<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第101回

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画面のなかに見えているのは七人だが、左端に片手だけ写っている人がいるので八人、
いや、撮影者も数えると、少なくとも九人は乗っているようだ。
 
それぞれ別の関心に視線を向けていて、
赤ん坊を抱いた女性はとなりの着物の女性を見つめ、
しゃべりかけられているその人は、膝の上の赤ん坊を眺めている。

通路を隔てた向かい側には、ほっかむりをしたおばあさんがいて、
彼女の両目は眠りに引き込まれたように閉じ、
後ろの席にいる同世代におぼしき眼鏡の老人もまた、
まどろみの中にいるような眼差しだ。

そのおばあさんの前には少女がふたり立っているが、
彼女たちはここにいる七人のなかでもっとも真剣な目つきをしている。
ふたりが見つめているのは、赤ん坊を抱いた女性、
いや、赤ん坊の口元を見ようとしているのだ。

ふたりの位置からは赤ん坊の顔は見えないけれど、
その小さな口が力一杯おっぱいを吸引していることはわかっている。
そのさまをもっと詳しく確かめようと、身を乗り出しているのだ。

右の少女はからだを傾けてその様子を視界に入れようとしているが、
左の少女のほうは位置からして無理だろう。
彼女は眉毛の濃いはっきりした顔立ちに驚きの表情を浮かべ、
忘我の状態で立っている。
注目すべきなのは彼女の右手で、
水玉のワンピースの股間のあたりをぎゅっと握りしめている。
無意識の行為だろうが、そこに手が行った気持ちはなんとなく分かるような気がする。
緊張と不安が膨らんで体からあふれそうなのだ。

むかしは赤ん坊がむずがれば、母親は公共の場でもためらわずにおっぱいをあらわにして、
授乳をしたものである。
このようなシーンは日常的に繰り広げられており、
少女たちがこんなにも驚いた表情をしているのは不思議ですらある。
もしかしたら、この前段にある出来事が起き、
そこから急速に場面が展開したために、
気持ちが追いつかないのかもしれない。

はじまりは赤ん坊の絶唱である。
体をくねらせてむずかりだしたと思う間もなく、手足を突っ張らせて泣きはじめた。
母親は、はいはい、と言いながらブラウスの前を勢いよくはだけ、
豊満な乳房の一方を赤ん坊の口元にあてがった。
と、泣き声は嘘のように止んで静まったのである。
まばたきするくらいの間の出来事だった。

絶叫から静寂へと一転させたものは、
あのおばさんのブラウスの下に隠されていた乳房である。
あれがなければいまだに叫び声が続いていたと思うと、
その威力たるやふたりに言葉を失わせるに充分で、
すごいものを見た、という感慨に放心しているのだった。

車内の正面には「時間表」なるものが貼ってある。
文字が判然としないが、午前七時半、十一時というところはかろうじて読める。
午前便はその時間帯に運行するという意味だろうか。

ふと窓の向こうを見ると、黒いものが写っている。
もしや、これは馬の背中では? 
丸く盛り上がっているのは尻尾では?
となれば、ここは馬車の車内ということで、
かなり揺れているにちがいない。
その揺れの中で、茫然自失の態で立ち尽くしている少女たち……。
大竹昭子(おおたけあきこ)

●作品情報
連続企画「都築響一の眼」vol.4/「portraits 見出された工藤正市」より
©Shoichi Kudo

●作家紹介
工藤 正市(くどう しょういち/ Shoichi Kudo)
昭和 4 年(1929)青森市生まれ。
旧制中学校を卒業後、昭和 21 年(1946)に東奥日報社に入社。
昭和 20 年代中頃から写真雑誌の月例コンテストや写真展へ応募した作品が高い評価を受ける。
昭和 28 年(1953)月刊『カメラ』月例第一部の年間 1 位となる。
コンテストの審査を担当していた土門拳などの写真家との交流もあったという。
昭和 30 年代に入ると仕事との両立が難しくなり、次第にコンテストへの応募をやめ、仕事に専
念するようになる。
昭和 39 年に青森県写真連盟の設立に関わるなど地元写真界での活動は続けていく。
昭和 40 年代 東奥日報社写真部長となり、昭和 50 年代には機械報道部長や弘前支社長などの
役職を歴任。
昭和 63 年頃 東奥日報社を退社。青森西南部東奥日報販売(株)取締役社長に就任。
平成 3 年頃 青森西南部東奥日報販売(株)を退社。
平成 26 年(2014) 逝去。

●写真展のお知らせ
写真面_page-0001文字面_page-0001
連続企画「都築響一の眼」vol.4/「portraits 見出された工藤正市」
会期:2021年6月9日(水)~6月26日(土)
OPEN:15:00-21:00(水、木、金、土) ※日、月、火は休廊
※ 入場料 500 円(税込)
※ 最終日 6 月 26 日(土)は 18 時閉館
会場:アートギャラリーKKAG(Kiyoyuki Kuwabara Accounting Gallery)
〒101-0031
東京都千代田区東神田 1-2-11 アガタ竹澤ビル 405
企画協力:みすず書房
写真家・編集者の都築響一氏が、独自の切り口で最先端の写真家を紹介していく連続企画「都築響一の眼」。シリーズ第 4 回は、青森の風景と人々を撮りつづけた作家・工藤正市の作品群を取り上げ、「portraits 見出された工藤正市」を開催します。工藤正市は、1929(昭和4)年青森市に生まれ、2014 年に 84 歳で亡くなった写真家。これまで封印されていた写真群を、都築響一氏のキュレーションにより半世紀を経て公開します。ぜひご高覧ください。

●写真集のお知らせ
チラシ_03b_C_page-0001『青森 AOMORI 1052-1962 工藤正市写真集』
A5変型判 
総400頁(予定) 
出版社:みすず書房
予価3,960円(税込)
2021年9月刊行予定
※画像はチラシです。

●新刊のお知らせ
超二流の写真家_H1超二流の写真家 『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟
発売日 2021年5月25日
著者 大竹昭子
判型 文庫版(w105×h148mm)、並製、カバー無し
表紙 NTラシャ 130kg
頁数 80ページ  
定価 990円(税込価格)
発行所 カタリココ文庫
編集協力 大林えり子(ポポタム)
写真提供 アートスペースAM、タカ・イシイギャラリー
装幀 横山 雄+大橋悠治(BOOTLEG)

新刊・大竹昭子随想集『超二流の写真家』のご案内を申し上げます。
副題に「『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟」とあるように、荒木経惟の写真の神髄を『センチメンタルな旅』から説きおこしていくものです。
著者・大竹昭子がこの原稿を執筆したきっかけは、二〇一六年にパリのギメ美術館でおこなわれた「ARAKI 」展を見たことでした。
『センチメンタルな旅』から現在までをたどっていくと、最後の部屋で大きな仏像に出会うという意表を突くような構成で、荒木の作品に仏教的な死生観が流れていることを意識させられました。
このギメ展は、同時多発テロの影響でパリの美術館の入場者が軒並み減っていた時期にもかかわらず、大きな話題になりました。生と死が一続きのものとしてとらえられていることに、若い人々が共感し、SNSを通じて広まっていったのです。

タイトルの「超二流」という言葉は、かつて著者が荒木におこなったインタビューのなかで、彼が自分自身について述べたものです。芸術は自己表現だが、写真表現は相手を写しだすものであり「二流」だ、という意味ですが、その考えがはじめて形になったのは、妻陽子との新婚旅行の道行きを写した『センチメンタルな旅』でした。
今年は、戦後写真のもっとも大きな成果のひとつであるこの私家版写真集の刊行から、五十年目に当たります。
本書では、パリのギメ美術館の展示をたどりつつ、荒木の写真の生命賛歌の原点を『センチメンタルな旅』に求め、ドキュメントと評論を行き来する著者独自のスタイルで展開いたします。
巻末には、片目の視力を失しながらも、日々、写真を撮り続けている荒木の現在をインタビューでお伝えします。発売日は、荒木の八十一歳の誕生日である五月二十五日です。
(以上プレスリリースより)
ご購入はこちら→https://katarikoko.stores.jp/about
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●本日のお勧め作品は元永定正です。
motonaga-69《しろいはんまる》
1982年   シルクスクリーン
イメージサイズ:14.9×10.0cm
シートサイズ:25.9×20.0cm
Ed.500 サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。