植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」第7回

手紙 倉俣さんへ 7(承前)

 倉俣史朗は、ボッティチェリを意識していなかったと思う。
 画家の描いた薔薇を知らなかったはずはない。倉俣さんのことだから。知りつくして、意識から外した。だからこそ花の品種も姿も使われかたもまるで違いながら、ヴィーナスとブランチの薔薇は、生まれながらのようによく似ている。そっくりだ。
 ボッティチェリのほうが倉俣さんを意識していたのではないか。この画家はどうやら当時の図像規範から逸脱したシーンまで描き込んでしまう持ち前の気質があり、前回でも触れたけれど没後の凋落と、その数百年後に再評価を得てから現在まで続く人気は、その特異な伝達能力を裏づけている気がする。草や花や樹の愛らしいまでの精密な写実、神々と人の劇的にしてうちとけた表情と身振りが、時代の外にあふれ出るような気配がある。「誕生」や「プリマヴェーラ」におけるヴィーナスの不安定な足元や顔の左右のアンバランスは、エルンストのコラージュに見られる浮遊・ずらし、ピカソの立体派描写に近いとさえ思える。でも15世紀の壁を向こう側から開けようとしている覗き穴に、ふいに気がついたみたいな気持ちになったのは「ミス・ブランチ」を見ていたときだ。

 「ミス・ブランチ」の2年後には「Acrylic stool」(1990)がある。スツールだから、背もたれのない座面だけの腰掛けを、アクリルの塊でつくっている。塊だけという単純な形のデザインはかえって難題だっただろう。アルマイト染色仕上げのアルミパイプを使うのは「ミス・ブランチ」と同じだが、もっと径の大きいパイプを背ではなく腰あるいは尻支えとして座面の端に半ば埋め込んでいる。当時スタッフだった五十嵐久枝のひと言が素晴らしい。アクリルのインゴットのなかに「鋳造するものを検討した結果、常に動きや時間の流れを感じさせるもの、ひらひらと舞う羽を表現できるかトライすることになり」、そして完成したスツールを屋外で撮影した日、「真夏の公園の緑の中、太陽を激しく反射し真白に発光していた様子に誰もが放心状態となった」。(『倉俣史朗の世界』1996 原美術館)
 日盛りの夏空の下で発光していたスツールと出会う機会は逸したが、同じ本のなかにある藤塚光政の写真を見ると、「放心状態」が想像できる気分になる。スツールはどこかの波打際に置かれ、足元は波に洗われている。ばかりではなく透明アクリルを囲む波全体が透けて見える。ひたすら打ち寄せる波だけがあり、その光のうつろうなかにスツールの痕跡だけが浮き出ているような。そこに埋められたごくわずかの羽毛が「常に動きや時間の流れ」をとらえている。
 この羽毛はどこから来たのか。連想したのはジャン・ヴィゴの「操行ゼロ」(1933)である。夏休みが終わって新学期が始まる寄宿学校に帰ってきた子どもたちのらんちき騒ぎが始まり、ベッドの枕が裂かれたなかから飛び散った羽毛が部屋いっぱいにひろがる。45分のモノクロ映画で、見たのは50年前のことだから全体の記憶は朧げだが、この有名なシーンは強烈だった。1920年代のチャップリン映画のいくつかにはすでに、種子なのか羽毛なのか正体はよく分からないが突然空中に飛び散るものが、またたく間に画面を覆いつくすシーンがあった。映画の黎明期においては、動くもの、飛散するもの、どんな歴史的図像にも結びつかないものの絶対的優位が、共通言語として(ある意味では恰好の見せ物として)見えてきたのだろう。雨や風や雪の荒れ狂う只中に、だからカメラは突き進んだ。さらにそれを彩る物語が必然となってくる。裂かれた袋のなかの砂金は季節の強風で舞い上がり、一切が無に帰る(ヒューストンの「黄金」1948)。あるいは競馬場の売りあげを強奪した札束は飛行場まで運んだところでエンジンの噴射によって上空にまき散らされ、やはり全てが無となって終わる(キューブリックの「現金に体を張れ」1950)。
 対してヴィゴの映画で、投げ合う枕と枕、裂かれた枕、部屋に充満する羽毛が表していたのは、世界の仕組みである。日常生活の景色であり、まだ犯罪には至ってない。だがその構造が受け継がれ現在に至る過程でまたもや旧態依然とした怒りと暴力のカテゴリーに取り込まれる。テレビドラマでもやっている。羽毛の枕を拳銃の筒先にあてがい、即席のサイレンサーに仕立てて撃てば部屋じゅうが一変、羽毛の吹雪が怒りと暴力を手早く可視化してくれる。
 あるいは、行動の主体である子どもたちからストーリーを組み立てる流れもあったようだ。イヴ・ロベールによる、フランスの農村の子どもたちが二手に分かれて喧嘩する映画は愉快だった。相手の上着のボタンを全部もぎ取ったところで勝ち負けの決着とする。だからみんな素っ裸になっての攻防。タイトルも「ボタン戦争 La guerre des boutons」(1961)と皮肉ぽくしゃれていたが、ボタンが霰のように飛び交うシーンがあるわけではない。だからじゃないけれど、邦題は「わんぱく戦争」と、含意を一方向に移してすませている。
 「操行ゼロ」は当のフランスでは既成権威への反抗と見なされた。1946年まで上映禁止だった。この真っ当な映画がつくられた翌年に生まれた倉俣さんにとってはこんどは同時代の作品であり、当然よく知っていた、いや共感していたにちがいないが薔薇と同様、デザインの対象とするときはすでに忘れていた、そう思っている。
 だいいち「時間の流れ」の地点が違う。ヴィゴが羽毛の突然の暴発から最高潮に達するまでの一瞬を描写しているのに対して倉俣さんのスツールは、羽毛の飛散が鎮まり、さいごの数葉が地に降りてついには空白が支配するまでの時間を描くかに見える。それは途方もなく長い時間である。羽毛はまた気まぐれのように上昇したりするのだ。下降し、静かになる方向は確実に見えているのに終わりはやってこないかのように。だが図像位相は変わりつつある。「時間」が、これまでにない充実の中心に移りはじめている。
 羽毛が飛び散るイメージはむしろ「ミス・ブランチ」に雄弁に転写されていたといってもいいのかもしれない。だがその中心が空位であるという図像がはじめから出来ている。倉俣さんはその説明をしない。歴史や現在を、仕事そのものによって言葉によって説明しない。自由だ。解釈の仲介者なしに、すべてがある。だから、薔薇も羽毛もさいごの場所に辿りつくかのように強い姿になっている。「Acrylic stool」と同じように、藤塚さんが波打際で撮影した「Glass Chair」(1976)は、いっそう波のテクスチャのなかにわが身を消そうとしているかに思え、また同じ椅子を藤塚さんが白一色の空間のなかで撮った写真では、ガラスの線状の切り口だけが椅子ならぬ椅子へと向かっている。もちろんそこに羽毛の姿はないが、スツールの写真を知ったあとでは「Glass Chair」にもどこか着地をさがす時間が表れて見えてくる。
 この「手紙」で紹介した、田中信太郎、西沢大良、磯崎新、小川隆之、エットレ・ソットサス、また多くの人たちによる、倉俣さんについての発言や覚え書は作家論でも作品論でもない。読んでごらんなさい、倉俣さんとの会話である。倉俣さんは家具・インテリアのデザインだけでなく建築設計もした。文学や映画やスポーツにも、社会や政治にも深い関心をもち、ときとして思いがけない発言や行動になった。それは多角的な関心の発露というより、だからこそ彼は普通の人で、普通のというのは悟り切ったみたいな語感がいやなのだが、その人と会話するには長い時間が、100年も200年もかかりそうなのを、誰もが望んでやまない。終わりがこない。

 倉俣さんの(田中信太郎さんの言いかたを借りるなら)自叙伝である『未現像の風景』の、とても小さな文章のなかに、「長い時間」の原器があるのだと思う。ごく限られた時期を対象としているのだが、それを描ききるために全人生を使ってもまだ足りない文体を、倉俣さんは選ぶしかない。そこには戦争の巨体が居座って動かない。
(2021.2.20 うえだまこと

●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
1-08倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahie
1集、2集 シルクスクリーン各10点組
作者:倉俣史朗
監修:倉俣美恵子
   植田実
制作:1・2集 2020年
   *2021年~2024年にかけて3~6集を刊行予定(全6集・60点)
技法:シルクスクリーン
用紙:ベランアルシュ紙
サイズ:37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り:石田了一工房・石田了一
限定:35部
各作品に限定番号と倉俣美恵子のサイン入り
発行:ときの忘れもの
倉俣史朗の遺したスケッチを、倉俣美恵子さんと植田実先生の監修でシルクスクリーン作品集にまとめ「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier」として1~6集まで刊行します。
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WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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