小林美紀のエッセイ「瑛九を囲む宮崎の人々」
第2回 瑛九に高校生で出会う奇跡-鈴木素直
私が宮崎県立美術館で勤めるようになって、瑛九展示室を担当したものの、当時の瑛九に関する情報は地元宮崎などで制作された映像資料や評伝などの書籍、今までの記録資料のみ。そういった資料の中で時折出てくる名前に、鈴木素直先生のお名前があった。
瑛九は画家というのが最適とは思うものの、評論家や写真家、エスペランティスト、思想家など様々な面があり、多岐にわたる活動の足跡を残している。鈴木先生もまた、学校の教諭をはじめ、詩人でエスペランティスト、日本野鳥の会支部長、宮崎映画センター会長といろいろな顔をもっておられる人物である。自然環境問題にも関心高く、保護活動に尽力され、2005年には環境省の日本鳥類保護連盟総裁賞を受賞されている。また瑛九と同じく、県の文化賞も受賞されており、瑛九をもしのぐ多彩な活躍ぶりである。鈴木先生は、ニカッと笑った顔が印象的な、明るく優しげな方だった。宮崎弁の口調は柔らかで、話す時はゆったりと時間が流れているので、こちらもついつい話しこんでしまう。

鈴木素直氏(大宮高校三年生)
何より、瑛九の熱心なファンで広報担当者(マネージャーやプロモーターというよりも、宣伝隊長などのほうがいいのではとも思う)だった。鈴木先生が瑛九のことを話してくださるときには、身振り手振りも入れながら、まるで目の前に瑛九がいるような感じで話してくださった。当時の私は、エスペラントのことがよくわかっていなかった(今も話せるわけではないけれど)ので、「エスペラントとは何か」「どうしてエスペラントをやろうと思ったのか」などをお聞きしてみた。ご自宅に伺った時は、秘蔵の資料を惜しげもなくお見せくださり、遺作展など展覧会についても、その当時の様子を写真や図録などを紐解きながら話してくださった。
後に宮崎で制作された記録DVDに出演された鈴木先生は、高校生当時、瑛九の家で初めてエスペラントの会話を耳にして興味をもち、友人とともに高校で同好会を立ちあげ、瑛九に講師に来てもらった話をとても楽しげにしている様子であった。私が実際に話を伺った時にも同じ様子で話してくださった。その時から何十年も経っているのに、それだけ鮮烈に思い出されるのであろう。高校生だった時から瑛九の話や立ち居振る舞い(恐らく瑛九は高校生の前ではそんなに変わったことはしていなかったと思われる)などに触れ、受けた衝撃はとにかく大きかったのだと思う。瑛九の自宅にも行ったことがあるということは、瑛九の描いた作品も直に見られており、初見でどう思われたかは定かではないが、後に瑛九のことを論じ、新聞などにも寄稿するほどである。文章での広報もさることながら、「ときの忘れもの」をはじめ、画廊にも行き、福井県の木水育男氏らとも知己になり、博物館、美術館などにも通って瑛九を広める活動をされていた。他人の人生にそれほどの影響を与える瑛九の存在感が改めて感じられた。

生誕100年記念瑛九展のイベントにて
それまで鈴木先生と瑛九の話やエスペラントの話をすることはあっても、なかなか先生ご自身のことを詳しく知る機会がなく、私が美術館を転出していた間に1度お会いする機会があっただけだったのが悔やまれる。2018年4月に鈴木先生の訃報が届き、なんとか葬儀に参列をすることができた。会場には多くの方が見えていた。この時、「鈴木素直-その素顔をさぐる」というタイトルの本をいただいた。先生が教職から離れられる時に、「鈴木素直を本にする会」が発足して作られた本である。北海道から沖縄までたくさんの協力者によって先生のエピソードが語られていたが、その関わりの広さは、たくさんの顔を持つ鈴木先生の人生を見ているようだった。その本の最後に鈴木先生自身の言葉がある。
最後に「鈴木先生」の「先生」は返上したいと思います。唐突な言い分かもしれませんが、「鈴木さん」で結構です。教え子の方々からは異論が出そうですが、議員さんや似非文化人みたいな成り上がり、成り下がり者にはなりたくないだけのことです。
これまで鈴木先生と書き続けていたので、とても怒られそうであるが、あえて鈴木先生と呼ばせていただきたい。思い起こせば、やっぱりお会いする時には「鈴木先生」と呼びかけていたと思う。違った呼び名でも「素直先生」であったと記憶する。
鈴木先生のこの言葉には、もちろんそれまでの教職経験から得られたお考えがあるのだろうと思うが、やはり高校生の時に出会い、影響を受けた瑛九の存在を感じずにはいられない。
今頃は瑛九らと合流してエスペラントでいつまでもつきぬ会話をされているのだろうか。
(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館
学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。
《題不詳》
1954年
水彩・紙
19.0x14.0cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「開廊30周年記念 塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」
Part 1 2025年6月5日(木)~6月14日(土)
Part 2 2025年6月18日(水)~6月28日(土)
※6月17日(火)に展示替え、日・月・祝日休廊
ときの忘れものは開廊30周年を迎えました。記念展として「塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」展を開催します。
●2025年6月8日東京新聞15面したまち欄に<昭和初期から戦後活躍 早世の洋画家 松本竣介の生き様 新宿在住次男・莞さん 逸話まとめ出版>という大きな記事が掲載されました。
ときの忘れものでは松本莞さんのサインカード付『父、松本竣介』(みすず書房刊)を特別頒布するとともに、年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートーク他を開催してまいります。詳細は1月18日ブログをお読みください。
ときの忘れものは松本竣介の作品を多数所蔵しています。今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
著者・松本莞
『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
●ときの忘れものの建築空間(設計:阿部勤)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

中庭・北川太郎
第2回 瑛九に高校生で出会う奇跡-鈴木素直
私が宮崎県立美術館で勤めるようになって、瑛九展示室を担当したものの、当時の瑛九に関する情報は地元宮崎などで制作された映像資料や評伝などの書籍、今までの記録資料のみ。そういった資料の中で時折出てくる名前に、鈴木素直先生のお名前があった。
瑛九は画家というのが最適とは思うものの、評論家や写真家、エスペランティスト、思想家など様々な面があり、多岐にわたる活動の足跡を残している。鈴木先生もまた、学校の教諭をはじめ、詩人でエスペランティスト、日本野鳥の会支部長、宮崎映画センター会長といろいろな顔をもっておられる人物である。自然環境問題にも関心高く、保護活動に尽力され、2005年には環境省の日本鳥類保護連盟総裁賞を受賞されている。また瑛九と同じく、県の文化賞も受賞されており、瑛九をもしのぐ多彩な活躍ぶりである。鈴木先生は、ニカッと笑った顔が印象的な、明るく優しげな方だった。宮崎弁の口調は柔らかで、話す時はゆったりと時間が流れているので、こちらもついつい話しこんでしまう。

鈴木素直氏(大宮高校三年生)
何より、瑛九の熱心なファンで広報担当者(マネージャーやプロモーターというよりも、宣伝隊長などのほうがいいのではとも思う)だった。鈴木先生が瑛九のことを話してくださるときには、身振り手振りも入れながら、まるで目の前に瑛九がいるような感じで話してくださった。当時の私は、エスペラントのことがよくわかっていなかった(今も話せるわけではないけれど)ので、「エスペラントとは何か」「どうしてエスペラントをやろうと思ったのか」などをお聞きしてみた。ご自宅に伺った時は、秘蔵の資料を惜しげもなくお見せくださり、遺作展など展覧会についても、その当時の様子を写真や図録などを紐解きながら話してくださった。
後に宮崎で制作された記録DVDに出演された鈴木先生は、高校生当時、瑛九の家で初めてエスペラントの会話を耳にして興味をもち、友人とともに高校で同好会を立ちあげ、瑛九に講師に来てもらった話をとても楽しげにしている様子であった。私が実際に話を伺った時にも同じ様子で話してくださった。その時から何十年も経っているのに、それだけ鮮烈に思い出されるのであろう。高校生だった時から瑛九の話や立ち居振る舞い(恐らく瑛九は高校生の前ではそんなに変わったことはしていなかったと思われる)などに触れ、受けた衝撃はとにかく大きかったのだと思う。瑛九の自宅にも行ったことがあるということは、瑛九の描いた作品も直に見られており、初見でどう思われたかは定かではないが、後に瑛九のことを論じ、新聞などにも寄稿するほどである。文章での広報もさることながら、「ときの忘れもの」をはじめ、画廊にも行き、福井県の木水育男氏らとも知己になり、博物館、美術館などにも通って瑛九を広める活動をされていた。他人の人生にそれほどの影響を与える瑛九の存在感が改めて感じられた。

生誕100年記念瑛九展のイベントにて
それまで鈴木先生と瑛九の話やエスペラントの話をすることはあっても、なかなか先生ご自身のことを詳しく知る機会がなく、私が美術館を転出していた間に1度お会いする機会があっただけだったのが悔やまれる。2018年4月に鈴木先生の訃報が届き、なんとか葬儀に参列をすることができた。会場には多くの方が見えていた。この時、「鈴木素直-その素顔をさぐる」というタイトルの本をいただいた。先生が教職から離れられる時に、「鈴木素直を本にする会」が発足して作られた本である。北海道から沖縄までたくさんの協力者によって先生のエピソードが語られていたが、その関わりの広さは、たくさんの顔を持つ鈴木先生の人生を見ているようだった。その本の最後に鈴木先生自身の言葉がある。
最後に「鈴木先生」の「先生」は返上したいと思います。唐突な言い分かもしれませんが、「鈴木さん」で結構です。教え子の方々からは異論が出そうですが、議員さんや似非文化人みたいな成り上がり、成り下がり者にはなりたくないだけのことです。
これまで鈴木先生と書き続けていたので、とても怒られそうであるが、あえて鈴木先生と呼ばせていただきたい。思い起こせば、やっぱりお会いする時には「鈴木先生」と呼びかけていたと思う。違った呼び名でも「素直先生」であったと記憶する。
鈴木先生のこの言葉には、もちろんそれまでの教職経験から得られたお考えがあるのだろうと思うが、やはり高校生の時に出会い、影響を受けた瑛九の存在を感じずにはいられない。
今頃は瑛九らと合流してエスペラントでいつまでもつきぬ会話をされているのだろうか。
(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館
学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。
《題不詳》1954年
水彩・紙
19.0x14.0cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「開廊30周年記念 塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」
Part 1 2025年6月5日(木)~6月14日(土)
Part 2 2025年6月18日(水)~6月28日(土)
※6月17日(火)に展示替え、日・月・祝日休廊
ときの忘れものは開廊30周年を迎えました。記念展として「塩見允枝子×フルクサス from 塩見コレクション」展を開催します。●2025年6月8日東京新聞15面したまち欄に<昭和初期から戦後活躍 早世の洋画家 松本竣介の生き様 新宿在住次男・莞さん 逸話まとめ出版>という大きな記事が掲載されました。
ときの忘れものでは松本莞さんのサインカード付『父、松本竣介』(みすず書房刊)を特別頒布するとともに、年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートーク他を開催してまいります。詳細は1月18日ブログをお読みください。
ときの忘れものは松本竣介の作品を多数所蔵しています。今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
著者・松本莞『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
●ときの忘れものの建築空間(設計:阿部勤)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

中庭・北川太郎
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