風間健介と出会って
酒航太

いま、僕が運営しているギャラリー&バー「スタジオ35分」では風間健介写真展「夕張」を開催している。スタジオ35分については前回のエッセイで書いたので読んで頂ければ大体わかる思う。風間健介は1960年、三重県津市で生まれ。地元の高校を卒業後に上京し、70年代後半から80年代初頭にかけて、ミュージシャンを撮影する。その後、日本全国を放浪し、1989年より北海道夕張市に移住し、夕張の街並みや炭鉱の痕跡の撮影を16年間にわたり撮影した。その後、本州に戻り、東京の武蔵野市、埼玉の狭山市、千葉県館山市に移り住んだ。そして2017年に館山の自宅で56歳という若さで亡くなった。孤独死であった。

僕は風間さんにお会いしたことはない。それどころか風間健介という写真家の存在も、2年ほど前まで知らなかった。どういう流れかは忘れてしまったが、ここ「ときの忘れもの」に来た際にオーナーの綿貫さんにプリントを見せてもらったのが、風間さんの作品との初めての出会いだった。その時に見た写真の中の夕張の炭鉱は崇高で、風間さん自身で焼いた銀塩プリントの美しさがとても印象的でいつかスタジオ35分で展示してみたいと密かに思っていた。そしてその思いが叶い、いま風間健介の夕張の写真16点がスタジオ35分の壁に飾られている。
https://35fn.com/exhibition/kazama-kensuke-exhibition/

展示は先週の3月9日より始まり、ちょうど1週目が終わったところ。この記事がアップされる頃にはもう少したっていると思うが、まだ会期は残っていると思うので、少しでも興味を持った方は定休日と営業時間をチェックしてぜひお越しいただきたい。先週は風間さんと親交があった方が何人かいらっしゃって、風間さんがどんな人だったのかと色々なお話を聞かせてもらった。風間さんと親交が深かった友人の石田道彦さんは風間さんが上京して間もなく撮影し始めたミュージシャンの写真をまとめた私家版の写真集「LIVE」を持ってきてくれた。

風間健介が20歳の頃に作られたデビュー作である。そこには若き日の友川かずき、高田渡、甲斐よしひろなどが写っていた。僕は風間さんがミュージシャンを撮影していたということを写真集のプロフィールからは知っていたが、どんなミュージシャンを撮影していたのかは知らなかったので、とても興味深く見させてもらった。僕の知らないミュージシャンもいたが、ここに写っている面々と風間さんは熱く共鳴していたと思うと、この後にカメラを持って、日本全国を放浪する長旅に出たということも深く納得できた。(写真集「LIVE」は石田さんが好意で置いていってくれたので、スタジオ35分で見ること出来ます。)
撮影 石田道彦
その旅の流れで風間さんは1989年に北海道の夕張に長年住むことになるのだが、17年後の2006年に夕張を離れ、東京の武蔵野市に移住する。そこで風間さんは近隣にある井の頭公園の路上で自身の写真を手売りで売りはじめるのだ。風間さんは写真家として、作品を売って生計をたてることに強くこだわっていたと聞いていたので、そこまで不思議ではないが、まさか井の頭公園で写真を売っていたとは。というのは僕は武蔵野市出身で、井の頭公園は子供の頃から慣れ親しんだ場所だからだ。友人の 石田さんは風間さんが井の頭公園で売っていた当時のプリント2枚も持ってきてくれた。六ツ切りRCペーパーに焼かれた写真はスリーブに入っていて、値札には手焼きプリント1枚1050円と記されていた。石田さんに色々と風間さんのことを聞いていると、風間さんが当時にやっていた日記ブログのことを教えてくれた。当時のブログはすでに閉鎖されていて、ネット上で見ることはできないが、後日、石田さんのコンピューターに保存されていたデータを送っていただけた。武蔵野日記と狭山日記というタイトルの日記ブログは長期にわたりつけられていて文量もかなり多いので、まだ武蔵野日記の序盤しか読めていないのだが、読むほどに風間さんの人物像が浮かび上がってきた。僕は地元ということで、書かれている場所や店などの景色も想像できるし、僕自身も写真家でギャラリーもやっているので風間さんの信念や写真作品を売るということに対する思いも多々共感出来ることがあり、かなり近しい人に思えてきた。なによりも日記から窺える風間さんのお茶目なノリや純粋な姿勢がとても好きだ。作品を売って生活をするという写真家としての理想を無謀ながらにも貫き、それゆえ経済的には困窮し、酒に浸りながら不器用に生きた風間健介。このような写真家が存在したという事と彼を象徴する雄大かつ繊細な夕張の作品をひとりでも多くの人に伝えらればと思っている。
2007年 3月25日
今日は北海道の知人がバライタ1枚、浅草の友人がRCを4枚買ってくれた。
嬉しかった。
写真が売れるという事は、自分を認めてくれたって事になるのよ。
みんなも展の時は値段をつけた方が良いよ。
そして、アチコチというか、行き付けの飲み屋とかに写真を置かさせてもらえば
良いと思う。多くの人が、そういう行動をとれば、写真の売買が数百倍の
スピードで、認められるよ。
そうすれば、写真家が、作品だけで食え、良い作品が増えるし、
写真家志望の人も増えるのよ。まず、行動しましょうよ。
帰りに、三鷹市場による。惣菜の半額目当てである。
今日は土曜のせいか、惣菜の半額市はまだやっていなかった。
定番のイカフライと100円引きのサザエを買う(一個あたり、100円になるのだ)。
レジで金を払う。
その途端、またしても、「今から半額ですよ~」の声。
ったく、もう。
(武蔵野日記より一部抜粋)
風間健介 写真展「夕張」
2022年3月9日(水)- 4月9日(土)16:00 - 22:00 ※会期変更になりました
定休日:日・月・火
スタジオ35分
東京都中野区上高田5-47-8

*店主一人で運営している為、新型コロナの状況など等により営業時間が変更になることもありますので、SNSをご確認の上ご来場ください。
https://twitter.com/35minutesonly
(さけ こうた)
■酒 航太 Kota Sake
写真家・スタジオ35分運営
1973年 東京生まれ San Francisco Art Institute卒業
●展覧会のお知らせ/夜間開催
新井薬師で風間健介 写真展「夕張」
会期:2022年3月9日(水)~4月9日(土)16時~22時 *日・月・火曜は休廊 ※会期変更になりました
会場:スタジオ35分 (東京都中野区上高田5-47-8)


●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
酒航太

いま、僕が運営しているギャラリー&バー「スタジオ35分」では風間健介写真展「夕張」を開催している。スタジオ35分については前回のエッセイで書いたので読んで頂ければ大体わかる思う。風間健介は1960年、三重県津市で生まれ。地元の高校を卒業後に上京し、70年代後半から80年代初頭にかけて、ミュージシャンを撮影する。その後、日本全国を放浪し、1989年より北海道夕張市に移住し、夕張の街並みや炭鉱の痕跡の撮影を16年間にわたり撮影した。その後、本州に戻り、東京の武蔵野市、埼玉の狭山市、千葉県館山市に移り住んだ。そして2017年に館山の自宅で56歳という若さで亡くなった。孤独死であった。

僕は風間さんにお会いしたことはない。それどころか風間健介という写真家の存在も、2年ほど前まで知らなかった。どういう流れかは忘れてしまったが、ここ「ときの忘れもの」に来た際にオーナーの綿貫さんにプリントを見せてもらったのが、風間さんの作品との初めての出会いだった。その時に見た写真の中の夕張の炭鉱は崇高で、風間さん自身で焼いた銀塩プリントの美しさがとても印象的でいつかスタジオ35分で展示してみたいと密かに思っていた。そしてその思いが叶い、いま風間健介の夕張の写真16点がスタジオ35分の壁に飾られている。
https://35fn.com/exhibition/kazama-kensuke-exhibition/

展示は先週の3月9日より始まり、ちょうど1週目が終わったところ。この記事がアップされる頃にはもう少したっていると思うが、まだ会期は残っていると思うので、少しでも興味を持った方は定休日と営業時間をチェックしてぜひお越しいただきたい。先週は風間さんと親交があった方が何人かいらっしゃって、風間さんがどんな人だったのかと色々なお話を聞かせてもらった。風間さんと親交が深かった友人の石田道彦さんは風間さんが上京して間もなく撮影し始めたミュージシャンの写真をまとめた私家版の写真集「LIVE」を持ってきてくれた。

風間健介が20歳の頃に作られたデビュー作である。そこには若き日の友川かずき、高田渡、甲斐よしひろなどが写っていた。僕は風間さんがミュージシャンを撮影していたということを写真集のプロフィールからは知っていたが、どんなミュージシャンを撮影していたのかは知らなかったので、とても興味深く見させてもらった。僕の知らないミュージシャンもいたが、ここに写っている面々と風間さんは熱く共鳴していたと思うと、この後にカメラを持って、日本全国を放浪する長旅に出たということも深く納得できた。(写真集「LIVE」は石田さんが好意で置いていってくれたので、スタジオ35分で見ること出来ます。)
撮影 石田道彦その旅の流れで風間さんは1989年に北海道の夕張に長年住むことになるのだが、17年後の2006年に夕張を離れ、東京の武蔵野市に移住する。そこで風間さんは近隣にある井の頭公園の路上で自身の写真を手売りで売りはじめるのだ。風間さんは写真家として、作品を売って生計をたてることに強くこだわっていたと聞いていたので、そこまで不思議ではないが、まさか井の頭公園で写真を売っていたとは。というのは僕は武蔵野市出身で、井の頭公園は子供の頃から慣れ親しんだ場所だからだ。友人の 石田さんは風間さんが井の頭公園で売っていた当時のプリント2枚も持ってきてくれた。六ツ切りRCペーパーに焼かれた写真はスリーブに入っていて、値札には手焼きプリント1枚1050円と記されていた。石田さんに色々と風間さんのことを聞いていると、風間さんが当時にやっていた日記ブログのことを教えてくれた。当時のブログはすでに閉鎖されていて、ネット上で見ることはできないが、後日、石田さんのコンピューターに保存されていたデータを送っていただけた。武蔵野日記と狭山日記というタイトルの日記ブログは長期にわたりつけられていて文量もかなり多いので、まだ武蔵野日記の序盤しか読めていないのだが、読むほどに風間さんの人物像が浮かび上がってきた。僕は地元ということで、書かれている場所や店などの景色も想像できるし、僕自身も写真家でギャラリーもやっているので風間さんの信念や写真作品を売るということに対する思いも多々共感出来ることがあり、かなり近しい人に思えてきた。なによりも日記から窺える風間さんのお茶目なノリや純粋な姿勢がとても好きだ。作品を売って生活をするという写真家としての理想を無謀ながらにも貫き、それゆえ経済的には困窮し、酒に浸りながら不器用に生きた風間健介。このような写真家が存在したという事と彼を象徴する雄大かつ繊細な夕張の作品をひとりでも多くの人に伝えらればと思っている。
2007年 3月25日
今日は北海道の知人がバライタ1枚、浅草の友人がRCを4枚買ってくれた。
嬉しかった。
写真が売れるという事は、自分を認めてくれたって事になるのよ。
みんなも展の時は値段をつけた方が良いよ。
そして、アチコチというか、行き付けの飲み屋とかに写真を置かさせてもらえば
良いと思う。多くの人が、そういう行動をとれば、写真の売買が数百倍の
スピードで、認められるよ。
そうすれば、写真家が、作品だけで食え、良い作品が増えるし、
写真家志望の人も増えるのよ。まず、行動しましょうよ。
帰りに、三鷹市場による。惣菜の半額目当てである。
今日は土曜のせいか、惣菜の半額市はまだやっていなかった。
定番のイカフライと100円引きのサザエを買う(一個あたり、100円になるのだ)。
レジで金を払う。
その途端、またしても、「今から半額ですよ~」の声。
ったく、もう。
(武蔵野日記より一部抜粋)
風間健介 写真展「夕張」
2022年3月9日(水)- 4月9日(土)16:00 - 22:00 ※会期変更になりました
定休日:日・月・火
スタジオ35分
東京都中野区上高田5-47-8

*店主一人で運営している為、新型コロナの状況など等により営業時間が変更になることもありますので、SNSをご確認の上ご来場ください。
https://twitter.com/35minutesonly
(さけ こうた)
■酒 航太 Kota Sake
写真家・スタジオ35分運営
1973年 東京生まれ San Francisco Art Institute卒業
●展覧会のお知らせ/夜間開催
新井薬師で風間健介 写真展「夕張」
会期:2022年3月9日(水)~4月9日(土)16時~22時 *日・月・火曜は休廊 ※会期変更になりました
会場:スタジオ35分 (東京都中野区上高田5-47-8)


●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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