みなさま
今年は正月のご挨拶をお出しそびれてしまいましたが、なんと本日は旧暦の正月元旦です。
たしかに今日の外の光は春の訪れを感じさせますね。
そこで遅ればせながら、明けましておめでとうございます、と申し上げたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
〈カタリココ〉も〈ことばのポトラック〉も開催できない状況が二年つづいており、今年もどうなるかわからない状態です。
これまで〈カタリココ〉では一年のはじめにその年の四回分の企画を立て、フライヤーをつくり、告知をしてきましたが、
もうそのようなやり方はむずかしいかもしれないと思っています。
これからは、やりたいと思ったときに、やりたい場所で、即興的に行う、というスタイルになるかもしれません。
ともあれ、ライブの場を諦めるわけではないので、ひきつづき可能性を探っていこうと思います。
ライブの〈カタリココ〉が出来なくなった代わりに、「カタリココ文庫」のほうは以前にもまして充実してきています。
今年も三冊刊行予定で、二月末にまず写真家の畠山直哉さんとの対談+彼の随想「心の陸前高田」を収めた、
『見えている パチリ!』を出します。
自分で自由に企画して制作できるこのような小さな出版物は、はじめてみると私の性に合っており、楽しくてなりません。
全巻三〇冊の刊行を目指してあと数年はがんばるつもりですので、応援していただけるとうれしいです。
https://katarikoko.stores.jp
個人出版ばかりに夢中になってはいけないと、七月には一般の出版社から一冊上梓する予定です。
こちらも私の特性を活かした、いつもながら「類書なし!」の一風変わったものでして、
内容についてはまだ秘密、というわけではありませんが、また追ってお報せいたしますね。
ふだんの仕事は書評がメインです。
自分でも言うのもなんですが、なにを頼んだらよいかわからないタイプの書き手ですので、
書評ならば内容にさえ興味が持てればジャンルは関係ない、というわけで私には向いているかもしれません。
「週刊新潮」の書評は知らないまに百回を超えました。
新聞にも寄稿しており、それらをひっくるめて以下のまとめサイトでお読みになれます
https://www.bookbang.jp/?s=大竹昭子
また〈ギャラリーときの忘れもの〉のwebサイトで毎月一日に公開している「迷走写真館」も百回を超えました。
一枚の写真を手がかりに思いついたことを綴るうちに、いつしか異界へ……。
毎回、書く前は気が重いんですが、書き出すとおもしろくなります。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53480239.html
最近になって改めて、写真との出会いが書き手としての自分に大きく影響したことを感じています。
写真に感謝、ですね。
長くなりました。これで新年のご挨拶をしめくらせていただきます。
ありがとうございました。
大竹昭子
*画廊亭主敬白
昨日2月1日は私たちが敬愛する倉俣史朗先生の命日でした。
数年前から取り組んでいるシルクスクリーンによる版画集「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier」も1集、2集に続き3集がようやく完成に近づきましたので3月のアートフェア東京で発表するとともに、近く予約募集を開始します。
ブログ連載が昨日109回目を迎えた大竹昭子先生からちょっと遅い新春のご挨拶が届きました。長期にわたりほとんど締切を外すことなく素晴らしいエッセイを書き続けてこられた努力と才能に脱帽です。ぜひ200回、300回の連載をお願いします。
エッセイスト、書評家として大活躍の大竹先生ですが、写真家としての活動も見逃せません。2012年に私たちがエディションしたポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』をご紹介します。堀江敏幸先生のエッセイもぜひ合わせてお読みください。
●大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』


発行日:2012年10月19日
発行:ときの忘れもの
限定8部
・たとう入りオリジナルプリント12点組
・写真集『NY1980』(赤々舎)同梱
テキスト:堀江敏幸、大竹昭子
技法:ゼラチンシルバープリント
撮影年:1980年~1982年
プリント年:2012年
シートサイズ:20.3x25.4cm
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
価格:231,000円(税込)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
「はじめの一歩を踏みだす」 大竹昭子
文章を書く「わたし」も、写真を撮る「わたし」も、ニューヨークに行く前には存在しなかった。いったい、あのころの自分はなにを考えていたのだろうか。三十にさしかかろうという年齢なのに、よほどぼんやりとしていたとみえる。
ニューヨークに住んだ翌年にカメラを買い、街路を撮りだした。街を歩くことは前からしていたが、カメラがなくてはならないと感じたのははじめてで、ぼんやりした状態にようやく火がつき撮影に夢中になった。燃えだすと火勢は強かった。
あの当時、日本から訪ねてきた人はみな判で押したように、街が汚いと連呼した。どうしておなじことばかり言うのだろうと憮然としたものだが、改めて写真を見るとたしかに汚い。そう思わないほうがむずかしい。しかし、住んでいるあいだはなぜか汚いとは思わなかった。汚さのなかに生命の痕跡があり、それをたどっていくとき、自分のなかにいまだ意識しなかった原始の力が目覚めていくのを感じた。
撮ることと同時に書くこともはじまったが、振り返ってみるとあの街で写真を知ったことが大きく関与したように思う。撮るには外界に出て現実に触れ、具体的な対象にむき合わなければならないが、そのプロセスから「書くわたし」が生まれた。見るだけではなく、撮る側にもまわったことがすべての起点になったのだ。
現実にむかってシャッターを切るものの、出来たものは現実そのものではないという写真の特性は刺激的であり、尽きない魅力が感じられた。大げさに言えば、それは世界への眼差しに対する大きな啓示でもあったのだ。自分がものを書いていくときに、現実のリアリティーを手放さずに虚構世界とのはざまをすり抜けていく感覚を重視するようになったのも、そのことと無関係ではないだろう。
プリントの入った箱をたずさえ帰国して三十年がすぎ、はじめてポートフォリオを制作するにあたり、すべてのはじまりの一歩がここに標されていることに、いま緊張しつつも静かな興奮を覚えている。
(大竹昭子)
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「言葉はそこからはじまった
―大竹昭子ポートフォリオ「Gaze + Wonder/NY1980」に寄せて」
堀江敏幸
人を介しての、手探りの情報を頼りにした移動がまだ生きていた一九七〇年代末のニューヨーク。石造りを基本とする欧州の都市から、金属とコンクリートとガラスの圧倒的な量塊が迫り出す別世界に足を踏み入れた大竹昭子は、動物的な嗅覚と勘を働かせながら賑やかな碁盤目の中心線を離れ、いつも周縁地区に引き寄せられていった。地下に潜ることを比喩にすりかえず、自然体で実践していたのである。
高い建物のあいまから覗く空の誘いに惑わされない低い目線と、ひと足ひと足の動きに呼応する真新しい心の揺れは、のち『アスファルトの犬』(一九九一)と題された小さな本で再度計測されることになるのだが、二十代を終えようとしていた彼女の不安定な軸足のぶれをなんとか支えてくれたのは、写真を撮ることだった。じっさい、右の本には、今回このポートフォリオのためにセレクトされたものとおなじ写真が何枚も収められている。
写真集「NY1980」のなかのエッセイで原初の体験として挙げられている「歩道にいる犬」は、人生においてそう幾度も遭遇できない幸福な不意打ちを捉えた一枚だが、「この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことに思いがいく。犬をど真ん中にいれてこれ以外は関心なし、という感じで撮っているところが、子供の写した写真のようだ」と彼女は書き、これをもって「子供時代」は終わったのだと断言している。
しかし、本当にそうだろうか。ある時期に集中して撮影されたこれら一連の写真には、学校を休むには少し足りない微熱と夢の中の彷徨に似たあやうさが刻まれている。原っぱで遊んでいた子どもたちの無計画さや無鉄砲さ、その場その場で遊びを発見していく柔軟さ、そして目の前の出来事を言葉で説明しようとしない身体感覚がある。子供時代は、「このアングルでないとしっくりこないと思う何かがからだのなかで作動する」ことを悟った瞬間ではなく、そのような感触に言葉を与えた時にこそ終わりを告げられるのだ。
見慣れたものを見知らぬものへといったん変貌させたうえで意識のネガに取りこむフレーミングは、アスファルトを歩く犬ではなく、屋根の上から地上を歩く犬としての自分を見ている「私」という幽体の眼に等しい。この眼の力と鮮度をどのように保ち、どのように稼働させたらいいのか。大竹昭子の「言葉」は、その問いからはじまったのだ。ニューヨークの写真がとどめているのは、レンズ通りが言葉通りと改名される直前の、みずみずしい姿なのである。
(堀江敏幸:小説家、早稲田大学教授)
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
今年は正月のご挨拶をお出しそびれてしまいましたが、なんと本日は旧暦の正月元旦です。
たしかに今日の外の光は春の訪れを感じさせますね。
そこで遅ればせながら、明けましておめでとうございます、と申し上げたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
〈カタリココ〉も〈ことばのポトラック〉も開催できない状況が二年つづいており、今年もどうなるかわからない状態です。
これまで〈カタリココ〉では一年のはじめにその年の四回分の企画を立て、フライヤーをつくり、告知をしてきましたが、
もうそのようなやり方はむずかしいかもしれないと思っています。
これからは、やりたいと思ったときに、やりたい場所で、即興的に行う、というスタイルになるかもしれません。
ともあれ、ライブの場を諦めるわけではないので、ひきつづき可能性を探っていこうと思います。
ライブの〈カタリココ〉が出来なくなった代わりに、「カタリココ文庫」のほうは以前にもまして充実してきています。
今年も三冊刊行予定で、二月末にまず写真家の畠山直哉さんとの対談+彼の随想「心の陸前高田」を収めた、
『見えている パチリ!』を出します。
自分で自由に企画して制作できるこのような小さな出版物は、はじめてみると私の性に合っており、楽しくてなりません。
全巻三〇冊の刊行を目指してあと数年はがんばるつもりですので、応援していただけるとうれしいです。
https://katarikoko.stores.jp
個人出版ばかりに夢中になってはいけないと、七月には一般の出版社から一冊上梓する予定です。
こちらも私の特性を活かした、いつもながら「類書なし!」の一風変わったものでして、
内容についてはまだ秘密、というわけではありませんが、また追ってお報せいたしますね。
ふだんの仕事は書評がメインです。
自分でも言うのもなんですが、なにを頼んだらよいかわからないタイプの書き手ですので、
書評ならば内容にさえ興味が持てればジャンルは関係ない、というわけで私には向いているかもしれません。
「週刊新潮」の書評は知らないまに百回を超えました。
新聞にも寄稿しており、それらをひっくるめて以下のまとめサイトでお読みになれます
https://www.bookbang.jp/?s=大竹昭子
また〈ギャラリーときの忘れもの〉のwebサイトで毎月一日に公開している「迷走写真館」も百回を超えました。
一枚の写真を手がかりに思いついたことを綴るうちに、いつしか異界へ……。
毎回、書く前は気が重いんですが、書き出すとおもしろくなります。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53480239.html
最近になって改めて、写真との出会いが書き手としての自分に大きく影響したことを感じています。
写真に感謝、ですね。
長くなりました。これで新年のご挨拶をしめくらせていただきます。
ありがとうございました。
大竹昭子
*画廊亭主敬白
昨日2月1日は私たちが敬愛する倉俣史朗先生の命日でした。
数年前から取り組んでいるシルクスクリーンによる版画集「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier」も1集、2集に続き3集がようやく完成に近づきましたので3月のアートフェア東京で発表するとともに、近く予約募集を開始します。
ブログ連載が昨日109回目を迎えた大竹昭子先生からちょっと遅い新春のご挨拶が届きました。長期にわたりほとんど締切を外すことなく素晴らしいエッセイを書き続けてこられた努力と才能に脱帽です。ぜひ200回、300回の連載をお願いします。
エッセイスト、書評家として大活躍の大竹先生ですが、写真家としての活動も見逃せません。2012年に私たちがエディションしたポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』をご紹介します。堀江敏幸先生のエッセイもぜひ合わせてお読みください。
●大竹昭子ポートフォリオ『Gaze+Wonder NY1980』


発行日:2012年10月19日
発行:ときの忘れもの
限定8部
・たとう入りオリジナルプリント12点組
・写真集『NY1980』(赤々舎)同梱
テキスト:堀江敏幸、大竹昭子
技法:ゼラチンシルバープリント
撮影年:1980年~1982年
プリント年:2012年
シートサイズ:20.3x25.4cm
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
価格:231,000円(税込)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
「はじめの一歩を踏みだす」 大竹昭子
文章を書く「わたし」も、写真を撮る「わたし」も、ニューヨークに行く前には存在しなかった。いったい、あのころの自分はなにを考えていたのだろうか。三十にさしかかろうという年齢なのに、よほどぼんやりとしていたとみえる。
ニューヨークに住んだ翌年にカメラを買い、街路を撮りだした。街を歩くことは前からしていたが、カメラがなくてはならないと感じたのははじめてで、ぼんやりした状態にようやく火がつき撮影に夢中になった。燃えだすと火勢は強かった。
あの当時、日本から訪ねてきた人はみな判で押したように、街が汚いと連呼した。どうしておなじことばかり言うのだろうと憮然としたものだが、改めて写真を見るとたしかに汚い。そう思わないほうがむずかしい。しかし、住んでいるあいだはなぜか汚いとは思わなかった。汚さのなかに生命の痕跡があり、それをたどっていくとき、自分のなかにいまだ意識しなかった原始の力が目覚めていくのを感じた。
撮ることと同時に書くこともはじまったが、振り返ってみるとあの街で写真を知ったことが大きく関与したように思う。撮るには外界に出て現実に触れ、具体的な対象にむき合わなければならないが、そのプロセスから「書くわたし」が生まれた。見るだけではなく、撮る側にもまわったことがすべての起点になったのだ。
現実にむかってシャッターを切るものの、出来たものは現実そのものではないという写真の特性は刺激的であり、尽きない魅力が感じられた。大げさに言えば、それは世界への眼差しに対する大きな啓示でもあったのだ。自分がものを書いていくときに、現実のリアリティーを手放さずに虚構世界とのはざまをすり抜けていく感覚を重視するようになったのも、そのことと無関係ではないだろう。
プリントの入った箱をたずさえ帰国して三十年がすぎ、はじめてポートフォリオを制作するにあたり、すべてのはじまりの一歩がここに標されていることに、いま緊張しつつも静かな興奮を覚えている。
(大竹昭子)
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「言葉はそこからはじまった
―大竹昭子ポートフォリオ「Gaze + Wonder/NY1980」に寄せて」
堀江敏幸
人を介しての、手探りの情報を頼りにした移動がまだ生きていた一九七〇年代末のニューヨーク。石造りを基本とする欧州の都市から、金属とコンクリートとガラスの圧倒的な量塊が迫り出す別世界に足を踏み入れた大竹昭子は、動物的な嗅覚と勘を働かせながら賑やかな碁盤目の中心線を離れ、いつも周縁地区に引き寄せられていった。地下に潜ることを比喩にすりかえず、自然体で実践していたのである。
高い建物のあいまから覗く空の誘いに惑わされない低い目線と、ひと足ひと足の動きに呼応する真新しい心の揺れは、のち『アスファルトの犬』(一九九一)と題された小さな本で再度計測されることになるのだが、二十代を終えようとしていた彼女の不安定な軸足のぶれをなんとか支えてくれたのは、写真を撮ることだった。じっさい、右の本には、今回このポートフォリオのためにセレクトされたものとおなじ写真が何枚も収められている。
写真集「NY1980」のなかのエッセイで原初の体験として挙げられている「歩道にいる犬」は、人生においてそう幾度も遭遇できない幸福な不意打ちを捉えた一枚だが、「この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことに思いがいく。犬をど真ん中にいれてこれ以外は関心なし、という感じで撮っているところが、子供の写した写真のようだ」と彼女は書き、これをもって「子供時代」は終わったのだと断言している。
しかし、本当にそうだろうか。ある時期に集中して撮影されたこれら一連の写真には、学校を休むには少し足りない微熱と夢の中の彷徨に似たあやうさが刻まれている。原っぱで遊んでいた子どもたちの無計画さや無鉄砲さ、その場その場で遊びを発見していく柔軟さ、そして目の前の出来事を言葉で説明しようとしない身体感覚がある。子供時代は、「このアングルでないとしっくりこないと思う何かがからだのなかで作動する」ことを悟った瞬間ではなく、そのような感触に言葉を与えた時にこそ終わりを告げられるのだ。
見慣れたものを見知らぬものへといったん変貌させたうえで意識のネガに取りこむフレーミングは、アスファルトを歩く犬ではなく、屋根の上から地上を歩く犬としての自分を見ている「私」という幽体の眼に等しい。この眼の力と鮮度をどのように保ち、どのように稼働させたらいいのか。大竹昭子の「言葉」は、その問いからはじまったのだ。ニューヨークの写真がとどめているのは、レンズ通りが言葉通りと改名される直前の、みずみずしい姿なのである。
(堀江敏幸:小説家、早稲田大学教授)
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています。WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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