今村創平のエッセイ「建築家の版画」
第7回 アントニン・レーモンド≪作品(1957年)≫
「キュビズム以降の芸術の展開の核心にあったのは、唯物論である。
すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追求してきたものだった。アバンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。」
岡崎乾二郎『近代芸術の解析 抽象の力』*1

アントニン・レーモンド 《作品》 1957年 水彩・紙 21.0×27.5cm サインあり
この連載も折り返し地点を迎え、今の時期は夏休みと言うこともあり、普段の建築版画とは異なるものを取り上げる。アントニン・レーモンドによるドローイング(1957年)。こうしたドローイングを、建築家はなぜ描いたのか。
通常、建築家が描くものは、彼/彼女の建築であったり、建築のための何らかの演習であったりする。しかし、このドローイングはよく見ても、何が描かれているのか不明である。何か意味があるものを描こうとしたのではない、もしくは、この絵を見ると、何かを認識することなく、ここにある曲線や色が、直接精神に働きかけてくる。
建築が、その機能によって価値を決めるのではなく、そこにある形態や色や空間が、直接精神に働きかける、そうしたことをレーモンドは、建築においても試みていたのかもしれない。
レーモンドは日本にモダニズム建築が根付くにあたって、大きな役割を果たした。日本におけるモダニズム受容は、なんといってもル・コルビュジエだ。ル・コルビュジエはモダニズム建築の世界的巨匠、とりわけ日本においては、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が直接の弟子であり、前川のもとで丹下健三が育ち、丹下のもとから槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生が巣立ったように、日本の建築家において、ル・コルビュジエの系譜はとても大きな幹となっている。とはいえ、モダニズムというのはル・コルビュジエ以外にも、ミース・ファン・デル・ローエ、バウハウス、フランク・ロイド・ライト、それから北欧モダニズムなど、実際には非常に多様である。
レーモンドは帝国ホテルのために来日したライトのスタッフとして日本の地を踏む。ライトが帰国した後もそのまま日本に残り、数多くの優れた建築を残し、日本の建築界に大きな影響与えた。レーモンド事務所を出た建築家としては、例えば吉村順三が挙げられる。ただし、丹下健三が華々しい大きな存在であるのに対し、吉村は実直なある意味では地味な存在といえる。しかし、レーモンド、吉村というモダニズムの流れがあったからこそ、日本のモダニズム、ひいては現在に至る建築に、豊かな厚みが生じた。このことは決して見逃せない。海外からのモダニズムの受容は、時としては安易なことがまま起きた。それは、海外の雑誌が掲載していた四角い箱を真似すれば、どこの国でも実現できるからだ。ところがレーモンドにおいては、モダニズム建築とは何かを問い、それを日本という具体的な場所において定着させることに腐心した。コンクリート住宅の日本における最初期の例は、レーモンドの自邸(1923年)であり、[リーダーズダイジェスト東京支社(1951年)]、[群馬音楽センター(1961年)]におけるコンクリートとの扱いは大胆かつ合理的であり、材料の特質を存分に活かした独創的なものだった。一方では、日本の環境の特性を考慮し、そこにふさわしいディテールによる詳細図集を発行し、それは多くの建築家にとって当時必須の参考書であった。
こういった背景を書いているのは、モダニズムと表現の問題について考えたいからだ。このレーモンドのドローイングは、20世紀前半に書かれた、いわゆるモダン・アートと呼ばれるものと似通っている。パウル・クレーとかジャン・アルプとか、またはキュビズムやシュルレアリスムといった画家たちの試みを連想させる。レーモンドのドローイングのスタイルは、どこから来ているのか。設計作業の中の合間の息抜きとして、気軽に絵を描くことを楽しんだのかもしれない。しかし、レーモンドがこのようなモダン・アートによく似たものを試みていることには意味があると思う。
モダン・アートの展開というのは極めて単純化していえば、具体から抽象への移行であり、ただその抽象性がドライな構成に留まらずに、そこにある豊かさを見いだす試みであった。この世界の抽象化は可能か、アーティストたちは模索した。ここには明らかに近代建築との平行性が見られる。近代建築においても、歴史から自由な、抽象的な形態が求められた。近代建築は白い箱というのはその典型である。とはいえ、日本における近代建築の先駆けであったレーモンドにおいて、建築は決して無味乾燥なただの箱ではなかった。今日の合理性経済性からすれば、建築は四角であることが求められ、しかしそこに豊かさを入れる必要がある。それがレーモンドの建築に見られる造形であり、色彩であり、空間構成だ。レーモンドのドローイングは、建築において抽象と表現をいかに融合するかという試みの、その延長として行われ、モダン・アートの単なる模倣ではない。伝統的形態によらない、抽象的な形態の精神への直接的な働きかけが模索されていたのである。
アントニン・レーモンド設計 アンセルモ教会(1953年)
今回のドローイングとほぼ同じ時期に建てられた教会は、正面の壁の縦横比が、1:1の正方形となっている。そして、聖堂の奥行きは、正面の壁の長さのちょうど二倍であり、つまり教会内部にちょうどふたつの立方体がぴったりおさまる。この厳密な幾何学の一方で、レーモンドがデザインした祭壇の中にある金の天蓋は曲線からなる造形となっている。精密な幾何学と、自由な曲線が交じり合うことで、この聖堂の中の雰囲気が生み出されているのである。
注
岡崎乾二郎『近代芸術の解析 抽象の力』(亜紀書房、2018)、p8
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日のお勧め作品はアントニン・レーモンドです。
《色彩の研究》
インク、紙
64.1×51.6cm
サインあり
●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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