明日8月1日は熊谷守一の命日です(1977年8月1日死去 享年97)。

ときの忘れものでは昨日から「夏休み こども図書室 熊谷守一・五味太郎の絵本と版画」展を開催しており(7月30日~8月14日)、熊谷守一の版画作品を15点展示しています。

夏休み中のお子さんたちに絵本と版画を楽しんでもらおうという企画ですが、例によって亭主の悪い癖が出て、猛暑の中、資料類に埋もれて蟻地獄に陥っています(笑)

熊谷守一の亡くなったのは1977年(昭和52年)ですから亭主にとっては同時代人ですが、東京美術学校の同級生が青木繁ときくと、はるか昔の人という感じですね。
一世紀近くを生きた方ですから、キャリアは長い。
制作した油彩は多くが4号くらいの小品で、なおかつ寡作でした。
若い時から嘱目され、木村定三はじめコレクターにも恵まれ、戦前、戦後の大画商たちの多くが熊谷守一の展覧会を開いています。
例えば、戦前を代表する美術出版社であり、画商の石原求龍堂が1933(昭和8)年12月に資生堂ギャラリーで開いた「求龍堂十周年記念十大洋画展」に選んだのは藤島武二、長谷川昇、川島理一郎、満谷國四郎、岡田三郎助、梅原龍三郎、山下新太郎、安井曽太郎、石井柏亭、そして熊谷守一でした。10人に選ばれたのですから、いかに美術界で高い評価を得ていたか、おわかりになるでしょう。
伝説的な脱俗とも仙人とも称された波乱の人生に注目した評伝類はいくつも書かれています。
しかし、50号、100号などが並ぶ二科会の会場に平然として4号前後の小品を出品し続けた作家の創作姿勢と、作品についての本格的な研究はなかなか無かったようです(すいません不勉強で、亭主の目に触れた極く少ない文献からですが)。

AAA_0554 のコピー熊谷守一
「椿」
1973年-74年
シルクスクリーン
イメージサイズ:44.5×32.5cm
Ed.100  自筆サインあり

今回あらためていくつかの資料やカタログを読んだ中では、蔵屋美香先生(横浜美術館館長)の論考にたいへん刺激されました。
熊谷守一の作品は、これまで多くの人びとに、猫や蝶、花や鳥といったモチーフ、つまり内容の面から愛されてきた。そうした内容を描くにあたって、色やかたち、構図がどのように決められているのかといった形式的な側面が分析されることは少なかった。加えて、飄々と生きる「仙人」としての熊谷のイメージが、視覚表現について緻密な思考を行う専門家としての姿を見えづらくしてきた。そこにはおそらく、自由人たる「仙人」に理屈などあってほしくない、という見る側の願望がある。
(中略)
熊谷は、ある仮説にしたがって作品を作り、次いで構図を変え、かたちを変え色を変えてさまざまなヴァリエーションを試し、それらの効果を検証することこそを制作のルールに据えていたのではないか。
(中略)
熊谷は晩年、日中の時間を、庭でひたすら虫や鳥や植物をスケッチすることに費やしたと言われる。しかし、それらのスケッチを下敷きにした油彩画は、昼間の庭ではなく、夜、自ら細工した電球を取り付けたアトリエの中で制作された。同じ色彩を施した画面でも、当然ながら光によってその見え方は異なる。時間や季節によって変化する太陽光の下では、実験、検証のための条件を一定に保つことができない。そこで熊谷は、年中変わらぬ電球の光が得られる夜のアトリエを、自らの実験室として選んだのではなかっただろうか。
こころゆくままに描く「仙人」、という人びとの願望の雲に包まれた熊谷は、実のところこのように、夜な夜な実験室に立てこもる、(行き過ぎるほどの)理性と理屈の人だったのである。

蔵屋美香「闇夜の実験室:新しい熊谷守一」/『柳ケ瀬画廊の百年 熊谷芸術と資料』所収)>

なるほど、(行き過ぎるほどの)理性と理屈の人だったからこそ、4号という小さなサイズに己の世界を表出することに徹底してこだわり続けたのでしょう。
寡作と言われますが、いったい生涯でどのくらいの作品がつくられたのでしょうか。

<熊谷守一は生涯で3200点から4500点ほどの作品を制作したといわれています。油彩画については、2004年に刊行された熊谷油彩画の決定版『熊谷守一油彩画全作品集』(求龍堂)収録作品と、その後の取扱状況等から約1200点の生涯点数であったのではないかと推察されます。
(市川博一『柳ケ瀬画廊の百年 熊谷芸術と資料』(2021年、有限会社アート柳ケ瀬柳ケ瀬画廊刊)より>

2004年に求龍堂から刊行され1,048点を収録した『熊谷守一油彩画全作品集』(監修/熊谷榧(熊谷守一美術館館主)、陰里鐵郎、古川秀昭、島田康寛、池田良平、福井淳子)について、市川博一氏は上掲書で支持体の判明している約860点のうち、板に描かれた作品は約730点、画布が約110点、紙が約20点であり、サイズも6割以上が4号サイズ(33.4×24.3cm)が占めていると述べています。
熊谷守一は美術館での展覧会も多く、図録や書籍、画集も多く刊行されています。

熊谷守一_茄子と仔猫熊谷守一
茄子と仔猫》※原作1961年作
2018年
シルクスクリーン
イメージサイズ:23.7×32.8cm
Ed.80
印あり

今回、熊谷守一の版画作品を15点ほど出品します。
いずれもシルクスクリーン技法で生前に制作された2点と、没後にご遺族の監修によって制作された13点です。
それらをご紹介するにあたって、柳ケ瀬画廊が企画制作した『熊谷守一生前全版画集』(2007年、監修:熊谷榧、編集:池田良平、発行:岐阜新聞社)を参照しました。熊谷守一が生前に手掛けたが木版、リトグラフ、シルクスクリーン、版画集など50種類、135点が収録されています。さすがに長年熊谷作品を扱ってこられた画商さんによるもので、内容も充実しています。
ただし口絵に掲載されている銅版画(エッチング)3点については詳細が不明(制作年、刷り工房など)ということで、レゾネリストには入っていませんでした。
そこで、えっと思ったのですが、記憶の底に、熊谷守一の銅版画の展示記録が蘇ってきました。

さっそく岐阜県美術館(2014年)や東京国立近代美術館(2017年)の大回顧展の図録の作家略歴を参照したのですが、驚くほどあっさりした内容で、版画の出品歴もまったく記述がないばかりでなく、重要と思われる画廊での個展等についてもほとんど触れられていません。
長いキャリアで画廊での数多の展覧会を追っていたらキリがないとの判断かも知れません。

亭主が熊谷守一の一次資料にあたって調べたのは『資生堂ギャラリー七十五年史』の編纂作業のなかでしたが、熊谷守一は1933(昭和8)年から、1967(昭和42)年までの34年間に銀座の資生堂ギャラリーで二度の個展を含む13回の展覧会に出品しています。おそらく同一空間では最も付き合いの長かった場所(ギャラリー)ではないでしょうか。詳しくは、8月初旬のブログでご報告します。

「夏休み こども図書室 熊谷守一・五味太郎の絵本と版画」展が「こまごめ通信 7月号」で紹介されました。
vol28omotevol28ura「こまごめ通信」とは、<駒込を愛する人びと「駒込人」が発行するこまごめ通信。駒込人が愛する場所やお店を紹介しています。(ホームページより)>以前にも紙面でゴメス(こまごめ通信キャラクター)がときの忘れものへやってきたというお話の漫画を掲載していただきました。地元・駒込にお住いの方はぜひご覧ください。「こまごめ通信 7月号」はときの忘れものでもお配りしております(無料、先着順)。

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「夏休み こども図書室 熊谷守一・五味太郎の絵本と版画展」(予約制)開催中。
20210730_夏休み子ども図書館_039
会期=2021年7月30日(金)~8月14日(土) ※日・月・祝休
※観覧をご希望の方は事前にメールまたは電話にてご予約ください。
子どもから大人まで観て、読んで楽しめる夏休み企画です。
熊谷守一と五味太郎の版画27点とたくさんの絵本、冷たいお茶を用意してお待ちしています。出品作品の詳細は7月25日ブログに掲載しました。

案内状01両面

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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