「百瀬寿 小論 版●ヒト●光●宇●」(1984年執筆)

日向あき子

(1984年「MODERN PRINTS’85 同時代版画四十年展」図録より再録)

 百瀬寿のシルク版画は、われわれの肉眼ではとらえがたい光・現象の世界だ。それを大気の光・現象にたとえてみることもできる。作家はそのエーテルの中へひそかに色彩を流しこむ巧みな方法を、ある時えた。その独自の術 によって、秒毎にかわる大気イヴェントの一瞬を定着させたのだ。多色のグラデイションを通して肉眼に可視のものとしたのが彼の版画である。
 四角い画面内の光は、時には単色のようにみえることもある。時にはピンクと青の二色、時には青、ピンク、シルヴァーの三色、あるいは五色......。だが、色=光相互間の溶解、滲透、ボカシから生れる色調は余りに豊かで、数えるのをあきらめなくてはならない。その微妙な色感は、人間の言葉による識別をはるかにこえ、無時間的なおだやかさをたたえているのである。

momose_10_Square_lame-Y_and_B百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' -Y and B"
2001年
シルクスクリーン
30.5x30.5cm
Ed.100
サインあり

 その光はまた、light というよりも輻射光の意味をもつ radiance に近いものだろう。直接身体にふれてくるような觸覚的・知覚的な光体験。──それは遠い記憶の中ですでに出あったことがあるというデジャ・ヴュ(既視感)を喚びおこすような光だ。
 たしか、あれは、ロスからニューヨークへ向う飛行機の中だったと思う。 火事だと思って目をさますと、窓のカーテンのふちから早朝の炎のような赤が射しこんでいた。窓外は決して地上ではみられない、すさまじい赤のひろがりである。見下すと、赤はゼリー状にふるえ、同じくゼリー状にふるえて下方にたなびく鮮かな青に接し、たわむれている。赤と青の間に多色のグラデイションがあらわれたのは、少し時間をおいて、もう一度窓から見下した時であった。もちろんあの時の青も赤も視覚を通してのものにちがいない。ただし私には眼だけではなく、光のテクスチャーの身体的な知覚体験だったというのがもっと正確かと思われるのである。
 その視覚効果から入りながら、私はこんな感情移入をまじえて、百瀬寿の美しい光・空間をみていた。だが、彼の制作過程──中でもコンピューターとシンクロさせたネコ印刷による近作の場合──をきいた時は、この作家にもう一つの面があるのを知った。その過程ではあらかじめ準備した小さい下絵があり、それをネコ印刷機にかけ、電送写真の要領で部分を拡大してゆく のだ。画面はあたかも機械の機能、機械の言語からおのずから生れ、成(な) ってゆくかの如く制作される。
 もちろん作家の意図も手も加わるのである。ただし、その意図自体の中に印刷的な工程で「成(な)」った絵であるかの如くみせるようなふくみがプット・インされているということだ。事実、彼の画面はきわめて人工的な工程にかかわらずつくられたもの、描かれたものというよりも、おのずから「成」ったものという感が強いのだ。評価されていい点も、そこにあるだろう。要するに彼の場合、今日の主要メディアである「印刷」に対する鋭利なコンセプトがあって、このような効果も生れえたのだ。
  アメリカの作家リキテンスタインは、自分の絵の中に印刷の網点まで拡大して描いた。これも印刷メディアに対する単純明快でポップなコメントである。あるいはこれまでに十指に余る版画家その他の作家が、印刷や孔版の可能性に挑戦してきたのをわれわれはよく知っている。その中に、印刷メディアを光のテクスチャーに昇化させた百瀬寿をおくと、やはりそれは群をぬいた一つの成果といってよいものに思われるのだ。
 百瀬寿が螢光色や明度の高い色彩、時にはメタリック色を用いるようになるのは、シルク版画に転じた七〇年前後からだ。それ以前の彼は暗い色調のアンフォルメル絵画を描いていた。彼の内的過程においても、是が非でも暗さから脱出したいという希求があり、シルクはその逆方向への転機になったようである。ただし、いく分文学的になるきらいはあるが、私が彼にみるのは、暗さなしには生れえない自己救済的な色=光の世界だ。だからどんなにまばゆい光でも彼の画面には鎮魂歌の響きと静謐をきくのである。
 彼の作品は七〇年以来今日まで、すべて「四角」という題名で、それぞれに「ブルーからピンクへ」「ピンクと黄」といった色彩名のみのサブ・タイトルがつけられている。画面も例外なくすべて正方形──四角は人間の目にとって何の抵抗も、意味もない形だからという。その正方形にストライプや水平・垂直の色面が平行し、 中心部で十文字に交差するやや抽象画的な作品もあった。また、随時にスプレーや前記のネコ印刷、和紙やドラムを使用するといった試みがなされているが、総体的には目立った変化は少い。しいていえば、近作になるにつれ色彩のボカシ・諧調によって空間の壮大を暗示する方向に傾いてきているように思われる。

04_Square_lame-Yellow_and_Pink_around_White百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' -Yellow and Pink around White"
2002年
シルクスクリーン
42.5×42.5cm
Ed.70
サインあり

 ところで四角といえば、バウ・ハウス出身のアルバースの作品もすべて四角だ。彼は千変万化する色面を同じ四角形の中にくみあわせる。 アルバースによると、ごく僅かな色面の大小や明度、隣接する色彩との相和・滲透・反撥・溶解といったインター・プレイによって、この世に同一の色彩は存在しない。すべての事物はフォルムをもち、すべてのフォルムは色彩をもつ。その変化と豊かさは無限であり、世界は無限の喜悦にみちているという。このアルバース的哲学のマンダラはルネッサンス以来の油絵で表現された。それに対し百瀬寿はプリント時代の感性とそのエッセンスによってといえるだろう。
 「このピンクにせよ、黄色にせよ、百年前にはなかったものです。現代が生んだ絵の具をつかうことで、その時代をもっともよく表現できるのではないかと思う。」(百瀬寿)

 「自然は美しいが、そこから何かを学ぼうとは思わない。むしろ自然と対峙する存在物でありたいと思う。」(百瀬寿)

 右の彼の言葉にことさら反対する心算はない。私自身も今までにそれに近いことをしばしば言ってきた。しかしながら、自然か人工かにかかわることがらは、それほど単純ではないのだ。人間が次々につくりだすテクノロジーや人工物も、実は宇宙や自然に潜在的にあったものだ。すでに内在していたし、予定されていたものの外化だと考えたほうが正当なのではないか。そのような意味で、百瀬寿の作品もエーテルの神秘に寄せた壮麗な宇宙図、あるいはもっともラディカルな今日の感性で描かれたマンダラと呼びたい。
(ひゅうが あきこ 美術評論家・岐阜県生まれ)

■日向あき子
日本の美術評論家。本名、坪井富美子。 1930年岐阜県生まれ。大阪女子大学国文科卒。詩、翻訳を経て、昭和40年前後から美術評論を手がける。女性美術評論家の草分け的存在で、特にポップアートの評論で知られた。 2002年永逝。(Wikipediaより)

*画廊亭主敬白
ご紹介するのが遅れてしまいましたが、初台の東京オペラシティアートギャラリーでちょっとかわったタイトルの展覧会が開催中です。面白いのは出品作品を、1976年イギリス生まれの作家ライアン・ガンダーが寺田コレクションの中からセレクションしていることです。

『「ストーリーはいつも不完全……」「色を想像する」ライアンガンダーが選ぶ収蔵品展』
会期:2021年4月17日[土]─ 6月24日[木] ※開館の日程につきましてはウェブサイト等でご確認ください
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
休館日:月曜日
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団
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出品作家は李禹煥白髪一雄など誰でも知っている名前が並びますが、百瀬寿の名も挙げられており、むかし日向あき子さんに執筆していただいたエッセイを思い出し、再録した次第です。寺田コレクションは膨大ですが、百瀬さんの作品が展示されたのは久しぶりではないでしょうか。もしかしたら初めてかも知れません。
日向さんに百瀬寿論を執筆していただいたのは1984年、現代版画センタ―企画『MODERN PRINTS '85 同時代版画四十年展 INDEX』の図録のためです。この展覧会直後に現代版画センターは倒産し、最後の企画となりました。
●同展図録のご紹介
20200317_INDEXMODERN PRINTS '85 同時代版画四十年展 INDEX
現代版画センタ― 1984年 30×21cm 66P
編集/星野治樹(水夢社)+立川明美+瀬河理
発行人/綿貫不二夫
販売価格/税込価格 1,100円
※ときの忘れもので取り扱っています


●本日のお勧め作品は百瀬寿です。
momose_01_sakuhin百瀬寿 Hisashi MOMOSE
「作品」
ミクストメディア
100.0×100.0cm
サインあり

百瀬寿「NE. Platinum-gold to Gold」 (1) トリミング百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"NE. Platinum-gold to Gold"
ミクストメディア
45.0×45.0cm
サインあり

07_Square_lame-B_G_O_and_P百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' -B, G, O and P"
2001年 シルクスクリーン
30.5×30.5cm
Ed.100 サインあり
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●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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