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2010年10月1日「マン・レイと宮脇愛子展」レセプション
槇文彦先生(右)と宮脇愛子先生
於・ときの忘れもの(青山時代)

<槇先生といえば、移転する前の青山の「ときの忘れもの」で宮脇愛子さんの最後の個展が開かれた時、ご夫妻でオープニングに来て車椅子の宮脇さんに優しく話しかけていた姿を思い出します。ノーブルで紳士的で、講演やスピーチをする姿も美しかった。
fansworthさんのtwitterより)>

<槇先生が亡くなられた。
悲しい、本当に悲しい。
涙が溢れてきた。
Takashi Moriyamaさんのfacebookより)>

<ほんとうに・・・
これほど頭の良い人がいるのだろうか?と、いつも驚愕していました。
しかもけっして偉ぶらない、ジェントルマンで尊敬すべき方でした。
黙祷。
Ken YokogawaさんのMoriyamaさんへの返信)>

<Architect Fumihiko Maki passed away at the age of 95, 2024.06.06
建築家の槙文彦氏が、95歳で亡くなられた。初期のヒルサイドテラスから始まり、数多くの優れた建築を世に送り出した。著書も多く、晩年は社会的発言を積極的に行った。その貴種ともいえる優れた人格は、他の建築家より尊敬を集めていた。
心よりご冥福をお祈りいたします。
*2016年6月に、千葉工業大学にてレクチャーをしていただいたときの投稿をシェアします。
今村創平さんのfacebookより)>

<槇文彦さんが亡くなられた。
SDレビューなどで何度かお話させて頂きました。あの時は緊張しながらも嬉しかったな。
ここ数年ご縁あって、代官山ヒルサイドテラスには毎週のように訪れています。その度に様々な発見があり、空間が人々に愛されているのを感じます。
表参道にあるスパイラルも大好きな建築で、その空間の豊かさと空気感が、佇む人、訪れる人に気品を感じさせてくれるように見えます。
槇さんの建築空間から沢山の学びを頂き続けています。
ご冥福お祈り申し上げます。
御手洗龍さんのfacebookより)>

<数年前、たまたま六本木ヒルズクラブのトイレまで付き添える男性が私しかおらず、槇先生と手を繋いでゆっくりトイレまで行って来るという、スペシャルな経験をしました。あの時は、支える場所やタイミング、力加減など、亡父の介護で培ったスキルが多少役立った気がしました。巨匠も身体をだいぶ委ねていたので、安心してくださったのかもしれません。我が宝の思い出です。ご冥福をお祈りしますします。
勝原基貴さんのfacebookより)>

<【訃報】槇文彦さんが亡くなった。生前、数えきれないほど謦咳に接してきたが、毎回気づきを与えてくださり、その都度、建築と建築家を見る目が更新されてきた気がする。ありがとうございました。ゆっくりお休みください。合掌。
追記) 槇作品、僕のベストワンは「古代出雲歴史博物館」。出雲大社参詣の帰りに是非お立ち寄りください。
https://www.izm.ed.jp/cms/news.php?mode=yoyakuadd&id=41
西山郁夫さんのfacebookより)>

<槇文彦、ヒルサイドテラス、津田塾大千駄ヶ谷キャンパス、東京電気大千住キャンパス、テレビ朝日本社ビル、都内だけでも数えきれないほどの大規模な作品がある巨匠の一人。ご冥福をお祈りします。
#neu_art
neue etcさんのtwitterより)>

<建築家の槇文彦さんが亡くなられた。10年前、NHK WORLDの番組『J-Architect』にご出演いただき、代官山の事務所で撮影する際、槇さんは開口一番「shall we speak in English?」と言われて、英語でインタビューさせてもらった。とても紳士的な方だった。心よりご冥福をお祈りします。
光嶋裕介さんのtwitterより)>

<槇文彦先生といえば、大分県中津市の「風の丘葬祭場(1996)」
三谷先生のランドスケープ目的で行ったけど、人生で初めて建築に感銘を受けた経験になった。
静かで美しく、風とともにある空間だった。ここを思い出すといつも風が吹く。
aoi 𓆏さんのtwitterより)>

<学生時代から教わってばかりの槇文彦さんが亡くなられました。ヒルサイド、東京体育館、スパイラルなど東京の顔を作った建築家でした。お人柄も建築もダンディー。ご冥福をお祈りします。
大西若人さんのtwitterより)>

<槇文彦設計の「スパイラル」では道に面した中2階(階段踊り場)に椅子が置かれていて、いつも誰か座っている。この光景を見るたびに別の人が「東京には無料で座れてくつろげるところがない」と言っていたのを思い出す。来年開館の「鳥取県立美術館」(写真)も館内にさりげなく座れる場所があった。
青野尚子さんのtwitterより)>

<槇文彦さんといえばやはり、現代美術の展示空間としてのヒルサイドテラスとスパイラルだ。アートフロントギャラリーが50年前の建物だと云われて驚く人は多いだろう。半世紀を経て古臭さを感じさせないスタイリッシュなフォルムはまさに奇跡的だ。訃報に悲しみを禁じ得ません。安らかにお眠り下さい。
はむぞうさんのtwitterより)>

*画廊亭主敬白
建築家の槇文彦先生が6月6日にお亡くなりになりました。
初めてお会いしたのは1976年、ちょうど「菅井汲全国展」を開催しているときで、パリから帰国した菅井汲先生とヒルサイドテラスのオーナー朝倉さんに連れられて槇先生にお会いしました。
既に国際的な活躍をされており、アートにも造詣が深く、特に宮脇愛子先生とは長い長い親交を重ねていました。
宮脇先生が冗談めかして「イソザキより槇さんの方が古いのよ」とおっしゃっていました。

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左から綿貫不二夫、槇文彦先生、小池一子先生

謹んでご冥福をお祈りいたします。

うつろひポスターAIKO MIYAWAKI 1959-1989 Utsurohi」ポスター
1989年 87.7×62.1cm
ポートレイト撮影:マン・レイ
デザイン:磯崎新
ミラー紙にシルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
サインあり

取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログをご覧ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
photo (1)
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。