塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」

第5回  日本でのプロジェクト 

写真(5)フルクサス・バランスへの68の回答を、34枚の天秤の写真上で筆者が組み合わせ、ジーベック・ホワイエで展示したときの案内状。

こうして私達日本人は海外の催物に度々招待されるのですが、逆に海外のメンバーを日本へ招待することが出来ない、というのがアイオーさんと私の悩みでした。
渡航費、作品の輸送費、宿泊費、会場費などを考えると膨大な予算が必要でしょうし、運営する事務方の確保も大変です。大体フルクサス自体が日本では余り評価されていなかったようですので、主催団体やスポンサーを探そうと積極的に働きかけることがためらわれました。そこで、大規模なことは無理でも、せめて自分と仲間達の力だけで出来る事、その代わり、未だかつてフルクサスの誰もがやったことのないユニークな試みを企てることにしました。
90年代の初め頃、神戸のジーベック・ホールではコンピュータなどを使った実験的なサウンド・アートのコンサートが頻繁に開かれていて、92年には私も作曲家の藤枝守さんの協力を得て、センサーやコンピュータを使った自作品の演奏会を行なわせて頂いたのですが、その直後に思ったのです。もしこれら90年代の電子テクノロジーを使ってフルクサスのスコアーを解読したら、どんなことが出来るだろうかと。そこで、ジーベックに企画書を提出し、解読グループを作って、<フルクサス・メディア・オペラ>と題したコンサートの構成を練り始めました。同時に、リモート・フェスティヴァルとして、海外のメンバー達にも、当夜演奏できるような作品や音源、ヴィデオなどを送って貰いたいと依頼し、又、可能なら本番中に電話で参加してほしいと頼みました。十数人から積極的な返事を貰ったことに勇気づけられて、40曲余りを取り上げ、常に2、3曲が同時演奏となるように組み合わせて、2時間40分にわたってホールの内外で演奏を行なったのです。そしてホールの中に引いた電話をスピーカーに繋ぎ、フランスやカナダなど海外に居る4人のメンバーの声や物音による参加が実現しました。今ならオンラインで映像も含めて簡単に出来る事ですが、当時は国際電話が唯一の手段だったのです。このコンサートの記録は英文のパンフレットに編集し、ヴィデオ録画も添えて、海外からの参加メンバー全員に送りました。1994年の夏の事でした。

私自身は今までに、フルクサス全体に関連する自主企画を5回行なっています。年代順に言うと、最初は<スペイシャル・ポエム>。次は1993年に出版したコンセプチュアルなゲーム<フルクサス・バランス>。その次がこの<フルクサス・メディア・オペラ>で、2001年に大阪の国立国際美術館で「ドイツにおけるフルクサス 1962-1994」という巡回展が行われた際にはパフォーマンスを依頼されて、<フルクサス裁判>という裁判劇を行ないました。フルクサスの作品25曲を8人で演奏したのですが、この時はコンピュータの合成音声による様々な尋問に対してパフォーマンスで答えるという形式にしました。フルクサス結成40周年を前にして、自らを裁いてみよう、というギャグのつもりです。
最後は、40周年に当たる2002年にフンデルトマルクから出版したCD<フルクサス組曲>で、これにはメンバーと関係者80人を選んで、その人の名前に含まれる文字で綴れるドイツ音名だけで出来た音階で、それぞれの代表作や手法を模倣しながらその人物を描いていくという、いわば「音による人名事典」を作りたいと思ったのです。名前によっては、11音を綴れる人もいれば、1音だけしかない人もいます。例えば、Allan Kaprow やMillan Knizakには、aつまり「ラ」の音しかありません。けれども作曲と録音に使ったシンセサイザーには、自然界の様々な物音を録音して取り込んだ音色もあり、それらはオクターヴ違うとまるで異なった響きがするので、単調にはなりませんでした。このCDも親しいメンバーや音楽関係の友人達にプレゼントしましたが、それにしても、作曲家としてのボキャブラリーが試される企画ではありました。

一方、国内の美術館も次第にフルクサスに目を向けるようになり、1994~95年には、東京のワタリウム美術館でフルクサス展が開かれました。ここではキュレーションも作品も海外からのものでしたが、2004~05年のうらわ美術館での「フルクサス - Art into Life」展では、展示作品は全て国内からの調達で、結果的には日本にもこれだけの作品があるのかと、関係者一同驚くほどの作品が集まり、館独自の視点による充実したカタログも出版されました。
又、2013年には国立国際美術館がコレクション展で「塩見允枝子とフルクサス」と題して、スペイシャル・ポエムへの全レポートを、他のコレクション作品と共に展示して下さいました。200人余りの参加者から送られてきたカラフルな自筆の手紙や写真などが大々的に展示されたのは初めてでした。
さらに2014年には、東京都現代美術館が海外からの作家たちを招いて、「Fluxus in Japan 2014」という6夜にわたるパフォーマンス・フェスティヴァルを開催して下さったのです。作家一人ずつが一夜を任され、初日は小杉武久、次はベン・パターソン、ミラン・クニザク、エリック・アンダーセン、私、そして最後の夜は、アイオーさんとそれ以外の作家の様々な作品を皆で演奏することになりました。私の夜はピアノを中心に、メンバーの作品や自作品を何人かのパフォーマーの方達と共演させて頂きましたが、特に最後の「フルクサス・メモリアル・サービス」では、壮麗な音楽に包まれて、会場の殆どの人達が丁度献花をするように、ピアノの弦の上にビー玉を落下させ、最後に全員で合掌して下さったときは感動的でした。
その他、日本でのフルクサス活動で忘れてはならないのは、ギャラリー360°の長年にわたる数々の企画です。「富士山でベン・パターソンの70歳の誕生日を祝うための観光バスツアー」や「フルックス盆フェスティヴァル」など、きめ細やかなアイディアに溢れた催し物に接する度に、日本でもフルクサスはまだこんな形で生きている、と心強く思ったものです。
しおみ みえこ


塩見允枝子先生には2020年11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。

●塩見允枝子エッセイ連載記念特別頒布作品

029) Fluxus Balance Version 1995  
フルクサス・バランス 1995年版(全集)

AAA_0930AAA_0936
天体の運行も生命体の内部も、全て絶妙なバランスの上に成り立っているとの思いから、この概念でフルクサスの友人達と詩的なゲームを行なうべく、天秤の皿の一方に、誰かが乗せる筈のもう一方のものと釣り合うような何かを呈示するよう依頼した共同作品です。
参加者の皆さんからの回答はポートフォリオの形で出版し、全員に贈呈しましたが、1995年には参加者からの回答を印刷した68枚のカードの組み合わせを自分で考えて、34枚の天秤の写真の皿の上に金属の重りや書き込みなども添えて乗せ、木箱入りの全集を10部限定で作成しました。皆さんからの回答はそれぞれに個性的で、詩情やユーモアに溢れていて、それは楽しくも刺激的な作業でした。9部は既に国内外の美術館やコレクターに収蔵されていますので、これは最後の1点となります。
Ed.VI/X
作品サイズ:32 x 22.7cm  木箱サイズ:35 x 26 x 5.5cm
サインとナンバー入り


008) Fluxus Balance フルクサス・バランス
ポートフォリオ版  1993

05a5304aAAA_09557月の領布会でも紹介させて頂いたポートフォリオ版です。中には天秤の写真1枚、回答を印刷した68枚のカード、微調整用の3種類の金属の重り、参加者名簿、招待状のコピーなどがポートフォリオの中に入っています。 
Ed.100 サイズ:33 x 24 x 1cm サインとナンバー入り


031) Fluxus Suite フルクサス組曲
CD+スコアーの一部のセット 2002

AAA_0894AAA_0898フルクサス結成40周年に当たる2002年に,フンデルトマルク出版・画廊からの誘いを受けて出して頂いたCDです。今回のエディションではCDの他に、全80曲の内10曲の楽譜の冒頭部分が入っています。 
セットのサイズ:25 x 18 x 1cm サイン入り 

●お申込み方法
お問合せ、お申込みはこちらから、またはメール(info@tokinowasuremono.com)にてお願いします。
※お問合せ、ご注文には、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


■塩見允枝子 SHIOMI Mieko
1938年岡山市生まれ。1961年東京芸術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を行う。1963年ナム・ジュン・パイクによってフルクサスに紹介され、翌年マチューナスの招きでニューヨークへ渡る。1965年航空郵便による「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始し、10年間に9つのイヴェントを行う。一方、初期のイヴェント作品を発展させたパフォーマンス・アートを追求し、インターメディアへと至る。1970年大阪へ移住。以後、声と言葉を中心にした室内楽を多数作曲。
1990年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに招待されたことから欧米の作家達との交流が復活。1992年ケルンでの「FLUXUS VIRUS」、1994年ニューヨークでのジョナス・メカスとパイクの共催による「SeOUL NYmAX」などに参加すると同時に、国内でも「フルクサス・メディア・オペラ」「フルクサス裁判」などのパフォーマンスや、「フルクサス・バランス」などの共同制作の視覚詩を企画する。
1995年パリのドンギュイ画廊、98年ケルンのフンデルトマルク画廊で個展。その他、欧米での幾つかのグループ展への出品やエディションの制作にも応じてきた。
2012年東京都現代美術館でのトーク&パフォーマンス「インターメディア/トランスメディア」で、一つのコンセプトを次々に異なった媒体で作品化していく「トランスメディア」という概念を提唱。
音楽作品やパフォーマンスの他に、視覚詩、オブジェクト・ポエムなど作品は多岐にわたり、国内外の多くの美術館に所蔵されている。現在、京都市立芸術大学・芸術資源研究センター特別招聘研究員。

●塩見允枝子さんのオーラル・ヒストリーもぜひお読みください。

●ブログ2020年04月08日『後藤美波、塩見允枝子「女性の孤独な闘いを知る10分 SHADOW PIECE」ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの』
映画監督の後藤美波さんによる短編ムービーをご紹介しましたのでぜひご覧ください。
https://creators.yahoo.co.jp/gotominami/0200058884

●書籍のご案内
「スペイシャル・ポエム」
special1塩見允枝子
「SPATIAL POEM スペイシャル・ポエム」(自家版)サイン入り

1976年刊 英文
21×27.5cm 70ページ
発行者:塩見允枝子


「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1546059811182塩見允枝子
「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1992年
19.0×21.6cm
発行者:塩見允枝子


●塩見允枝子『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』のご案内
『塩見允枝子パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』塩見允枝子
『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』サイン本

2017年
塩見允枝子 発行
60ページ
21.4x18.2cm

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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