太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」第23回
未来派芸術家列伝(その5)――「騒音楽器」以外のルッソロ
太田岳人
『ニューグローヴ世界音楽大事典』は、英米圏の音楽事典の代表格として知られ、日本でも1980年版を底本にした充実した翻訳がかつて制作されている【注1】。この事典の中には、前回の記事で話題に挙げたプラテッラとともに、必ずしも音楽を専業にしていたわけではなかったルイージ・ルッソロ(1885-1947)【図1】の項目も立てられている。ヴェネツィア北部の小都市ポルトグルアーロに生まれた彼は、親と兄弟たちに音楽家を持ったものの、自身はミラノで絵画を学ぶ中で、ボッチョーニやカッラといった後の初期未来派メンバーと出会うことになった。

図1:ルッソロ《自画像Autoritratto》、1920年(キャンバスに油彩、50×50cm、フィレンツェ美術館群特別監督局)
『世界音楽大事典』で両者の項目を書いたジョン・C. G. ウォーターハウスは、同事典では他の20世紀のイタリア人作曲家の多くの解説も担当する、イタリアのモダニズム音楽研究についての往年の大家であったが、彼は未来派に参加した二人の芸術家について、ルッソロの方により高い評価を与えている。プラテッラへの呼びかけという形で発された1913年の宣言「騒音の芸術」を土台に、同年から翌年にかけて初の「騒音楽器 intonarumori」が試みられ、それは第一次世界大戦をはさんだ1920年代に、さらなる「雑調和音器 rumorarmonio」などの「ルッソロフォン russolofono」に展開していく。これらの楽器-装置は、彼が音楽を担当した一連の未来派の演劇・舞踏の公演で披露されただけでなく、特にフランスで同時代の実験的音楽家たちからも一定の注目を受け、第二次世界大戦後のクラシック音楽の展開にも影響を与えていった――こうした評価は、大分前から定着していると一応言えそうである。
一方、こうした音楽方面での評価の反面、視覚芸術の方面におけるルッソロの作品はそこまで知られてきたとは言えない。前述のウォーターハウスの音楽史的かつ古典的な記述は、彼の画家としての活動を「騒音の芸術」以前の1911-13年に集中したものとし、再び画業に戻るのは長い音楽家の時期を経た1941年以降のこととしていたが、実際のところルッソロは「音楽家期」にも断続的に画業を続けている。確かに、イタリア未来派の作品として日本で最も早く図像が紹介されたうちの一つでもある《叛乱》【図2】のような、いかにも「未来派らしい」作品は1910年代に集中しているものの、1920年代には最初に挙げた《自画像》の他、《シャボン玉》【図3】のようにフランスの美術館に収蔵されている作品も存在している。1930年初頭には、未来派の後続世代として活躍しつつフランスの造形動向も独自に吸収していた、プランポリーニ(1894-1956)やフィッリア(1904-1936)らとともに、パリの「抽象―創造」グループの母体の一つとなっていく「円と正方形」への参加を、イタリアの側から表明したこともある。

図2:ルッソロ《叛乱La rivolta》、1911年(キャンバスに油彩、150.8×230.7cm、デン・ハーグ市立美術館)

図3:ルッソロ《シャボン玉Bulles du savon/Bolle di sapone》、1929年(キャンバスに油彩、116.5×81cm、パリ市立近代美術館)
近年、ルッソロの「騒音音楽」以外の多面的な彼の活動の総体に注目した仕事が現れているが、中でも「ルイージ・ルッソロ:物質を超えて」展のカタログ(2014年)と、『版画家ルイージ・ルッソロ:エッチングのカタログ・レゾネ』(2020年)【注2】の試みは注目される。前者は、ルッソロが晩年を過ごしたマッジョーレ湖東側の小村チェッロ・ディ・ラヴェーノからも近い、スイスのアスコーナ市立近代美術館で開催された展覧会の記録であるが、このカタログは初期未来派時代以外の作品も広く取り上げつつ、それらをこの芸術家独特の精神・思想的立場の変遷と合わせて読み解こうとしている。「物質を超えて」という展覧会の副題は、1938年にルッソロが発表した「哲学上の」著作から採られたものだが、実際にルッソロは1932-33年にかけてのスペインへの長期滞在の頃から、未来派やフランスの音楽家たちのサークルとは異なる、心霊現象や東洋哲学を奉じた文学者・芸術家たちのサークルに接近した。カタログの論考などによれば、彼は哲学だけでなく、針治療やヨガなどの東洋医学、さらには動物磁気や幽体離脱などにまで関心を強く示したそうである。西洋の前衛芸術運動の歴史には、その何人かのメンバーが後年、キリスト教なり東洋思想なりの「神秘主義」的傾向に没頭したというエピソードが必ず出てくるが、未来派においてはルッソロがその代表となるだろう【注3】。
「神秘主義」の影響を受けつつ、自らは「古典―現代的」なものとして描いた晩年の絵画群は、結果としては同時代のノヴェチェント派などとあまり変わらないものになっているので、ここでは紹介しない。ここでの読者にとってより興味深いのは、『版画家ルイージ・ルッソロ』でさらに内容が追求されている、未来派以前の時期にのみ制作されている芸術家の版画作品であろう。未来派絵画の一つとされているものの、明らかにエドゥアルド・ムンクなどの影響を感じられる《音楽》(ウォルフソン・コレクション)などにつながるものを、こうした版画からは読み取ることができる。
音楽を学ぶ兄たちのため、家族でミラノに転居した後のルイージ少年は、レオナルド・ダ=ヴィンチの《最後の晩餐》の修復作業の徒弟などを経て、版画の技術を学んだ。おおむね1905-1910年ごろにかけて、彼は数十点のエッチングおよびアクアチントによる版画を制作している。そこに現れる優美な女性/擬人像、骸骨/死やモンスターのイメージからは、ガエターノ・プレヴィアーティ(1852-1920)らによるイタリアの、さらにドイツや北欧の象徴主義が、いかに若き芸術家たちに(ボッチョーニら同世代の仲間を含めて)影響を与えたかを推測させる。幻想的な《コウモリ女》【図4】は、1907年に原版が制作されていたものの、20世紀において実際に紙面に印刷・流布された形跡がなく、2006年に印刷されたことで初めて目にすることができるようになった作品である。こうした象徴主義的な時期の終わりは、「都市」という未来派的テーマが版画にも登場し出したという事実で確認されるが、その最後の局面において現れた《眠れる都市》【図5】は、夜のミラノ郊外の工場の中にいくつかの電灯が光っている一方、上空には煙突の先から出る煙のように裸体の人間の霊体が浮かんでいるという、二つの世界の対立/混交を示しているような風景となっている。

図4:ルッソロ《コウモリ女Donna pipistrello》、1907年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵)

図5:ルッソロ《眠れる都市La città dormentata》、1910年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵》
ルッソロの未来派期における活動は、若き日の象徴主義/晩年の神秘主義に基づいたそれと、断絶しているのか連続しているのかという問いは、まだまだ興味深いものであり続けるだろう。1944年12月、マリネッティがコモ湖畔の疎開先ベッラージョで死去した時、ルッソロは比較的近い場所に住んでいたこともあってか、第二次世界大戦末期の困難な時期にもかかわらず、ベッラージョで行われた追悼式典に駆けつけたという。
【掲載図版】
図1:ルッソロ《自画像Autoritratto》、1920年(キャンバスに油彩、50×50cm、フィレンツェ美術館群特別監督局)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図2:ルッソロ《叛乱La rivolta》、1911年(キャンバスに油彩、150.8×230.7cm、デン・ハーグ市立美術館)
※ Didier Ottinger (a cura di), Futurismo, Milano: 5 Continents, 2009より。
図3:ルッソロ《シャボン玉Bulles du savon/Bolle di sapone》、1929年(キャンバスに油彩、116.5×81cm、パリ市立近代美術館)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図4:ルッソロ《コウモリ女Donna pipistrello》、1907年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図5:ルッソロ《眠れる都市La città dormentata》、1910年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵》
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
【注】
注1:柴田南雄・遠山一行(総監修)『ニューグローヴ世界音楽大事典』全21巻+別巻(講談社、1993-1995年)。日本語版は、ABC順ではなくアイウエオ順に項目が再整理されているため、ルッソロの項目は第20巻にある。
注2:Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014; Mattia Lapperier (a cura di), Luigi Russolo incisore: catalogo generale delle acqueforti, Albissola Marina (Savona): Vanilla edizioni, 2020.
注3:未来派参加者の中でも、ルッソロ以外に神秘主義の類に軸足を移した人物としては、たとえば1930年代に彫刻や服飾デザインで実力を示したエルネスト・タイヤート(1893-1959)が、晩年には「UFO研究」をしていたらしいと、展覧会カタログの人物小伝では書かれることがある。この辺りについては私も未詳だが、まだ微笑をもって接することができる風説かもしれない。しかし、より精神史的に不幸な現象として挙げなくてはならないのは、ユリウス・エーヴォラ(1898-1974)の事例であろう。彼は若き日には未来派やダダの運動圏内で活動していたものの、そのオカルト研究が昂じて、1930年代末にはイタリアの人種主義言説の隊列に加わることになった。
(おおた たけと)
・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2024年2月12日の予定です。
■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学で非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
"Sofa With Arms Black Edition" (黄)
1982年(2019年製造)
金属、ファブリック
W62.0×D92.0×H65.5cm (SH38.0cm)
Ed.33
※座面裏にカッペリーニのシリアルナンバー入りプレート付
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

未来派芸術家列伝(その5)――「騒音楽器」以外のルッソロ
太田岳人
『ニューグローヴ世界音楽大事典』は、英米圏の音楽事典の代表格として知られ、日本でも1980年版を底本にした充実した翻訳がかつて制作されている【注1】。この事典の中には、前回の記事で話題に挙げたプラテッラとともに、必ずしも音楽を専業にしていたわけではなかったルイージ・ルッソロ(1885-1947)【図1】の項目も立てられている。ヴェネツィア北部の小都市ポルトグルアーロに生まれた彼は、親と兄弟たちに音楽家を持ったものの、自身はミラノで絵画を学ぶ中で、ボッチョーニやカッラといった後の初期未来派メンバーと出会うことになった。

図1:ルッソロ《自画像Autoritratto》、1920年(キャンバスに油彩、50×50cm、フィレンツェ美術館群特別監督局)
『世界音楽大事典』で両者の項目を書いたジョン・C. G. ウォーターハウスは、同事典では他の20世紀のイタリア人作曲家の多くの解説も担当する、イタリアのモダニズム音楽研究についての往年の大家であったが、彼は未来派に参加した二人の芸術家について、ルッソロの方により高い評価を与えている。プラテッラへの呼びかけという形で発された1913年の宣言「騒音の芸術」を土台に、同年から翌年にかけて初の「騒音楽器 intonarumori」が試みられ、それは第一次世界大戦をはさんだ1920年代に、さらなる「雑調和音器 rumorarmonio」などの「ルッソロフォン russolofono」に展開していく。これらの楽器-装置は、彼が音楽を担当した一連の未来派の演劇・舞踏の公演で披露されただけでなく、特にフランスで同時代の実験的音楽家たちからも一定の注目を受け、第二次世界大戦後のクラシック音楽の展開にも影響を与えていった――こうした評価は、大分前から定着していると一応言えそうである。
一方、こうした音楽方面での評価の反面、視覚芸術の方面におけるルッソロの作品はそこまで知られてきたとは言えない。前述のウォーターハウスの音楽史的かつ古典的な記述は、彼の画家としての活動を「騒音の芸術」以前の1911-13年に集中したものとし、再び画業に戻るのは長い音楽家の時期を経た1941年以降のこととしていたが、実際のところルッソロは「音楽家期」にも断続的に画業を続けている。確かに、イタリア未来派の作品として日本で最も早く図像が紹介されたうちの一つでもある《叛乱》【図2】のような、いかにも「未来派らしい」作品は1910年代に集中しているものの、1920年代には最初に挙げた《自画像》の他、《シャボン玉》【図3】のようにフランスの美術館に収蔵されている作品も存在している。1930年初頭には、未来派の後続世代として活躍しつつフランスの造形動向も独自に吸収していた、プランポリーニ(1894-1956)やフィッリア(1904-1936)らとともに、パリの「抽象―創造」グループの母体の一つとなっていく「円と正方形」への参加を、イタリアの側から表明したこともある。

図2:ルッソロ《叛乱La rivolta》、1911年(キャンバスに油彩、150.8×230.7cm、デン・ハーグ市立美術館)

図3:ルッソロ《シャボン玉Bulles du savon/Bolle di sapone》、1929年(キャンバスに油彩、116.5×81cm、パリ市立近代美術館)
近年、ルッソロの「騒音音楽」以外の多面的な彼の活動の総体に注目した仕事が現れているが、中でも「ルイージ・ルッソロ:物質を超えて」展のカタログ(2014年)と、『版画家ルイージ・ルッソロ:エッチングのカタログ・レゾネ』(2020年)【注2】の試みは注目される。前者は、ルッソロが晩年を過ごしたマッジョーレ湖東側の小村チェッロ・ディ・ラヴェーノからも近い、スイスのアスコーナ市立近代美術館で開催された展覧会の記録であるが、このカタログは初期未来派時代以外の作品も広く取り上げつつ、それらをこの芸術家独特の精神・思想的立場の変遷と合わせて読み解こうとしている。「物質を超えて」という展覧会の副題は、1938年にルッソロが発表した「哲学上の」著作から採られたものだが、実際にルッソロは1932-33年にかけてのスペインへの長期滞在の頃から、未来派やフランスの音楽家たちのサークルとは異なる、心霊現象や東洋哲学を奉じた文学者・芸術家たちのサークルに接近した。カタログの論考などによれば、彼は哲学だけでなく、針治療やヨガなどの東洋医学、さらには動物磁気や幽体離脱などにまで関心を強く示したそうである。西洋の前衛芸術運動の歴史には、その何人かのメンバーが後年、キリスト教なり東洋思想なりの「神秘主義」的傾向に没頭したというエピソードが必ず出てくるが、未来派においてはルッソロがその代表となるだろう【注3】。
「神秘主義」の影響を受けつつ、自らは「古典―現代的」なものとして描いた晩年の絵画群は、結果としては同時代のノヴェチェント派などとあまり変わらないものになっているので、ここでは紹介しない。ここでの読者にとってより興味深いのは、『版画家ルイージ・ルッソロ』でさらに内容が追求されている、未来派以前の時期にのみ制作されている芸術家の版画作品であろう。未来派絵画の一つとされているものの、明らかにエドゥアルド・ムンクなどの影響を感じられる《音楽》(ウォルフソン・コレクション)などにつながるものを、こうした版画からは読み取ることができる。
音楽を学ぶ兄たちのため、家族でミラノに転居した後のルイージ少年は、レオナルド・ダ=ヴィンチの《最後の晩餐》の修復作業の徒弟などを経て、版画の技術を学んだ。おおむね1905-1910年ごろにかけて、彼は数十点のエッチングおよびアクアチントによる版画を制作している。そこに現れる優美な女性/擬人像、骸骨/死やモンスターのイメージからは、ガエターノ・プレヴィアーティ(1852-1920)らによるイタリアの、さらにドイツや北欧の象徴主義が、いかに若き芸術家たちに(ボッチョーニら同世代の仲間を含めて)影響を与えたかを推測させる。幻想的な《コウモリ女》【図4】は、1907年に原版が制作されていたものの、20世紀において実際に紙面に印刷・流布された形跡がなく、2006年に印刷されたことで初めて目にすることができるようになった作品である。こうした象徴主義的な時期の終わりは、「都市」という未来派的テーマが版画にも登場し出したという事実で確認されるが、その最後の局面において現れた《眠れる都市》【図5】は、夜のミラノ郊外の工場の中にいくつかの電灯が光っている一方、上空には煙突の先から出る煙のように裸体の人間の霊体が浮かんでいるという、二つの世界の対立/混交を示しているような風景となっている。

図4:ルッソロ《コウモリ女Donna pipistrello》、1907年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵)

図5:ルッソロ《眠れる都市La città dormentata》、1910年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵》
ルッソロの未来派期における活動は、若き日の象徴主義/晩年の神秘主義に基づいたそれと、断絶しているのか連続しているのかという問いは、まだまだ興味深いものであり続けるだろう。1944年12月、マリネッティがコモ湖畔の疎開先ベッラージョで死去した時、ルッソロは比較的近い場所に住んでいたこともあってか、第二次世界大戦末期の困難な時期にもかかわらず、ベッラージョで行われた追悼式典に駆けつけたという。
【掲載図版】
図1:ルッソロ《自画像Autoritratto》、1920年(キャンバスに油彩、50×50cm、フィレンツェ美術館群特別監督局)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図2:ルッソロ《叛乱La rivolta》、1911年(キャンバスに油彩、150.8×230.7cm、デン・ハーグ市立美術館)
※ Didier Ottinger (a cura di), Futurismo, Milano: 5 Continents, 2009より。
図3:ルッソロ《シャボン玉Bulles du savon/Bolle di sapone》、1929年(キャンバスに油彩、116.5×81cm、パリ市立近代美術館)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図4:ルッソロ《コウモリ女Donna pipistrello》、1907年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵)
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
図5:ルッソロ《眠れる都市La città dormentata》、1910年(エッチングとアクアチント、16.8×25.0cm、個人蔵》
※ Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014より。
【注】
注1:柴田南雄・遠山一行(総監修)『ニューグローヴ世界音楽大事典』全21巻+別巻(講談社、1993-1995年)。日本語版は、ABC順ではなくアイウエオ順に項目が再整理されているため、ルッソロの項目は第20巻にある。
注2:Mara Folini, Anna Gasparotto e Franco Tagliapietra (a cura di), Luigi Russolo: al di là della materia, Milano: Skira, 2014; Mattia Lapperier (a cura di), Luigi Russolo incisore: catalogo generale delle acqueforti, Albissola Marina (Savona): Vanilla edizioni, 2020.
注3:未来派参加者の中でも、ルッソロ以外に神秘主義の類に軸足を移した人物としては、たとえば1930年代に彫刻や服飾デザインで実力を示したエルネスト・タイヤート(1893-1959)が、晩年には「UFO研究」をしていたらしいと、展覧会カタログの人物小伝では書かれることがある。この辺りについては私も未詳だが、まだ微笑をもって接することができる風説かもしれない。しかし、より精神史的に不幸な現象として挙げなくてはならないのは、ユリウス・エーヴォラ(1898-1974)の事例であろう。彼は若き日には未来派やダダの運動圏内で活動していたものの、そのオカルト研究が昂じて、1930年代末にはイタリアの人種主義言説の隊列に加わることになった。
(おおた たけと)
・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2024年2月12日の予定です。
■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学で非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
"Sofa With Arms Black Edition" (黄)1982年(2019年製造)
金属、ファブリック
W62.0×D92.0×H65.5cm (SH38.0cm)
Ed.33
※座面裏にカッペリーニのシリアルナンバー入りプレート付
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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