野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」 最終回
「音楽」
未だコロナウィルスが収束しない間に九州などでの豪雨災害、ニュースを観ていると本当に辛くなります。
今年の本格的な集中豪雨や台風のシーズンはまだまだこれから、どうか大きな被害の出る地域が少ない事を願います。
今回は子供の頃から今まで聴いてきた音楽について少し書こうと思います。
父親や、合唱団でバッハを歌っていた母の影響もあり、中学生の頃からクラシック音楽をよく聴くようになりました。
さらに中学3年でクラシック音楽博士のような友人ができ、彼から手書きのおすすめ曲リストをもらって、父にCDを買ってもらい少しずつコレクションが増えました。
京都会館へ京都市交響楽団のコンサートを何度か聴きに行ったり、時々クラシック音楽好きの3人で誰かの家に集まり、同じ曲で指揮者と楽団の違うCDをそれぞれ持ち寄り、この演奏が良いだの何だの聴き比べをしていました。
特に記憶に残っているのが、チャイコフスキーの序曲「1812年」を聴き比べしていた時、この曲は終盤に本物の大砲の音が入るのですが、大音量で聴いていたので友人の家の窓がバタバタバタバタと振動で揺れて大笑いしていたのを覚えています。
なんと指揮棒まで買って、曲を聞きながら好きな指揮者になりきっていました。
僕はレナード・バーンスタインが好きで、特にマーラーの交響曲第2番「復活」の指揮をテレビで観て感動し、父にレーザーディスクを買ってもらって何度も繰り返し観ていました。
この曲の終楽章に合唱が入るのですが、観るたびに鳥肌が立つ素晴らしい指揮と演奏です。
そして1990年に京都会館にレナード・バーンスタインがロンドン交響楽団を連れてくるというので必死でチケットをとったのですが、
来日後、京都会館のコンサートの前にバーンスタインは体調を崩し帰国、そのまま10月に亡くなってしまい、本当に落胆しました。
高校生になり、友人にバンドに誘われたのをきっかけにドラムを始め、聴く音楽も急に洋楽ロックへと変わりました。
高校1年から社会人1年目頃まで約8年、主にレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどの洋楽のコピーバンドなどをやって、高校や大学の学園祭でライブをしたり、なんだかんだと楽しい日々でした。
大学に入って、友人にカラオケに誘われた時に歌える日本の曲が何も無く、それがきっかけで邦楽を聴くようになりました。
また、ジャズも少しかじり、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクなども聴いていました。
そして今は邦楽を中心に、気分で洋楽もクラシックも何でも聴くのですが、作品制作の時は、制作工程によって聴く音楽を変えています。
構想の時は色々頭の中で考えながらスケッチブックに色鉛筆で描く為、日本語の歌詞は邪魔になる事があるので洋楽やインストロメンタルの曲などを聴く事が多く、
箔押しの時は、Landscapeシリーズのようなコツコツと時間のかかる箔押しでは、長時間の作業で気が滅入らないように、気分のアガる邦楽など好きな曲を聞きますが、
空海系の作品の箔押し作業は短時間の即興に近い為、かなりの集中力が必要なので、気が散らないようにインストロメンタルの曲だけを聴いています。
そんな事で、考えてみると学生の頃から常に音楽と共に生活してきたように思います。辛い時に音楽に救われた事も多々ありました。
作家になってからは、音源として国を超えてあっという間に広がって心に響き、人を癒やす事までできる音楽が羨ましくなった事もありましたが、
作家活動をしていく中で、美術作品には一瞬、ひと目で人の心を揺り動かし、癒やす力があると思うようになりました。
また、色々な場所で作品を観てもらえる日を楽しみにがんばっていきたいと思います。
最後に、この「京都西陣から」のエッセイは毎月15日の連載で今回で72回になるのですが、今回をもちまして毎月の連載は終了させて頂く事になりました。
2014年8月から毎月原稿を書くという新たな習慣ができた事で、自らを振り返ったり、作品制作や展示、日々の生活を通して感じた事を言葉にできました。
そんな貴重な機会を頂けた事、綿貫さんに感謝致します。
とはいえ、他の執筆者の皆様のエッセイと比べると、自分のエッセイはどうも文章が幼稚だったり、ただの日記のようであったりと、これで良いのかなと思う時も多々ありましたが、
丸6年も毎月何か書いていたのだと思うと、感慨深いです。
今後はときの忘れものさんでの個展開催時など、何かイベントのある時にまた書かせて頂く事になりますので、どうぞよろしくお願い致します。
世界は未だ混沌としていますが、自分にしか作れない唯一無二の作品を生み出す為、また家族の為にもがんばって作家活動を続けていきたいと思います。
毎回このエッセイを読んで頂いていた皆様、本当にありがとうございました。
(のぐち たくろう)
■野口琢郎 Takuro NOGUCHI(1975-)
1975年京都府生まれ。1997年京都造形芸術大学洋画科卒業。2000年長崎市にて写真家・東松照明の助手に就く。2001年京都西陣の生家に戻り、家業である箔屋野口の五代目を継ぐため修行に入る。その後も精力的に創作活動を続け、2004年の初個展以来毎年個展を開催している。
ホームページhttp://noguchi-takuro.com/
*画廊亭主敬白
まるまる6年の長きにわたり作家として箔画制作方法や、海外アートフェア挑戦記などを連載してくれた野口さんにはスタッフ一同、心より御礼申し上げます。
今後も作家の方の声をどう皆さんに伝えていくか、試行錯誤しながら、このブログを運営していきたいと思っています。
野口さん、ご苦労さまでした。
●今日のお勧め作品は、野口琢郎です。
野口琢郎 Takuro NOGUCHI
《Landscape #39》
2016年
箔画(木パネル、漆、金・銀・プラチナ箔、石炭、樹脂、アクリル絵具)
91.0×65.2cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「音楽」
未だコロナウィルスが収束しない間に九州などでの豪雨災害、ニュースを観ていると本当に辛くなります。
今年の本格的な集中豪雨や台風のシーズンはまだまだこれから、どうか大きな被害の出る地域が少ない事を願います。
今回は子供の頃から今まで聴いてきた音楽について少し書こうと思います。
父親や、合唱団でバッハを歌っていた母の影響もあり、中学生の頃からクラシック音楽をよく聴くようになりました。
さらに中学3年でクラシック音楽博士のような友人ができ、彼から手書きのおすすめ曲リストをもらって、父にCDを買ってもらい少しずつコレクションが増えました。
京都会館へ京都市交響楽団のコンサートを何度か聴きに行ったり、時々クラシック音楽好きの3人で誰かの家に集まり、同じ曲で指揮者と楽団の違うCDをそれぞれ持ち寄り、この演奏が良いだの何だの聴き比べをしていました。
特に記憶に残っているのが、チャイコフスキーの序曲「1812年」を聴き比べしていた時、この曲は終盤に本物の大砲の音が入るのですが、大音量で聴いていたので友人の家の窓がバタバタバタバタと振動で揺れて大笑いしていたのを覚えています。
なんと指揮棒まで買って、曲を聞きながら好きな指揮者になりきっていました。
僕はレナード・バーンスタインが好きで、特にマーラーの交響曲第2番「復活」の指揮をテレビで観て感動し、父にレーザーディスクを買ってもらって何度も繰り返し観ていました。
この曲の終楽章に合唱が入るのですが、観るたびに鳥肌が立つ素晴らしい指揮と演奏です。
そして1990年に京都会館にレナード・バーンスタインがロンドン交響楽団を連れてくるというので必死でチケットをとったのですが、
来日後、京都会館のコンサートの前にバーンスタインは体調を崩し帰国、そのまま10月に亡くなってしまい、本当に落胆しました。
高校生になり、友人にバンドに誘われたのをきっかけにドラムを始め、聴く音楽も急に洋楽ロックへと変わりました。
高校1年から社会人1年目頃まで約8年、主にレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどの洋楽のコピーバンドなどをやって、高校や大学の学園祭でライブをしたり、なんだかんだと楽しい日々でした。
大学に入って、友人にカラオケに誘われた時に歌える日本の曲が何も無く、それがきっかけで邦楽を聴くようになりました。
また、ジャズも少しかじり、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクなども聴いていました。
そして今は邦楽を中心に、気分で洋楽もクラシックも何でも聴くのですが、作品制作の時は、制作工程によって聴く音楽を変えています。
構想の時は色々頭の中で考えながらスケッチブックに色鉛筆で描く為、日本語の歌詞は邪魔になる事があるので洋楽やインストロメンタルの曲などを聴く事が多く、
箔押しの時は、Landscapeシリーズのようなコツコツと時間のかかる箔押しでは、長時間の作業で気が滅入らないように、気分のアガる邦楽など好きな曲を聞きますが、
空海系の作品の箔押し作業は短時間の即興に近い為、かなりの集中力が必要なので、気が散らないようにインストロメンタルの曲だけを聴いています。
そんな事で、考えてみると学生の頃から常に音楽と共に生活してきたように思います。辛い時に音楽に救われた事も多々ありました。
作家になってからは、音源として国を超えてあっという間に広がって心に響き、人を癒やす事までできる音楽が羨ましくなった事もありましたが、
作家活動をしていく中で、美術作品には一瞬、ひと目で人の心を揺り動かし、癒やす力があると思うようになりました。
また、色々な場所で作品を観てもらえる日を楽しみにがんばっていきたいと思います。
最後に、この「京都西陣から」のエッセイは毎月15日の連載で今回で72回になるのですが、今回をもちまして毎月の連載は終了させて頂く事になりました。
2014年8月から毎月原稿を書くという新たな習慣ができた事で、自らを振り返ったり、作品制作や展示、日々の生活を通して感じた事を言葉にできました。
そんな貴重な機会を頂けた事、綿貫さんに感謝致します。
とはいえ、他の執筆者の皆様のエッセイと比べると、自分のエッセイはどうも文章が幼稚だったり、ただの日記のようであったりと、これで良いのかなと思う時も多々ありましたが、
丸6年も毎月何か書いていたのだと思うと、感慨深いです。
今後はときの忘れものさんでの個展開催時など、何かイベントのある時にまた書かせて頂く事になりますので、どうぞよろしくお願い致します。
世界は未だ混沌としていますが、自分にしか作れない唯一無二の作品を生み出す為、また家族の為にもがんばって作家活動を続けていきたいと思います。
毎回このエッセイを読んで頂いていた皆様、本当にありがとうございました。
(のぐち たくろう)
■野口琢郎 Takuro NOGUCHI(1975-)
1975年京都府生まれ。1997年京都造形芸術大学洋画科卒業。2000年長崎市にて写真家・東松照明の助手に就く。2001年京都西陣の生家に戻り、家業である箔屋野口の五代目を継ぐため修行に入る。その後も精力的に創作活動を続け、2004年の初個展以来毎年個展を開催している。
ホームページhttp://noguchi-takuro.com/
*画廊亭主敬白
まるまる6年の長きにわたり作家として箔画制作方法や、海外アートフェア挑戦記などを連載してくれた野口さんにはスタッフ一同、心より御礼申し上げます。
今後も作家の方の声をどう皆さんに伝えていくか、試行錯誤しながら、このブログを運営していきたいと思っています。
野口さん、ご苦労さまでした。
●今日のお勧め作品は、野口琢郎です。
野口琢郎 Takuro NOGUCHI《Landscape #39》
2016年
箔画(木パネル、漆、金・銀・プラチナ箔、石炭、樹脂、アクリル絵具)
91.0×65.2cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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