化粧品店を営んでいました。
3.11の震災の直後、店に電話をくれたメーカーは資生堂さんだけで、お客様や従業員の怪我の心配と
「棚から落ちて破損した品は全て保障する」
という思いがけない救済付きでした。
地震発生からの短い間にこの保証が決まったのか、予め内規として存在したかは知らないけれど、とても驚きました。
その後、店を畳むことになった時も、お客様が入手に困らないようにと閉店直前まで発注を可能にしてくれて、しかも余ったら閉店後の返品も受け付けてくれるという寛大ぶり。
色々な化粧品メーカーがありますが、日本的な姿勢を世界に示せるメーカーは資生堂だけだと思います。


入社式の時、「もしも嫌な上司と巡り会ってもちょっと我慢すればそのうち変わるから」といったお話しを新入社員に向けて飄々となさったのが印象的でした。
入社して緊張していたが、フッと気持ちが楽になりました。
ご冥福をお祈りいたします。


創業家だから茨の道を選ばれましたね。私は、福原さんが社長になられて最初の新入社員で大改革を目の当たりにしました。社長就任後、流通在庫の削減、戦後初の減収減益を発表して「資生堂ショック」と言われました。福原さんは全力で走りました。変えるもの、変えないもの、見極めを確かにして、確実に変わりました。社内の呼称や服装も自由にしました。ラフなスタイルの福原さんのポスターがありました(笑)大きな災害が発生した時には、社員に手紙を配りました。いつも全社員に寄り添うことを忘れない方でした。会社の改革が落ち着いた途端にあっさりと、最前線から退かれました。その潔さも格好よかった。私は今、別の企業で働いていますが、福原さんと資生堂に頂いたものは、今でも人生の役に立ってます。入社式では、新入社員の一人ひとりが福原さんの前に立って、所属と名前を言ったのですが、その時の福原さんの優しい表情と目を今でも思い出します。

福原義春さんの訃報に接した化粧品店や現役社員、元社員の皆さんがヤフコメにたくさんの投稿をされているのを目にして、あらためて福原さんのお人柄に感銘を受けました。
資生堂の会長を退任されたのが2001年、それから20数年も経っていまだに福原さんを慕い、明治5年創業以来、福原家と歴代の従業員さんたちが営々と築いてきた社風を誇りに思う人たちがいる。

社員でもなければ、化粧品業界にも無縁な亭主がのこのこ出る幕ではないのですが、1990~1995年まで足掛け6年にわたり A4判、736ページという電話帳並の大部な『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』を編集していたので、資生堂の歴史についてはかなり勉強させていただきました。

駒井展03駒井哲郎先生との生涯ただ一度の出会いと、自身のコレクションを語る福原義春さん。
2010年10月25日資生堂ギャラリー『駒井哲郎作品展 福原コレクション 生誕90年ー闇と光のあわいに』レセプションにて。

30駒井哲郎「岩礁にて」「顔(びっくりしている少女)


資生堂はいまでこそ世界的な大企業ですが、戦前は数多ある化粧品会社の中でもごく小さな会社でした。何度も存亡の危機に陥り、乗っ取り騒ぎ、人員整理(くび切り)、身売り話し、はては税金滞納で国税庁から差し押さえまで受けた。凄いのはそんな苦境時でもギャラリーの灯は消さなかった。

あの戦争中でもぎりぎりまでギャラリー活動を続けたことの意義を福原さん自ら『資生堂ギャラリー七十五年史』刊行の辞で述べておられます。
重要なことは、創業以来、先進的な価値を求めてきた資生堂が、ギャラリーの運営を通じて社会に発信をし続けたことである。特に昭和の初期から中日戦争に至るジャーナリズムを巻き込んだ全体主義、軍国主義の風潮の中で、平和と美しいものの価値を叫び続けてきたことはギャラリー活動の歴史的事実が雄弁に物語っている。
福原義春

資生堂ギャラリー七十五年史福原義春刊行の辞1
資生堂ギャラリー七十五年史福原義春刊行の辞2

13松本竣介「作品(1946年2月)」

今から79年前の今日、敗色濃厚な戦時下にあって銀座の資生堂ギャラリーでは松本竣介、井上長三郎、鶴岡政男、大野五郎、糸園和三郎、寺田政明、麻生三郎、靉光の8人の新進作家によって結成された新人画会の第三回展が開催されていました(昭和19年9月12日~14日)。
当時の展覧会というのは会期が短く、戦時中のこの展覧会も三日間でした。
東京日日新聞9月12日の記事や出品作家たちの回想により、出品作品のいくつかはわかるのですが、出品リストも会場写真も見つかっておらず、正確な内容は不明です。
松本俊介はこの展覧会から「竣介」と変え、松本竣介と名乗ります。
*参考/弘中智子「さまよえる絵筆—東京・京都戦時下の前衛画家たち」展をめぐって

25松本竣介「作品」「人(1946年)

『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』266~267頁 *画面を二度クリックすると拡大します。
資生堂G史266頁第3回新人画会展資生堂G史267頁第3回新人画会展
26松本竣介が禎子夫人とともに編集刊行した雑誌『雑記帳』。ときの忘れものはオリジナルと復刻版、ともに所蔵しています。ご希望の方はお問合せください。

27松本竣介の画集、カタログについてはコチラをご参照ください。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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