栗田秀法「現代版画の散歩道」

第19回 片山みやび

コラージュ性、地と図の反転、そして版分けが拓く知覚のレイヤー

片山みやびのリトグラフ作品《朝がしみてきて》は、抽象的造形によって「朝」という時間帯に特有の感覚──光、気配、温度、覚醒の予兆──が、どのように空間と身体に浸透してくるのかを可視化しようとする試みであるとするのは、うがちすぎであろうか。本作は、一見すると鮮明な色面と大胆な形態配置によって成立しているようでいて、実際には、画面を構成するすべての要素が強い自律性を保ったまま併存し、視線の移動に応じて絶えず役割を変化させる、見る位置や視線の動きによって、印象が変わり続ける画面となっている。

画面構造の基軸をなすのは、画面下方から右奥へと伸び、次第に先細りながら湾曲する青の弓形の形態である。この形態は、抽象的でありながら、遠ざかる道、あるいは右へと曲がりながら消失点へ向かう進路を思わせ、平面的な版画空間に明確な奥行きと方向性を導入する。特に、その先端が収束していく処理によって、視線は自然と画面の奥へと引き込まれ、そこに「移動」や「推移」といった時間的感覚が生じる。奥行きは視覚的なものにとどまらず、時間の推移を思わせるものとして感じ取られる。

この後退運動に鋭く対峙するのが、画面右側に大きく配された橙色の色面である。橙色は進出色としての強い物質感を帯び、青の形態が生み出す奥行きを押し戻すかのように、前景へとせり出してくる。両者の関係は単なる補色対比ではなく、奥へと引き込む力と、手前へと迫る力がせめぎ合う「押し引き」の関係として知覚される。この緊張関係によって、画面は決して一方向へと収束せず、常に不安定な均衡状態を保ち続ける。

重要なのは、この青と橙のいずれもが、背景(地)に退くことなく、等しい視覚的重みをもって対峙している点である。ここでは「地」と「図」の関係は固定されず、視線の位置や注意の向け方によって容易に反転する。青の弓形が主役として前景化する瞬間もあれば、橙色の色面が突如として質量を持ち、画面全体を支配することもある。画面は、安定した風景としてではなく、知覚が揺れ動く過程そのものを内包した場として立ち現れている。

画面左側に配置された、薄黄色のストライプ状の領域と、そこに反復される黄色い円形のモチーフもまた、この時間感覚を補完する重要な要素である。ストライプは差し込む朝の光を思わせ、円形の反復は、光の粒子や感覚の断片が断続的に立ち上がってくるようなリズムを生み出す。青と橙が生む大きな運動に対し、ここでは、色や形が一度に広がるのではなく、朝の空気の中で、植物を取り巻く湿り気が少しずつ行き渡っていくような印象が生まれている。そのため、「しみてくる」という題名が示す、朝特有の穏やかなみずみずしさが、視覚的な感覚として伝えられている。

そのみずみずしい気配を、より具体的な形として示しているのが、画面中央上部に描かれた緑色の線描による植物的、あるいは生物的ともとれる形態である。色面主体の構成の中に挿入されたこのモチーフは、明確な象徴性を持つことなく、かすかな生命感や生成の気配として画面に漂う。幾何学的で硬質な色面構成の中に、有機的な時間──成長や変化を内包する時間──が静かに忍び込む瞬間である。

また、中央左に見られる淡い生成色の抽象的形態は、強い色彩対比から一歩距離を取り、画面に呼吸の余地を与えている。この部分は余白的であると同時に、コラージュ的に貼り込まれた別の断片のようにも見え、画面全体が単一の視覚秩序によって統御されていないことを明示している。ここでもまた、背景でありながら前景として浮上する可能性が残され、「地」と「図」の関係は決して安定しない。

このように、本作を構成するすべてのモチーフは、明確な主従関係を拒み、互いに空間を奪い合い、譲り合いながら共存している。画面は完成された構図として静止するのではなく、形態同士が互いに押し合い、引き合いながら、見る位置や視線の動きによって印象を変える画面となっている。ここに、本作のコラージュ性が、単なる形式的操作ではなく、空間認識や時間経験そのものに関わる構造として機能している理由がある。

こうした造形的・空間的特質は、まず視覚的な体験として捉えられるが、同時に、片山みやびがリトグラフという技法を選択していることとも静かに呼応している。多色刷りリトグラフにおいては、色彩は一色ごとに異なる版へと分解される「版分け(分色)」のプロセスを辿る。作家はこの工程を通じて、主観的なイメージを一度客観的な「断片(レイヤー)」へと分節化し、それらを時間差をもって一枚の紙の上に再び出会わせる。本作の画面が、最初から統一された像として完結するのではなく、断片が段階的に蓄積されていくような印象を与えるのは、この制作構造と無縁ではない。

リトグラフという技法から、コラージュ性、地と図の反転、時間の重層化といった造形的な可能性を引き出し、それらを独自の表現へと高めている点に、片山みやびの表現世界の独自性がある。夜の残滓としての青い影が、暖色の光に少しずつ侵食され、事物の輪郭が立ち上がりつつも完全には定着しきらない生成の瞬間。《朝がしみてきて》という題名は、こうした視覚と制作の両面にまたがる生成の感覚を、詩的でありながら的確に言い表している。

本作では、画面の輪郭が規則的な矩形に収められることなく、不定型のまま残されている。この外縁のあり方は、作品が完結した全体としてではなく、断片として提示されていることを示している。画面内部に見られる形態の貼り合わせや、地と図の不安定な関係、生成的な時間感覚は、この断片性と対応しており、像は自足的な存在としてではなく、開かれた状態で成立している。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2026年3月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

片山みやび Miyabi KATAYAMA
1965年 兵庫県西宮市に生まれる。1990年 京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻版画科修了。2001年 資生堂カレンダーに採用。2004年 コレクション展 館蔵版画大公開(兵庫県立近代美術館)。現代版画コンクール優秀賞、現代日本美術展兵庫県立近代美術館賞、エンバ美術コンクール国立美術館賞、東京町田国際版画展町田市立国際版画美術館賞など。パブリックコレクション、大阪府立現代美術センター、町田市立国際版画美術館、兵庫県立近代美術館、国立国際美術館 他

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◆「特集展示 安藤忠雄」
会期:2026年2月27日~3月7日    *11時~19時。日・月・祝日は休廊
会場:駒込・ときの忘れもの
安藤忠雄の1988年の巨大版画「中之島プロジェクト(アーバンエッグ)」2点を展示するとともに、ル・コルビュジエ、磯崎新、槇文彦、マイケル・グレイヴス、六角鬼丈、倉俣史朗、佐藤研吾など巨匠から気鋭まで建築家(8人)の秀作を併せてご覧いただきます。

 

アートフェア東京2026
会期:2026年3月13日(金)~3月15日(日)
会場:有楽町・東京国際フォーラム

TOKYO ART BEATでも<ときの忘れものは、内間安瑆・内間俊子の作品、瑛九のフォト・デッサンなど戦後美術史における重要作家を取り上げる>と注目されています。
会期=2026年3月13日(金)~3月15日(日)
会場=東京国際フォーラム ホールE/ロビーギャラリー
(〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目5番1号)
ときの忘れものブース番号= N009
出品作家=磯崎新、内間安瑆、内間俊子、瑛九、倉俣史朗、佐藤研吾、塩見允枝子、瀧口修造、松本竣介
*招待券が若干ございます。ご希望の方はメールにてお申込みください。
*アートフェア東京2026 公式サイト https://artfairtokyo.com/

<重要なお知らせ>
アートフェア東京2026出展のため、
ときの忘れものは、2026年3月13日(金)~3月16日(月)は臨時休廊いたします。
スタッフはアートフェア東京の会場(東京国際フォーラム)におります。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。photo (2)