柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第17回

ポンヌフ


私事ですが、3月初旬に横浜の根岸に引っ越しました・・・その頃から加速度的に大きくなってきた新型コロナウィルス危機・・・引き籠もり生活になってしまっています。

実は資料類の大半というか、ほぼ全てが東京・池之端の仕事スペースに置いてあるため、連載原稿のネタが無く・・・今回は休載をお願いしようかと思っていましたが、たった今、1枚の懐かしいポストカードを見つけました。

本ではなくポストカードなのですが、まあ印刷物でもあるわけで・・・今回はこのポストカードについて書かせていただきます。

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 ポストカードの絵柄面は、クリストとジャンヌ=クロードの『包まれたポンヌフ、パリ、1975-85』の写真です。撮影は、二人の専属写真家、ウルフガング・フォルツです。
画面の左上には、Christo and Jeanne-Claude の直筆サインが入っています。

二人のサイン入りポストカードは、かなりの数が手元にありますが、この1枚はとてもスペシャルなものです。それは、クリストとジャンヌ=クロードの創作活動の流れの中での重大な決心を見せるものだからです。

左上のサインですが、よく見るとChristo の部分とand Jeanne-Claude の部分のインクの感じが違います。これは、二人が別々のサインペンを使って書いたのではなく、後半部分が後から書き加えられたためです。

ご存じのように、クリストとジャンヌ=クロードは、1960年前後から共同でプロジェクト作品=野外空間での一時的な芸術作品を手がけてきています。プロジェクトを実現するに際してのジャンヌ=クロードの関与と役割は周辺の人だけではなく、美術界全般でも知られていましたが、1990年代前半まで、プロジェクトはどれもクリスト一人の作品として制作され、発表されていました。

それが1994年のある日の会話をきっかけに、プロジェクト作品に関しては、「クリストとジャンヌ=クロードの共同作品とする」と、二人が決心したのでした。その日、クリストはニューヨークの大学、クーパーユニオンで講演をしましたが、その後のレセプションでのとある出来事がきっかけでした。その内容はお伝えできませんが、レセプション後のグリニッジヴィレッジでの夕食の途中に「そろそろ、本当の名前にしても良い時期でしょう」(といった感じのことを)ジャンヌ=クロードが口にしたのでした。本当の名前とは、つまり、“クリスト”ではなく“クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード”という名前です。実は私自身が、この夕食に同席していたので良く覚えています。

この決定は、その時点以降の作品だけではなく、『ヴァレー・カーテン』や『ランニング・フェンス』、1991年に日本とカリフォルニアで実現した、『アンブレラ』なども含む、1961年以降実現した全てのプロジェクトも含めてということになりました。(ちなみに、“包まれたオブジェ”や『パッケージ』、それに、“ドローイング”や“コラージュ”といったスタジオの中で制作される作品は、クリスト一人によるものです。)

さてポストカードに話しを戻します。このカードの裏面には、『包まれたポンヌフ』の記録集の出版に関する案内がタイプ打ちされています。右下にはJeanne-Claude の直筆サインと and そして → 手書きで書かれています。

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このカードが準備されたのは1980年代末でした。その時点では、『包まれたポンヌフ』はクリスト一人の作品とされていたわけです。そのため、作品写真の上にはクリストのみがサインを入れ、一方のジャンヌ=クロードはアーティストとしてではなく、出版案内の差出人として裏面にサインを入れていたわけです。また裏面の下部分には、クリスト一人の作品として、作品のクレジットが印刷されていました。

カードの多くは、そのような形で、関係者、コレクターに送られました。それから何年もたち、多分2000年代に入ってからだったと思います。ジャンヌ=クロードから、「使わなかった出版案内のカードが出てきたから、現状に合わせて手を加えたのよ」と、渡されたのがこのカードです。

『包まれたポンヌフ』が二人の共同作品であることを誇るように、ジャンヌ=クロードはアーティストとして、写真の上にも直筆サインを加えました。そして裏面の、作家としては、クリスト一人が記されていた元々の作品データは白いステッカーで隠され、代わりにChristo and Jeanne-Claude のクレジットが入った作品データが貼られています。

単なる、サイン入りのポストカードではなく、アーティストとしての名前を、過去の遡って変えるという、大きな決心を見せつけるドキュメントでしょう。

柳正彦_19801980年代後半。クリストとジャンヌ=クロードのリビングにて

柳正彦_19951995年秋。上野の森美術館内にて

やなぎ まさひこ

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。

●本日のお勧め作品は尾崎森平です。
ozaki-03尾崎森平 Shinpey OZAKI
《苦闘するアポローン/愛の歌》
2019年
アクリル、キャンバス、パネル
サイズ:61.0×61.0×4.5cm
サインあり
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*画廊亭主敬白
臨時休廊24日目。
世界を覆うコロナウイルスの脅威に、私たちの日常が簡単にくつがえされてしまいました。
3月28日から画廊を閉め、スッタフ全員が在宅勤務ですが、若い人はエネルギッシュですね。持ってかえったノートパソコンを駆使、毎朝電話会議でやりとりし、長年の課題だったホームページの改変に取り組んでいます。
昔、私たちの辛かった時期に何が一番怖かったかというと、
「明日は何もすることがない」という事態でした。
いまほど、ブログの「年中無休、365日更新」をありがたいと思ったことはありません。
スタッフにはもちろん、お客様に会うことすらできない毎日ですが、おかげさまでブログの最終チェックが私たちの最低限の「毎日すること」になりました。
執筆者の皆さんに心からの感謝をささげます。

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2017年01月27日|福井県勝山の中上光雄・陽子ご夫妻と瑛九
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