「バイヤーズと西田考作 その1」
坂上しのぶ
美術のことでも他事においても、ある程度の時を経てからでないと、聞きづらいことがある。アメリカ人芸術家ジェイムズ・リー・バイヤーズ(James Lee Byars, 1932-1997)が晩年を過ごした奈良での日々も、そうしたことのひとつだったように思う。
にぎりこぶし大のガンがふたつ、お腹からボコボコと浮き出ていたという末期の胃癌を患っていたバイヤーズと西田考作の邂逅は、1996年12月1日のことである。邂逅とは「思いがけず出会うこと、偶然の巡り会い、または出くわすこと」を意味する言葉だが、西田とバイヤーズの邂逅は、まさに「出くわしてしまった」というのがふさわしい。それから18年が経過した2014年11月、思い立って筆者が送った手紙と資料の束を見た西田は、即座にメールを送ってくれた。11月27日23時38分―。
案内、資料等拝受しました。
バイヤーズ。
12月1日、東大寺境内で見かけました。
東大寺に用があり訪れたとき、遠目にバイヤーズらしき、車椅子の人を認めました。
シルクハットに黒マント、そのような人は彼しかないと思ったのです。……
確かめに行く時間もなく、そのままにしていた西田だったが、翌日、彼から電話が入った。以降、翌年2月4日に京都の都ホテルに移動するまでの2ヶ月余り、西田はほぼ毎日バイヤーズと顔をつきあわせる日々を送ることになった。なぜなら、滞在先に西田が行かなければ、彼は必ず電話をかけてくるのである。
ここで西田に出会うまでのバイヤーズの行程をおさらいしておこう。
11月21日来日 遠山記念館で開催予定の個展打ち合わせ
11月26日晩 豊田市美術館を訪れる。2泊3日を豊田市で過ごす。(名鉄トヨタホテル1223号室泊)
11月27日 豊田市美術館
11月28日 豊田市民芸館〜円空に関心を寄せる
11月28日夕刻 日本滞在中の友人ステファン・クーラーの運転で伊勢へ(伊勢国際ホテル泊)
11月29日 伊勢→京都(都ホテル泊)
11月30日 京都(都ホテル泊)
12月1日 京都→奈良(奈良ホテル泊 222号室)
12月1日は離日のため、京都の都ホテルには、彼を“捕える”べく迎えが向かっていた。だがそれを避けるためバイヤーズは奈良へと逃げた。以降、西田の述懐(2014年12月22日)―
出会いのきっかけ
1992年ドクメンタ9を見にドイツに行った際に彼のホワイトフィギュアを見た。同時期開催中の村上隆と中村正人の展覧会を見るためソウルの初日にあわせて帰ってきた。当時、白石コンテンポラリーアートで働いていた小山登美夫もソウルに来ていた。彼はこれからドクメンタに行くという。「バイヤーズは絶対見逃すなよ」そうしきりに彼に言ったのを覚えている。
1993年 奈良
1993年、白石コンテンポラリーアートでバイヤーズ展が開催。初日が終わると「京都か奈良に行きたい」とバイヤーズが言いだした。「奈良に行ったら面倒みてくれないか」と白石から電話。奈良で2泊くらいしたと思う。奥さんも一緒だった。猿沢池のほとりに佇む旅館、今の天平ホテルに泊まらせて、いろいろ案内をした。「西田、いいレストランを見つけた。ごちそうするから来い」なんて言うから行くと、びっくりするほど量が多くて有名な「びっくりうどん」だった。
1996年12月1日
当時3歳程だった息子を連れた西田は、東大寺本坊に向かって歩いていた。遠目に、中門の前を車椅子を押してもらっているバイヤーズを見かけた。彼の来日は知らなかった。
12月2日、バイヤーズから電話。奈良ホテルにいるというので顔を見に行った。昨日、車椅子を押していたのはステファン・クーラーとわかった。桜井市の方で竹細工をやっている“泉さん”というクーラーの友人とふたりでバイヤーズの面倒を見ているという。聞くとバイヤーズは、東京から川越、豊田、伊勢、京都、と廻り、12月1日にドイツに帰国する予定を変更して、奈良に来たという。とりあえず私にバトンタッチみたいな感じで、ステファンも泉さんも引き上げてしまった。
12月5日か6日
奈良ホテル宿泊課長の鈴木氏からコンタクト。鈴木によれば、系列の京都の都ホテルに先月バイヤーズが到着した際は、彼所有のアメックスを機械に通してOKだった。ところがこの度の奈良で確認したところ、カードが使用停止になっているのが判明した。誰が宿泊代を払うのか。困った鈴木は、ひんぱんにバイヤーズの部屋を訪れる私に相談に来た。結果として、2月4日まで延びた奈良滞在中のバイヤーズの支出のほぼすべては私が立替えることになった。止むを得ずのことだった。とはいえ、後日確認できた分(2014年12月)だけでも、支出領収書の総計は、329万3,345円にのぼった。
バイヤーズの病状
久しぶりに目にしたゆかた姿の彼はまるで骨格標本のようだった。骨の上に皮がある感じ。頬もげそっとしている。これ、あの人?一瞬とまどった。でも声は一緒。足は見事に筋肉が消えていて、よく立って歩いているなと思った。
彼の前ではカメラは全く使わなかった。最初は撮ろうと思った。けれども彼の姿を見ているうちに、撮るということを考えられなくなった。腹水が溜まり、おなかだけがぽこっと膨れている。そんな悲痛な姿を写真に残すのはためらう、そんな感じだった。
何度か病院に連れていった。大阪の有名な医者にも予約を取って行った。医者には「いつ死んでもおかしくない」と言われた。朝、ホテルに行って、部屋をあけてみたら死んでいたとしてもおかしくない、そういう状態なのだと言う。その時に私が考えたのは、バイヤーズが本当に亡くなったら、その遺体で展覧会をする。とりあえずその覚悟はしておこうと思った。
バイヤーズが恐れていたのは、アメリカやドイツに帰ったら、自分を病院に放り込むだろうということだった。それが日本を離れたくなかった理由かと思う。入院したらがんじがらめにされる。2度と出ては来られないだろう。ヴィザは3ヶ月で切れる。彼は私を保証人にして延長ヴィザをとりたいと言う。「保証人にはなってやるが、自分で入国管理事務所と交渉しろ」と言った。結局のところ彼はそれをしなかった(出来なかった)。
奈良滞在中
ある日、ふと思い立ってタクシーで京都に行き、どこかのギャラリーで版画を買うと言いだした。その画廊から私に電話がかかってきた。誰が代金を支払うのか。「私が支払います」。4-5万だったと思う。けれどもどんな版画かわからない。
「西田、これをくれ」と言って、枝をつかって作品をつくる大阪の作家 橘昭信の小品を画廊から持っていった。けれどもその後どうしたのかはわからない。
画集を見て「この作家のところに行きたい」というから、飛鳥に住む鳥頭尾精という日本画家のところにも連れていった。
宇治平等院にもタクシーで行っていた。6万近い領収書が残っている。結局タクシー代だけでトータル22万近く使っていた。
ホテルではあちこちに電話を掛けていた。ファックスも方々に送りまくっていた。200回以上の更新履歴が残っていて、総額75万2709円もの額を通信に費やしていた。
ホテルのバスタブに赤ワインを流し入れ、自分の下着を染めていた。下着だけでなくバスタブも赤く染まってしまった。ルームサービス終了後でもおかまいなく注文していた。もうほとんど何も食べることができなかったというのに、食事代だけで67万584円もの領収書が残っている。
一緒に車で走っていて、古物商か何かのところを通って、石を見て、欲しいというから買った記憶がある。灯篭全体は部屋に持ち込めないから、上の方だけだったと思う。それをベッドの横に置いていた。筆や硯も大量に買い漁っていた。注文がひとつひとつうるさいから、店の人がホテルの部屋にまで伺いにくることが何度もあった。部屋の中は薄暗く、買い集めたもので溢れかえり雑然としていた。結果として、クリスマスから年末年始にかけて予約が立て込んでいるからという理由で、奈良ホテルから追い出された。部屋の改装だけでも大変だっただろう。
12月15日
21人の客人を招待して奈良ホテル「菊の間」で、パフォーマンスを行なった。本来この日、「菊の間」は空いていなかった。だが、バイヤーズが満足してホテルを出て行ってくれるならありがたいということで、ホテル側が無理に部屋をあけてくれた。だが結局、彼は出ていかず、居座った。
21人とは彼が指定した数で、実際は40人を超える観衆が集まった。そこに金色のスーツに黒い帽子の定番スタイルで彼が姿を現した。
最初に発したのは、若かりし彼が京都に住んでいた時代(1960-1967)に交流を深めた詩人リンドレイ・ウィリアムズ・ハブル(林秋石)の著書『Autobiography in fifty sentences』(1971年)から引用した「The first sentence I ever read was “I can see you.”」(私が最初に読んだ文字は“I can see you”である)という一節である。「“見る”という行為こそ、何よりも大切なものである」という内容だ。「バイヤーズさんが言っていたのは、もろもろの現象の奥にあるものを見ることが大切なのだ、という意味だったのではないでしょうか」。そう、パフォーマンスを体験した詩人のYoko Dannoが述べている。この日のバイヤーズは、黒い目隠しをしていた。いつも彼は、パフォーマンスの際に、目隠しを愛用する。目隠しをすれば当然、「I can’t see you」。しかし本質的には「I can see you」。物事の向こう側にあるものを見ることこそが大切なのである。
続けてバイヤーズが問いかける。“How do you translate Is is into Japanese? What does Is is means?”
Is とは何か。Isは日本語で何を意味するのか……。
長い竿のような棒の先から細い金糸を垂れ下げたものを手にしたバイヤーズは、観衆のひとりひとりに「ISとは何か」を問いかけてゆく。薄暗い会場。思った答えを返してこない観衆に苛立ちを覚えたバイヤーズはどんどん声を荒げていく。What does Is is means? 金切り声で叫び、足裏で床をバーンバーンと何度も何度も踏み鳴らす。観衆は怯え会場は極度の緊張に包まれた。質問というよりはもはや尋問だった。骨と皮だけになった彼のどこにそんなパワーが残っていたのだろう。
(つづく)
目次 : 倉敷での日々/ 京都時代のはじまり/ 「林秋石」との出会い/ 京都で触れた文化/ 相次ぐ引越し 広がる交友関係/ 旺盛な作品発表/ 禅寺でのパフォーマンス/ 京都での円熟期/ 1967年京都/ 1967年アメリカで/ 1968年 ニューヨーク/ 1969年/ 1972年のカッセル・ドクメンタ/ 27年ぶりの来日/ 最後の来日/ エジプトでの死/ エピローグ“Final Days in Egypt”
■坂上しのぶ
1971年東京都生まれ。 1997年京都市立芸術大学大学院(油画専攻)修了。 ギャラリー16勤務を経て、2009年よりヤマザキマザック美術館開設準備室学芸員。2010年よりヤマザキマザック美術館学芸員。James Lee Byarsの研究者として世界的に知られる。第二次世界大戦前後の京都における前衛美術史の調査研究とオーラルヒストリーアーカイヴの構築を専門とする。
主要著書:『James Lee Byars: Days in Japan』(Floating World Editions、2017)、『刹那の美』(青幻舎、2020)、『前衛陶芸の時代 林康夫という生き方』(私家版、2021年)、『James Lee Byars: Days in Detroit』(Floating World Editions、2024)、『James Lee Byars: The Most Beautiful Jewel In The World』(Fondation Cartier、2025)
主要論文:「Gazing the Beauty of Nothingness」(『James Lee Byars』PirelliHangarBicocca、2024)、「Byars’s time in Japan」(『James Lee Byars: 1/2 An Autobiography』MoMA, Walther König、2025)
◆西田考作さんを偲んで、西田画廊旧蔵ポスター展
会期:2025年11月5日(水)~15日(土) *日曜・月曜・祝日は休廊
会場:ときの忘れもの
今から40数年前、1982年1月24日に古都奈良に先鋭的な現代美術の画廊がオープンしました。
「堀内正和・磯崎新展」でスタートした西田画廊とオーナー西田考作さんについてご紹介します。
出品作品:荒木経惟、磯崎新、大竹伸朗、加納光於、桑原甲子雄、田名網敬一、福田繁雄、森村泰昌、
アンディ・ウォーホル、トニ―・クラッグ、パウル・クレー、アドルフ・ゴットリーブ、
フランク・ステラ、セバスチャン、サム・フランシス、ヨーゼフ・ボイス、
ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグ、マーク・ロスコ、ジョアン・ミロ、他
*生前の西田考作さんの開廊直前インタビュー録(1982年)を11月6日ブログに掲載しました。
*坂上しのぶさんの論考「バイヤーズと西田考作」を11月12日と、13日の二回にわけて掲載します。

●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。









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