでおり、銅版画も面白い作家だ。最近ではファッションやテキスタルなどの領域でも活躍されているようだ。

 クラーク画廊で出会った作家で次に印象深かったのはフランス在住作家であった木原康行であった。木原は昭和7(1932)年、北海道名寄市の生まれ。昭和29(1954)年武蔵野美術学校本科西洋画科卒業、在学中は山口長男に師事。昭和27(1952)年に春陽会に初入選。昭和45(1970)年に渡仏し、ウィリアム・ヘイターが主催するパリの銅版画工房「アトリエ17」で銅版画を学び、パリに在住し制作を続けている。矢柳とだぶってはいないが、同じ「アトリエ17」でヘイターに師事している仲である。昭和52(1977)年、中村真一郎との合作詩画集『死と転生』を発表。平成11(1999)年に日本人会員として長谷川潔についで二人目となるフランス画家・版画家協会の正会員となっている。
 
0022003年旭川美術館での木原康行展のカタログ2003年旭川美術館での木原康行展のカタログ

 私が木原と会う直前には木原は詩人・中村真一郎と詩画集『死と転生』を制作されていて、現物も見る機会があったが、さすがにオリジナルの詩画集は購入できなかった。そこで、昭和53(1978)年に思潮社から刊行された『死と転生をめぐる変奏』で印刷された木原作品を楽しんだ。木原は銅板を直接彫り込んで版を制作するエングレーヴィングを得意とした。それにはビュランと呼ばれる鋼鉄製の彫刻刀を使うのだが、銅とはいえ金属の板を腐食ではなく、直接に彫り進めるのは力も技術もいる。ましてや、木原の作品は細かく見事な線によって構成されている。当然、失敗は許されない。厳しい画面構成を実現するために超絶的な技法を駆使されていた。

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 木原からは小さなモノクロームのエングレーヴィング作品を借用、北大短歌会の機関誌『刹』創刊号の表紙に使わせていただいた。そうした意味でも懐かしく思い出す。その後、木原に会うことはかなわず、平成23(2011)年に亡くなられたことを知った。今こそ木原の線の美しさ、画面構成の素晴らしさは再評価されるべきものだと考える。

 クラーク画廊は北海道出身作家ばかりを扱う画廊ではなかったが本別出身の多賀新、美唄出身の安田侃、旭川出身の難波田龍起などの版画もここで初めて見たのだと記憶している。また当時の版画界をリードする野田哲也木村光佑原健、谷口茂などの作品を知ったのはここでであった。またクラーク画廊といえば社長の児玉さんのお父様の笑顔が忘れられない。少し訛りのある純朴な語り口、そして満面の笑顔で迎えてくれることが多かった。雪の日など石造りの道特会館のきしむ階段をあがってストーブのある画廊で父上の笑顔を見るとほっとしたものだ。これもまた忘れられない記憶である。大学を卒業して以来まったくの無沙汰をつづけ、クラーク画廊がその後どうされたのかを知らない。

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なかむら けいいち

中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)

●本日のお勧め作品は木原康行です。
kihara070512木原康行 Yasuyuki KIHARA
"transition 5"
1987年
Engraving
イメージサイズ:29.6×19.0cm
Ed.30
サインあり
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年04月04日|蔦谷典子のエッセイ「奈良原一高≪肖像の風景≫」
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