昨年秋、京都国立博物館で特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が開催されたことを覚えている方も多いでしょう。
100年前の1919年(大正8)に分割・切断されてしまった絵巻の37点中、31点が再会、展示されるということで大きな話題になりました。展覧会の詳細は読売新聞の高野清見さんのレポートをお読みください。
旧大名の多くは幕末から明治の時代の激変に耐え切れず困窮します。秋田藩のお殿様だった佐竹侯爵家も代々伝わってきた美術品を手放すことになり、その売立が1917年(大正6)に行なわれました。目玉の三十六歌仙絵巻は東京と関西の古美術業者9店(札元全員)が合同で35万3千円で落札します。それを購入したのが「船成金」「虎大尽」の異名を取った実業家・山本唯三郎でした。
しかし、山本自身が第一次世界大戦後の不況の波をもろに被り、あっという間に財産を失い、せっかく入手した三十六歌仙絵巻を手放さざるを得なくなります。あまりに高額なため、買い切れる人がなく、古美術商から相談を受けた茶人・実業家の益田孝(鈍翁)が絵巻を歌仙一人ごとに分割・切断することを決断、当時の財界人たちに籤引きで譲渡したというのがことの顛末です。
価格は3千円から最高4万円まで、抽選会は1919年(大正8年)12月20日、東京の御殿山(現・北品川)にあった益田の自邸で行われました。37分割された歌仙像は、その後も経済の変動、第二次世界大戦後の社会の混乱等により、次々と所有者が変わります。今では東博、五島美術館、メナード美術館など公・私立の博物館・美術館の所蔵となっている作品も多いのですが、個人蔵のものもあり、今後の行く末が気になります。
複数の作品を収めた版画集や写真集がバラされて一点づつ分売される例は少なくありません。
しかし、ひと続きだった絵巻を切断するというのは相当勇気のいることで、益田鈍翁の決断を蛮行とみるか、それがあったればこそ幾多の災害や戦禍を潜り抜けて100年後も守られたと考えるべきか・・・・画商のはしくれとしては考え込んでしまいます。
過日、それと同じようなことを経験しました。
2015年9月から2016年8月にかけて全国5会場(平塚市美術館、碧南市藤井達吉現代美術館、姫路市立美術館、足利市立美術館、北海道立函館美術館)で、「画家の詩、詩人の絵」という展覧会が開催され、瀧口修造の水彩画が出品されました。



同展図録には3点が掲載されていますが、いずれも1961年の瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」に収められた作品です。
展覧会終了後の2019年、この3点を含む全44点が某古書店で売りに出されました。瀧口ファンにとっては大ニュースですね。
古書店の目録には、
<瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」
1961年に作られた水彩・インクによる44点の肉筆画集。24.3×17.5センチ。見返しに瀧口自筆の短詩「あの日のために」 巻末に「FINiS」と記される。2015年9月から平塚市美術館他で巡回された「画家の詩、詩人の絵」展の出品作。>
とあります。
お恥ずかしいことに亭主は同展を見ていない(反省!)。
情けないことに古書店情報にも疎く、人から教えていただいたときにはあらかた売れてしまっており、辛うじて以下の3点を購入させていただきました。

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より4番

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より7番
「画家の詩、詩人の絵」展図録186頁所収
SOLD

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より15番
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
さて、もとは一冊の水彩画集(バインダー)だったものがいつバラされてしまったのでしょうか。
上記「画家の詩、詩人の絵」展の5会場で展示されたのは、図録掲載の3点のみだったのか、全44点なのか、図録に記載がないのでわかりません。
亭主が展覧会を見ていないものだからお客に勧めるのもいまいち迫力を欠く。
恥を忍んで、足利の担当学芸員E先生に教えを請いました。
ありがたいことに、直ぐにお返事をいただきました。
<ご質問の件、
1) 44点全て出品されました。ただし退色する恐れがあるため全て展示するのは不可であり、巡回館の担当者の任意で展示しています。図録に載っている3点は主なものです。
2)(上掲7番は) 44点中の1点です。
3)組作品としてノート状にに重ねて展示しました。もともとバラバラに分けられていました。
記録の画像を添付します。
以上、お伝えいたします。>
E先生には深く感謝する次第です。
1961年の瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」全44点は全国5美術館で展示され、制作から58年後の昨2019年に分売され散り散りになりました。
果たして将来、全44点が再び一堂に会することがあるでしょうか。
*毎月29日は植田実先生のエッセイ掲載日ですが、今月も休載です。ピンチヒッターとして亭主の駄文で穴埋めしました。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
100年前の1919年(大正8)に分割・切断されてしまった絵巻の37点中、31点が再会、展示されるということで大きな話題になりました。展覧会の詳細は読売新聞の高野清見さんのレポートをお読みください。
旧大名の多くは幕末から明治の時代の激変に耐え切れず困窮します。秋田藩のお殿様だった佐竹侯爵家も代々伝わってきた美術品を手放すことになり、その売立が1917年(大正6)に行なわれました。目玉の三十六歌仙絵巻は東京と関西の古美術業者9店(札元全員)が合同で35万3千円で落札します。それを購入したのが「船成金」「虎大尽」の異名を取った実業家・山本唯三郎でした。
しかし、山本自身が第一次世界大戦後の不況の波をもろに被り、あっという間に財産を失い、せっかく入手した三十六歌仙絵巻を手放さざるを得なくなります。あまりに高額なため、買い切れる人がなく、古美術商から相談を受けた茶人・実業家の益田孝(鈍翁)が絵巻を歌仙一人ごとに分割・切断することを決断、当時の財界人たちに籤引きで譲渡したというのがことの顛末です。
価格は3千円から最高4万円まで、抽選会は1919年(大正8年)12月20日、東京の御殿山(現・北品川)にあった益田の自邸で行われました。37分割された歌仙像は、その後も経済の変動、第二次世界大戦後の社会の混乱等により、次々と所有者が変わります。今では東博、五島美術館、メナード美術館など公・私立の博物館・美術館の所蔵となっている作品も多いのですが、個人蔵のものもあり、今後の行く末が気になります。
複数の作品を収めた版画集や写真集がバラされて一点づつ分売される例は少なくありません。
しかし、ひと続きだった絵巻を切断するというのは相当勇気のいることで、益田鈍翁の決断を蛮行とみるか、それがあったればこそ幾多の災害や戦禍を潜り抜けて100年後も守られたと考えるべきか・・・・画商のはしくれとしては考え込んでしまいます。
過日、それと同じようなことを経験しました。
2015年9月から2016年8月にかけて全国5会場(平塚市美術館、碧南市藤井達吉現代美術館、姫路市立美術館、足利市立美術館、北海道立函館美術館)で、「画家の詩、詩人の絵」という展覧会が開催され、瀧口修造の水彩画が出品されました。



同展図録には3点が掲載されていますが、いずれも1961年の瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」に収められた作品です。
展覧会終了後の2019年、この3点を含む全44点が某古書店で売りに出されました。瀧口ファンにとっては大ニュースですね。
古書店の目録には、
<瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」
1961年に作られた水彩・インクによる44点の肉筆画集。24.3×17.5センチ。見返しに瀧口自筆の短詩「あの日のために」 巻末に「FINiS」と記される。2015年9月から平塚市美術館他で巡回された「画家の詩、詩人の絵」展の出品作。>
とあります。
お恥ずかしいことに亭主は同展を見ていない(反省!)。
情けないことに古書店情報にも疎く、人から教えていただいたときにはあらかた売れてしまっており、辛うじて以下の3点を購入させていただきました。

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より4番

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より7番
「画家の詩、詩人の絵」展図録186頁所収
SOLD

瀧口修造
水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」より15番
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
さて、もとは一冊の水彩画集(バインダー)だったものがいつバラされてしまったのでしょうか。
上記「画家の詩、詩人の絵」展の5会場で展示されたのは、図録掲載の3点のみだったのか、全44点なのか、図録に記載がないのでわかりません。
亭主が展覧会を見ていないものだからお客に勧めるのもいまいち迫力を欠く。
恥を忍んで、足利の担当学芸員E先生に教えを請いました。
ありがたいことに、直ぐにお返事をいただきました。
<ご質問の件、
1) 44点全て出品されました。ただし退色する恐れがあるため全て展示するのは不可であり、巡回館の担当者の任意で展示しています。図録に載っている3点は主なものです。
2)(上掲7番は) 44点中の1点です。
3)組作品としてノート状にに重ねて展示しました。もともとバラバラに分けられていました。
記録の画像を添付します。
以上、お伝えいたします。>
E先生には深く感謝する次第です。
1961年の瀧口修造水彩画集「あの日のために この日のために そして今夜」全44点は全国5美術館で展示され、制作から58年後の昨2019年に分売され散り散りになりました。
果たして将来、全44点が再び一堂に会することがあるでしょうか。
*毎月29日は植田実先生のエッセイ掲載日ですが、今月も休載です。ピンチヒッターとして亭主の駄文で穴埋めしました。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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