関根伸夫資料をめぐって 1
鏑木 あづさ
こんなことがあった。2019年の秋、埼玉県立近代美術館で開催された「DECODE / 出来事と記録―ポスト工業化社会の美術」展の準備をしていたときである。展示する関根伸夫資料の調査中、環境美術研究所のプロジェクトを写したスライドのなかに、見慣れないかたちのモニュメントがあった。公園とおぼしき場所に設置されている、らせんを描いたような白い塔。一見、あまり関根らしくないと感じられる作品だった。
関根資料にあるスライドは全部でおよそ4,000枚。そのうち環境美術に関するものは、ほぼすべて内容が混在したまま、いくつかの小箱にバラバラと保管されている。マウントにプロジェクト名や地名、写真家の名前が記されていることもあるが、手がかりがない場合の方が多い。なかには関根が制作の参考にしたのか、旅先で撮影したと思われるモニュメントなどが紛れており、すべてが関根の作品や環境美術研究所の仕事であるとは限らないことが、調査をつづけるうちにわかってきていた。
関根伸夫資料 整理風景(2021年)
くだんのモニュメントは環境美術研究所のこれまでの出版物を当たれば、関根や環境美術研究所のものかどうかはすぐに判別できたかもしれない。だがふと少し気になって、マウントに記載されていた公園の名を頼りに、管轄する自治体に問い合わせてみることにした。
自治体にはまず、電話で「公園にある塔の作者を知りたいので教えて欲しい」と聞いてみた。しかし公園を管轄する局ではわからない、公園内の管理事務所に直接問い合わせて欲しい、という。管理事務所に問い合わせると、やはり「すぐにはわからない。そもそも作者などいないのではないか」という返答だった。もしかすると、塔は作品だという意識すら持たれずに、公園の設計や施工を請け負った建設会社などが建てた、アノニマスなものだと思われているのかもしれない。質問の趣旨がうまく伝わらなかったため、慌てて「塔をデザインした人を知りたいんです」と、聞き方を少し変えてみた。そこでようやく真意が伝わったようで、その日のうちに調べてもらえることになった。
管理事務所でたどれたのは、塔の設置に際しては当の自治体が都市緑化開発機構といういわゆる第3セクターのようなところへ設計や施工を委託しており、そこからさらにコンサルタント会社へ発注されている、ということだった。そして、受注したコンサルがその先、具体的にどこへ発注しているかまでは、管理事務所には記録がないとのことだった。結局、管理事務所では作者が誰かはわからずじまいだった。
公園のシンボルであろう塔の作者を、管理者へ問い合わせてもわからないということがあるのだろうか。問い合わせ方が悪かったのか、もしこの自治体に直接行くことができれば、図書館や文書館などでもう少し調べる方法があったのか。結局、インターネットで公園名と“塔”を合わせて検索すると、作者は関根伸夫であることがすぐに判明した。塔の内部に入って見上げると、天井には七色の光があるらしい。色付きのガラスを通した太陽光だが、春分と秋分の正午には虹の光が足下に照らされるのだという。
美術家の作品でもあるにもかかわらず、自治体や管理事務所が把握していないということがあるものだろうか。もしかすると、環境美術研究所が手がけたプロジェクトとして認識されると、個人名まではわからないのかもしれない。いずれにしても、軽くショックを受けた。
関根資料のなかにある手書き原稿のひとつ、環境美術研究所のプロジェクトであるプラザ元加賀に対するコメント「忘却のかなた」(掲載誌不明、1984)には、次のようにある。「僕は本来の意味からすれば、モニュメントは作者も忘れさられ、どんな経緯でここに在るのかも記憶されない時間(とき)からが素晴らしくなるのだと考えているが……ちょうど、エジプトやユカタン半島のマヤのピラミッドの遺跡が古代の神秘を保持するように…… [中略] 遺跡は当時の機能や用途が消え、形態も雨風の風化で自然化され、まるで人工か自然かわからぬ状態において美しさが増すのである」。ここではかつて、主観の表現としての制作への違和感を語った関根らしい考えが述べられている。
これから始まる埼玉県立近代美術館のMOMASコレクション(収蔵品展)にて企画したリサーチ・プログラム :関根伸夫と環境美術」は、これまであまり取り上げられてこなかった関根による環境美術の仕事を概観しようとする試みである。関根は1970年、ヴェネチア・ビエンナーレへの参加をきっかけにヨーロッパに約2年間滞在し、街のあちこちにある広場や噴水へ、ひとびとが自然と集い憩う様子を目の当たりにしたことから、美術と環境について考えるきっかけを得たという。関根が制作をはじめた1960年代後半は、美術家たちや批評家らによって、作品をとりまく空間や環境について意識された時代であったことへも、目を向ける必要があるかもしれない。
関根伸夫資料 整理風景(2021年)
ヨーロッパ滞在時の関根のスケッチブックには、「確実なる出合い」、「出合う『場』としての彫刻」などのことばが残っている。これは《位相―大地》(1968)などに触発された李禹煥の著書、『出会いを求めて―新しい芸術のはじまりに』(田畑書店、1971)によるものだろう。関根の思い描いた環境美術の実践とは、出合いをもたらす場の創造だったのではないだろうか。
(かぶらき あづさ)
■鏑木あづさ
1974年東京都生まれ。司書、アーキビスト。2000年より東京都現代美術館、埼玉県立近代美術館などに勤務し、美術の資料にまつわる業務に携わる。企画に「大竹伸朗選出図書全景 1955-2006」(東京都現代美術館、2006)、「DECODE / 出来事と美術―ポスト工業化社会の美術」の資料展示(埼玉県立近代美術館、2019)など。最近の仕事に『中原佑介美術批評選集』全12巻(現代企画室+BankART出版、2011~刊行中)、「〈資料〉がひらく新しい世界ー資料もまた物質である」『artscape』2019年6月15日号、「美術評論家連盟資料について」『美術評論家連盟会報』20号(2019)など。
●埼玉県立近代美術館広報紙「ZOCALO ソカロ」106号(2021年2-3月)より

~~~~~~~~~~~
●『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
B5変形・95ページ+写真集47ページ
主催:埼玉県立近代美術館、多摩美術大学
図録執筆編集:梅津元、石井富久、平野到、鏑木あづさ、多摩美術大学、小泉俊己、田川莉那
発行:2020年/多摩美術大学
価格:税込2,400円
*ときの忘れもので扱っています。
*この展覧会に関しては、土渕信彦さんのレビューをお読みください。
*画廊亭主敬白
画廊は本日から三日間、休廊となりますが、ブログは年中無休、お楽しみください。
ときの忘れもの初登場、鏑木あづささんが今月から数回にわたり「関根伸夫資料をめぐって」連載を始めます。当該資料の展示をしている埼玉県立近代美術館は、緊急事態措置の期間延長に伴い、2021年3月7日(日)まで休館しているので、現在は観覧できませんのでご注意ください。
関根伸夫先生がロスで亡くなられのは2019年5月13日でした。ときの忘れものでは今秋、初期作品を中心に遺作展を計画しています。どうぞご期待ください。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第3回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。1月28日には第3回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
鏑木 あづさ
こんなことがあった。2019年の秋、埼玉県立近代美術館で開催された「DECODE / 出来事と記録―ポスト工業化社会の美術」展の準備をしていたときである。展示する関根伸夫資料の調査中、環境美術研究所のプロジェクトを写したスライドのなかに、見慣れないかたちのモニュメントがあった。公園とおぼしき場所に設置されている、らせんを描いたような白い塔。一見、あまり関根らしくないと感じられる作品だった。
関根資料にあるスライドは全部でおよそ4,000枚。そのうち環境美術に関するものは、ほぼすべて内容が混在したまま、いくつかの小箱にバラバラと保管されている。マウントにプロジェクト名や地名、写真家の名前が記されていることもあるが、手がかりがない場合の方が多い。なかには関根が制作の参考にしたのか、旅先で撮影したと思われるモニュメントなどが紛れており、すべてが関根の作品や環境美術研究所の仕事であるとは限らないことが、調査をつづけるうちにわかってきていた。
関根伸夫資料 整理風景(2021年)くだんのモニュメントは環境美術研究所のこれまでの出版物を当たれば、関根や環境美術研究所のものかどうかはすぐに判別できたかもしれない。だがふと少し気になって、マウントに記載されていた公園の名を頼りに、管轄する自治体に問い合わせてみることにした。
自治体にはまず、電話で「公園にある塔の作者を知りたいので教えて欲しい」と聞いてみた。しかし公園を管轄する局ではわからない、公園内の管理事務所に直接問い合わせて欲しい、という。管理事務所に問い合わせると、やはり「すぐにはわからない。そもそも作者などいないのではないか」という返答だった。もしかすると、塔は作品だという意識すら持たれずに、公園の設計や施工を請け負った建設会社などが建てた、アノニマスなものだと思われているのかもしれない。質問の趣旨がうまく伝わらなかったため、慌てて「塔をデザインした人を知りたいんです」と、聞き方を少し変えてみた。そこでようやく真意が伝わったようで、その日のうちに調べてもらえることになった。
管理事務所でたどれたのは、塔の設置に際しては当の自治体が都市緑化開発機構といういわゆる第3セクターのようなところへ設計や施工を委託しており、そこからさらにコンサルタント会社へ発注されている、ということだった。そして、受注したコンサルがその先、具体的にどこへ発注しているかまでは、管理事務所には記録がないとのことだった。結局、管理事務所では作者が誰かはわからずじまいだった。
公園のシンボルであろう塔の作者を、管理者へ問い合わせてもわからないということがあるのだろうか。問い合わせ方が悪かったのか、もしこの自治体に直接行くことができれば、図書館や文書館などでもう少し調べる方法があったのか。結局、インターネットで公園名と“塔”を合わせて検索すると、作者は関根伸夫であることがすぐに判明した。塔の内部に入って見上げると、天井には七色の光があるらしい。色付きのガラスを通した太陽光だが、春分と秋分の正午には虹の光が足下に照らされるのだという。
美術家の作品でもあるにもかかわらず、自治体や管理事務所が把握していないということがあるものだろうか。もしかすると、環境美術研究所が手がけたプロジェクトとして認識されると、個人名まではわからないのかもしれない。いずれにしても、軽くショックを受けた。
関根資料のなかにある手書き原稿のひとつ、環境美術研究所のプロジェクトであるプラザ元加賀に対するコメント「忘却のかなた」(掲載誌不明、1984)には、次のようにある。「僕は本来の意味からすれば、モニュメントは作者も忘れさられ、どんな経緯でここに在るのかも記憶されない時間(とき)からが素晴らしくなるのだと考えているが……ちょうど、エジプトやユカタン半島のマヤのピラミッドの遺跡が古代の神秘を保持するように…… [中略] 遺跡は当時の機能や用途が消え、形態も雨風の風化で自然化され、まるで人工か自然かわからぬ状態において美しさが増すのである」。ここではかつて、主観の表現としての制作への違和感を語った関根らしい考えが述べられている。
これから始まる埼玉県立近代美術館のMOMASコレクション(収蔵品展)にて企画したリサーチ・プログラム :関根伸夫と環境美術」は、これまであまり取り上げられてこなかった関根による環境美術の仕事を概観しようとする試みである。関根は1970年、ヴェネチア・ビエンナーレへの参加をきっかけにヨーロッパに約2年間滞在し、街のあちこちにある広場や噴水へ、ひとびとが自然と集い憩う様子を目の当たりにしたことから、美術と環境について考えるきっかけを得たという。関根が制作をはじめた1960年代後半は、美術家たちや批評家らによって、作品をとりまく空間や環境について意識された時代であったことへも、目を向ける必要があるかもしれない。
関根伸夫資料 整理風景(2021年)ヨーロッパ滞在時の関根のスケッチブックには、「確実なる出合い」、「出合う『場』としての彫刻」などのことばが残っている。これは《位相―大地》(1968)などに触発された李禹煥の著書、『出会いを求めて―新しい芸術のはじまりに』(田畑書店、1971)によるものだろう。関根の思い描いた環境美術の実践とは、出合いをもたらす場の創造だったのではないだろうか。
(かぶらき あづさ)
■鏑木あづさ
1974年東京都生まれ。司書、アーキビスト。2000年より東京都現代美術館、埼玉県立近代美術館などに勤務し、美術の資料にまつわる業務に携わる。企画に「大竹伸朗選出図書全景 1955-2006」(東京都現代美術館、2006)、「DECODE / 出来事と美術―ポスト工業化社会の美術」の資料展示(埼玉県立近代美術館、2019)など。最近の仕事に『中原佑介美術批評選集』全12巻(現代企画室+BankART出版、2011~刊行中)、「〈資料〉がひらく新しい世界ー資料もまた物質である」『artscape』2019年6月15日号、「美術評論家連盟資料について」『美術評論家連盟会報』20号(2019)など。
●埼玉県立近代美術館広報紙「ZOCALO ソカロ」106号(2021年2-3月)より

~~~~~~~~~~~
●『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログB5変形・95ページ+写真集47ページ
主催:埼玉県立近代美術館、多摩美術大学
図録執筆編集:梅津元、石井富久、平野到、鏑木あづさ、多摩美術大学、小泉俊己、田川莉那
発行:2020年/多摩美術大学
価格:税込2,400円
*ときの忘れもので扱っています。
*この展覧会に関しては、土渕信彦さんのレビューをお読みください。
*画廊亭主敬白
画廊は本日から三日間、休廊となりますが、ブログは年中無休、お楽しみください。
ときの忘れもの初登場、鏑木あづささんが今月から数回にわたり「関根伸夫資料をめぐって」連載を始めます。当該資料の展示をしている埼玉県立近代美術館は、緊急事態措置の期間延長に伴い、2021年3月7日(日)まで休館しているので、現在は観覧できませんのでご注意ください。
関根伸夫先生がロスで亡くなられのは2019年5月13日でした。ときの忘れものでは今秋、初期作品を中心に遺作展を計画しています。どうぞご期待ください。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第3回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。1月28日には第3回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント