太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」第24回

未来派芸術家列伝(その6)――デペロ:日本における複数の評価から

太田岳人

フォルトゥナート・デペロ(1892-1960)【図1】については、生地のロヴェレートにある「未来派デペロ芸術の家」の話をはじめとして、本連載でもたびたびその名前に触れてきた。彼のファーストネームである「フォルトゥナートFortunato」には「運命(fortuna)に恵まれた、幸運な」という意味があるが、実際彼の作品は幸運にも、現在もイタリア国内外での展示の機会に恵まれている。近年の国外展としては、マドリードのファン・マルチ財団美術館(Fundación Juan March)が開催した「未来派デペロ:1913-1950」(2014-2015年)が充実しており、その図録のコレクター版として、「ボルトの本」にちなんだ「ボルトのカタログ」が制作されたことも話題を呼んだ。イタリアではつい最近、昨年末から今年1月にかけて、フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿で「デペロ:空想上の騎乗」と題した展覧会が行われている。1920年代以降に台頭したいわゆる「第二世代」に属する未来派芸術家の中でも、もっとも「批評史(fortuna critica)」上で取り上げられることの多い人物の一人である。

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ロゼッタ・デペロ《ガルダ湖畔を散策するフォルトゥナート・デペロ》

これも以前から言及している話であるが、2000年に東京と大阪で開催された「デペロの未来派芸術展」は、今なお未来派の芸術家が単独で取り上げられた日本における唯一の展覧会であり続けている。企画の中心となったのは、会場の一つとなった東京都庭園美術館の当時の館長・井関正昭である。井関は展覧会カタログの論考で、1970年にローマに滞在した際、同地で活躍していた阿部展也の勧めを受けたことで、ちょうどバッサーノで開かれていた没後10周年の回顧展を訪ねたことが、初めてこの芸術家を知ったきっかけであると書いている。「60年代のイタリアの前衛の華麗な展開にいささかとまどっていたとき、その直接の源流であるデペロの作品群に私は圧倒されたとしかいいようがなかった」【注1】と回顧した後、彼は自身の未来派研究を総合した『未来派 イタリア・ロシア・日本』(形文社、2003年)を出版するが、そこでは「未来派全体の動きを理解するための良い指針」としてデペロ個人の年譜を特別に巻末に置くなど、この芸術家に対する突出した愛着を見せている。

一方、井関よりさらに早くから、日本にデペロの愛好者が存在した事例として、意外と見逃されているのが神原泰(1898-1997)の存在である。彼の『未来派研究』(1925年)【注2】の著述の特徴については、本連載の第15回でも多少取り上げたが、実はこの著作の口絵に使われた未来派メンバーの肖像写真5点の中には、デペロのそれが含まれている。残りはマリネッティ、ボッチョーニ、ルッソロという、誰もが認める初期未来派の重要人物3人と、神原本人のものである。これだけなら偶然の選択に見えるかもしれないが、造形作品の参考図版にも彼の「デペロ推し」はうかがえる。すでに日本でも一定程度の紹介がなされていたボッチョーニから、《精神の状態》三部作を含めた5点を採用しているのは当然としても、当時はるかに無名であったデペロからも、《セッラーダ》【図2】をはじめとする同数の5点を掲載したことは驚くに値する【注3】。さらに神原は、『未来派研究』の中でボッチョーニに対する傾倒を表明し、2冊目の未来派に関する著作としてはボッチョーニについての本を公刊する計画(これは実現しなかった)について、「僚友ボッチョニイ〔ママ〕に捧げる」と題する詩に付したが、彼はデペロに対しても「未来派画家デペロ君に」という印象的な詩を書いている。以下はその全文である。

愛する友デペロ/君は魔術師だ/光と幻想のおとぎ話のおぢさんだ/しかし/君はシヤガルでもスーデーキンでもない/君は聖フランチェスコでもない/君は永遠の嬰児だ/小鳥は君と遊び/けだものは君の手をなめる/君は暖国の光の王子だ

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デペロ《セッラーダ》

神原がボッチョーニに捧げた詩は、崇拝すべき「天才」として芸術家を扱っているのに対し、デペロに捧げた詩では「おとぎ話のおぢさん」「永遠の嬰児」といった、より親密な感じのある肩書きが芸術家に与えられている。「魔術師」という言い回しは、他の芸術家・職人と協同して創作をするための、自身の「未来派芸術の家」を題材にした《魔術師の家La casa del mago》(神原による訳題は《私の魔法の画室》)から採られていると考えられる【注4】。また、東欧出身のマルク・シャガールやセルゲイ・スデイキンへの言及は、一応否定的ではあるものの、デフォルメされた人体や風景のファンタジックな描写という点での共通性を、神原が見出していたことも示唆している。とりわけスデイキンは、現在ではもっぱらバレエ・リュスとの関わりで記憶されている画家であるが、デペロもまた1916年から翌年にかけてセルゲイ・ディアギレフと接触を持ったことから、独自のマリオネットによる「造形バレエ」【図3】の構想を発展させた事実を考えると、この対比はさらに興味深い。

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デペロ《マリオネットの観兵式(造形バレエ》

神原によるこうしたデペロの取り上げ方は、ボッチョーニと異なり同世代(7才違い)の芸術家が、未来派運動内で地歩を築きつつあったことへの大きなシンパシーのあらわれであろう。ただし、神原はデペロの芸術指向について、他の芸術家と比較した場合の差異についてはあまり認識していなかったようである。神原は『未来派研究』の参考図版のうち、ボッチョーニの5点の作品にはすべて自身の解説を加えた一方、デペロの5点に対してはそうしていない。さらに言えば、同書で取り上げられたデペロの作品には、板やキャンバスに描かれた「絵画」だけではなく、布地にフェルトを縫いつけてつくられたタペストリー、またその下絵も含まれていた。その素材の選択の面白さを考え合わせると、神原が作品内容に言及しなかったのは奇妙にすら思われる。

おそらくこの事実は、神原が未来派の造形作品をもっぱらボッチョーニの理論を通じて、すなわち印象派以来のモダニズム絵画のさらなる先鋭化を目指す立場から見ていたことを示している。絵画、タペストリー、下絵を問わず彼をひきつけたデペロの世界は、第一には形態の問題に属していたということである。一方、デペロ本人の立場は、バッラとの共同名義による「宇宙の未来派的再構成」(1915年)で主張されたように、様々な素材を自由に用い、かつオブジェや玩具などにも創作の領域を拡大することを訴えるものであった。神原の熱心な翻訳の対象からも外れていたが、第二次世界大戦後の井関にとっては、むしろこれが大きな参照点となっている。広告や衣装デザイン【図4】といった方面にも広がる、デペロの仕事ぶりについてはもう語るスペースがないが、ともあれ日本においてもそれぞれの時代の未来派の研究・紹介者【注5】に着目されたこの芸術家は、名前の通り「運命に恵まれた」人物である。

デペロ《未来派ベスト》
デペロ《未来派ベスト》

【掲載図版】
図1:ロゼッタ・アマドーリ・デペロ(1893-1976)《ガルダ湖畔を散策するフォルトゥナート・デペロFortunato Depero in gita al lago di Garda》、1926年(8.5×6cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館)
※ Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano: Skira, 2001より。

図2:デペロ《セッラーダSerrada》、1920年(キャンバス地にフェルト、330×245cm、トレント・ロヴェレート近現代美術館)
※ 東京都庭園美術館(ほか編)『デペロの未来派芸術展』(読売新聞社・美術館連絡協議会発行、2000年)より。

図3:デペロ《マリオネットの閲兵式La rivista delle marionette(造形バレエI balli plastici)》、原作1918年/再制作1982年(彩色された木材ほか、トレント・ロヴェレート近現代美術館)。
※ 東京都庭園美術館(ほか編)『デペロの未来派芸術展』(読売新聞社・美術館連絡協議会発行、2000年)より。

図4:デペロ《未来派ベストGilet futurista》、1923-1924年(布、丈60cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。

【注】
注1:井関正昭「未来派の中のデペロ」、東京都庭園美術館(ほか編)『デペロの未来派芸術展』(読売新聞社・美術館連絡協議会発行、2000年)。実際には、井関はこの前年にデペロをジャコモ・バッラらと合わせて取り上げたことがあるので(井関正昭「造形的複合体:バッラとデペロの場合」、『みづゑ』1969 年 11 月号)、この時までまったくその存在を知らなかったわけではないと思われる。もちろん、彼のデペロに対する関心の発展に、阿部の言葉や実際に見た展覧会の影響が大きかったことは想像に難くない。

注2:神原泰『未来派研究』(イデア書院、1925年)。本稿においては、日高昭二・五十殿利治(監修)『海外新興芸術論叢書 刊本篇』第8巻(ゆまに書房、2003年)に収録された復刻版を参照しつつ、漢字を新字体に改めた。

注3:『未来派研究』冒頭の「挿画及び写真目次」では、収録される挿画として、カッラとルッソロの絵画の名前も1点ずつ挙げられているものの、実際には掲載されていない。よって、未来派が進めた絵画や造形芸術の探求から生まれたものとして本書に収録されたのは、ボッチョーニとデペロの作品のみとなっている。

注4:近年のデペロについての展覧会にも、「魔術師」はしばしば用いられるキーワードとなっている。Gabriella Belli (a cura di), La casa del mago: le arti applicate nell'opera di Fortunato Depero, 1920-1942, Milano: Charta, 1992; Nicoletta Boschiero e Stefano Roffi (a cura di), Depero il mago, Cinisello Balsamo (MI): Silvana, 2017.

注5:光田由里による晩年の井関へのインタビューによれば、彼は未来派研究の先駆者として神原のことを意識していたものの、直接面談する機会はついに訪れなかったという。『日本の「近代美術館」――戦後草創期の思想を聞く:インタビュー記録集』(日本の「近代美術館」――戦後草創期の思想を聞く研究会、2014年)。

おおた たけと

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2024年4月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学で非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
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