三上豊「今昔画廊巡り」

第8回 櫟画廊


 2019年、銀座7丁目10-12にあった櫟画廊が閉廊した。1953年の開廊以来66年の長きに渡り、貸画廊として運営されてきた。酒屋の次男坊で銀行員だった保坂繁男(1921―2004)さんは、茅場町から銀座に進出した柳屋酒店が軌道にのり、隣の2階建ての物件が売りにでたのを機に、1階は喫茶店(ニューブラジル)に、2階は妹の松本福子さんが運営する画廊にして事業を拡大する。当時の住所表記は中央区銀座7丁目3。『日本美術年鑑』に登録される銀座の画廊が20数件の時代である。松本さんは「櫟画廊」と命名、文学少女だった彼女が小説から発案したという説もあり、マークも彼女が作成したようだ。3年ほど経つと松本さんは経営から身を引き、保坂さんが運営にあたるようになる。画廊は銀座の旦那衆のひとつのステータスとも言えた時代だ。
 この前後に美術評論家植村鷹千代が95年まで顧問となる。植村は港区(現在の新橋2丁目あたり)にあった現代美術研究所の所長をしており、そこの研究生たちが櫟画廊で発表することもあり、植村所長、ときどき雑誌の展評でも櫟画廊をフォローしている。
 57年当時、1日の賃料は3000円、基本1週間で回していく。61年のデータではスペースは分割使用も可能のようで、Aが20メートル2500円 Bが16メートル2000円とある。69年には27メートル、7000円となり、2005年には22メートル、40000円だ。改築も何度かされ、73年には画廊は地下に移る。私自身もそのスペースからの体験者だ。階段下正面に1カ月分の作家名が掲示され、そこで記憶が蘇ればいいのだが、下まで降りて覗くと先週見た作品だったりすることが時にあった。引き返す上りの階段がだんだんきつくなった。また、画廊にはたいてい芳名帳があり、所属や住所氏名を書くのだが、櫟画廊の場合は毛筆だった。これが苦手で氏名を小さく書くことを思い付き、これで今でも、「あの小さな文字の人」と言われることがある。長く使われていた硯は90年代末に二つに割れ、以後はペン書きとなる。
 画家で『絆を求めて 画壇交友録』の著書もある内田信が作成した手書きの展覧会記録集を参照してみる。岡本信治郎、永田力、井上武吉、中西夏之、浅野弥衛、三木富雄、みのわ淳、千田高詩、高崎元尚、針生鎮郎、豊島弘尚、田名網敬一、田中米吉、魚田元生、砂澤ビッキ、畑中優らが発表をしている。アラーキーこと荒木経惟も70年に写真展を、築地警察署の立ち入りがあり、始末書提出とか。ヤクルトのカレンダーのイラストを描き続けた武留井義男は50回以上の個展を開催している。
母屋が酒屋のせいか、作家や評論家が昼間から酒盛りを始め、なかなか帰らない。画廊に冷蔵庫や湯沸器はずっとなかったが、氷やお湯割りは二の次だったのだろう。秋山祐徳太子の『泡沫傑人列伝-知られざる超前衛-』では貸画廊は泡沫とされ櫟画廊の名前がでてくる。評論家の柳生不二雄は「オーナーがへんに口をださないから長続きする」と書いたという。2004年から息子の保坂直樹(1949―)さんが経営にあたるが、やはり口はださなかったようだ。
 60年以上続いた櫟画廊を支えたのは、現場の運営に当たった女性たちともいえよう。保坂さんの義理の妹の浜谷錦子さん、植村の紹介で入り、評論家の野村太郎と結婚した大武和子さん、創元会会員になる画家の依田邦子さん、2階と地下にわたり一番長く勤めた小林真砂子さん(2021年没)、97年から閉廊まで運営に当たった清水祐子さん。皆さん画廊体験はなく櫟画廊にきたという。カルチャーショックもあっただろう。
 階段を降りて、会場の左隅に何脚かの椅子があり、作家を含めた人たちが談笑をしている。
 そうした雰囲気を仲間内の語らいとして嫌う面も時代とともにでてきた。しかし、空間に作品のみ、というのも寂しい思いもまたある。貸画廊では作家はお客でもあり、久々に知り合いと会う楽しみもあったろう。櫟画廊の長い活動歴をみていくと、ここから旅立ち他のスペースで発表する人、何度も発表をした人(公募展系、地方の作家が多い)、さまざまな関わり方がみえてくる。階段を上がって外に出ると、なぜか銀座の光が眩しく感じた。
 特徴的だった板張りの黒い床は、現在フレンチバーのお店になってもそのままになっているそうだ。

取材協力=清水祐子/東京文化財研究所

(みかみ ゆたか)

図1_トリミング
図版1 『美術手帖』135号 1957年度版年鑑に掲載された広告。櫟の木がアレンジされている。

図2_2

図2_1
図版2 50年代、60年代の案内状の数々。「くぬぎ」とルビ付きもある。

図3合成
図版3 画廊外観2点。左=「安達時彦第1回個展」1971年。正面2階の窓を搬出入に使う作家もいた。右=「熊谷文利(後に脩造とも)第1回個展」1964年。画面左側に階段がある。4箇所に「櫟画廊」の文字が見える。

図4_トリミング
図版4 1997年の案内状から。

図5
図版5 松丸健治個展(2018年9月)会場より。

新_図版6
図版6 石丸康生個展(2000年10月)会場より。

図7ピント甘い
図版7 2019年6月、閉廊案内が入り口に掲示された。

■三上 豊(みかみ ゆたか)
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964-1998』、『秋山画廊 1963-1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。

・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2024年1月28日です。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は、岡本信治郎です。
okamoto-03
《つばめ》
1977年
木版(彫り:塚口重光、刷り:五所菊雄)
イメージサイズ:18.4×11.2cm
シートサイズ:27.8×24.9cm
Ed.500
サインあり
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ときの忘れものは本日が2023年の営業最終日です。
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建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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