佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第59回
群空洞と囲い
クリの丸太を刻み、刻んだ塊を鉄の脚で支持しようと、クリと鉄をいろいろと組み合わせていると少し良くないことが生まれる。クリが鉄に触れるとその部分が黒く変色してしまうのである。これは鉄が媒染体となってクリに含まれるタンニンが反応してしまうためであるが、ただ触れる部分に限らず、特にチェーンソーなどの刃物の切り跡などでも同様の反応が起こってしまうので結構厄介なのだ。
はじめはどうにかクリと鉄を遠ざけて、鉄にはクリア塗装を施すなどをしてクリと鉄の接触を避けようとしていた。けれども、やってみるとやはりどうにもその離隔は完全なものにはならないので悩んだ。さらには自分の作業場は半分吹きさらしのような差し掛けの荒ら小屋であり、鉄木材プラスチックがごちゃごちゃと肩身を寄せ合って転がっている有様であるので、どうにもそうしたキッチリと離隔をとることは困難なのであった。それもまた自分の性分なのでしょうがないのだが、であればと、ひとまず離隔は諦めて、むしろ鉄とクリがうまく組み合わさる、混ざり合う形はないものかと考えた。
そうして、クリをいっそのこと真っ黒にしてしまおう、クリの隅々までを鉄媒染してしまうという意匠に至ったのである。媒染となれば、今まで藍染めや柿渋染めに取り組んできていたので、自分にとって仕組みも馴染み深い。酸化鉄を作るのも、自分の作業場には写真現像で使う酢酸液がたくさんあるので全く困らなかった。そのへんに転がっているサビだらけの鉄釘を集めて薪ストーブの上に乗せて煮出し、そこに酢酸液を加えて朦々と酸っぱい湯気を立ちこめさせる。そうしてドス黒い酸化鉄液を生成し、クリの塊に塗りたくった。我ながら、自分のガサガサとした生活、環境に対してとても素直な意匠になったと思っている。



囲い込むための空洞1
2021年
クリ、鉄、鉄媒染
H100cm
今現在、数体の立体物を制作中である。それらはどれもクリの塊に四角い空洞を彫り抜いている。フタをしているものもあれば、カメラになるようにさらに細工を施しているものもある。この立体制作が一体何なのか。なぜこんなに頑張っているのか。正直まだよく分からない。分からないけれども、確かな面白みと可能性を感じて彫り続けている。そんな作業の合い間に、先人らの木彫りについて調べ、いろいろと考えを巡らせていた。そうして出会ったのが、古代・中世の間に生まれた密教系の一木彫り仏像であった。数年前、おそらく学生のころであるが、一時期、密教系、あるいは奈良の法隆寺系の仏像彫刻に関心があり、関西に行っては仏像を眺めていたことがあった。知識として体系的に学んではいなかったが、それらの仏像群が持つ、生々しい威厳を備えた造型に強く惹かれたのであった。それを古代的、あるいは大陸的と形容するのかもしれない。造型を自分が模して彫れるとは到底思えないが、自分自身が身を置く環境、世界を踏まえて、どのような造型が今あり得るのか、について考えている。来春にときの忘れもので開催する予定の個展のステートメントにはそのようなことを記した。以下、ステートメントの転載である。タイトルは最終的に「群空洞と囲い」になった。
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群空洞と囲い
空海による教風が確立された密教を純密と呼ぶのに対して、それ以前の有象無象の密教を雑部密教、雑密と呼ぶことがある。雑密は、地場の神信仰と結合し、体系化されずに断片的かつ同時多発的に生まれ出た、私度の僧による信仰であった。
雑密の内で制作された一木彫の仏像には、当時の腐敗した仏教界、社会全体に怒りの念を表明する、屹立とした荒々しさがあった。おそらくは木彫でないと表現できないような、ドップリと大らかに構えた量感ある異様な造型感覚が注入されていた。
歴史の中では古代から中世への転形と言える束の間の造型であったのかもしれないが、正統に対する異端、中心に対する外縁が担わざるを得ない先鋭性がそこにはあった。造型の極北として、外縁から生まれ出た必然として、雑密仏は再考される必要がある。
そんな、夢想に近い、1000年前の制作への思考を、私は東北地方の片田舎で巡らせている。地域圏は違うが、自分自身が在地社会に身を置いたことで、雑密仏に込められたような外縁としての造型感覚を突き詰めて考えることができるかもしれないと考えた。それは、移動が制限されていた昨今のコンディションによってさらに強く思うに至った。
東北では比較的容易にクリの丸太が手に入る。寒冷地の利であるとも言える。そしてクリの丸太に空洞を彫り抜く。空洞を彫るのは、これが同時に建築の縮減模型の役割も果たすからだ。そして、彫った空洞に鉄をまとわり付かせ、自立させる。自立した空洞は、家具、あるいは何かを囲い込むための道具として、ヒトの生活圏のどこかに位置付けられる。鉄とクリの取り合いは重要な関心事である。なぜならばこの空洞は、ある種の開口部にまつわる実験でもあるからだ。入口と出口。空洞はその形式故に必ずある方向性が定められる。そして方向を持った複数の空洞が、古寺に集結する雑密仏の如く群居し、揺蕩う煙のように微かに連続する風景を企てる。
2021年12月
佐藤研吾
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(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●お知らせ
銀座・ギャラリーせいほうの年末小品展に佐藤研吾さんが出品します。
「年末彫刻小品展 YEAR END EXHIBITION OF MINI SCULPTURES」
会期=2021年12月7日(火)~12月21日(火)
会場=ギャラリーせいほう(〒104-0061 東京都中央区銀座 8丁目10番7号 東成ビル1 F)
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
群空洞と囲い
クリの丸太を刻み、刻んだ塊を鉄の脚で支持しようと、クリと鉄をいろいろと組み合わせていると少し良くないことが生まれる。クリが鉄に触れるとその部分が黒く変色してしまうのである。これは鉄が媒染体となってクリに含まれるタンニンが反応してしまうためであるが、ただ触れる部分に限らず、特にチェーンソーなどの刃物の切り跡などでも同様の反応が起こってしまうので結構厄介なのだ。
はじめはどうにかクリと鉄を遠ざけて、鉄にはクリア塗装を施すなどをしてクリと鉄の接触を避けようとしていた。けれども、やってみるとやはりどうにもその離隔は完全なものにはならないので悩んだ。さらには自分の作業場は半分吹きさらしのような差し掛けの荒ら小屋であり、鉄木材プラスチックがごちゃごちゃと肩身を寄せ合って転がっている有様であるので、どうにもそうしたキッチリと離隔をとることは困難なのであった。それもまた自分の性分なのでしょうがないのだが、であればと、ひとまず離隔は諦めて、むしろ鉄とクリがうまく組み合わさる、混ざり合う形はないものかと考えた。
そうして、クリをいっそのこと真っ黒にしてしまおう、クリの隅々までを鉄媒染してしまうという意匠に至ったのである。媒染となれば、今まで藍染めや柿渋染めに取り組んできていたので、自分にとって仕組みも馴染み深い。酸化鉄を作るのも、自分の作業場には写真現像で使う酢酸液がたくさんあるので全く困らなかった。そのへんに転がっているサビだらけの鉄釘を集めて薪ストーブの上に乗せて煮出し、そこに酢酸液を加えて朦々と酸っぱい湯気を立ちこめさせる。そうしてドス黒い酸化鉄液を生成し、クリの塊に塗りたくった。我ながら、自分のガサガサとした生活、環境に対してとても素直な意匠になったと思っている。



囲い込むための空洞1
2021年
クリ、鉄、鉄媒染
H100cm
今現在、数体の立体物を制作中である。それらはどれもクリの塊に四角い空洞を彫り抜いている。フタをしているものもあれば、カメラになるようにさらに細工を施しているものもある。この立体制作が一体何なのか。なぜこんなに頑張っているのか。正直まだよく分からない。分からないけれども、確かな面白みと可能性を感じて彫り続けている。そんな作業の合い間に、先人らの木彫りについて調べ、いろいろと考えを巡らせていた。そうして出会ったのが、古代・中世の間に生まれた密教系の一木彫り仏像であった。数年前、おそらく学生のころであるが、一時期、密教系、あるいは奈良の法隆寺系の仏像彫刻に関心があり、関西に行っては仏像を眺めていたことがあった。知識として体系的に学んではいなかったが、それらの仏像群が持つ、生々しい威厳を備えた造型に強く惹かれたのであった。それを古代的、あるいは大陸的と形容するのかもしれない。造型を自分が模して彫れるとは到底思えないが、自分自身が身を置く環境、世界を踏まえて、どのような造型が今あり得るのか、について考えている。来春にときの忘れもので開催する予定の個展のステートメントにはそのようなことを記した。以下、ステートメントの転載である。タイトルは最終的に「群空洞と囲い」になった。
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群空洞と囲い
空海による教風が確立された密教を純密と呼ぶのに対して、それ以前の有象無象の密教を雑部密教、雑密と呼ぶことがある。雑密は、地場の神信仰と結合し、体系化されずに断片的かつ同時多発的に生まれ出た、私度の僧による信仰であった。
雑密の内で制作された一木彫の仏像には、当時の腐敗した仏教界、社会全体に怒りの念を表明する、屹立とした荒々しさがあった。おそらくは木彫でないと表現できないような、ドップリと大らかに構えた量感ある異様な造型感覚が注入されていた。
歴史の中では古代から中世への転形と言える束の間の造型であったのかもしれないが、正統に対する異端、中心に対する外縁が担わざるを得ない先鋭性がそこにはあった。造型の極北として、外縁から生まれ出た必然として、雑密仏は再考される必要がある。
そんな、夢想に近い、1000年前の制作への思考を、私は東北地方の片田舎で巡らせている。地域圏は違うが、自分自身が在地社会に身を置いたことで、雑密仏に込められたような外縁としての造型感覚を突き詰めて考えることができるかもしれないと考えた。それは、移動が制限されていた昨今のコンディションによってさらに強く思うに至った。
東北では比較的容易にクリの丸太が手に入る。寒冷地の利であるとも言える。そしてクリの丸太に空洞を彫り抜く。空洞を彫るのは、これが同時に建築の縮減模型の役割も果たすからだ。そして、彫った空洞に鉄をまとわり付かせ、自立させる。自立した空洞は、家具、あるいは何かを囲い込むための道具として、ヒトの生活圏のどこかに位置付けられる。鉄とクリの取り合いは重要な関心事である。なぜならばこの空洞は、ある種の開口部にまつわる実験でもあるからだ。入口と出口。空洞はその形式故に必ずある方向性が定められる。そして方向を持った複数の空洞が、古寺に集結する雑密仏の如く群居し、揺蕩う煙のように微かに連続する風景を企てる。
2021年12月
佐藤研吾
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(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●お知らせ
銀座・ギャラリーせいほうの年末小品展に佐藤研吾さんが出品します。
「年末彫刻小品展 YEAR END EXHIBITION OF MINI SCULPTURES」
会期=2021年12月7日(火)~12月21日(火)
会場=ギャラリーせいほう(〒104-0061 東京都中央区銀座 8丁目10番7号 東成ビル1 F)
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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