三上豊「今昔画廊巡り」
第7回 ギャルリー ムカイ
ギャルリー ムカイは熊谷守一の画廊として知られていた。また、岡田謙三や嶋田しづ、堂本右美らを扱っていた。編集者の私にしてみると、ギャラリーをギャルリーとかギャレリーとか表記する誤植を誘う画廊のひとつだった。場所は銀座５丁目５の11、みゆき通りに面した塚本不動産ビルの６階だった。エレベーター手前螺旋状階段につく白いパイプが目印になる。画廊に入ると白い空間が広がっていて、壁面18メートルとは思えない広さを感じた。奥の事務所から顔をだす長谷川町子の漫画「エプロンおばさん」風の方が向井さんだった。野見山曉治は『みんな忘れた』（2018年）で、ちょっとお節介な向井さんを「銀座のお袋」という。
オーナーの向井加寿枝（1914ー2000）さんは、岡山県のお寺に生まれ、33年に画家を目指し上京。小学校の教員をしながら官展系の熊岡美彦絵画道場に通う。40年の紀元二千六百年奉祝美術展に女性像が入選、女前田寛治と呼ばれたとも。44年に結婚。夫の川西種義は満炭関係の仕事をしていたそうだ。戦後まもなく藤田嗣治をたずね、ふたりは画商の道へ入る。銀座５丁目にあった古いビルの４階に東郷青児が使っていた部屋があった。そこをゆづってもらい、２階が空いたので、59年４月ギャレリー ポワンを熊谷守一らの展示で開廊。画廊を経営するようになると、川西はパリへ赴きビュッフェの作品を扱う契約を成立させた。『美術手帖 1961年年鑑』では、経営担当名は川西種義、貸しもしていたようで1日6000円とある。68年にはスペースも6階に移り、ギャルリー ムカイに改称する。ロゴの文字と名称も熊谷による。
スペースの奥には４脚の椅子と低いテーブルがあり、取材ではそこで向井さんと対面することになる。私は、例によって座って話をすることはめったになく、入ったこともない奥の事務所から向井さんやスタッフの女性の「誰か来たのかしら」的視線を背にして、展示をみていた。
お客さんとなると、テーブルには画廊近くにある銀座名物「空也モナカ」がでてくると聞いたことがあった。それを体験したく、ジョエル・シャピロの個展が80年に開催された時、無理して版画を購入したことがある。しかしモナカをご馳走になった記憶がない。立体購入でないとモナカに届かなかったのか。とある画廊に購入の話をしたら、画廊同士の割引で購入すればもっと安く入手できたのにと言われ、業界に疎い編集者は恥ずかしかった。この版画、いまでも自宅の壁面にある。
画廊でシャピロやジェニファー・バートレットの作品を扱うようになると、向井さんの口から「うちのひろしが」という言葉がでるようになった。息子さんの浩史さんは60年代末にニューヨークに行き、のちに版画工房シムカプリントアーチスツを設立し、78年ジャスパー・ジョーンズの版画展をムカイで開催している。テリー・ウィンタースやナンシー・グレイブスらアメリカの作家を扱うようになり、息子さんへ画廊をバトンタッチしていくのかと思われた。80年ジェニファー・バートレット展の《日本の海にて》は画廊壁面ほぼ全面を使ったパノラマ的な作品で、のちに慶應義塾大学三田メディアセンターに設置された。向井さんは『アクリラート』15号（1993年）のインタビューで「私は絵は辞めましたけれど、今ここで私がやっている事は、私の作品だと思っています」と語る。戦後の画廊シーンをつくったひとりだった。画廊は、2000年末に閉廊となったようだ。
取材協力＝福井淳子／東京文化財研究所
（みかみ ゆたか）
図版 向井加寿枝著『赤い線 それは空間 思い出の熊谷守一』1996 岐阜新聞社
図版 ギャルリー ムカイのあった塚本不動産ビル 2023年現在
図版 展覧会図録の数々
図版 ジェニファー・バートレット《日本の海にて》の展示 撮影＝酒井啓之『美術手帖』1980年8号より転載
■三上 豊（みかみ ゆたか）
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964－1998』、『秋山画廊 1963－1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。
・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2023年12月28日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、熊谷守一です。
《揚羽蝶に百日草》
2011年（※原作1971年作）
シルクスクリーン（刷り：石田了一）
20版12色27度刷り
イメージサイズ：33.0×24.0cm
シートサイズ：41.9×32.2cm
Ed.80
枠外に印章と限定番号及び、エンボス
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第7回 ギャルリー ムカイ
ギャルリー ムカイは熊谷守一の画廊として知られていた。また、岡田謙三や嶋田しづ、堂本右美らを扱っていた。編集者の私にしてみると、ギャラリーをギャルリーとかギャレリーとか表記する誤植を誘う画廊のひとつだった。場所は銀座５丁目５の11、みゆき通りに面した塚本不動産ビルの６階だった。エレベーター手前螺旋状階段につく白いパイプが目印になる。画廊に入ると白い空間が広がっていて、壁面18メートルとは思えない広さを感じた。奥の事務所から顔をだす長谷川町子の漫画「エプロンおばさん」風の方が向井さんだった。野見山曉治は『みんな忘れた』（2018年）で、ちょっとお節介な向井さんを「銀座のお袋」という。
オーナーの向井加寿枝（1914ー2000）さんは、岡山県のお寺に生まれ、33年に画家を目指し上京。小学校の教員をしながら官展系の熊岡美彦絵画道場に通う。40年の紀元二千六百年奉祝美術展に女性像が入選、女前田寛治と呼ばれたとも。44年に結婚。夫の川西種義は満炭関係の仕事をしていたそうだ。戦後まもなく藤田嗣治をたずね、ふたりは画商の道へ入る。銀座５丁目にあった古いビルの４階に東郷青児が使っていた部屋があった。そこをゆづってもらい、２階が空いたので、59年４月ギャレリー ポワンを熊谷守一らの展示で開廊。画廊を経営するようになると、川西はパリへ赴きビュッフェの作品を扱う契約を成立させた。『美術手帖 1961年年鑑』では、経営担当名は川西種義、貸しもしていたようで1日6000円とある。68年にはスペースも6階に移り、ギャルリー ムカイに改称する。ロゴの文字と名称も熊谷による。
スペースの奥には４脚の椅子と低いテーブルがあり、取材ではそこで向井さんと対面することになる。私は、例によって座って話をすることはめったになく、入ったこともない奥の事務所から向井さんやスタッフの女性の「誰か来たのかしら」的視線を背にして、展示をみていた。
お客さんとなると、テーブルには画廊近くにある銀座名物「空也モナカ」がでてくると聞いたことがあった。それを体験したく、ジョエル・シャピロの個展が80年に開催された時、無理して版画を購入したことがある。しかしモナカをご馳走になった記憶がない。立体購入でないとモナカに届かなかったのか。とある画廊に購入の話をしたら、画廊同士の割引で購入すればもっと安く入手できたのにと言われ、業界に疎い編集者は恥ずかしかった。この版画、いまでも自宅の壁面にある。
画廊でシャピロやジェニファー・バートレットの作品を扱うようになると、向井さんの口から「うちのひろしが」という言葉がでるようになった。息子さんの浩史さんは60年代末にニューヨークに行き、のちに版画工房シムカプリントアーチスツを設立し、78年ジャスパー・ジョーンズの版画展をムカイで開催している。テリー・ウィンタースやナンシー・グレイブスらアメリカの作家を扱うようになり、息子さんへ画廊をバトンタッチしていくのかと思われた。80年ジェニファー・バートレット展の《日本の海にて》は画廊壁面ほぼ全面を使ったパノラマ的な作品で、のちに慶應義塾大学三田メディアセンターに設置された。向井さんは『アクリラート』15号（1993年）のインタビューで「私は絵は辞めましたけれど、今ここで私がやっている事は、私の作品だと思っています」と語る。戦後の画廊シーンをつくったひとりだった。画廊は、2000年末に閉廊となったようだ。
取材協力＝福井淳子／東京文化財研究所
（みかみ ゆたか）
図版 向井加寿枝著『赤い線 それは空間 思い出の熊谷守一』1996 岐阜新聞社
図版 ギャルリー ムカイのあった塚本不動産ビル 2023年現在
図版 展覧会図録の数々
図版 ジェニファー・バートレット《日本の海にて》の展示 撮影＝酒井啓之『美術手帖』1980年8号より転載
■三上 豊（みかみ ゆたか）
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964－1998』、『秋山画廊 1963－1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。
・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2023年12月28日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、熊谷守一です。
《揚羽蝶に百日草》
2011年（※原作1971年作）
シルクスクリーン（刷り：石田了一）
20版12色27度刷り
イメージサイズ：33.0×24.0cm
シートサイズ：41.9×32.2cm
Ed.80
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