植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」第4回

手紙 倉俣さんへ 4

 この小文の第23回で、倉俣史朗設計の「山荘T」に触れている。第3回ではとくに西沢大良による論考「倉俣史朗の建築について」の紹介に終始しているが、今回はそれと関連して同じ時期に実現したいくつかの住宅を案内しておきたい。どれも建築家の設計による。ここでの建築家とは、西沢さんが上の論考で、インテリア・デザイナー(と呼ばれることの多い)倉俣さんによる建築を、一般の建築家的思考の建築なるものにたいする批判と重ねてじつに鋭く解きあかしているのだが、では今回、建築家の名と仕事を具体的に挙げて案内する事例は西沢さんの批判対象となるのか、逆にまったく違うのか、それを考えてみたかった。
 考えてみたのだが、それをここに逐一述べていると肝心の倉俣さんから離れてしまいそうなので、倉俣さんの仕事を思いながらの断片的メモを記すにとどめる。


 その1。

202006植田実C原広司 原自邸
北端の玄関から線対称に構成された部屋々々を見下ろす。泡とも雲とも見える半透明のスカイライトが決定的。その全体をさらに、天井の一直線のスカイライトからの強烈な陽光が際立たせ、屋内を極限にまで圧縮した屋外としてしまう。
撮影 植田実

 原広司による原自邸(1974)。豊かな自然林の南傾斜面のコンターラインに直角に据えられた幅7メートル近く、長さほぼ17メートルのシンプルな箱型で、脚元は地形に合わせて「降りて」ゆき、南端部をテラスにしてさらに自然のなかに伸びている。だが屋根は水平一直線の切妻だから北端部は平屋、南端では2階分の高さ、で敷地の高低差を端的に見せている。その北・南端の立面はシンメトリイ、外壁全体が黒一色だから家形のシンプルさはさらに極まり、林の織りなす自然の色と形のなかに半ば消えている。
 それが玄関を入ると、白一色の空間に一転する。シンメトリカルな構成は内部でいっそう劇的に強化される。北―南の中心軸となるホールあるいは通路は地形を反映して段状に昇り降りする床面とそれを補う階段によって連続しているが末広がりになったりすることはない。かわりに北から南に向かって天井が、空間が高くなり大きくなる。通路の左右に部屋が相対して配置されているが、ドアも窓も直接見えない。その結果、各部屋は街路に並びたつ建築群のように対接面の大きさや距離を調整されている。原さんのことばを借りれば「住居に都市を埋蔵」している。機能の説明ではない。だからホールでも通路でもない。都市とは比喩でも暗示でもない。住宅体験のいっさいが剥ぎとられた未知の場がある。その後、何度訪ねてもこの未知は変わらない。
 手法としては「線対称プラン」と、原さんは呼んでいる。さらに異なる立地、家族、生活の条件下で線対称プランの住宅を数件実現し、計画案はそれ以上を数える。

 その2。

202006植田実A六角鬼丈 自邸「クレバス」
1階から2階へと階段の踏板幅が末広がりになる「クレバス」を、正面から写真に撮っても、硬質で官能的な空間特性を実感しにくい。画面右端の玄関の円柱から左手、2階居室へと鋭角に広がる垂れ壁での説明を試みた。
撮影 植田実

 六角鬼丈による六角自邸「クレバス」(1967)。都内西郊の住宅地内。生まれ育った実家に新しい家族の住まいを増築。
 玄関を入り小さな土間に立った眼の前を、迎えるように阻むように立ちはだかる丸太の柱を基点として、その先に鋭角の視野が抜けている。そこに末広がりの階段が深い垂れ壁の効果で、六角さんが名付けた「クレバス」(氷河の深い割れ目)状の吹き抜けとなっている。末広がりの階段は「山荘T」とは逆に昇る・・ほどに踏板の幅が微妙にひろがるが、玄関の柱―階段の中心軸はやはりシンメトリイの強度を発揮して2階の居室を扇状に大きく、そして南側の庭を見下ろすように開かれる。1階の台所や食事室もややシンメトリイ崩しだが同じ軸線上にある。北の玄関まわり1階と南の居室2階とが階段で貫かれ連結された、増築棟なのだ。
 山本理顕は「クレバス」出現17年後に書いている。「極小の住宅ではあるけれど、この家はそれまで、住宅をがんじがらめにしてきた原理をきれいさっぱり払拭したところでできあがっていた。つまり動線がどうしたとか、各部屋の関係とか、使い勝手とか、あるいは都市との関係とか、家族と住宅との関係だとか、なんだっていい。それまで住宅という建築を成り立たせてきた客観的と言われるどんな装いもこの家はまとってはいなかった。」(『日本の建築家3 六角鬼丈』(1985 丸善)

 その3。
 その山本理顕が設計した石井邸「STUDIO STEPS」(1978)。川崎市の住宅地のなか、低いブロック塀はあるものの北向きの大きな開口部が道路にいきなり面している。開口約8メートル、奥行き約10メートル、浅い切妻屋根の、住宅らしからぬ箱型のヴォリューム。彫刻家と絵描きの夫妻の仕事場と住まい。北側1階と、南寄り2階とに、間口いっぱいの長さのアトリエがあり、その上下の場所をやはり間口いっぱいの階段がつないでいる。
 「山荘T」は、階段の壁のうしろに生活の部屋が隠されていたが、ここでは階段と2階アトリエのいわば床下に、台所・家族室・寝室を隠している。たんに1、2階に分けられた仕事のゾーンと家族のゾーンではない。階段の裏にひそむ部屋々々は天井高を抑え、インティメートな場とする一方、表側は思いきり背の高いスケール、による以上に、上下ふたつのフロアの中間に段状に折られたフロア、それもすべて同じ幅のフロアという単純直截な手続きこそが住宅をこえた場をつくり出している。
 表と裏とをつなぐのはもはや吹抜などではなく、夫妻それぞれの書斎を垂直に積み重ねたタワーが、大階段に楔のように打ち込まれている。これが一挙に空間密度を上げている。プライヴェートな建築だからこそ展示や演劇の場としても楽しく、人々が集まる客間にもなる。「住居とは、もともとそうしたもの」と設計者は言っている。

 その4。

202006植田実D毛綱毅曠 「鏡の間」
正面奥にほぼ全体が見えているのが鏡像の階段。2階の踊り場から撮っている。左右を階段にはさまれたこの踊り場の奥に書斎や寝室が隠されている。大階段のどこに腰掛けても自身の全身が鏡に映される。外化された居場所。
撮影 植田実

 毛綱毅曠による「鏡の間」(1980)。建物の端、間口いっぱいの長さの玄関土間からすぐ、大階段が2階へ、さらに2階の天井を突き抜けて階段形のペントハウスとなり続いている。台所も食事室も和室も、また2階には書斎も寝室もあるが、すべて階段の裏に隠されている。訪ねてきた客は大階段の好きなところにどうぞ、と言われるのだろうか。いや、どこに腰かけても落ち着かない。玄関は2階分の天井高で、その壁は全面鏡仕上げになっているからだ。実像と鏡像とが向かい合う階段の家。都内に住む人がやや離れた敷地に別荘を建てたいと依頼されての設計だから遊びが加わったというか毛綱さんの本領発揮というか。
 間口いっぱいの大階段は、一見、山本さんの「STUDIO STEPS」に似ているようでまったく違う。山本さんの住宅はどれも、具体的な設計手法は分からないが、そこに人の身体性や家族の集まりが確実に見える。スケール感などではなく存在そのものが見える。見慣れた安心できる場などではなく、未知との遭遇のようなおどろきの空間である。
 対して毛綱さんの建築は、おどろきの点ではまったく引けをとらないどころか人によっては不穏な建築以外の何物でもないだろう。だがその設計論理はきわめて整然と明快。毛綱さんのことばを借りれば「神聖空間縁起」、平たく言えば神社仏閣を立てるうえでの約束事に添って現代建築をアレンジする。だから彼の手がけた尼寺や記念館的建築には宇宙模型的に圧縮された空間が壮大に、懐かしく見えてくる。そこでは膨張が止まない建築と生身の人間との折り合いをどうつけるか。興味のある課題が出てくる。日常生活を主体とする住宅では、自律的に自らを語る建築と生活のための余白を求める人間とのズレがじつに微妙になっていて、そこが毛綱さんの住宅の魅力の在り処である。

 六角さんの「クレバス」完成の年は、東孝光の、「東京都心に住む」ために極小敷地に建てた自邸「塔の家」もできたばかりだった。まるで階段室だけみたいだけれどそれを住宅と呼んでいいんですかと、ある年上の建築家に問いつめられて返事に窮することがあった。そのとき戦後初期からの最小限住宅とは異なる住宅が現れたのを実感した。

202006植田実B鯨井勇 自邸「プーライエ」
造成住宅地の角の立地。これも既存の外階段の昇り口に板壁とドアを立てて玄関とし、当の外階段を玄関ホールあるいは前室に転換。画面上端に製図板の見られるところがアトリエ。はしごで上階と結ばれている。
撮影 植田実

 原さんの自邸が出現する前年には鯨井勇が大学卒業を控えて自力建設した自邸「プーライエ」があった。東京郊外の雛壇状住宅地に予めセットで造成されていた外部階段の真上を、可憐な木造小屋で蓋するように覆い、階段両側の大谷石積みに棚を吊り、踏面・蹴込を黒一色に塗って、段状フロアの玄関ホールと前室にしてしまう。そして本来家が建つべき地面は、自給自足の糧のための畑にした。その小さな農地に立つと、雛壇の地に並び建つ、色とりどりでどこまでも均一的な住宅群が見渡せた。

 1960年代後半から80年代はこういう時代だった、と言いたくはない。こんな若い建築家たちが出現した、と言うつもりはない。とりわけ、ここに挙げた住宅は階段あるいは段状のフロアをテーマとしているとはぜったいに言わない。
 「山荘T」はたしかに階段を中心としたシンメトリカルな構成が印象的だが、それを目的として倉俣さんは設計したのではなく、建築の構造性を根底から変えるための手がかりだったと、西沢さんの倉俣論はそのように読める。その論考を建築家的思考への批判と重ねている。だから強いことばの連打が続く。そのなかに一瞬、忘れ難い単語が過ぎる。倉俣さんによる別の住宅計画では「2階の大部屋と1階の寝室が一体のワンルームとなって」いて、建築界でいわれるワンルームとは異なることがよく分かるだろうと西沢さんは指摘し、さらに具体的には(第3回ですでに引用していた一節を繰り返すが)、全体ではなく、ただ「複数の居場所を一体の空間とし、」そこを「過度に仕切らないようにするという簡易なもの」と説明している。この「簡易な」という何気ないことばが、ふいに、倉俣さんを髣髴させるのだ。その感触は西沢さんの文脈・文体のなかでこそ、まぎれもなく倉俣さんのデザインに近づいている。
 建築の構造性を徹底更新するには、山本さんが「クレバス」について言っているように、プランニング、機能、都市や家族との方程式だけでは答えが出ない。遠く隔離された別のところ、住宅とは無関係のところに、枯れることのない空間の種子がしまわれている。ぜったい秘密の発想の闇に包まれていることを強く思わせる住宅事例をたどった結果、ある共通性が見えてもいるが、まとめて名づけるのは至難だ。住宅史、建築史の専門の方々が、とくに意を尽されているところだろう。これからやってくる人たちに手渡すものなのだから。

 追伸
 ここで取り上げた住宅は、完成当時に訪ねたものから選びました。その報告はすでに各メディアに長短さまざまなかたちで発表しており、そのすべては拙著『都市住宅クロニクル』1、2巻(2007年 みすず書房)に収録されてもいます。
(2020.6.26 うえだ まこと

●植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」は毎月29日の更新です。

橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」も併せてお読みください。

●「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier
68 ミスブランチ 1988_中
倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 1』より 《68 ミス ブランチ(1988)》 MISS BLANCHE(1988) シルクスクリーン 15版13色


74 花瓶 ガラスで葉の形の花瓶をつくり花のみを飾る 1990_中
倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 2』より 《74 花瓶(1990)、花瓶》 Flower Vase(1990), Flower Vase シルクスクリーン 12版9色

倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier
各集(1~6集) シルクスクリーン10点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
   植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 1・2集 2020年
   3~6集 2021年~2024年予定
技法 シルクスクリーン
用紙 ベランアルシュ紙
サイズ 37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
限定 35部(1/35~35/35)、
    《68 MISS BLANCHE》のみ75部
    (1集に35部、 3~6集に各10部ずつ挿入予定)
発行 ときの忘れもの
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●本日のお勧め作品は野口琢郎です。
noguchi_24_LS-32野口琢郎 Takuro NOGUCHI
"Landscape#32"
2014年
箔画(木パネル、漆、金・銀・プラチナ箔、石炭、樹脂、透明アクリル絵具)
227.3×145.5cm
サインあり
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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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