2026.1.25

栗田秀法「現代版画の散歩道」第18回 駒井哲郎

栗田秀法「現代版画の散歩道」

第18回 駒井哲郎


R夫人像》 1970年頃 アクアチント

 若き日の駒井哲郎にとって、制作と精神生活の双方を支えた年長の女性の存在は、初期銅版画の成立を考えるうえで欠かすことができない。その親密な関係ぶりを物語るのが、19508月末に入院したこの女性に送られた日記体の一連の書簡である。これらは駒井の死後に発見され、『駒井哲郎若き日の手紙:「夢」の連作から「マルドロオルの歌」へ』(1999年)として刊行された。書簡は911日から翌年の89日までのおよそ1年に及ぶものなのであるが、この時期は代表作《束の間の幻影》などが制作された駒井の制作の第一の頂点と言える時期に当たり、この書簡集は制作の裏側の一端をうかがい知ることができる点でも貴重な一次資料である。 

 書簡集の公刊前に閲覧の機会を得た中村稔は、1991年刊の評伝『束の間の幻影 : 銅版画家駒井哲郎の生涯』でその一部を紹介している。中村は、この女性を《R夫人の肖像》のモデルと考えており、「美貌で、華やかで、芸術に理解がふかく、知性に富み、しかも富裕な家庭の主婦であったこの年長の女性を若い駒井が思慕し、この女性に愛情をささげ、この女性からかなりの経済的支援をうけていたことは間違いない」としている。

 《R夫人の肖像》には、正面を向いた人物の顔が、画面中央から下部にかけて配置されている。顔の各部位は最小限の線で表現されており、細い目、長い鼻筋、小さく結んだ口が目を引く。顔と首を横切るように、明度の異なる34本の水平な帯状のグラデーションが施されている。人物は黒い帽子を被り、首元にはひし形の装飾が見える暗い色の服を着用している。背景下部の暗い背景の中に、砂を撒いたような細かな梨子地状のテクスチャ(アクアチントによるもの)が広がっている。背景上部には緻密なレース模様が施されており、花や葉をモチーフにした複雑な刺繍の質感が再現されている。顔貌は個人性を示す肖像であると同時に、装飾的な平面分割と質感処理によって、現実の身体性から切り離された表現世界に高められている。

 この頃の駒井はクレーの芸術への系統ぶりは大きなもので、のちに「彼の仕事からポール・クレエを引いたらなんにも残らない」と評されるほどであった。実際、本作品でも例えば《南国のP夫人の肖像》などは比較しうる作品で、黒と白の造形の版画家による換骨奪胎ぶりをうかがい知ることができよう。クレーの色彩と線による構成的なイメージ形成は、駒井において黒白の版画表現へと移し替えられ、アクアチントによる粒子状の質感が独自の視覚世界を生み出している。


パウル・クレー《南国のP夫人の肖像1924年、グッゲンハイム美術館

 ともあれ、《R夫人の肖像》には、中村の言うように、「女性を聖化する心情が明らかにみられる」ことは疑いない。ただ、《R夫人の肖像》を書簡の相手だと決めてかかることには危険をはらんでいることは、本ブログのある記事にも注意が促されている。その説によると、この女性はL夫人のはずだというものなのだが、Lは日本語のローマ字表記では通常用いない文字なので、謎は残るようにも思われる。中村の「さえざえと気高い美貌に描かれており、そのためにかえって現実感に乏しく、いささか装飾的に過ぎるのではないか」とか、「この肖像を仏像でもきざむような心境で作ったのではないか」としつつ下された、「駒井のR夫人に対する心情がごくメタフィジカルなものだったにちがいないと想像する」という評言には説得力があるのも事実である。

 先述のブログでも触れられているように、この作品には1950年の第1ステート1970年の第2ステートがある。背景のレースの表現は、長谷川潔の《二つのアネモネ(1934)におけるアクアチントによる背景のレースに挑戦すべく導入されたものであった。しかしながらその創作の秘密は当初は自分では解き明かせず、モノタイプよろしく試行錯誤が繰り返されたようで、実際1950年の作品には絵柄の異なるヴァリアントが知られている。駒井は納得のいかなかった宿題を解消すべく、1970年にパリの長谷川を訪れ、教えを乞うたのだという。一方で「夢こそ現実であればよい」と独自のヴィジョンを求めた駒井であるが、その視像を版の上に実現するには人一倍確実なメチエ(技術)が必要であることを強く意識していたこの作家ならではのエピソードである。夢を現実にするためにこそ、彼は誰よりも現実的な技術を必要としたのであった。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

駒井哲郎 Tetsuro KOMAI
1920年東京生まれ。35年西田武雄に銅版画を学び始める。42年東京美術学校卒。50年春陽会賞、翌年第1回サンパウロ・ビエンナ-レで受賞。木版の棟方志功とともにいち早く世界の舞台で高い評価を獲得し、戦後の美術界に鮮烈なデビューを飾る。53年資生堂画廊で初個展。54年渡仏。56年南画廊の開廊展は駒井哲郎展だった。72年東京芸術大学教授。銅版画のパイオニアとして大きな足跡を残す。1976年永逝(享年56)。

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「恩地孝四郎展」を開催いたします。
会期=2026年1月29日(木)~1月31日(土)11:00~19:00

1月23日のブログでお報せしましたが今週末の僅か三日間「恩地孝四郎展」を開催します。
数年前から恩地の有数のコレクターであるAさんから大量の恩地作品を預かり、その整理と恩地孝四郎展の開催に向けて準備を進めてきました。
早くても今秋、来年あたりに本格的な展示をしたいと考えていました。
今回、海外からわざわざ見にこられる方のために、A氏コレクションの一部ではありますが急遽展示することになりました。
恩地孝四郎の自刷り作品を中心にご覧いただきます。
展示作品のうち、希少な自刷り作品数点が海を渡ることになりました。
僅か三日間の「恩地孝四郎展」ですが、ご高覧くださいますよう、お願い申し上げます。

 

●ときの忘れものの建築空間(設計:阿部勤)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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