土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

22.『スフィンクス』~後編

底本の問題はさておき、本書への再録に際して、おそらく本書の体裁に合わせるためと思われますが、詩の本文に若干の修正が施されています。原作者でなければ手を入れることはないでしょうから、本書の刊行に対して瀧口自身もかなり主体的に関わっていたのは、間違いないと思われます。少し専門的になりますが、以下に本書の6篇の詩を掲げ、初出との異同を(「地球創造説」「睡魔」の2篇は創元文庫版との異同も)まとめておきます。

地球創造説(図13)
Mammonノ惡魔ハ新鮮ナ金貨ヲ
用意シテヰル
ソノ特徴アル職業ノタメニ・・・・
ソノ鋭利ナ季節ニ
再ビ野獸ニ復ルライオンノ奇癖ハ
靈感ニ悩ム
物語ハ月夜ニ笛ト共ニ蒸發シテ終ツタ
ソシテ酒ノヤウニ最モ古イ部分ガ殘ル

[異同]
1~2行目の「…金貨ヲ/用意シテヰル」の箇所は、初出では(創元文庫版でも)改行なし。

図13図13

五月のスフィンクス(図14)
夜の無い星
盲ひた眼の噴水
風の鏡の中の巨大な夜々
澄明な雛鳥の巨大な足跡

輕い五月のスフィンクス
不條理な千の影たち

羞恥のない美のくぼみと自由
あなたはラヂウムの果物である
しかしうら若いその手は直ぐ
黑い無限の手套に慣れるだろう

暴風の日に
僕たちは恐ろしい孤独の虹を
殺された砂の上で放牧するだろう

[異同]
10・13行目の「だろう」は、初出では「だらう」。

図14図14

睡魔(図15)
ランプの中の噴水 噴水の中の仔牛 仔牛の
中の蝋燭 蝋燭の中の噴水 噴水の中の
ランプ
私は寝床の中で奇妙な昆蟲の軌跡を
追つていた
そして瞼の近くで深い記憶の淵に落ちていた
忘れ難い顔のような
眞珠母の地獄の中へ
私は手をかざしさえすればよい
地下には澄んだ水が流れている
卵形の車輪は
遠い森の小筐に眠つていた
夢は小石の中に隱れた

[異同]
1~3行目の1字アケの箇所は、初出では(創元文庫版でも)読点「、」。
1~3行目および4・5行目は、初出では(創元文庫版でも)改行なし。
5・10・12行目の「いた」「いる」は、創元文庫版に従っているが、初出では「ゐた」「ゐる」。
6行目の「落ちていた」は、創元文庫版に従っているが、初出では「落ちこんだ」。
9行目の「よい」は、創元文庫版に従っているが、初出では「いゝ」。
9・10行目の間に、初出では「小鳥は歌ひ出しさへすればいゝ」の1行あり(創元文庫版でもこの行ナシ)。

図15図15

岩石は笑った(図16)
狂つた世紀の蟇標のための
鐵の帽子 湧きでた例しのない噴水塔は
蝶々の幽靈 揚げられた例しのない幕を
狂つた歌を叫びながら追つてゆく
壊れた夕闇の貝殻の中の
若い女たちの飴のゑくぼを踏みにじつた人間たちは
彼等の自由 永遠に濡れない海綿
停つた振子 正面體の心臓を持つ
裂けた眞夜中に裂けた犠牲たちに
人間の腦は沸き立つ花瓶となる
猿たち 共同墓地
乾燥したパン屑 不完全な家具 貝殻のカフエは沸き立つ
星は太陽と交接する 紫色の精液
それは廣漠たる明星
網膜の公園
闇の爆音のなかに一つの偉大な夕顔がひらく
奇妙な髭男

[異同]
全体を通じ1字アケの箇所は、初出ではすべて1字アケなし。
6行目の「踏みにじつた」は、初出では「踏みにぢつた」。
8行目の「正面體」は、初出では「正四面體」。
13~15行目および16・17行目は、初出では改行なし。

図16図16

妖精の距離(図17)
うつくしい齒は樹がくれに歌つた
形のいゝ耳は雲間にあつた
玉虫色の爪は水にまじつた
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失はれた
麥畠の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコツプもない
慾望の樂器のように
ひとすじ奇妙な線が貫かれていた
それは辛じて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲るだろう
それは辛じて小鳥の均衡に似ていた

[異同]
5・12・15行目の「ように」は、初出では「やうに」。
10行目の「カード」は、初出では「カアド」。
13行目の「ひとすじの奇妙な線が」は、初出では「ひとすぢの奇妙な線で」。
14・17行目の「辛じて」は、初出では「辛うじて」。
14・17行目「似ていた」は、初出では「似てゐた」。
16行目の「棲るだろう」は、初出では「棲まるだらう」。

図17図17

魚の慾望(図18)
純潔な装飾
無數の逆さ蝋燭たちの疼痛
澄明な樹々の枝と花
無限大の鏡の轟きと
家々の窓々の痙攣

私の全身
一日一日輝きをましてゆく水の化石の中に
私の慾望はなほも泳ぐ
靑空と呼ぶ巨大な
釣燭台の落し子である私
たれも私を戀のスフインクスと呼ばない

私の夢は碧玉の
寓話の中で
一層靑く燦いた

[異同]
9・10行目および12・13行目は、初出では改行なし。
14行目の「燦いた」は、初出では「燦めいた」。

図18図18

本書の奥付には「1-6までは各作家によるオリジナル・デッサン挿入」と記されていましたが、その「01」は瑛九のオリジナル・デッサン入りで(図19)、2013年5月26日のブログ「久保エディション第2回~瀧口修造『スフィンクス』」で紹介されています。この「01」番本の旧蔵者は岡鹿之助だったそうですが、久保と岡の緊密な関係や、オリジナル入りの豪華本を購入して刊行を支援するという、岡の一種の篤志家としての一面などが窺え、たいへん興味深く思われます。時間の流れとともに持ち主が変わっていくのは美術品の定めで、今は有名な瑛九コレクターの所蔵となっているそうです。大切にしてくれる所蔵家のもとに収まることこそ、作品の幸福なのでしょう。

図19図19

コレクション自慢のようで恐縮ですが、筆者所蔵の本書は50部のうち青インクで「Ⅰ」と記載されたおそらく番外本で、北川民次、瀧口修造、久保貞次郎の3名が(アルファベットにより)ペン書きで署名しています(図20)。働き始めて1年後の1978年5月頃に、神田神保町の古書店の店頭で見つけて入手したものですが、店主によると、旧蔵者は久保貞次郎その人だったそうです。番外本というより刊行者本というべきかもしれません。

b3127841-s図20

本書に続いて『マルセル・デュシャン語録』A版(図21)を入手し、さらに蒐集は水彩、デカルコマニー、バーント・ドローイング、吸取紙などの造形作品へと拡がりましたが、その中心には常に本書が存在していました。その意味で本書は筆者にとって、コレクターとしての出発点であり、また常に立ち返る原点でもある、文字どおり唯一無二の1冊です。ただ、物事には始まりがあれば終りがありますから、筆者のコレクションもいずれは終着点を迎え、本書もまた新たな旅を始めるのかもしれません。幸多かれと祈ります。

48c89fed-s図21

というわけで、『スフィンクス』の解題のつもりでしたが、いつの間にか限定本の旧蔵者からコレクションや美術品の運命へと脱線し、話が振り出しに戻ってしまったようですので、このあたりで筆を擱くことにします。2018年春に連載を開始してから3年半もの間、お付き合いいただきどうも有難うございました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

*画廊亭主敬白
毎月23日更新の土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の本」は今回で一区切りです。
土渕さん、長い間の連載、ご苦労さまでした。お読みいただいた読者の皆様にも厚く御礼を申し上げます。読者あってのブログです。土渕さんには来年以降も不定期で瀧口修造とその周辺についてご執筆いただく予定です。

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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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