土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

19.『畧説 虐殺された詩人』~後編

さて、上の引用した瀧口による本書「後書」は、次のように続けられています。ここで言及されている綾子夫人による口絵は図2で見たとおりですが、改めて少し拡大して、下に掲げておきます(図11)。

「最初に掲げた挿し絵ともカットともつかぬデッサンは、その年の暮れに私と結婚することになる鈴木綾子に描いて貰い、編集の春山氏に押しつけたものである。彼女の作品のすべてが戦火で失われた今日、このような駄文をさも古箪笥から取り出すように明るみに出そうとする口実のひとつではあった。」

202104土渕信彦_図10図11

鈴木綾子は当時、シュルレアリスムに関心を示していた画家たちにより結成された「新造型美術協会」の一員で、瀧口は1934年頃から会合や機関誌などを通じてこのグループを指導するようになっていました。1938年にパリのギャラリー・デ・ボーザールGalarie des Beaux-Artsで開催されたシュルレアリスム国際展の記念出版であるアンドレ・ブルトン及びポール・エリュアール共編「シュルレアリスム簡約辞典」Dictionnaire abrégé du surréalisme(図12)にも、鈴木綾子の作品(図13上右)が、下郷羊雄(同上左)、大塚耕二(同下)などとともに掲載されています。

202104土渕信彦_図11図12

202104土渕信彦_図12図13

綾子夫人との結婚について、「自筆年譜」には次のように記されています。

「前記「新造型」の第1回展が1月上野の美術館で催され、会員の鈴木綾子を知る。12月14日、綾子と結婚。その当夜、西大久保の清気荘に移る。この結婚式は親戚だけが集り非公式の媒酌人となった野津義兄の立会いのもとに署名するという珍妙な新形式をとり、友人への披露も催さなかった。当時歩兵第3連隊の大隊長であった義兄は自分が媒酌する以上、乃木神社で神前結婚式せよと主張したので、真向から対立し、散々議論の末、私はもはや言葉を失い、手にしていた新聞を真二つに引裂いてしまったので、義兄もついに折れた。この義兄は本所育ちの江戸っ子で、久保田万太郎とは中学の同窓であり、下町風の人情を解する温和な人物であった。ファッショ全盛のときも私の立場にはつとめて触れないようにしていたが、この対決の瞬間だけはすべてが明るみに曝されたように全身の顫が止まらなかった。むしろ自由結婚しなかったことを悔む。」(「自筆年譜」1935年の項。数字をアラビア数字に改めた)

瀧口修造の親戚である宮英子(旧姓滝口。コスモス短歌会主宰者宮柊二夫人)にも、次のような回想があります。すなわち淀橋区戸塚(現在の高田馬場・西早稲田あたり)の滝口英子一家の借家を、当時新宿(新田裏)に住んでいた瀧口が珍しく昼時に訪ねて来て、英子の母が魚を焼いたりして歓待すると、修造氏が「今度、結婚します。綾子といいます」と切り出した、というものです(宮英子「瀧口類縁のこと」『コレクション瀧口修造追』第12巻月報、1993年2月。図14)。さらに次のように続いています。なお、瀧口の生家は富山市の近郊で代々十村役を務める旧家だったそうです(十村役:江戸時代の北陸で敷かれた農政制度上、10ヶ村ほどを束ねる豪農)。

「修造氏は瀧口本家の第十四代の跡目を継ぐただ一人の総領息子であり、たとえ今は零落していても誰もが大切にし、尊敬していた人だ。少女の私にとっても、親戚のお兄さんというより白い馬上の貴公子を仰ぐような、あこがれの人だったのに。」

202104土渕信彦_図13図14

このような衝撃と羨望をもって受け止められた二人の結婚でしたが、瀧口は勤めていたPCL(映画製作所。現在の東宝の前身)での徹夜の撮影が続いて健康を害し、結局、退職してしまいました。つまり定収入がない状態だったわけで、綾子夫人の苦労は並大抵ではなかったでしょう。画家としての才能と経験を活かし、雑誌にカットを提供して家計の足しにしていたようで、「セルパン」以外に「蝋人形」などでも確認されます(図15~17)。

202104土渕信彦_図14図15

202104土渕信彦_図15図16

202104土渕信彦_図16図17

本書の口絵に描かれているのは主に物語のクライマックスの場面、すなわち哲学者に煽られた群衆によって虐殺され、元恋人からもパラソルで眼を突かれるという場面ですが、右側には、物語の発端あたりに出てくるオリーヴの樹や、自転車なども認められます。初出の18年後の1953年から瀧口夫妻が暮らしていた西落合の自宅の庭に、オリーヴの樹が生えてきたのは、偶然とはいえまことに不思議です。見事に結実するようになり、晩年には毎年の晩秋、友人数人の手も借りて収穫されました。舞踏家石井満隆のレシピに従って加工され、「セラヴィー農園謹製」オリーヴの瓶詰が知友に配られました。1971年産の瓶には、瀧口による次のような擬古文の「舌代」が付されています(図18)。

「おりいぶの栽培は三千年の古に遡ると云われ、その枝はノアの方舟より放てる鳩のくはえ戻りしといふ聖書の故事に依りて平和の徴とはなれり。果実の恵に至りてはげに幾千年の地中海文明の培養素たりしと言ふも過言にはあらざりし。我国に移植せられしは百年以前の文久年間にして漸く瀬戸内の岸辺に根をおろすに至れり。然るに如何なる奇縁にや怪煙の東京は落合の里の一隅に花咲き実を結ぶ。園主驚き且は喜び、数奇の友を誘ひ力を併せて粒々辛苦洗練にこれ勤め遂に本場産に優るとも劣らざる天然の風味に達し得たり。恨むらくは粒数に限りあれば選ばれし風雅の友と惜しみつつ味を頒たんとす。乞ふ平和とや言はむ一刻の味を試みられむことを。
一九七一年師走
指南 石井満隆(小豆島生、舞踏家、在ロンドン)
連中 原田敬一郎、渡辺仁志(サルガッソ海少年)
   池田龍雄、中西夏之、幸美奈子(共に画家)
   瀧口修造、綾子(園主、その妻)」

202104土渕信彦_図17図18

晩年に至るまで瀧口は、ミロをはじめとする内外のアーティストとのさまざまな共作を試みたわけですが、本書初出の「セルパン」誌上における共作は、この連載第3回で採り上げた阿部芳文との詩画集『妖精の距離』(春鳥会、1937年。図19)の2年前に試みられており、瀧口による共作の嚆矢と言えるかもしれません。

202104土渕信彦_図18図19

以上のように本書では、綾子夫人の挿し絵が重要な役割を果たしている点で、初出から刊行までの37年にも及ぶ綾子夫人との堅い絆の、賜物でありまた証でもあります。瀧口自身にとって(そしておそらく綾子夫人にとっても)、格別の感慨が込められた、たいへん貴重な本と言えるでしょう。他の著作と同列に論じるのは適当ではない、別格の1冊であるように思われます。

なお、1920~30年代に発表されていた詩、評論、翻訳などを戦後に単行本化した例としては、すでにこの連載で見た『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(第13回)『シュルレアリスムのために』(第14回)などが代表的と思われますが、本書もそのひとつです。この後さらに『地球創造説』、『自由な手抄』などが刊行されます。これらについては稿を改めて取り上げる予定です。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●本日のお勧め作品は藤江民です。
fujie_07藤江民 Tami FUJIE
《12-9》
2012年
銅版画
イメージサイズ:23.0×18.0cm
シートサイズ:36.5×28.7cm
Ed.20
サインあり
※藤江民作品集 No.177
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●東京・アーティゾン美術館
アーティゾン収蔵品展9月5日まで「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展」が開催中(会期延長になりました)。オノサト・トシノブ瀧口修造元永定正倉俣史朗など現代美術の秀作が多数展示されています。3月13日ブログに番頭おだちの観覧レポートを掲載しました。


富山県美術館で7月13日まで「瀧口修造コレクション 瀧口修造の肖像Part 1 松澤宥・加納光於・合田佐和子」が開催中。瀧口修造と三人の交流をふりかえる展示がされています。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。