<風景を見る>ことについて
木村さんの版画をはじめて見たのは中部イタリアの都市を主題にした一連の作品であった。アッシジやフィレンツェやシエナなどの遠望や家並や町角が、影を濃くした映像となり、不思議な郷愁に浸されていた。何の変哲もない屋根や窓や石だたみや壁が、木村さんの澄んだ、的確な、執拗な眼ざしに見つめられ、次第に、それらが本来持っている詩的な原形へと、洗いだされているのであった。
奇をてらい、アナルシーへと自己を放擲するように見える現代芸術のなかで、木村さんのこの静かな古典性は、かえって強烈な精神力の存在を感じさせた。
こんどの軽井沢を主題にした作品も例外ではなく、たとえば聖パオロ教会の木造の屋根と尖塔は、大勢の若い男女が押しかける軽井沢名物の教会のそれとは、本質的に何の関係もない。ここには、そうした日常生活のぬくもりが垢のように付着させた不純物を、執拗に切りすて、ひたすら教会本来の形に結晶したものが、猫きだされている。かりに、その形体、木目、木組みの細部に眼をとめれば、この軽井沢が単なる有閑階級の避暑地ではなく、日本でも有数の、伝道的な雰囲気を持つ、質朴な林間の瞑想を求めた人々の土地であったことがわかる。それは白樺の幹を浮き上らせることによって、かえって暗い軒のかげに沈んでいる別荘風景にも感じられる。
この人気ない別荘は季節はずれに軽井沢を訪れた人なら、誰でも眼にすることのできる、ぬぎ忘れた生活の殻のようなものであるが、それだけに、一夏の哀歓が、その人気なさのなかに濃く立ちのぼってくる。
からまつのなかの道、雲場の池にうつる木立、林の上に浮ぶ浅間など、いずれもふだん眼にしながら、私たちはこの<静けさ>には気づかない。<このように見る>とは<このように創る>ことだという真実をこれらの作品も語っているようである。
辻 邦生
木村茂銅版画集『日本の街第二集 軽井沢 文・辻邦生』
制作年:1975年
限定:50部
銅版画:木村茂
文:辻邦生
現代版画センターと同長野支部・桜井群晃との共同エディション
収録銅版画5点(作家自刷り)





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