井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第6回
『2021年夏に』
『二十二日の半券』は奇数月の22日に、わたくし井戸沼が独断と偏見で気になった映像作品を紹介するブログです。先日約1年ぶりに再会した友人が「アニエス・ヴァルダとJRの『Faces Places(顔たち、ところどころ)』を観たら旅がしたくなり、その日のうちにバスタ新宿に向かい静岡までバスで発った」という話をしてくれて、わたしも映画の感性を頭だけでなく身体で捉えられるような生活がしたいなと強く憧れを抱きました。それゆえ今回は最近みた映画やドラマ、映像作品のことを、自分の生活にまつわる記憶と共に紹介してみようと思います。出来るだけ7月22日以降、9月22日以前で視聴可能な作品を選びました。ほぼ感想文ですが、どうかご容赦ください……。
■『アメリカン・ユートピア』(スパイク・リー、2020)※公開中
4月、新井薬師のスタジオ35分に『粟津潔展 expose2021 海亀と天使の手』を観に行ったときのこと。併設のバーで飲んでいると(まだ緊急事態宣言前だった)たまたま居合わせた方が試写で観たらしいこの映画を「生涯ベスト!」と褒めていました。その方はかつてデヴィッド・バーンと親交があったようで当時のエピソードを披露されていたのですが、バーンはタクシーの中でシャツのボタンが取れたとき、当時のパートナー(バニー・ラッツ)に「縫って」と言うのではなく、すかさず鞄から裁縫セットを取り出し自らボタンを縫い始めたとか、NYのライブハウスで優待されそうになっても「No, I’m Newyorker.」と一般の列に並ぶとか、どれもお酒がうまくなる話でした。ブロードウェイショーを映画化した『アメリカン・ユートピア』は、ステージをつくりあげる全員が「そこに居ていい」という安心感と「自分にしか出来ない」という誇りを感じているのだなというのが表情から伝わってきて、そのことに胸を打たれました。自らステージを降りて、客席と目線を同じくしてから幕を閉じ、颯爽と自転車で帰宅するデヴィッド・バーン……最高 of 最高……!春、『ストップ・メイキング・センス』を一緒に観たひびきちゃんに会場で会えたのも嬉しかった。都議会選の前日に観に行ったのですが、あの映画ほど選挙の前日に観るにふさわしい映画はないですね。
■『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介、2021)※8月20日から全国公開
村上春樹の短編小説を映画化した同作。原作を読んだときには「人の気持ちをまるっきり理解することはできない、けれど自分の声には耳を澄ますことができる」という、あくまで他人は他人、自分は自分という事実を受け入れた上での物語なんだなと感じました。けれど映画版を観ると、たとえば言葉を投げかけ受け取ることや、セックスをすること、同じ車内で空気を共有することなど、あくまでも個である1人1人が、共有することができるかもしれないほんの少しの重なりについて信じられる気分が、ゆっくりと、いつの間にか自分の中に芽生えた気がしました。3時間の映画を通して「過程を体験した」ような感覚。撮影に行っていたスタッフさんによると、現場では絶対に、事務連絡であっても大声を出さないというルールが敷かれていたそう。普段通りの音量で、じわじわと声を届けていくイメージが、映画じたいの印象にも近しく思えました。
■『牡蠣のような猫が落ちてくる』(石原海、2021)※展示終了
天王洲アイル・Takuro Someya Contemporary Artで開催された『ジギタリス あるいは1人称のカメラ』展で観た映像インスタレーション。ヘッドフォンをつけたら、音程の狂ったThe Cureの“Just Like Heaven”にのせて画面の中の女が踊っており、思わず「サイコウッ」と口に出してしまった(前回のブログでもこの曲について触れたんです)。映像の脇ではどこか安っぽく、どこか艶かしい金色のカーテンが絶えず揺れていて、そのことにさらに心を掴まれ。映像のあらすじについてはもう明確に思い出せないのですが、私が鑑賞中に思い出していたのは華原朋美“I'm Proud”の「さまよったって/愛すること誇れる誰かに/会えなさそうで/会えそな気がしてたから生きてた…」という歌詞と、リムジンパーティーでは5000円くらいでマジシャンを呼ぶオプションがつけられるということ。さまよったって誇れる、会えなさそうだけど会える気がする、その予感で生きられる、魔法が簡単に金で買えてしまう……そういう可笑しさと切なさと心強さがこの作品には詰まっている気がして、興奮しました。展示のステートメントで細倉真弓さんが書いていた「泣けば目の前が曇るような個人的な眼差しと共に私たちは日々生きている」という一文も素晴らしい……。
■『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』(ルカ・グァダニーノ、2020)※配信中
「なんで詩を読むの?」「君の服(ファストファッション)が嫌いなのと同じ理由。おしゃれで安いけどすぐ飽きる。俺は意味が欲しい。詩はすべての言葉に意味がある。」「誰かとキスしたことある?」。このドラマを観ていた時の、異様に官能的でざわめく気持ちはなんだったんだろう。そもそも官能的ってなんなんだ、と自分なりに考えてみたけれど、私は脳の準備ができていない状況で、直感的に、いびつに、「綺麗」とか「美しい」と感じる何かを差し出されると瞬間的に「ッッ」と息を吸い込んでしまうような感覚があって、それを「官能的」と呼んでいる気がする。その気持ちの正体が本当に「官能的」なのかは分からないけれど、このドラマを観進めるあいだにはそういう時間が沢山あって(もはや「ッッ」」の瞬間が連鎖しすぎてとろけていた)、虜になってしまいました。同作をすすめてくれた友人が続けてミヤギフトシさんの『ディスタント』という小説をすすめてくれ、いま読んでいます(終わらないで)。どちらも米軍基地の話で、時代はトランプとブッシュ。
■『Rocks』(サラ・ガヴロン、2019)※8月から配信
こ、れ、が、映、画、……!!と胸のど真ん中を撃ち抜かれた心の1本。「ほぼ全員がプロではない」というキャストも、音楽も感情の映し出し方も、隅々まで本当に素晴らしかったです。Bunkamuraル・シネマが8月から始めるオンラインシネマ(!)『APARTMENT』で配信。ありがとう!
■『Romantic Comedy』(エリザベス・サンキー、2019)※8月から配信
本格的な分析がほとんどなされてこなかった「ラブコメ=ロマコメ」について考える映画。バンドもやっている監督があくまで自分の語り口で好きな映画について語る過程が非常に人間らしく、「フィルムエッセイ」という表現がすとんと腑に落ちました。「完璧さ」に怯えずに映画を語っていいんだと勇気をもらったし、なにより好きなラブコメ映画について豊富な資料と共に省みる機会をもらえたこともありがたい。
■『愛のくだらない』(野本梢、2020)※8月27日からテアトル新宿で公開
上映団体・ノーマルスクリーンの秋田祥さんがすすめてくださり試写へ。「自分が忙しいことは、コミュニケーションをおざなりにして良い理由にならないよ(大意)」という台詞が、ワークライフバランス壊れぎみ、気持ちの余裕なくなりがちの身にはブチ刺さりすぎて、観たあとずっと心の中に渦巻いています。日常のなかにある後ろめたい時間や感情の複雑さを、なかったことにしない映画だと思いました。
■+α
東京都美術館で開催されていた展示『暗くなるまで待っていて』がすごく良かったのですが、うまく言語化できずに悔しいです。 『十二人の写真家』(勅使河原宏、1955)や『カンウォンドのチカラ』(ホン・サンス、1998)はその日映画館に居合わせた人たちと過ごした夜を含めて楽しかったなあ。いま観たいのは『片袖の魚』(東海林毅、2021)。オリンピックの開催を目前に控え、怯えながらも生活をひたすら回す7月の現状です。

(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年9月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品は嶋田しづです。
嶋田しづ Shidu SHIMADA
《ラ・ヴィ・コティディエンヌb》
1995年 リトグラフ 34.0×50.0cm
Ed.60 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「没後30年 倉俣史朗展 今尚色褪せないデザインの革命児」

会期=8月12日~8月22日(無休)
会場=Bunkamura Gallery
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『2021年夏に』
『二十二日の半券』は奇数月の22日に、わたくし井戸沼が独断と偏見で気になった映像作品を紹介するブログです。先日約1年ぶりに再会した友人が「アニエス・ヴァルダとJRの『Faces Places(顔たち、ところどころ)』を観たら旅がしたくなり、その日のうちにバスタ新宿に向かい静岡までバスで発った」という話をしてくれて、わたしも映画の感性を頭だけでなく身体で捉えられるような生活がしたいなと強く憧れを抱きました。それゆえ今回は最近みた映画やドラマ、映像作品のことを、自分の生活にまつわる記憶と共に紹介してみようと思います。出来るだけ7月22日以降、9月22日以前で視聴可能な作品を選びました。ほぼ感想文ですが、どうかご容赦ください……。
■『アメリカン・ユートピア』(スパイク・リー、2020)※公開中
4月、新井薬師のスタジオ35分に『粟津潔展 expose2021 海亀と天使の手』を観に行ったときのこと。併設のバーで飲んでいると(まだ緊急事態宣言前だった)たまたま居合わせた方が試写で観たらしいこの映画を「生涯ベスト!」と褒めていました。その方はかつてデヴィッド・バーンと親交があったようで当時のエピソードを披露されていたのですが、バーンはタクシーの中でシャツのボタンが取れたとき、当時のパートナー(バニー・ラッツ)に「縫って」と言うのではなく、すかさず鞄から裁縫セットを取り出し自らボタンを縫い始めたとか、NYのライブハウスで優待されそうになっても「No, I’m Newyorker.」と一般の列に並ぶとか、どれもお酒がうまくなる話でした。ブロードウェイショーを映画化した『アメリカン・ユートピア』は、ステージをつくりあげる全員が「そこに居ていい」という安心感と「自分にしか出来ない」という誇りを感じているのだなというのが表情から伝わってきて、そのことに胸を打たれました。自らステージを降りて、客席と目線を同じくしてから幕を閉じ、颯爽と自転車で帰宅するデヴィッド・バーン……最高 of 最高……!春、『ストップ・メイキング・センス』を一緒に観たひびきちゃんに会場で会えたのも嬉しかった。都議会選の前日に観に行ったのですが、あの映画ほど選挙の前日に観るにふさわしい映画はないですね。
■『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介、2021)※8月20日から全国公開
村上春樹の短編小説を映画化した同作。原作を読んだときには「人の気持ちをまるっきり理解することはできない、けれど自分の声には耳を澄ますことができる」という、あくまで他人は他人、自分は自分という事実を受け入れた上での物語なんだなと感じました。けれど映画版を観ると、たとえば言葉を投げかけ受け取ることや、セックスをすること、同じ車内で空気を共有することなど、あくまでも個である1人1人が、共有することができるかもしれないほんの少しの重なりについて信じられる気分が、ゆっくりと、いつの間にか自分の中に芽生えた気がしました。3時間の映画を通して「過程を体験した」ような感覚。撮影に行っていたスタッフさんによると、現場では絶対に、事務連絡であっても大声を出さないというルールが敷かれていたそう。普段通りの音量で、じわじわと声を届けていくイメージが、映画じたいの印象にも近しく思えました。
■『牡蠣のような猫が落ちてくる』(石原海、2021)※展示終了
天王洲アイル・Takuro Someya Contemporary Artで開催された『ジギタリス あるいは1人称のカメラ』展で観た映像インスタレーション。ヘッドフォンをつけたら、音程の狂ったThe Cureの“Just Like Heaven”にのせて画面の中の女が踊っており、思わず「サイコウッ」と口に出してしまった(前回のブログでもこの曲について触れたんです)。映像の脇ではどこか安っぽく、どこか艶かしい金色のカーテンが絶えず揺れていて、そのことにさらに心を掴まれ。映像のあらすじについてはもう明確に思い出せないのですが、私が鑑賞中に思い出していたのは華原朋美“I'm Proud”の「さまよったって/愛すること誇れる誰かに/会えなさそうで/会えそな気がしてたから生きてた…」という歌詞と、リムジンパーティーでは5000円くらいでマジシャンを呼ぶオプションがつけられるということ。さまよったって誇れる、会えなさそうだけど会える気がする、その予感で生きられる、魔法が簡単に金で買えてしまう……そういう可笑しさと切なさと心強さがこの作品には詰まっている気がして、興奮しました。展示のステートメントで細倉真弓さんが書いていた「泣けば目の前が曇るような個人的な眼差しと共に私たちは日々生きている」という一文も素晴らしい……。
■『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』(ルカ・グァダニーノ、2020)※配信中
「なんで詩を読むの?」「君の服(ファストファッション)が嫌いなのと同じ理由。おしゃれで安いけどすぐ飽きる。俺は意味が欲しい。詩はすべての言葉に意味がある。」「誰かとキスしたことある?」。このドラマを観ていた時の、異様に官能的でざわめく気持ちはなんだったんだろう。そもそも官能的ってなんなんだ、と自分なりに考えてみたけれど、私は脳の準備ができていない状況で、直感的に、いびつに、「綺麗」とか「美しい」と感じる何かを差し出されると瞬間的に「ッッ」と息を吸い込んでしまうような感覚があって、それを「官能的」と呼んでいる気がする。その気持ちの正体が本当に「官能的」なのかは分からないけれど、このドラマを観進めるあいだにはそういう時間が沢山あって(もはや「ッッ」」の瞬間が連鎖しすぎてとろけていた)、虜になってしまいました。同作をすすめてくれた友人が続けてミヤギフトシさんの『ディスタント』という小説をすすめてくれ、いま読んでいます(終わらないで)。どちらも米軍基地の話で、時代はトランプとブッシュ。
■『Rocks』(サラ・ガヴロン、2019)※8月から配信
こ、れ、が、映、画、……!!と胸のど真ん中を撃ち抜かれた心の1本。「ほぼ全員がプロではない」というキャストも、音楽も感情の映し出し方も、隅々まで本当に素晴らしかったです。Bunkamuraル・シネマが8月から始めるオンラインシネマ(!)『APARTMENT』で配信。ありがとう!
■『Romantic Comedy』(エリザベス・サンキー、2019)※8月から配信
本格的な分析がほとんどなされてこなかった「ラブコメ=ロマコメ」について考える映画。バンドもやっている監督があくまで自分の語り口で好きな映画について語る過程が非常に人間らしく、「フィルムエッセイ」という表現がすとんと腑に落ちました。「完璧さ」に怯えずに映画を語っていいんだと勇気をもらったし、なにより好きなラブコメ映画について豊富な資料と共に省みる機会をもらえたこともありがたい。
■『愛のくだらない』(野本梢、2020)※8月27日からテアトル新宿で公開
上映団体・ノーマルスクリーンの秋田祥さんがすすめてくださり試写へ。「自分が忙しいことは、コミュニケーションをおざなりにして良い理由にならないよ(大意)」という台詞が、ワークライフバランス壊れぎみ、気持ちの余裕なくなりがちの身にはブチ刺さりすぎて、観たあとずっと心の中に渦巻いています。日常のなかにある後ろめたい時間や感情の複雑さを、なかったことにしない映画だと思いました。
■+α
東京都美術館で開催されていた展示『暗くなるまで待っていて』がすごく良かったのですが、うまく言語化できずに悔しいです。 『十二人の写真家』(勅使河原宏、1955)や『カンウォンドのチカラ』(ホン・サンス、1998)はその日映画館に居合わせた人たちと過ごした夜を含めて楽しかったなあ。いま観たいのは『片袖の魚』(東海林毅、2021)。オリンピックの開催を目前に控え、怯えながらも生活をひたすら回す7月の現状です。

(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年9月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品は嶋田しづです。
嶋田しづ Shidu SHIMADA《ラ・ヴィ・コティディエンヌb》
1995年 リトグラフ 34.0×50.0cm
Ed.60 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「没後30年 倉俣史朗展 今尚色褪せないデザインの革命児」

会期=8月12日~8月22日(無休)
会場=Bunkamura Gallery
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント