ご報告が遅れてしまいましたが、大変残念なお知らせが届きました。ジョナス・メカスの詩集をいくつも翻訳されてきた村田郁夫先生の訃報です(2025年2月2日逝去)。

2005年、歌うメカスさんの横で微笑む村田先生。
第二次世界大戦の影響でアメリカに亡命したメカスさんが自身の母語であるリトアニア語で書かれた詩を、すばらしい翻訳でわれわれに届けてくださった村田先生。『どこにもないところからの手紙』『セメニシュケイの牧歌』『森の中で』といった村田先生の訳書がなければ、日本における詩人ジョナス・メカスの評価はまったく違ったものになっていたことでしょう。
下記に駐日リトアニア大使館のお知らせを転載し、謹んでご冥福をお祈りいたします。
*
「私たちは、リトアニアと日本の両国関係の歴史において非常に重要な人物を失いました。
リトアニアの忠実な友人であり、日本におけるバルト語研究の先駆者のお一人であり、リトアニア語から日本語への翻訳者でいらっしゃいました、敬愛する村田郁夫教授です。
1938年ご生誕の村田教授は、当代の著名人として、リトアニアの独立回復前後に両国の文化交流に重要な役割を果たされました。
村田教授はドネライティス、バラナウスカスの作品や『へびの王妃エグレ』などのリトアニア民話を日本語へ初めて翻訳された方です。また、ジョナス・メカスのリトアニアの詩とエッセイを日本語でご紹介された先駆者でもあります。さらには、ヴァルダス・アダムクス氏とヴィタウタス・ランズベルギス氏の政治伝記も翻訳されました。村田教授はリトアニア語-日本語辞書を編纂され、バルト語に関する多様なテーマについて論文を執筆され、東京経済大学ではリトアニア語の教鞭をとられました。
村田教授は、著名なリトアニアの学者やバルト諸国の研究者と親交を深められ、日本でリトアニアの言語学者の著作を広く紹介されました。また長年にわたりほぼ毎年リトアニアを訪問され、民俗学の調査旅行にもご参加されてきました。
2001年、村田教授はリトアニアと日本の関係改善、世界におけるリトアニアの名声向上、そしてリトアニア独立回復後の国際社会へのリトアニアの統合への多大なご貢献により、リトアニア国家勲章であるゲディミナス大公第4等勲章を授与されました。
ジーカス大使は村田教授の親しい方々に哀悼の意を表し、「村田教授が築いた文化の架け橋が、これからも多くの人々にインスピレーションを与え、心を一つにしてくれることを、そして、村田教授のご家族が教授の歩まれた道を誇りとされることを願います」と述べています。
村田教授のことを私たちはいつまでも忘れません、永遠に感謝の念を抱き続けるでしょう。」
*
村田先生が翻訳され、40ページ以上にもわたるご自身のエッセイを寄せておられる『ジョナス・メカス詩集』はときの忘れものでも販売しております。
『ジョナス・メカス詩集』
2019年発行 四六 292ページ
著者:ジョナス・メカス
訳者:村田郁夫
エッセイ=村田郁夫、木下哲夫、鈴木志郎康、吉増剛造
装幀:亞令
発行:書肆山田
3,300円(税込み)
●本日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
《馬》
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
冒頭の写真、村田先生の隣で歌うジョナス・メカスさん。
この奇跡のようなできごとは、2005年10月14日の夜、場所は青山の金華飯店でした。
<ややあってまた座がざわつき始めました。突然、吉増先生が「しっ、しずかに」とおしゃべりを制止されます。いつの間にかメカスさんがうたっておられました。メカスさんが歌っている! みんな、これは本当に起こっていることなのかと息を呑みました。一言だって聞き逃すものかと耳をそばだてます。しずかに、ゆっくり、たかく、ひくく、なだらかな丘を登り降りするような旋律、ふかいふかいひとのこころのそこのしずかな水面にひとつまたひとつと波紋を落としていくような音のつらなりです。後で村田先生に聞くと、若い男女の悲恋をうたったリトアニアの古い歌ということでした。途中からA女史も声を合わせ、ときに見つめ合い、ときに顔をよせながら歌う二人の歌を、一同この世のものではないようにして聞いたことです。村田先生によると、リトアニア語は古代のサンスクリット語に近い、ヨーロッパでもっとも古い言語の一つということでした。普通に話していても歌っているようで、歌っていても話しているような、言葉がものと釣り合う重さを持ち、うたが出来事そのものを生じさせることのできた時代の名残を見たような気がしました。
(原茂「天使の謡う夜に」より)>
リトアニア語をよくするばかりではなく、その民族の歴史と文化を愛情をもって伝えてこられた村田先生のご冥福をお祈りする次第です。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。


2005年、歌うメカスさんの横で微笑む村田先生。
第二次世界大戦の影響でアメリカに亡命したメカスさんが自身の母語であるリトアニア語で書かれた詩を、すばらしい翻訳でわれわれに届けてくださった村田先生。『どこにもないところからの手紙』『セメニシュケイの牧歌』『森の中で』といった村田先生の訳書がなければ、日本における詩人ジョナス・メカスの評価はまったく違ったものになっていたことでしょう。
下記に駐日リトアニア大使館のお知らせを転載し、謹んでご冥福をお祈りいたします。
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「私たちは、リトアニアと日本の両国関係の歴史において非常に重要な人物を失いました。
リトアニアの忠実な友人であり、日本におけるバルト語研究の先駆者のお一人であり、リトアニア語から日本語への翻訳者でいらっしゃいました、敬愛する村田郁夫教授です。
1938年ご生誕の村田教授は、当代の著名人として、リトアニアの独立回復前後に両国の文化交流に重要な役割を果たされました。
村田教授はドネライティス、バラナウスカスの作品や『へびの王妃エグレ』などのリトアニア民話を日本語へ初めて翻訳された方です。また、ジョナス・メカスのリトアニアの詩とエッセイを日本語でご紹介された先駆者でもあります。さらには、ヴァルダス・アダムクス氏とヴィタウタス・ランズベルギス氏の政治伝記も翻訳されました。村田教授はリトアニア語-日本語辞書を編纂され、バルト語に関する多様なテーマについて論文を執筆され、東京経済大学ではリトアニア語の教鞭をとられました。
村田教授は、著名なリトアニアの学者やバルト諸国の研究者と親交を深められ、日本でリトアニアの言語学者の著作を広く紹介されました。また長年にわたりほぼ毎年リトアニアを訪問され、民俗学の調査旅行にもご参加されてきました。
2001年、村田教授はリトアニアと日本の関係改善、世界におけるリトアニアの名声向上、そしてリトアニア独立回復後の国際社会へのリトアニアの統合への多大なご貢献により、リトアニア国家勲章であるゲディミナス大公第4等勲章を授与されました。
ジーカス大使は村田教授の親しい方々に哀悼の意を表し、「村田教授が築いた文化の架け橋が、これからも多くの人々にインスピレーションを与え、心を一つにしてくれることを、そして、村田教授のご家族が教授の歩まれた道を誇りとされることを願います」と述べています。
村田教授のことを私たちはいつまでも忘れません、永遠に感謝の念を抱き続けるでしょう。」
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村田先生が翻訳され、40ページ以上にもわたるご自身のエッセイを寄せておられる『ジョナス・メカス詩集』はときの忘れものでも販売しております。
『ジョナス・メカス詩集』2019年発行 四六 292ページ
著者:ジョナス・メカス
訳者:村田郁夫
エッセイ=村田郁夫、木下哲夫、鈴木志郎康、吉増剛造
装幀:亞令
発行:書肆山田
3,300円(税込み)
●本日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
《馬》2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
冒頭の写真、村田先生の隣で歌うジョナス・メカスさん。
この奇跡のようなできごとは、2005年10月14日の夜、場所は青山の金華飯店でした。
<ややあってまた座がざわつき始めました。突然、吉増先生が「しっ、しずかに」とおしゃべりを制止されます。いつの間にかメカスさんがうたっておられました。メカスさんが歌っている! みんな、これは本当に起こっていることなのかと息を呑みました。一言だって聞き逃すものかと耳をそばだてます。しずかに、ゆっくり、たかく、ひくく、なだらかな丘を登り降りするような旋律、ふかいふかいひとのこころのそこのしずかな水面にひとつまたひとつと波紋を落としていくような音のつらなりです。後で村田先生に聞くと、若い男女の悲恋をうたったリトアニアの古い歌ということでした。途中からA女史も声を合わせ、ときに見つめ合い、ときに顔をよせながら歌う二人の歌を、一同この世のものではないようにして聞いたことです。村田先生によると、リトアニア語は古代のサンスクリット語に近い、ヨーロッパでもっとも古い言語の一つということでした。普通に話していても歌っているようで、歌っていても話しているような、言葉がものと釣り合う重さを持ち、うたが出来事そのものを生じさせることのできた時代の名残を見たような気がしました。
(原茂「天使の謡う夜に」より)>
リトアニア語をよくするばかりではなく、その民族の歴史と文化を愛情をもって伝えてこられた村田先生のご冥福をお祈りする次第です。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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