柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第20回

クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードの思い出・・・「包まれたポン=ヌフ」

 単なるファンから、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフ・協力者と「昇格」したのは1980年代半ば、二人が『アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のジョイント・プロジェクト』を開始してから暫く経った頃でした。ただ二人と仕事をする機会、二人のために仕事をする機会はそれ以前にもありました。

 クリスト、ジャンヌ=クロードとの最初の「仕事」は、やはり本に係わることでした。1984年に東京の佐谷画廊で開かれた『包まれたポン=ヌフ展』のカタログのための、インタビューでした。その頃は、すでにニューヨークで大学院に通っていて、この展覧会には最初の打合せの段階から立ち会っていました。ニューヨークにいらっしゃった佐谷さんとクリスト、ジャンヌ=クロードとの打ち合わせは、ソーホーのクリスト達の本拠地の4階のリビングスペースで行われました。『包まれた缶と瓶』や『ランニング・フェンス』のコラージュなどが飾られたこのスペースは、すでに通いなれた場所になっていました。
 もちろん、最初に訪れた日のことも良く覚えています。1981年の8月、初めてニューヨークを訪れた時のことでした。多分、前もって手紙を送り、返事も貰っていたと思います。ニューヨークに着いてすぐに電話を入れると、ジャンヌ=クロードから✕✕日の✕✕時にと告げられました。当日は・・・ほとんど英語も話せない私でしたので、いったい何を話したのか・・・今、思い出せるのは、三宅一生さんのこと(これは、その日に私がイッセイさんのシャツを着ていたからでした)、版画やエディションのこと、くらいです。



 佐谷画廊の展覧会カタログ話をに戻します。インタビューのためにかなりの時間を費やして質問事項を用意し、念のためにテープレコーダーも2台用意しました。当時の私にとっては一世一代の大仕事、かなり緊張していたと思います。しかし、プロジェクトを実現するために人々と話し説得することも必要不可欠なクリストにとって、話すことは創作活動の一部、訊きたかったことを遥かに超える内容のインタビューがとれました。
 当時はまだ、パソコンはおろか、ワープロも持っておらず、英文のテープ起こしは友人に手伝ってもらいタイプライターで、翻訳文は手書きしたものを実家の母に清書してもらい仕上げました。

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 展覧会は、1984年4月2日に東京でオープン。カタログもその日に世に出ました。展覧会で展示された作品の図版だけでなく、パリ最古のこの橋に係わる様々な図版や写真、プロジェクトの交渉活動のドキュメント写真なども掲載されたのは、クリストの希望に画廊が応じてくれたからでした。このカタログは、クリストとジャンヌ=クロードによってフランスにも多冊がわたり、プロジェクトにかかわる人に配られたということです。「とても良いインタビューだと皆が言っていたよ」というジャンヌ=クロードの言葉は、お世辞とわかっていても嬉しいものでした。

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 東京での展覧会から数か月後、クリストとジャンヌ=クロードは、シラク市長からポン=ヌフを包む許可を獲得しました。そして85年9月、『包まれたポンヌフ、パリ、1975-1985』が完成しました。

 カタログのための仕事は、クリストとジャンヌ=クロードとの仕事ではありましたが、画廊から依頼されたものでした。クリストとジャンヌ=クロードから初めて“手伝い”を依頼されたのは、この『包まれたポン=ヌフ』地でのことでした。これもまた、本(実際には新聞ですが)に係わるものでした。プロジェクトが完成した数日後、リベラシオンという新聞が、中央の見開きのページに『包まれたポン=ヌフ』のドローイングの複製を掲載しました。紙面には、「✕日、✕✕時から、✕✕で、クリストがこのページにサインをします」と書かれていました。

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 もちろん、当日は私もその場に向かいましたが、このサイン会は余りオーガナイズされていませんでした。立ち入り禁止のフェンスの外側に新聞を手にした人々が、列をつくるでもなく群がり、フェンスの内側、少し離れたとことに置かれた椅子とテーブルでクリストがサインをしているといった状況でした。何人かのスタッフが、フェンスとテーブルを行き来していました。
友人と共に新聞を手にフェンスのところに立ち、順番待の状態をしていると、そこにジャンヌ=クロードがやってきて、「フランス語は話せるか?」と訊いてきました。「ノン」と答えると、「でも運ぶことはできるわよね」のような事を言い、フェンスをずらして、中に招き入れてくれました・・・はい、それからの数時間、フェンスとテーブルの間の往復を繰り返しました。これが、私にとって、クリストとジャンヌ=クロードから直接頼まれた、最初の仕事となったわけです。
やなぎ まさひこ

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

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