「映像の中の建築・モニュメント」後編
ノッサ・セニョーラ・ド・カボ教会
――シリル・コラール監督『野性の夜に』(1992年 フランス映画)

井上真希


 エッセイを執筆するにあたり、『野性の夜に』のフランス盤DVDを取り寄せ、あらためて映像を観た(残念ながら日本国内ではVHSビデオとレーザーディスクが1994年に発売されたのみで、その後、DVD化されていない)。
 陶酔、苦悩、絶望、悲哀……、激情がほとばしるパリでのシーンの後、ポルトガルでクリスト・レイ像が建つテージョ川と港の風景を愛しむように眺めた主人公ジャンが向かったのも、実はとても象徴的な場所だったことに気づいた。
 ジャンがローラに電話をかけ、「ヨーロッパの果てにいる」と伝えるとき、背後には墓標にも似た十字架と海原が見える。その十字架が濃い影を落とす乾いた大地はバロック建築の教会堂へと至る長方形の前庭のようだ。両側に伸びる建物は小さく仕切られているのか、2階に窓が連なっているが、まったく人影はない。そこで初めて「愛している」という言葉を口にし、海を見つめて佇むジャン。
「僕は生きている。世界は僕自身と無関係に存在するものだけじゃない。僕もその一員だ。世界は僕に開かれているものなんだ。たぶん僕はAIDSで死ぬだろう。でも、それはもう僕の人生じゃない。僕は今を生きている」(拙訳)
 海に夕日が沈み、朝日が昇る。至福の笑みを浮かべたジャンをキャメラが空からとらえる。彼の足下は大西洋の荒波が打ち寄せる切り立った断崖だった。

 ラストまで続く3分ほどのこのシーンの舞台は、テージョ川の河口の南方で大西洋に突き出したセトゥーバル半島のエスピシェル岬である。
 ポルトガルには古くから聖母マリア信仰が根付いている。聖母が出現した奇跡をローマ教皇庁も認めているファティマは世界的な聖地だが、断崖絶壁のこの岬にも聖母出現をはじめ、さまざまな言い伝えが生まれた。15世紀初めには小さな礼拝堂が建てられ、各地から巡礼者が訪れるようになっていたという。
 映像の中の教会堂は1701年に国王ペドロ2世(1648-1706、在位1683-1706)が建立を命じ、1707年に完成したノッサ・セニョーラ・ド・カボ(岬の聖母)教会で、設計は王室建築家ジョアン・アントゥネス(1643-1712)。ポルトガル文化省が運営する建築遺産の情報サイト(SIPA)によれば、内部は黄金色に輝く天井画や青い装飾タイル(アズレージョ)で彩られており、絵師はジョゼ・アントニオ・ナルシーゾ、ロレンソ・ダ・クンハ、ペドロ・テイシェイラ、アズレージョ製作はベレン工房とある。両翼の建物は巡礼者が激増したため1715年に建設が始まった宿で、1745年から1760年に増築もなされたが、その後は修繕されることもなく今では廃虚と化している。
 死の病に冒されてなお快楽を求め、いや、病に冒されたからこそ快楽に逃れたともいえるジャンが、ローラとの出会いと別れを経て旧大陸の果てで見たものは、愛と再生の奇跡のヴィジョンだったのかもしれない。

 シリル・コラールが1979年夏~1992年12月に書いた日記や手紙などが収められ、彼の死後に出版された『野性の天使』の邦訳(藤井建史・大塚宏子訳、1996年3月、近代文藝社刊)にも目を通してみた。
 彼は1983年の時点で既にHIV(国際的にこの名称に統一されたのは1986年だが)に感染していると診断されていた。定期検査でHIVの増殖の指標となるT4細胞の増減に注意を払い、治療を続けるなかで、ポルトガルへ旅したのは1988年の5月と8月だ。翌1989年9月に原作を出版し、その1年後には映画のシナリオを書き上げて、南仏経由でスペインとポルトガルへ。ロケ撮影のためだろう。映画が完成したと思われる1992年8月末の文書を読むと、彼の精神は力強く輝きにみちている。肉体が蝕まれ、滅んでゆく恐怖を抱える一方で、AIDSのおかげで生きることに対する狂おしい欲望や、人生への愛を口にできると綴られている。
 もし彼が本を執筆せず、映画も撮らずに過ごしていたら、免疫能の低下も抑えられ、生き延びられたのではないかと思わずにはいられない。だが、異色の文豪ジャン・ジュネと同じ12月19日生まれであることを強く意識していた彼は、「僕の常軌を逸した戦い、僕のエネルギー、僕の途方もない欲望。これらはすべて、生きるためだった」と1992年12月に綴り、生きることを渇望しながら永遠の旅に出たのだ。

ポルトガル文化省が運営する建築遺産の情報サイト(SIPA)(ポルトガル語):
http://www.monumentos.gov.pt/Site/APP_PagesUser/SIPA.aspx?id=6165

井上真希後編1ノッサ・セニョーラ・ド・カボ教会の前庭に建つ十字架
Photo by Sacavem

井上真希後編2ノッサ・セニョーラ・ド・カボ教会と巡礼者のための宿
Photo by Alvesgaspar [CC BY-SA 4.0]
いのうえ まき

■井上真希 Maki Inoue
翻訳家。1960年北海道生まれ。複合文化施設Bunkamuraを経て2000年に独立。
訳書にルイ・ノゲイラ著『サムライ――ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(
晶文社刊)、ケニーゼ・ムラト著『バダルプルの庭』(清流出版刊)など。著書に『ル
ナ+ルナ――山本容子の美術旅行』(山本容子との共著。講談社刊)。
近年は別名義にて映画の字幕翻訳や書籍・雑誌の校閲も手がける。

このエッセイは『井上真希のレジスタンス日記』からの再録です。

●本日のお勧め作品は中村潤です。
nakamura-10中村潤 Megu NAKAMURA
《縫いの造形 9》
2019
紙、刺繍糸、クーピー
60.0×23.0×50.0cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

-------------------------------------------------
◎昨日読まれたブログ(archive)/2011年01月12日|飯沢耕太郎のエッセイ「福田勝治――孤高の唯美主義者」
-------------------------------------------------

没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)では初めて動画を制作し、第一部第二部をYouTubeで公開しています。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もあわせてお読みください。
今まで研究者やコレクターの皆さんが執筆して下さったエッセイや、亭主が発信した瑛九情報は2020年5月18日のブログ81日間<瑛九情報!>総目次(増補再録)にまとめて紹介しています。

◆ときの忘れものは5月11日ブログで「中村哲医師とペシャワール会支援頒布会」を開催中です。2020年5月ペシャワール会B川上、武井申し込み締め切りは5月15日19時です。


◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。

◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。