福原義春さんが亡くなられたのは一昨年2023年8月30日でした(1931年3月14日 – 2023年8月30日 享年92)。
<入社式の時、「もしも嫌な上司と巡り会ってもちょっと我慢すればそのうち変わるから」といったお話しを新入社員に向けて飄々となさったのが印象的でした。
入社して緊張していたが、フッと気持ちが楽になりました。
ご冥福をお祈りいたします。>
(ヤフコメへの投稿より)
亡くなられた直後、化粧品店や現役社員、元社員の皆さんがヤフコメにたくさんの投稿をされているのを目にして、あらためて福原さんのお人柄に感銘を受けました。
資生堂の会長を退任されたのが2001年、それから20数年も経っていまだにその人柄を、福原さんたちが築いた社風を誇りに思う人たちがいる。
私たちもたいへんお世話になった方なのでブログで訃報をお伝えし、ヤフコメの投稿をいくつか記録しておきました。
三回忌の今日、あらためてご紹介します。
<化粧品店を営んでいました。
3.11の震災の直後、店に電話をくれたメーカーは資生堂さんだけで、お客様や従業員の怪我の心配と
「棚から落ちて破損した品は全て保障する」
という思いがけない救済付きでした。
地震発生からの短い間にこの保証が決まったのか、予め内規として存在したかは知らないけれど、とても驚きました。
その後、店を畳むことになった時も、お客様が入手に困らないようにと閉店直前まで発注を可能にしてくれて、しかも余ったら閉店後の返品も受け付けてくれるという寛大ぶり。
色々な化粧品メーカーがありますが、日本的な姿勢を世界に示せるメーカーは資生堂だけだと思います。>
<入社式でセレクト石鹸の
デザイン性について話され
ました。当時、国際部長。
資生堂イズムは、誇りとして
自分のなかに顕在です。
社風も、ひとも、のびのび
おおらかで、色んな経験を
満喫できました。感謝しか
ありません。どうぞ安らかに。>
<昭和の時代に入社させていただきました。
入社後の数か月続いた研修で沢山の教育を受け、一生懸命に頑張ってた時代を懐かしく思いだされます。
資生堂時代に学び、育てていただいたことは全て今の自分の生き方に繋がっていると思います。
こんなに素晴らしい会社はないと思っております。
もちろん厳しくて辛い経験もしましたが・・
資生堂で勤務していたことは私にとって今でも誇りと感じていますし、現在でも身近に感じております。
感謝の気持ちしかありません。
ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。>
<資生堂を退職してから30年ほど経ちますが、資生堂で過ごした日々は私の誇りとなっています。
当時、福原社長になり他の企業の一歩先を行くいろいろな改革がありました。
私自身も海外派遣を含めいろいろな経験をすることができました。
やる気があれば、いろいろなことにチャレンジできる、そんな会社でした。
たくさんの方がそんな思いを持ってらっしゃるのを知り、嬉しく思います。
ご冥福をお祈りいたします。
ゆっくりお休みください。>
<元資生堂社員です。出産で退職し30年経ちますが、辞めてみていい企業だったなーと感じます。
誕生日には社長の名前でプレゼントを送ってくださいます。社風もどこか上品なイメージがあって丁寧で真面目で居心地が良かったです。
謹んでお悔やみ申し上げます。>
<ご冥福をお祈り申し上げます。
私も福原さんが社長の時に資生堂に入社させて頂きました。
中国への進出やグローバルが叫ばれた時代です。社員だから分かる企業体質
ーチェインストアーやお客様を大事に考える素晴らしい会社でした。最後の創業家社長の元で働けたのも良い思い出です。私にとって資生堂で働けた事は今も誇りに思います。今後も発展を見守って行きたいと思います。>
<バブル時代に資生堂で5年以上働いていました。私の社会人としての原点であり、心に秘めた誇りでもあり大好きな資生堂です。
その頃、福原社長と呼ぶのではなく、社長の福原さん!と呼ぶ様に言われた方でした。
寂しくなります。
ご冥福をお祈りします。>
<創業家だから茨の道を選ばれましたね。私は、福原さんが社長になられて最初の新入社員で大改革を目の当たりにしました。社長就任後、流通在庫の削減、戦後初の減収減益を発表して「資生堂ショック」と言われました。福原さんは全力で走りました。変えるもの、変えないもの、見極めを確かにして、確実に変わりました。社内の呼称や服装も自由にしました。ラフなスタイルの福原さんのポスターがありました(笑)大きな災害が発生した時には、社員に手紙を配りました。いつも全社員に寄り添うことを忘れない方でした。会社の改革が落ち着いた途端にあっさりと、最前線から退かれました。その潔さも格好よかった。私は今、別の企業で働いていますが、福原さんと資生堂に頂いたものは、今でも人生の役に立ってます。入社式では、新入社員の一人ひとりが福原さんの前に立って、所属と名前を言ったのですが、その時の福原さんの優しい表情と目を今でも思い出します。>
<バブル後期、研究所での採用にて入社させていただきました。
数年後退職、その後転職を繰り返し、独立しました。
資生堂のネームバリューのおかげでたくさんのものを頂きました。
ありがとうございました!ご冥福をお祈り申し上げます。>
<学校を卒業し、入社させて頂きました。
何も解らない私を育てて下さった資生堂には大変感謝しております。私の人生の設計図、宝です。ご冥福をお祈り申し上げます。>
<私も91年に入社し、ものすごくお世話になりました!
いまは化粧品業界とは無縁の
世界に居ますが(* ‘ᵕ’ )☆
私の人生で、キラキラしていた時です
会長のご冥福をお祈りします>
<ご冥福をお祈りします。
初めての就職先が資生堂でした。
先生も先輩もとても厳しい方々でしたが
嫌味のない厳しさで育てて頂きました。
退社して20年経過しますが
今、私が凛として居られるのは
資生堂のおかげです。
ありがとうございました。>
<遥か昔資生堂に入社してゼロの状態から育てて頂きました。懐かしく私の人生の中で最も輝いてた時代でした。ありがとうございました。>
*以上、2023年9月にヤフコメに投稿されたものを再録させていただきました。

左は福原義春さん(資生堂名誉会長)、2008年5月16日ときの忘れもの(青山時代)にて
社員でもなければ、化粧品業界にも無関係な亭主ですが、1990~1995年までの足掛け6年にわたりA4判、736ページという電話帳並の大部な『資生堂ギャラリー七十五年史』を編集していたので、資生堂はもちろん、企業の社史をかなり専門的に集め、読みふけったことがあります。
いまでこそ世界的な大企業である資生堂は、他に数多ある化粧品会社の中でもごく小規模な企業でした。何度も存亡の危機に陥り、乗っ取り騒ぎ、人員整理(くび切り)、身売り話し、はては税金滞納で国税庁から花椿のマーク(商標)の差し押さえまで受けた。凄いのはそんな苦境時でもギャラリーの灯は消さなかった。
それは偶然ではなく、福原家はじめ歴代の経営陣、社員の皆さんが資生堂パーラーや資生堂ギャラリーを誇りに思っていたからでした。
私たちは『資生堂ギャラリー七十五年史』編纂に携わることで福原さんの知遇を得ることができたのですが、1995年にときの忘れものを開廊してから、福原さんの駒井哲郎、オノサト・トシノブのコレクションのお手伝いもさせていただきました。
福原コレクションの中で駒井哲郎先生の作品群は世田谷美術館に、オノサト・トシノブ先生の作品群は東京都現代美術館に寄贈されました。
●画廊亭主のエッセイより
「駒井哲郎 福原コレクションをめぐって」
「再び福原コレクションについて 発見された駒井哲郎」
オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
《64-G》

1964年
リトグラフ
イメージサイズ:24.0×24.0cm
シートサイズ: 48.5×31.5cm
Ed.120
サインあり
駒井哲郎 Tetsuro KOMAI
《樹》

1969年
エッチング
イメージサイズ:6.4×10.5cm
シートサイズ:25.0×8.0cm
E.A.
サインあり
駒井哲郎 Tetsuro KOMAI
《風船》

1956年
エッチング
イメージサイズ:7.0×7.3cm
シートサイズ:24.0×19.0cm
Ed.20
サインあり
あらためて福原義春さんのご冥福をお祈りする次第です。
◆『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』
発行日:1995年3月30日
監修:富山秀男
企画・編集:資生堂企業文化部(柿崎孝夫、久保豊)
発行:資生堂
発売:求龍堂
制作:(有)ワタヌキ
収録図版約2,500点、収録展覧会約3,000展
A4変型(30.5×23cm) 735頁
編纂委員:阿部公正、飯沢耕太郎、海野弘、五十殿利治、田中日佐夫、富山秀男、横山勝彦、
執筆:赤木里香子、秋山正、阿部公正、飯沢耕太郎、石川毅、海上雅臣、海野弘、大井健地、大泉博一郎、大河内菊雄、大谷省吾、大屋美那、五十殿利治、金子賢治、河田明久、菊屋吉生、北川太一、栗原敦、小池智子、佐々木繁美、島田康寛、清水勲、清水久夫、白石和己、菅原教夫、巣山健、田中日佐夫、富山秀男、中村圭介、中村誠、野地耕一郎、林洋子、福原義春、藤森照信、藤谷陽悦、増野恵子、松永伍一、六岡康光、村上公司、諸山正則、矢口國夫、柳沢秀行、山本武夫、横山勝彦、吉田漱、綿貫不二夫、
デザイン監修:中村誠
アートディレクション:北澤敏彦
記録作成:綿貫不二夫、柴田卓、三上豊
*我が国で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーの歩みと、そこで開催された展覧会の記録を開催当時の資料によって正確に復元したドキュメントである。
美術、写真、工芸、建築、演劇、舞踊、服飾、文芸、デザインなど、あらゆる文化の流れを一望できる。展覧会開催当時の原資料徹底的に渉猟、網羅。今まで不十分だった戦時中の芸術家たちの活動など美術史の空白をも埋める資料性の高い厚い一冊。
大正8年から75年間に展覧会を開催した作家や、主催者・後援者、さらに展評等を執筆した人物は約五千名にのぼり、主催・後援団体は六百余あるが、そのすべてを本文記録編に収録した。特に個展や二人展を開いた約千名については有名無名を問わず略歴を記載し、資生堂を拠点としたグループ・団体については結成の経緯、構成メンバーについても詳述した。どんな作品を発表したかについても作品名はもちろん、図版を豊富に収録してる。
また重要な展覧会や埋もれた作家については、46名の専門研究者がコラムや解説約 190本を執筆しており、読み物としても充分な内容を持っている。資生堂の記録のみならず書誌事項に重点を置いた「関連年表」は一般読者のみならず、研究者にとって便利なものとなるに違いない。
本書には多彩で幅広い分野の人々とグループ・団体が数多く登場するが、それらに関して細大漏らさず、一万件をこえる完全な索引が巻末にまとめられており、美術史研究には欠かせない。
●8月24日(日)~9月1日(月)は夏季休廊いたします。誠に勝手ながらメール等のお問い合わせには9月2日以降に対応しますのでご了承ください。
◆生誕120年 難波田龍起展
2025年9月3日(水)~9月20日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
ギャラリートーク
9月13日(土)16時~17時半
対談:難波田武男さん(龍起三男)×福士理さん(東京オペラシティ アートギャラリー シニア・キュレーター)
要予約(予約はこちらから)、参加費1,000円
●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info[at]tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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