素早い身振りと永遠性の定着
大林コレクション展「安藤忠雄 描く」
会期:2021年9月25日~2022年2月13日
会場:WHAT MUSEUM
今村創平
安藤忠雄の建築作品の、実現されたもの、計画で終わったもの、それらを合わせると膨大な数になる。これだけの数の建築を手掛けた建築家は、古今東西フランク・ロイド・ライドなど、ほかには数名を数えるのみである。そうした、建築家としての主たる設計活動とは別に、なぜこれほど多くのスケッチやドローイングを、この建築家は手掛けるのだろうか。
作品が多ければ、設計作業に伴ってスケッチ類が増えるのは当然だが、安藤の場合は設計過程で生み出されるものとは別に、スケッチやドローイングを大量に製作している。そして、それらは時として、完成した姿を映した建築写真以上に、重要に扱われることがある。建築家を理解するにあたって、建築作品がその対象となるのは当然であるが、同等に、手掛けたスケッチやドローイングの検証は、安藤においてはとりわけ意味がある。
安藤忠雄の展覧会は、これまでに世界各地で数多く開催されているものの、ドローイング等だけに限定した展覧会は珍しいだろう(*)。とはいえ、安藤の場合、ドローイングだけで展覧会が成立するのである。また、今回の展覧会は大林コレクション展という枠組みの中でのものであり、他の現代アートと並列されることで、安藤のドローイングには商業的価値が高いことも暗示されている。
最初にあげた、そして素朴な疑問、なぜ安藤はスケッチ類を描くのか。スケッチというのは、建物の構想が完成してから、仕上げとして描かれるドローイングとは異なり、頭の中に浮かんだ発想を急いで描き留める行為である。つまりそこには、作者の思考の瞬間が定着されている。安藤忠雄という創造者がインスピレーションを得たことが記録されている。発想を定着させるには、急ぎ描かなければならない。勢いスケッチの線は素早いものとなる。
例えば、建築家とスケッチの関係を示す典型的なものとして、建築家村野藤吾についてのこうした証言がある。
かように、スケッチとは建築家の発想の瞬間の証拠といえるが、実は今回展示されているものをはじめ、安藤が発表しているスケッチの多くは、建物が完成した後にあらためて描かれているものが多い。これはどういうことなのだろうか。
通常であればオリジナルのスケッチ(設計の初期段階のも)にのみ価値があり、あとから製作されたものは価値がないはずだ。にもかかわらず、安藤のケースにおいては、どうして事後的に描かれたスケッチが、商品として通用するほどの価値を持つのだろうか。
確かに、安藤忠雄は大林コレクションの他のアーティストと同様に、トップレベルのクリエーターであるから、手掛けたものにはマーケットとして価値があるという側面もあるだろう。ただ、そうとだけ捉えるのでは物足りない。他の建築家が、同じようなことを試みてもおそらく成立しない。なぜ安藤にはスケッチを再生産することが可能なのか。
スケッチは建築家の手を介してであり、そこには身体性が認められる。安藤の描く線は、生涯膨大なスケッチを描く建築家の体から生み出されたものである。私たちは安藤を、建築作品を通してのみならず、その活動的な個性的なキャラクターとともに把握している。数多くのメディアに登場し、多い時には年に数百回講演会に登壇すると聞く。情熱的に語り続ける安藤忠雄。ボクサーであったという過去と相まって、行動する建築家というイメージが強くある中で、私たちは安藤のスケッチの中に、彼の身体的躍動を見出すことができる。
そもそもスケッチというのは身体的な行為である。再び村野藤吾だが、名人とされた建築家はこのように述べている。
この村野の発言の後半部分とつながることを、安藤も書いている。
日本の書には、身体と描かれたの文字との関係がよくあらわれている。描かれたものは文字かもしれないが、書には書き手の体の動きがそのまま定着されている。
書家の石川九楊は、〈筆蝕〉の重要性を説き、書とは紙面に身体の延長としての筆が触れることが、その本質だとしている。
筆と和紙を用いる書という文化が、私たちの日常から消えて久しいが、ここで取り上げているいるスケッチと身体の関係は、とりわけ日本では重要な文化であったことといえる。
みたび村野藤吾によると、
今回展示されているスケッチとドローイングのほとんどで、用紙として和紙が用いられている。これもまた意外なことである。和紙は、私たちにとって、今ではなじみの薄い被書字物である。純粋に、和紙という紙のもつ質感が好ましくて、安藤は採用したのかもしれない。一方で、和紙は、やはり日常使いのものではないから(建築家が何でも手元にある紙にスケッチを描くことは、先にあげた村野についての通り)、これらのスケッチの製作のためにわざわざ用意し、すでに頭の中でイメージされていたものを描いたと推測される。だとすると、インスピレーションが沸いて、すぐさま描きとめるということからは遠い。今回展示されているいくつかは、ニューヨークでの展覧会用に製作されたと聞くので、日本の建築家として和紙を使うと受けがいいという算段があったのか。ただ、そうしたいくつかの事情があるにしても、安藤忠雄が和紙を選択したのは、この素材が持つ耐久性ゆえではないか。今日の日常的に用いられる紙が、どれほどの期間保存に耐えるかは、はなはだ頼りない。和紙は、数千年もの時間に耐えることが実証されている。磯崎新は、建築図面についてこう書いたことがある。
安藤忠雄の建築は、簡潔な幾何学の組み合わせによって構成されている。そのことによって、流行に左右されない永遠性が、コンクリートによるモノリスティックな形状とともに獲得されている。今回展示されている大判のモノクロのドローイングは、鉛筆による無数の線を重ね合わせて濃淡を生み出し表現されている。その制作の作業には、長い時間を要することは容易に想像がつく。それは、フランスボザールでの建築図面が、長い修練を経た技量によって精緻に描かれたことを想起させる。あたかも一瞬のように素早い手つきで生みだされるスケッチ群とはとても対照的に、鉛筆によるドローイングは長い時間が掛けられ、それゆえ永遠性を志向している。そこには、自らの作品を長く残したいという思いとともに、安藤の作品の永遠性が重ねあわされている。
* 昨年、安藤忠雄の図面を中心とした展覧会が開催されている。ただし、その際も図面だけではなく、模型なども展示されていた。
今村創平「建築への思いを伝える、安藤忠雄の建築図面」 : ギャラリー ときの忘れもの (livedoor.jp)
(いまむら そうへい)
■今村創平
建築家。千葉工業大学建築学科 教授。
早稲田大学卒。AAスクール、長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。アトリエ・イマム主宰。
建築作品として《神宮前の住宅》、《大井町の集合住宅》など。
著書として、『現代都市理論講義』、『20世紀建築の発明』(訳書、アンソニー・ヴィドラー著)など。
公益社団法人 日本建築家協会 理事。
大林コレクション展「安藤忠雄 描く」
会期:2021年9月25日~2022年2月13日
会場:WHAT MUSEUM 1階 Space2(東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号)

大林コレクション展「安藤忠雄 描く」では、長さ10mにおよぶドローイングを中心に、初期建築作品のスケッチ、未完のプロジェクトのシルクスクリーンを含む平面作品15点を展示。ときの忘れものブログでもおなじみの王聖美さんが担当です。
【見どころ】
◼️安藤忠雄氏による初期のドローイング、シルクスクリーンを含む平面作品15点を展示
◼️彫刻家グザヴィエ・ヴェイヤンによる高さ約2mの彫刻《Tadao Ando》 を日本初公開
◼️未完のプロジェクト《宇都宮プロジェクト》、《中之島プロジェクトⅠ(大阪市役所)》を展示
◼️上海ビエンナーレ(2000年開催)で制作された、長さ10mの《ベネッセハウス-直島コンテンポラリーアートミュージアム》ドローイングを日本初公開
安藤忠雄《光の教会のための習作》 Photo by Keizo KIOKU
安藤忠雄《住吉の長屋のための習作》(部分) Photo by Keizo KIOKU
安藤忠雄《宇都宮プロジェクトⅠ》 by courtesy of TOKI-NO-WASUREMONO / WATANUKI Ltd.
安藤忠雄《中之島プロジェクトⅠ(大阪市役所)》 Photo by Keizo KIOKU
●本日のお勧めは安藤忠雄です。
《住吉の長屋》
1998年
シルクスクリーン
イメージサイズ:43.0×69.5cm
シートサイズ:60.0×90.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
大林コレクション展「安藤忠雄 描く」
会期:2021年9月25日~2022年2月13日
会場:WHAT MUSEUM
今村創平
安藤忠雄の建築作品の、実現されたもの、計画で終わったもの、それらを合わせると膨大な数になる。これだけの数の建築を手掛けた建築家は、古今東西フランク・ロイド・ライドなど、ほかには数名を数えるのみである。そうした、建築家としての主たる設計活動とは別に、なぜこれほど多くのスケッチやドローイングを、この建築家は手掛けるのだろうか。
作品が多ければ、設計作業に伴ってスケッチ類が増えるのは当然だが、安藤の場合は設計過程で生み出されるものとは別に、スケッチやドローイングを大量に製作している。そして、それらは時として、完成した姿を映した建築写真以上に、重要に扱われることがある。建築家を理解するにあたって、建築作品がその対象となるのは当然であるが、同等に、手掛けたスケッチやドローイングの検証は、安藤においてはとりわけ意味がある。
安藤忠雄の展覧会は、これまでに世界各地で数多く開催されているものの、ドローイング等だけに限定した展覧会は珍しいだろう(*)。とはいえ、安藤の場合、ドローイングだけで展覧会が成立するのである。また、今回の展覧会は大林コレクション展という枠組みの中でのものであり、他の現代アートと並列されることで、安藤のドローイングには商業的価値が高いことも暗示されている。
最初にあげた、そして素朴な疑問、なぜ安藤はスケッチ類を描くのか。スケッチというのは、建物の構想が完成してから、仕上げとして描かれるドローイングとは異なり、頭の中に浮かんだ発想を急いで描き留める行為である。つまりそこには、作者の思考の瞬間が定着されている。安藤忠雄という創造者がインスピレーションを得たことが記録されている。発想を定着させるには、急ぎ描かなければならない。勢いスケッチの線は素早いものとなる。
例えば、建築家とスケッチの関係を示す典型的なものとして、建築家村野藤吾についてのこうした証言がある。
- 村野はスケッチを描き全体の構想を練ることが多くあった。頭に浮かんだものをすぐに手元にあるものに描くために常に小さなメモ帳を持ち歩いていたが、間に合わない時などは新聞の切れ端や銀行の封筒、包装紙の裏など、いたる所にイメージを残していた。
かように、スケッチとは建築家の発想の瞬間の証拠といえるが、実は今回展示されているものをはじめ、安藤が発表しているスケッチの多くは、建物が完成した後にあらためて描かれているものが多い。これはどういうことなのだろうか。
通常であればオリジナルのスケッチ(設計の初期段階のも)にのみ価値があり、あとから製作されたものは価値がないはずだ。にもかかわらず、安藤のケースにおいては、どうして事後的に描かれたスケッチが、商品として通用するほどの価値を持つのだろうか。
確かに、安藤忠雄は大林コレクションの他のアーティストと同様に、トップレベルのクリエーターであるから、手掛けたものにはマーケットとして価値があるという側面もあるだろう。ただ、そうとだけ捉えるのでは物足りない。他の建築家が、同じようなことを試みてもおそらく成立しない。なぜ安藤にはスケッチを再生産することが可能なのか。
スケッチは建築家の手を介してであり、そこには身体性が認められる。安藤の描く線は、生涯膨大なスケッチを描く建築家の体から生み出されたものである。私たちは安藤を、建築作品を通してのみならず、その活動的な個性的なキャラクターとともに把握している。数多くのメディアに登場し、多い時には年に数百回講演会に登壇すると聞く。情熱的に語り続ける安藤忠雄。ボクサーであったという過去と相まって、行動する建築家というイメージが強くある中で、私たちは安藤のスケッチの中に、彼の身体的躍動を見出すことができる。
そもそもスケッチというのは身体的な行為である。再び村野藤吾だが、名人とされた建築家はこのように述べている。
- たえずスケッチをして手を動かすようにしています。まず物理的に手が自由にならないといけないのですね。だからいつも手を動かして柔軟にしておくことです。芸術をやる人は皆そうしています。...手を動かすということは頭を使うということでもあるわけで、やっているうちに手を通じて平生の蓄積が頭から出ているくるのです。
この村野の発言の後半部分とつながることを、安藤も書いている。
- 建築は、最初のスケッチで骨格が決まってしまうものだ。一瞬の手の動きが、すべてを決定する。アイデアをまとめる時、ふと、じぶんが引いた一筋の線に、今まで見て歩いてきた建物や空間の断片がよみがえるものかどうか、私にはわからない。ただ、ひとつ言えることは、自らの身体を通じた空間体験があってこそ、描く一筋の線は意味を持っているということなのだろう。
日本の書には、身体と描かれたの文字との関係がよくあらわれている。描かれたものは文字かもしれないが、書には書き手の体の動きがそのまま定着されている。
書家の石川九楊は、〈筆蝕〉の重要性を説き、書とは紙面に身体の延長としての筆が触れることが、その本質だとしている。
- 「書く」ことと「話す」ことを分けるもの、それは〈筆蝕〉つまり、書き手が手に握った尖筆の尖端と被書字物である紙とのあいだの摩擦―〈蝕〉と、その残された痕跡―〈蝕〉である。言葉を話すときには、〈筆蝕〉は存在しない。〈筆蝕〉の有無―これが書くことと話すことを分ける境界である。この〈筆蝕〉の問題にはいりこまないかぎりは、「書く」ことの本質には届かない。
筆と和紙を用いる書という文化が、私たちの日常から消えて久しいが、ここで取り上げているいるスケッチと身体の関係は、とりわけ日本では重要な文化であったことといえる。
みたび村野藤吾によると、
- 私の先輩たちは、図面はみな薄美濃です。それに5Bくらいの鉛筆で、スーゥとなでるように描く。こうすると『さわり』が違うわけです……。これは練習が必要です。手の訓練と、もちろん気持ちの訓練の双方が必要です……。いま、教え方も機械的ですし、習うほうも機械的でしょう。その間に精神を使うといった余裕がありません。
今回展示されているスケッチとドローイングのほとんどで、用紙として和紙が用いられている。これもまた意外なことである。和紙は、私たちにとって、今ではなじみの薄い被書字物である。純粋に、和紙という紙のもつ質感が好ましくて、安藤は採用したのかもしれない。一方で、和紙は、やはり日常使いのものではないから(建築家が何でも手元にある紙にスケッチを描くことは、先にあげた村野についての通り)、これらのスケッチの製作のためにわざわざ用意し、すでに頭の中でイメージされていたものを描いたと推測される。だとすると、インスピレーションが沸いて、すぐさま描きとめるということからは遠い。今回展示されているいくつかは、ニューヨークでの展覧会用に製作されたと聞くので、日本の建築家として和紙を使うと受けがいいという算段があったのか。ただ、そうしたいくつかの事情があるにしても、安藤忠雄が和紙を選択したのは、この素材が持つ耐久性ゆえではないか。今日の日常的に用いられる紙が、どれほどの期間保存に耐えるかは、はなはだ頼りない。和紙は、数千年もの時間に耐えることが実証されている。磯崎新は、建築図面についてこう書いたことがある。
- 「宮内庁京都事務所を訪ねて、そこに保管されている桂離宮の実測図を見せてもらうのが目的だった。...
いまの建築図面はクズみたいになっちまった、とこの原本を見て思った。ケント紙に墨入れしてある。昔はだれもがやった。烏口ではなくロットリングを使ったかも知れない。...オートCADからプリントアウトされる今日の図面とは大違いだ。理由の説明は省いてしまうけどこの原本にはまだアウラが残っている。図面そのものが芸術作品だ、といってもいい。二十年前はそれが常道だった。」
安藤忠雄の建築は、簡潔な幾何学の組み合わせによって構成されている。そのことによって、流行に左右されない永遠性が、コンクリートによるモノリスティックな形状とともに獲得されている。今回展示されている大判のモノクロのドローイングは、鉛筆による無数の線を重ね合わせて濃淡を生み出し表現されている。その制作の作業には、長い時間を要することは容易に想像がつく。それは、フランスボザールでの建築図面が、長い修練を経た技量によって精緻に描かれたことを想起させる。あたかも一瞬のように素早い手つきで生みだされるスケッチ群とはとても対照的に、鉛筆によるドローイングは長い時間が掛けられ、それゆえ永遠性を志向している。そこには、自らの作品を長く残したいという思いとともに、安藤の作品の永遠性が重ねあわされている。
* 昨年、安藤忠雄の図面を中心とした展覧会が開催されている。ただし、その際も図面だけではなく、模型なども展示されていた。
今村創平「建築への思いを伝える、安藤忠雄の建築図面」 : ギャラリー ときの忘れもの (livedoor.jp)
(いまむら そうへい)
■今村創平
建築家。千葉工業大学建築学科 教授。
早稲田大学卒。AAスクール、長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。アトリエ・イマム主宰。
建築作品として《神宮前の住宅》、《大井町の集合住宅》など。
著書として、『現代都市理論講義』、『20世紀建築の発明』(訳書、アンソニー・ヴィドラー著)など。
公益社団法人 日本建築家協会 理事。
大林コレクション展「安藤忠雄 描く」
会期:2021年9月25日~2022年2月13日
会場:WHAT MUSEUM 1階 Space2(東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号)

大林コレクション展「安藤忠雄 描く」では、長さ10mにおよぶドローイングを中心に、初期建築作品のスケッチ、未完のプロジェクトのシルクスクリーンを含む平面作品15点を展示。ときの忘れものブログでもおなじみの王聖美さんが担当です。
【見どころ】
◼️安藤忠雄氏による初期のドローイング、シルクスクリーンを含む平面作品15点を展示
◼️彫刻家グザヴィエ・ヴェイヤンによる高さ約2mの彫刻《Tadao Ando》 を日本初公開
◼️未完のプロジェクト《宇都宮プロジェクト》、《中之島プロジェクトⅠ(大阪市役所)》を展示
◼️上海ビエンナーレ(2000年開催)で制作された、長さ10mの《ベネッセハウス-直島コンテンポラリーアートミュージアム》ドローイングを日本初公開
安藤忠雄《光の教会のための習作》 Photo by Keizo KIOKU
安藤忠雄《住吉の長屋のための習作》(部分) Photo by Keizo KIOKU
安藤忠雄《宇都宮プロジェクトⅠ》 by courtesy of TOKI-NO-WASUREMONO / WATANUKI Ltd.
安藤忠雄《中之島プロジェクトⅠ(大阪市役所)》 Photo by Keizo KIOKU●本日のお勧めは安藤忠雄です。
《住吉の長屋》1998年
シルクスクリーン
イメージサイズ:43.0×69.5cm
シートサイズ:60.0×90.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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