宮森敬子のエッセイ 「ゆらぎの中で」 第4回
樹拓の仕事―加藤典洋さんの言葉 (前編)
前回のエッセイから1ヶ月、4月5日現在のNY州のCOVI D-19公式感染者は12万人を超え、NY市だけでも6万人以上の人が感染、毎日1万人規模で増えています。港には海軍の病院船、セントラルパークには野営病院のテントが並び、まさに戦場の様な混乱の中にいます。5月に開催予定だった ‘ときの忘れもの’ での個展も延期になりました。時期はまた追って発表になると思います。どうかそれまで、ブログでお付き合いいただけたら、と思います。
今回は私の行なっている 「樹拓(じゅたく)」 について書きたいと思います。簡単に説明すると、手漉きの和紙を樹の表面にあて、木炭でその上を擦って印をつけたものです。

(左) ルーマニア (2016年)、(中央) 日本 (2003年)、(右) アメリカ (1999年) 各地で樹拓を採集しているところ
実は過去に、日本で絵も描けない、美術を続けることもできないかも知れない、と絶望的になっていた時期がありました。気持ちが荒れた時に訪れる場所があったのですが、そこではどんな時でも、同じように木漏れ日が美しく、その樹に触っていると、ストレスが引いていくようでした。その時、樹の表面に感謝を込めて、あるいは、記念にはじめたものです。当初の目的は自分が落ち着きたい、癒されたい、という気持ちだったのだと思います。
フィラデルフィアに滞在していた1997年から98年にかけては、大きな樹の拓本をとったり、それを身の回りのものに貼り付けたりしていました。その後、フィラデルフィア公立図書館の貴重本 (Rare Book) を扱う部門で働き始め、そこで得たアーカイバルの方法を使って、気に入った樹拓をマットに入れて保存するようになりました。
そんなことを続けながら20年以上が過ぎると、作品を気にいってくれる人が、少しずつ出てきたのです。第1回目に書かせていただきましたが、『敗戦後論』など、日本の戦後問題を鋭く追ってこられた加藤典洋さんも、作品に関心を示してくださり、信濃毎日新聞のコラムを一年間一緒にやらせていただきました。連載途中でご病気になられたにも関わらず、3月までの原稿を先に送ってくださり、最後まで連載を続けることができたのでした。

最後の挿絵となったTree Rubbing Albany County 2017.6 (2019年3月2日 信濃毎日新聞 「思索のノート」 掲載)
加藤さんには、樹拓 (「ロビング:擦り出し」 という言葉を使われています) を使った作品が、どうして彼の心に止まったのか、随分と長いお話しを聞いたことがあります。その内容を私がしっかり覚えていて、お伝えできれば、みなさんにも共感していただけたかも知れません。私自身よりも、作品を分析できる能力があり、それを文章で伝える力がある人が存在する、ということを覚えておかねばと肝に銘じました。
ただ、加藤さんとのやりとりがメールに残っていたので、私の樹拓作品について書いてくださっていることを、この場でみなさんとシェアできたらと思い、一部抜粋しながら、ご紹介してゆけたら、と思っています。
まず、初めに加藤さんの注意を引いた作品が Tree Rubbing Iraq (2008) と Tree Rubbing Roma (2006) という、小さな額入りの作品でした。
(Mar 16, 2018, 5:47 AM)「私は宮森さんの樹拓シリーズに、大きな関心と可能性を感じています。
もう15年くらい前から、評を書いたことで、つながりが生じ、ときどき、おつきあいのある作り手に、写真家の杉本博司さんがいます。この人の作品に、seascapes というのがあります。世界のさまざまな海に行って、そこで同じ構図で、上下半分になるように、ただ海と空とを撮って並べたものです。そこには、 Indian Ocean, Bali, 1991 だとか、 South Pacific, Maraenui, 1990 だとか、 English Channel, 1994 だとかと書いてあるだけですが、それがいわば採集され、編集され、配置されることで、見るものに何かを感じさせます。そのように、宮森さんのこの tree rubbings には、その感触をつうじて、何か言葉にならないものとの交信が浮かびあがらせる力があると思います。
たとえば、既作品では、イラクとあるもの、ローマとあるもの、など。 pace around で見たものには、採集の日付と木のある場所、木の種類だったかが、記してあったような、なかったような。ただ、それが並んでいるのを見ると、伝わってくるものがたしかにありました。」

(左) Tree Rubbing Iraq (2008) (右) Tree Rubbing Roma (2006)
杉本博司さんのような世界的に有名な作家と比べてしまうのは、あまりに唐突で私にはあまり実感が持てませんが、きっと加藤さんの中に元々あるものによって、イメージが膨らんだのではと思います。フロッタージュというとよく岡部昌生さんとも比較されますが、私の場合には、大きな物語がはじめにあるのではなく、あくまで、日常の、誰にでもある瞬間を、ゆらぎのまま、曖昧で完璧でない状態で表しているといった方が、近いと思っています。
美術作品が人の感性に寄り添ってゆくということは、言葉で言い切ることはできず、なんとなく、好きだ。というのが本当だと思います。でも、そのなんとなく、の中に、各人にとってのエネルギーが、確実に生じているのだと思います。樹拓を採ることは、私が意図した形をつくる、というより、ある場 (それはどこでも良いのです) を私が選択し、それぞれの場所や状況に、一瞬で折り合いをつけてゆくことです。
次回は (後編) として、さらに詳しく私の樹拓作品の分析を、写真と加藤さんの文章をもとにご紹介してみたいと思います。
(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。どうぞご愛読ください。
●本日のお勧め作品は宮森敬子です。
宮森敬子 Keiko MIYAMORI
“Typewriter - Witness”
2001年
オブジェ(タイプライター、和紙、木炭)
L28.0×W23.0×H13.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
臨時休廊21日目
今春楽しみにしていた世田谷美術館「驚異の三人 !! 高松次郎・若林奮・李禹煥 ―版という場所で」もとうとう開催中止になってしまいました。延期ではなく中止。担当学芸員の無念たるや想像に難くありません。
幻の三人展に哀惜をこめて
本日の「一日限定! 破格の掘り出し物」は李禹煥の木版画です。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年05月27日|大谷省吾「松本竣介の素描について」
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◆ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、臨時休廊とし、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
休廊期間中はアポイント制とさせていただき、作品をご覧になりたい方は事前にメールで予約をお願いします。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
樹拓の仕事―加藤典洋さんの言葉 (前編)
前回のエッセイから1ヶ月、4月5日現在のNY州のCOVI D-19公式感染者は12万人を超え、NY市だけでも6万人以上の人が感染、毎日1万人規模で増えています。港には海軍の病院船、セントラルパークには野営病院のテントが並び、まさに戦場の様な混乱の中にいます。5月に開催予定だった ‘ときの忘れもの’ での個展も延期になりました。時期はまた追って発表になると思います。どうかそれまで、ブログでお付き合いいただけたら、と思います。
今回は私の行なっている 「樹拓(じゅたく)」 について書きたいと思います。簡単に説明すると、手漉きの和紙を樹の表面にあて、木炭でその上を擦って印をつけたものです。

(左) ルーマニア (2016年)、(中央) 日本 (2003年)、(右) アメリカ (1999年) 各地で樹拓を採集しているところ
実は過去に、日本で絵も描けない、美術を続けることもできないかも知れない、と絶望的になっていた時期がありました。気持ちが荒れた時に訪れる場所があったのですが、そこではどんな時でも、同じように木漏れ日が美しく、その樹に触っていると、ストレスが引いていくようでした。その時、樹の表面に感謝を込めて、あるいは、記念にはじめたものです。当初の目的は自分が落ち着きたい、癒されたい、という気持ちだったのだと思います。
フィラデルフィアに滞在していた1997年から98年にかけては、大きな樹の拓本をとったり、それを身の回りのものに貼り付けたりしていました。その後、フィラデルフィア公立図書館の貴重本 (Rare Book) を扱う部門で働き始め、そこで得たアーカイバルの方法を使って、気に入った樹拓をマットに入れて保存するようになりました。
そんなことを続けながら20年以上が過ぎると、作品を気にいってくれる人が、少しずつ出てきたのです。第1回目に書かせていただきましたが、『敗戦後論』など、日本の戦後問題を鋭く追ってこられた加藤典洋さんも、作品に関心を示してくださり、信濃毎日新聞のコラムを一年間一緒にやらせていただきました。連載途中でご病気になられたにも関わらず、3月までの原稿を先に送ってくださり、最後まで連載を続けることができたのでした。

最後の挿絵となったTree Rubbing Albany County 2017.6 (2019年3月2日 信濃毎日新聞 「思索のノート」 掲載)
加藤さんには、樹拓 (「ロビング:擦り出し」 という言葉を使われています) を使った作品が、どうして彼の心に止まったのか、随分と長いお話しを聞いたことがあります。その内容を私がしっかり覚えていて、お伝えできれば、みなさんにも共感していただけたかも知れません。私自身よりも、作品を分析できる能力があり、それを文章で伝える力がある人が存在する、ということを覚えておかねばと肝に銘じました。
ただ、加藤さんとのやりとりがメールに残っていたので、私の樹拓作品について書いてくださっていることを、この場でみなさんとシェアできたらと思い、一部抜粋しながら、ご紹介してゆけたら、と思っています。
まず、初めに加藤さんの注意を引いた作品が Tree Rubbing Iraq (2008) と Tree Rubbing Roma (2006) という、小さな額入りの作品でした。
(Mar 16, 2018, 5:47 AM)「私は宮森さんの樹拓シリーズに、大きな関心と可能性を感じています。
もう15年くらい前から、評を書いたことで、つながりが生じ、ときどき、おつきあいのある作り手に、写真家の杉本博司さんがいます。この人の作品に、seascapes というのがあります。世界のさまざまな海に行って、そこで同じ構図で、上下半分になるように、ただ海と空とを撮って並べたものです。そこには、 Indian Ocean, Bali, 1991 だとか、 South Pacific, Maraenui, 1990 だとか、 English Channel, 1994 だとかと書いてあるだけですが、それがいわば採集され、編集され、配置されることで、見るものに何かを感じさせます。そのように、宮森さんのこの tree rubbings には、その感触をつうじて、何か言葉にならないものとの交信が浮かびあがらせる力があると思います。
たとえば、既作品では、イラクとあるもの、ローマとあるもの、など。 pace around で見たものには、採集の日付と木のある場所、木の種類だったかが、記してあったような、なかったような。ただ、それが並んでいるのを見ると、伝わってくるものがたしかにありました。」

(左) Tree Rubbing Iraq (2008) (右) Tree Rubbing Roma (2006)
杉本博司さんのような世界的に有名な作家と比べてしまうのは、あまりに唐突で私にはあまり実感が持てませんが、きっと加藤さんの中に元々あるものによって、イメージが膨らんだのではと思います。フロッタージュというとよく岡部昌生さんとも比較されますが、私の場合には、大きな物語がはじめにあるのではなく、あくまで、日常の、誰にでもある瞬間を、ゆらぎのまま、曖昧で完璧でない状態で表しているといった方が、近いと思っています。
美術作品が人の感性に寄り添ってゆくということは、言葉で言い切ることはできず、なんとなく、好きだ。というのが本当だと思います。でも、そのなんとなく、の中に、各人にとってのエネルギーが、確実に生じているのだと思います。樹拓を採ることは、私が意図した形をつくる、というより、ある場 (それはどこでも良いのです) を私が選択し、それぞれの場所や状況に、一瞬で折り合いをつけてゆくことです。
次回は (後編) として、さらに詳しく私の樹拓作品の分析を、写真と加藤さんの文章をもとにご紹介してみたいと思います。
(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。どうぞご愛読ください。
●本日のお勧め作品は宮森敬子です。
宮森敬子 Keiko MIYAMORI “Typewriter - Witness”
2001年
オブジェ(タイプライター、和紙、木炭)
L28.0×W23.0×H13.0cm
サインあり
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*画廊亭主敬白
臨時休廊21日目
今春楽しみにしていた世田谷美術館「驚異の三人 !! 高松次郎・若林奮・李禹煥 ―版という場所で」もとうとう開催中止になってしまいました。延期ではなく中止。担当学芸員の無念たるや想像に難くありません。
幻の三人展に哀惜をこめて
本日の「一日限定! 破格の掘り出し物」は李禹煥の木版画です。
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TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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