中村惠一のエッセイ「美術・北の国から」第10回
藤原 瞬
藤原瞬との交流があったのは私が札幌に住んでいた時期に限定的だったので、思い出すことはあっても、その消息を調べることはなかった。この連載を始めて、藤原のことが少し気になってインターネットで検索して驚いた。石狩市に「天海珈琲アートギャラリー」を設立し、しかも本人は闘病のすえに2017年10月31日に亡くなられていたであった。
1950年芦別生まれであるので、享年67、早すぎる死であったと思う。2018年10月21日~11月4日までの期間、現地で「藤原瞬遺作展」が開催されたそうで、できれば見たかったし、それ以前に藤原のコーヒーを飲み、彼のその後の話を聞きたかったと痛切に感じたのであった。
改めて藤原瞬の略年譜をみると、初めての個展は1969年に札幌維新堂ギャラリーで開催している。19歳での個展の開催はかなり早熟ではないだろうか。70年、東京でハプニング集団ゼロ次元商会に参加する。ゼロ次元商会はゼロ次元の中心的な存在である加藤好弘が活動の場を広げるために東京都内に作った電機会社であり、仕事が終わった後で「儀式」を行ったのだった。藤原がゼロ次元商会に参加した70年は大阪万博の開催年であり、秋山祐徳太子やクロハタ、告陰、ビタミン・アートといった前衛芸術家、前衛芸術集団が参加して「万博破壊共闘派」としても活動している時期なので、藤原はのちに札幌大学の客員教授として札幌で教鞭をとった秋山とどのような接点があったのだろうか。また、これらの行動にはダダカンこと糸井貫二も参加していたと思うので、そのあたりのつきあいがどのようであったのか話してみたかったと思う。かえすがえすも残念である。
77年、田中泯とのコラボレーション、時計台ギャラリーでの個展開催。78年には身体気象研究所・札幌を開設している。この年の4月に私は北大に入学した。藤原に会ったのはおそらく80年のことだったと思う。この年、藤原は北海道立近代美術館で開催された「北海道現代作家展」に参加、また大同ギャラリーで個展を開催している。この大同ギャラリーでの個展ははっきりと記憶している。しかも、展示構想を事前に聞いているので、個展開催の準備段階ではすでに知り合っていたのだろう。かなり広いスペースをもった大同ギャラリーの全体を会場に、柱として使うような角材にひも状の鉛を隙間なく巻いたものを半立体的に積み上げており、安定するようにくみ上げていた。オープニングではその構造の上を藤原は踊るように歩いてみせたのだった。とても美しい情景であったことを覚えている。当時の写真は残されていないのだろうか。少なくとも当時の私はカメラをもってギャラリーを歩いていなかった。大量の柱と大量の鉛は調達も大変であったろうし、鉛をまく作業も大変だっただろう。重量も重く、その搬入も容易ではなかっただろう。そのかわり、空間を一変させる力をもった造形になっていた。この個展会場で話した後で親しくなったのだろう、同じく大同ビルの空中広場のようなスペースで田中泯がダンス公演をするときには、田中にコラボレートするパフォーマンスの一員として私も参加していた。そして公演ポスターに名前が印刷された。今見ると小樽文学館の館長であった木ノ内洋二の名前もあるが、一緒にパフォーマンスしたのだろうか、記憶にはない。

次に藤原瞬に頼まれたのは、アヴァンギャルドなジャズコンサートの手伝いであった。サックス奏者のペーター・ブロッツマン、ドラムのハン・ベニンク、トランペットの近藤等則、ソプラノサックスの高木元輝という4人のコンサートを札幌で開催するから運営側で手伝ってほしいといわれた。主にベニンクやブロッツマンをアテンドする役割だった。今思えばとても面白い経験をさせてもらった、と感謝している。
道立近代美術館での「北海道現代作家展」は、82年、84年、86年、88年と2年ごとに参加しているし、82年には駅裏8号倉庫でパフォーマンス公演を行っている。時計台そばのギャラリーたぴおでも83年から92年まで個展を開催している。84年にアメリカ各地でパフォーマンス、85年には第1回札幌豊平河畔野外展に参加、91年に札幌芸術の森美術館での「北の創造者たち『金属のフィールド・今』展」に、93年には東京スパイラルでの「距離/存在」展に参加している。年譜で見る限り、藤原が美術作家として全力疾走したのは70から90年代前半までの約25年間のようだ。

冒頭に書いたように藤原瞬は石狩市厚田に天海珈琲アートギャラリーをオープンするが、母体である株式会社天円地方館を2010年に設立、カフェ&ギャラリーは2013年3月30日にオープンしたようだ。残念なことに2016年秋に膵臓ガンがみつかり、札幌と東京での1年間の闘病後、2017年10月31日に亡くなられた。

天海珈琲の店内におかれた本(天海珈琲HPより写真を借用)
天海珈琲は石狩の海に面して建てられている。西が海になるので夕陽は美しいことだろう。店には5,000冊の本がおかれ、ギャラリーが併設されている。ここを拠点にアートも文学も北海道の風景も美味しさも発信してゆくつもりだったのだろう。病魔によってその志は断たれてしまった。今は石狩の海に沈む夕陽のなかにその魂は宿っているのではないかと思った。
併設されているギャラリー(天外珈琲HPより写真を借用)
青山スパイラルガーデンでの展示(1993年)
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
●本日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
安藤忠雄 Tadao ANDO
「セビリア万博日本館」
1998年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:49.0×50.0cm
シートサイズ:90.0×60.0cm
A版(和紙):Ed.10
B版(かきた紙):Ed.35
サインあり
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◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
藤原 瞬
藤原瞬との交流があったのは私が札幌に住んでいた時期に限定的だったので、思い出すことはあっても、その消息を調べることはなかった。この連載を始めて、藤原のことが少し気になってインターネットで検索して驚いた。石狩市に「天海珈琲アートギャラリー」を設立し、しかも本人は闘病のすえに2017年10月31日に亡くなられていたであった。
1950年芦別生まれであるので、享年67、早すぎる死であったと思う。2018年10月21日~11月4日までの期間、現地で「藤原瞬遺作展」が開催されたそうで、できれば見たかったし、それ以前に藤原のコーヒーを飲み、彼のその後の話を聞きたかったと痛切に感じたのであった。
改めて藤原瞬の略年譜をみると、初めての個展は1969年に札幌維新堂ギャラリーで開催している。19歳での個展の開催はかなり早熟ではないだろうか。70年、東京でハプニング集団ゼロ次元商会に参加する。ゼロ次元商会はゼロ次元の中心的な存在である加藤好弘が活動の場を広げるために東京都内に作った電機会社であり、仕事が終わった後で「儀式」を行ったのだった。藤原がゼロ次元商会に参加した70年は大阪万博の開催年であり、秋山祐徳太子やクロハタ、告陰、ビタミン・アートといった前衛芸術家、前衛芸術集団が参加して「万博破壊共闘派」としても活動している時期なので、藤原はのちに札幌大学の客員教授として札幌で教鞭をとった秋山とどのような接点があったのだろうか。また、これらの行動にはダダカンこと糸井貫二も参加していたと思うので、そのあたりのつきあいがどのようであったのか話してみたかったと思う。かえすがえすも残念である。
77年、田中泯とのコラボレーション、時計台ギャラリーでの個展開催。78年には身体気象研究所・札幌を開設している。この年の4月に私は北大に入学した。藤原に会ったのはおそらく80年のことだったと思う。この年、藤原は北海道立近代美術館で開催された「北海道現代作家展」に参加、また大同ギャラリーで個展を開催している。この大同ギャラリーでの個展ははっきりと記憶している。しかも、展示構想を事前に聞いているので、個展開催の準備段階ではすでに知り合っていたのだろう。かなり広いスペースをもった大同ギャラリーの全体を会場に、柱として使うような角材にひも状の鉛を隙間なく巻いたものを半立体的に積み上げており、安定するようにくみ上げていた。オープニングではその構造の上を藤原は踊るように歩いてみせたのだった。とても美しい情景であったことを覚えている。当時の写真は残されていないのだろうか。少なくとも当時の私はカメラをもってギャラリーを歩いていなかった。大量の柱と大量の鉛は調達も大変であったろうし、鉛をまく作業も大変だっただろう。重量も重く、その搬入も容易ではなかっただろう。そのかわり、空間を一変させる力をもった造形になっていた。この個展会場で話した後で親しくなったのだろう、同じく大同ビルの空中広場のようなスペースで田中泯がダンス公演をするときには、田中にコラボレートするパフォーマンスの一員として私も参加していた。そして公演ポスターに名前が印刷された。今見ると小樽文学館の館長であった木ノ内洋二の名前もあるが、一緒にパフォーマンスしたのだろうか、記憶にはない。

次に藤原瞬に頼まれたのは、アヴァンギャルドなジャズコンサートの手伝いであった。サックス奏者のペーター・ブロッツマン、ドラムのハン・ベニンク、トランペットの近藤等則、ソプラノサックスの高木元輝という4人のコンサートを札幌で開催するから運営側で手伝ってほしいといわれた。主にベニンクやブロッツマンをアテンドする役割だった。今思えばとても面白い経験をさせてもらった、と感謝している。
道立近代美術館での「北海道現代作家展」は、82年、84年、86年、88年と2年ごとに参加しているし、82年には駅裏8号倉庫でパフォーマンス公演を行っている。時計台そばのギャラリーたぴおでも83年から92年まで個展を開催している。84年にアメリカ各地でパフォーマンス、85年には第1回札幌豊平河畔野外展に参加、91年に札幌芸術の森美術館での「北の創造者たち『金属のフィールド・今』展」に、93年には東京スパイラルでの「距離/存在」展に参加している。年譜で見る限り、藤原が美術作家として全力疾走したのは70から90年代前半までの約25年間のようだ。

冒頭に書いたように藤原瞬は石狩市厚田に天海珈琲アートギャラリーをオープンするが、母体である株式会社天円地方館を2010年に設立、カフェ&ギャラリーは2013年3月30日にオープンしたようだ。残念なことに2016年秋に膵臓ガンがみつかり、札幌と東京での1年間の闘病後、2017年10月31日に亡くなられた。

天海珈琲の店内におかれた本(天海珈琲HPより写真を借用)天海珈琲は石狩の海に面して建てられている。西が海になるので夕陽は美しいことだろう。店には5,000冊の本がおかれ、ギャラリーが併設されている。ここを拠点にアートも文学も北海道の風景も美味しさも発信してゆくつもりだったのだろう。病魔によってその志は断たれてしまった。今は石狩の海に沈む夕陽のなかにその魂は宿っているのではないかと思った。
併設されているギャラリー(天外珈琲HPより写真を借用)
青山スパイラルガーデンでの展示(1993年)(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
●本日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
安藤忠雄 Tadao ANDO「セビリア万博日本館」
1998年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:49.0×50.0cm
シートサイズ:90.0×60.0cm
A版(和紙):Ed.10
B版(かきた紙):Ed.35
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