画商のもとに日々流れ込んでくる作品、特に平面作品(油彩、ドローイング、版画、写真など)は額縁に入っていることが多い。
<額も絵のうち>というが、劉生縁(りゅうせいぶち)を持ち出すまでもなく額縁がときには真贋の決め手となることもある。単なる作品の安全と装飾だけではない役割を負っています。
額も重要ですが、それ以上に重要なのが額の裏にはられたシールです。
先日もマン・レイの名作「ガラスの涙」をご紹介しましたが、額の裏にはってあるツァイト・フォト・サロン(石原悦郎さんが主宰した写真ギャラリー)のシールがこの作品の真贋を含めた重要な情報となっています。
ところで、瀧口修造研究者の土渕信彦さんが2013年8月5日のブログ「瀧口修造の箱舟 第12回」で1986年12月9日から翌年3月2日まで、パリのポンピドゥー・センターで開催された「前衛芸術の日本 1910-1970 Japon des Avant-gardes 1910-1970」展について書かれています。美術、写真、映像、建築、工芸、デザイン、ファッションなど1910年から1970年までの歴史的展開を、700点以上の作品、資料によって提示した画期的な展覧会でした。

ポンピドゥー・センター「前衛芸術の日本 1910-1970 JAPON DES AVANT-GARDES 1910-1970」展(撮影:土渕信彦)

同展図録表紙、瀧口修造の作品も出品されました。

同展図録326ページに掲載された瀧口修造作品(水彩)は海藤日出男(1912~1991年)さん所蔵のものでした。海藤さんは当時ご健在で、読売アンデパンダン展(読売新聞社主催)を主導した伝説の辣腕記者でした。
詳しくは土渕さんのブログ記事を読んでいただきたいのですが、もう7年前になる記事を亭主も忘れていました。
ところが縁というのは不思議なもので、某月某日その作品が私たちのもとに飛来したのでした。亭主の喜びようをご想像ください。


瀧口修造《作品》
1962年 水彩 イメージサイズ:27.0×17.5cm 三か所にサインあり
額装サイズ:40.0×30.5×1.5cm

作品表面、左下にサインと年記

作品裏面にもサインと年記

台紙に海藤日出男様宛の為書き(献辞)署名と年記
合計三か所にサインがされている稀少作品です。
もっと凄いのは額の裏に貼られた三枚ものシールです。



パリ・ポンピドゥーセンター「前衛芸術の日本 1910-1970」展出品シール
まあパスポートみたいなもので、これらサインとシールによって、この作品の旅の工程が少しわかります。
1962年 瀧口家から海藤家へ
1986年 東京・海藤家からパリ・ポンピドゥーセンターへ
1987年 パリ・ポンピドゥーセンターから東京・海藤家へ
1991年 海藤日出男さん死去
・・・・・・(経路不明)
2020年 某機関から東京駒込のときの忘れものへ
東京~パリ間は凡そ9,710 kmらしいので往復19,420km、その他の経路は不明ですが、誕生してから58年、約2万kmの旅をして駒込に舞い降りたわけですね。
世界の檜舞台に立った名作の旅はまだまだ続くようです。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
<額も絵のうち>というが、劉生縁(りゅうせいぶち)を持ち出すまでもなく額縁がときには真贋の決め手となることもある。単なる作品の安全と装飾だけではない役割を負っています。
額も重要ですが、それ以上に重要なのが額の裏にはられたシールです。
先日もマン・レイの名作「ガラスの涙」をご紹介しましたが、額の裏にはってあるツァイト・フォト・サロン(石原悦郎さんが主宰した写真ギャラリー)のシールがこの作品の真贋を含めた重要な情報となっています。
ところで、瀧口修造研究者の土渕信彦さんが2013年8月5日のブログ「瀧口修造の箱舟 第12回」で1986年12月9日から翌年3月2日まで、パリのポンピドゥー・センターで開催された「前衛芸術の日本 1910-1970 Japon des Avant-gardes 1910-1970」展について書かれています。美術、写真、映像、建築、工芸、デザイン、ファッションなど1910年から1970年までの歴史的展開を、700点以上の作品、資料によって提示した画期的な展覧会でした。

ポンピドゥー・センター「前衛芸術の日本 1910-1970 JAPON DES AVANT-GARDES 1910-1970」展(撮影:土渕信彦)

同展図録表紙、瀧口修造の作品も出品されました。

同展図録326ページに掲載された瀧口修造作品(水彩)は海藤日出男(1912~1991年)さん所蔵のものでした。海藤さんは当時ご健在で、読売アンデパンダン展(読売新聞社主催)を主導した伝説の辣腕記者でした。
詳しくは土渕さんのブログ記事を読んでいただきたいのですが、もう7年前になる記事を亭主も忘れていました。
ところが縁というのは不思議なもので、某月某日その作品が私たちのもとに飛来したのでした。亭主の喜びようをご想像ください。


瀧口修造《作品》
1962年 水彩 イメージサイズ:27.0×17.5cm 三か所にサインあり
額装サイズ:40.0×30.5×1.5cm

作品表面、左下にサインと年記

作品裏面にもサインと年記

台紙に海藤日出男様宛の為書き(献辞)署名と年記
合計三か所にサインがされている稀少作品です。
もっと凄いのは額の裏に貼られた三枚ものシールです。



パリ・ポンピドゥーセンター「前衛芸術の日本 1910-1970」展出品シール
まあパスポートみたいなもので、これらサインとシールによって、この作品の旅の工程が少しわかります。
1962年 瀧口家から海藤家へ
1986年 東京・海藤家からパリ・ポンピドゥーセンターへ
1987年 パリ・ポンピドゥーセンターから東京・海藤家へ
1991年 海藤日出男さん死去
・・・・・・(経路不明)
2020年 某機関から東京駒込のときの忘れものへ
東京~パリ間は凡そ9,710 kmらしいので往復19,420km、その他の経路は不明ですが、誕生してから58年、約2万kmの旅をして駒込に舞い降りたわけですね。
世界の檜舞台に立った名作の旅はまだまだ続くようです。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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