<一日だけの特集展示/内間安瑆木村利三郎(ときの忘れもの)
直前の内間安瑆さんの展示、残念ながら見逃してしまったので、会社休んでお伺い。
これは見た方がいい作品、というオーラ通りの作品だった。見に行けてよかった。
(来年か再来年か、いいことがあると教わった)
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk2407/0717.html
(20240729/笹崎・T・譲さんのtwitterより>

笹崎さん、ご紹介ありがとうございます。
ときの忘れものは狭いので、たくさんの作品は展示できませんが、内間先生、木村先生はじめご紹介する作品はほとんど所蔵しています。いつでもご覧になれますが、保管場所が倉庫が多いので、事前にお知らせいただければご用意いたします。

それにしても暑いですね。
栃木県佐野市では41度という記録的な猛暑が観測され、秋田・山形の記録的大雨では、亡くなられた方もあり、断水の被害も大きく復旧の見通しもたっていないとのこと。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。


今年はアンドレ・ブルトンがシュルレアリスム宣言を発表してからちょうど100年の記念の年です。世界中でシュルレアリスム100年記念の展覧会やイベントが開催されています。
ときの忘れもので開催中の「オディロン・ルドンとロベルト・マッタ」(2024年7月24日(水)~8月3日(土))では、シュルレアリスム運動に参加したロベルト・マッタの幻想的な版画を紹介しています。

マッタは、無意識の作用によって霊媒のように筆を動かして表現するシュルレアリスムのオートマティスム(自動記述法)に共鳴し、50年以上にわたって独自の理論を構築し、表現しました。マッタ自らの心の深淵から引き出した世界を描いた幻想的な銅版画連作をご紹介します。


【マッタの生涯】
ロベルト・マッタはシュルレアリスムの代表的作家です。
1911年チリのサンティアゴの名家に生まれたマッタは、20代半ばまでは絵よりも建築に関心があり、サンティアゴ・カトリック大学で建築を修めた後は、建築を見るためにヨーロッパ各地を巡ります。1934年から3年間はパリのル・コルビュジエの事務所で働きました。

彼が絵画の魅力に目覚めたのは1937年。再びヨーロッパを彷徨した際に、マグリットやピカソミロ達に出会い知見を深めたことがきっかけでした。同年にシュルレアリスム運動の創始者であるアンドレ・ブルトンとも邂逅し、シュルレアリストのグループに参加するようになります。絵画制作の経験は全く無かったにも関わらず、翌年には早くも素描や油彩画を制作・発表するようになりました。

第二次世界大戦直前の1939年、マルセル・デュシャンの強い勧めによりニューヨークに渡りました。現地の若手作家との交流や、アメリカからメキシコへの広大な大地を巡る旅から着想を経て、マッタは力強く野性的なエネルギーに満ちた作品を制作するようになります。40年代後半、アメリカにおける重要なシュルレアリストとして活躍しました。

1948年にはパリへ戻るものの、ブルトンらシュルレアリストグループからは除名されてしまいます。代わって1954年まではローマに移り、今度は芸術家・科学者・革命家・思想家など多様な分野の若手の人々と親交を深めるようになりました。1957年にはニューヨーク近代美術館で初の回顧展を開催。1960年代以降はヨーロッパはもちろん南米・アフリカ大陸など世界各地を旅しています。1995年には高松宮殿下記念世界文化賞絵画部門で受賞するなど、日本にも所縁の深い作家です。

マッタ自身は「チリに生まれたのは幸運だった。だからこそ目がヨーロッパにも北アメリカにも向き、ある国だけに属するという抑圧から解放された」(高松宮殿下記念世界文化賞HPより)と語っており、多くの場所を訪れ様々な人と出会ったことで得たエネルギーは、そのまま自身の創作活動の糧となっていたのかもしれません。


【銅版画連作 "FMR"】
マッタはシュルレアリズムのオートマティズム(自動記述法)の手法を学び、自身の無意識を絵画に表そうと試みました。最初期の作品は「内景 (inscape)」と呼ばれ、細胞のような不定形のイメージが跋扈していますが、渡米中の1943年以降は幾何学的な線や波形を用いたSF世界のようなイメージへと変化していきます。

マッタの作品に再び有機的なモチーフが現れるのは1960年中ごろ。特にキューバと南米を旅した1966年頃以降は心象の変化があったのでしょうか、人間に似たモチーフが顕著に現れるようになります。

1971年の銅版画連作”FMR”は、2つの肉体(と思われる形態)が複雑にもつれ合い躍動し、汗の匂いを感じるような生々しいエネルギーに満ちています。Georges Visat によってパリでエディションされた本作は、限定85部の全てにサインとエディション番号がつけられています。

シュルレアリズムの重要作家、ロベルト・マッタの銅版画をこの機会に是非お買い求めください。


【参考文献】
・横浜美術館編、1994、『アンドレ・マッソン&ロベルト・マッタ それぞれの宇宙』、横浜美術館
・三木多聞他編、1975。『シュルレアリスム展』、東京国立近代美術館
・Editions Sonet、1975、『L'oeuvre Grave de Matta: Catalogue Raisonne』、Editions Sonet
・岸みづき、2018、「層状の絵画:マッタとマザウェルの制作手法と思想の共通性をめぐって」、
『早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌「WASEDA RILAS JOURNAL 」』、第6号、141-156、https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2018/10/141-156_Mizuki-KISHI.pdf(2024年7月27日アクセス)
・高松宮殿下記念世界文化賞、「1995年 第7回絵画部門 マッタ」、https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/matta(2024年7月27日アクセス)



No.25
ロベルト・マッタ_解放された右腕triロベルト・マッタ
《解放された権利 1》
1971年 銅版 21.7×16.0cm 
Ed.100 サインあり


No.26
ロベルト・マッタロベルト・マッタ
"PAROLES PEINTES V" 
1975年 銅版 29.0x21.0cm 
Ed.75 サインあり


No.27
ロベルト・マッタ_F.M.R IIロベルト・マッタ
"FMR II" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.28
ロベルト・マッタ_F.M.R IIIロベルト・マッタ
"FMR III" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.29
ロベルト・マッタ_F.M.R IVロベルト・マッタ
"FMR IV" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.30
ロベルト・マッタ_F.M.R Vロベルト・マッタ
ロベルト・マッタ
"FMR V" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.31
ロベルト・マッタ_F.M.R VIIロベルト・マッタ
"FMR VII" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.32
ロベルト・マッタ_F.M.R VIII
ロベルト・マッタ
"FMR VIII" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.33
ロベルト・マッタ_F.M.R IX
ロベルト・マッタ
"FMR IX" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり


No.34
ロベルト・マッタ_F.M.R X
ロベルト・マッタ
"FMR X" 
1971 銅版
24.3x18.2cm
Ed.85 サインあり

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オディロン・ルドンとロベルト・マッタ
会期:2024年7月24日~8月3日 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
ルドンとマッタ展案内状_表面1200
フランスの象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンと、シュルレアリスム運動に参加したロベルト・マッタの幻想的な版画作品をご紹介します。
出品作品の詳細は7月20日のブログに掲載しました。


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取り扱い作家たちの展覧会情報(7月ー8月)は7月1日ブログに掲載しました。

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。