土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

20.『地球創造説』~後編

さて本題の「地球創造説」ですが、200行以上に及ぶこの長詩について瀧口自身は後年、「超現実主義と私の詩的体験」(「ユリイカ」、書肆ユリイカ、1960年6月。図19)のなかで、次のように回想しています

「ある夏休みにピカビアの詩集「ユニイク・ユヌーク」を読んでふと感じたことから、片仮名で、行別けにして書いてみた。それは言葉の無関心さを装うために偶然ふさわしかった。「地球創造説」はこうして一気に書かれたが、行き詰まると辞典や百科全書の偶然ひらかれたページには必ず言葉があった。」

図19図19

また、「山繭」に発表した際の反響については、瀧口自ら「自筆年譜」1928年の項で「「地球創造説」の発表は同人間にささやかな衝撃をあたえ賛否両論に分れる」と述べています。それまでに発表した作品のタイトルは、文字通り「行」の意味と思われる“LINES”、「物語の断片」の意味の“Étamines Narratives”、「両生類」の意味の“amphibia”、「低音の哀歌」の意味の“Basse élégie”、“断片”など、いずれもやや素っ気ないものであるのに対して、“地球創造説”と、叙事詩を思わせる壮大なタイトルが与えられている点からしても、一連の詩的実験のなかでも転機をなすような、画期的な作品といえるでしょう。

縮刷版はハンディな体裁だったこともあり、知友に贈呈される機会も多かったようで、いくつかのエピソードが残されています。まず、ヨシダ・ヨシエ宛ての1冊はリバティ・パスポートとして贈られていたことが、近年、アーティストの嶋田美子さんの調査により判明しました。献呈本の1頁にロトデッサンが描かれ、英語で《For Yoshida Yoshie, as a Liberty Passport forever, Shuzo Takiguchi, Nov. 14. 1973, Tokyo》としたためられています。この点については嶋田さんが「瀧口修造、松澤宥、ヨシダ・ヨシエ」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第4号、2018年7月。図20~22)の中で、写真図版入りで解説されていますので、ご覧ください。

図20図20

図21図21

図22図22

また、縮刷版はマルセル・デュシャン夫人のティーニーにも献呈されています。献呈した際の模様を「寸秒夢、あとさき」(「現代詩手帖」10月臨時増刊瀧口修造、1974年10月。図23)のなかで、以下のように記しています。

「Géogénie n.f. 地球創造説(白水社、仏和大辞典の戦前版)
私のむかしの詩「地球創造説」(1928)を一冊の黒い本にしたが、そのまた黒い縮刷版を昨年出版した。それをティーニー・デュシャンにあげようと、献辞に標題を英語で入れるとき、GEOGENYと書こうとして、おもしろくもないなと思い、突嗟にGEOGENESISと、旧約の創世記を結びつけてしまう。覗き込むティーニーさんはふふと笑った。洒落と思ってくれたのであろう。
ネオロジズム? 私にはまだわからない。」

図23図23

これはおそらく1973年にフィラデルフィア美術館・ニューヨーク近代美術館で開催された「マルセル・デュシャン大回顧展」の、図録への寄稿者として瀧口が開会式に招待された際に、出来たばかりの縮刷版を持参し、献呈した際の様子を記したものと思われます。ときの忘れもののブログ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第19回でも述べましたが、フィラデルフィア美術館でティーニー夫人は、デュシャン研究家のロベール・ルベルやデュシャンの全作品集を編纂・刊行したイタリアの画商アルトゥーロ・シュヴァルツなども来場しているなか、特に瀧口に付き添って展示会場を案内して回り、さらにはニューヨークのアトリエにも招待するという歓待ぶりでした。東野芳明の証言によると、記念講演会会場にティーニーと連れ立って入場した瀧口を見て、来場していた一人のご婦人が、瀧口のことをデュシャン本人と勘違いしたそうですが(東野「デュシャン拾遺」、季刊「gq」第5号、ジイキュウ出版社、1974年2月。図24)、こうしたティーニーから示された異例ともいえる親愛の情や厚遇ぶりは、基本的にマルセル・デュシャンその人の瀧口に対する高い評価を受け継いだものだったと思われる点を、改めてここで指摘しておきたいと思います。

図24図24

つまり、1958年の欧州旅行の際にサルバドール・ダリの家でダリから紹介されて以降、瀧口からデュシャンへ『幻想画家論』(新潮社、1958年。図25)を、デュシャンから瀧口へと『塩の商人』MARCHAND du SEL(図26)を、相互に著書を献呈し合うような交流が始まり、『マルセル・デュシャン語録』の完成直前にデュシャンが他界するまで、かなり頻繁に書簡を交わしたのですが、もしこの過程でデュシャン自身が瀧口を評価していなかったとすれば、回顧展の際のティーニー夫人の応対も儀礼的で冷ややかなものだったはずです。開会式に招待されること自体、なかったかもしれません。上述のような温かく親密な応対だったのは、瀧口が進めていた『マルセル・デュシャン語録』の計画や送られてきた書簡などに、生前のデュシャンが好意的な反応を示し、おそらく愉快そうにしていたのを、ティーニー夫人も傍らから見ていたからと思われます。なお、瀧口・デュシャンの往復書簡は、2011年11月~12年1月に故・水沼啓和学芸員の企画により開催された千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録に収録されていますので、ご紹介しておきます(図27)。

図25図25

図26図26

図27図27

以上のように、『地球創造説』は、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』に続く瀧口2冊目の詩集で、すでにそれだけで貴重な本であることは間違いありませんが、さらに若き日に試みた「詩的実験」から晩年のマルセル・デュシャンやリバティ・パスポートに至るまで、瀧口の生涯の主要な出来事や人間関係などとの関りをもっている点で、独自の存在意義を有する1冊です。刊行から半世紀近く経過した現在では、古書市場での価格は当初の定価よりも高くなってはいますが、縮刷版であれば比較的容易に入手できますので、是非とも蔵書に加えられ、黒紙に墨インクの効果を実際に体験されるようお勧めします。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
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